学位論文要旨



No 125455
著者(漢字) 富士道,涼子
著者(英字)
著者(カナ) フジミチ,リョウコ
標題(和) マカクサル傍嗅皮質35野における図形対のユニット化した神経表現
標題(洋) Unitized representation of paired objects in area 35 of the macaque perirhinal cortex
報告番号 125455
報告番号 甲25455
学位授与日 2010.03.03
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3373号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 准教授 松崎,政紀
 東京大学 講師 山口,正洋
内容要旨 要旨を表示する

図形同士の連合関係を長期記憶として表現する神経細胞はサル下部側頭葉 (IT) で初めて報告された。ITの単一神経細胞記録から、ITの神経細胞は学習を通して刺激選択性を獲得し、また幾何学的には類似性がない図形同士を時間的に近接して提示するとその視覚刺激双方に関連した神経活動を示すようになる、ということが明らかになっている。ITは傍嗅皮質(Perirhinal cortex)を含むが、破壊実験によりこの傍嗅皮質が刺激間の連合記憶が形成されるうえで特に重要な役割を果たしていることが知られている。傍嗅皮質はA35とA36という2つの細胞構築学的に異なるサブ領域を持つ(図1a)。我々は先行研究においてそのうちA36が刺激間の連合記憶の脳内表象に関与していることを明らかにした。一方、A35に関しては課題遂行中のサルから得られた知見は未だない。この理由は、A35 が嗅脳溝(rhinal sulcus)の基底部の狭く細長い領域であり課題遂行中の動物において単一神経細胞活動を戦略的に記録してくることが困難なためである。そこで我々は高解像度の磁気共鳴画像(MRI)を用いてin vivoで記録精度をあげる方法と標準的な手法である組織学的同定法の2つの方法を組み合わせることにより、これまでは困難であった課題遂行中のサルのA35へのアプローチを可能にし系統的な単一神経活動記録を試みた。こうして得られたA35の神経活動を解析し、この領野の連合記憶についての表現を調べた。

A35からの戦略的単一神経細胞活動記録:

1) 単一神経細胞活動記録実験を開始する前に、陽極電流を流してエルジロイ微小電極の先端を電気分解し、A35の背側直上にMRIで検出可能な標識として金属沈着を作成した(図1a, b)。電極の先端位置はサル脳の高解像度構造画像上で低シグナルスポットとして可視化された金属沈着の位置座標とした。電極の先端位置座標はX線からも得た。日々の単一神経細胞活動記録実験ではより記録に適したタングステン微小電極を用いて行った。全てのタングステン微小電極はX線によりその位置を記録した。よって各神経細胞の記録位置はX線由来の水平面(the horizontal plane)におけるXY座標とマニピュレーター由来の垂直方向(深さ方向)のZ座標で表現される。MRIで検出される金属沈着の座標を共通の参照物とすることで、全ての記録位置をMRI上に正確に重ね合わせることができるようになった。この方法によって記録した神経細胞が嗅脳溝の基底部の狙い通りの場所に入っているか否かを決定できるようになった。

2) 全ての単一神経細胞記録が終了したあと、嗅脳溝基底部内または電気生理学的に同定した白質から嗅脳溝基底部への遷移部位に電気的にいくつかの微小な損傷マーカーを作成した (図1c-d, f-g)。 1)でつけた金属沈着はPrussian blue反応によりまた損傷マーカーはNissl染色により可視化し、記録部位の再構成に用いた (図1e, 1h)。

対連合課題:

A35の神経応答を調べるために、2つの図形間の長期連合記憶を必要とする対連合課題を用いた。各試行において、手がかり刺激が300ms提示された後に2秒間の遅延期間をはさんで2つの選択図形が提示される。一つは手がかり刺激の対刺激で他方は別の対からの刺激である。サルは手がかり刺激の対になっている方の図形(対刺激)を正しく選ぶことで報酬を得る。視覚刺激は16枚の単色のフーリエ図形からなる。各サルは95%以上の正答率を示した。

私は対連合課題遂行中の2匹のサルにおいて全部で181個の神経細胞をA35から記録した。このうち67個の神経細胞が手がかり刺激呈示期間(64個)または遅延期間(18個)中に有意に刺激選択性を示した (P < 0.01, one-way ANOVA)。これらを以後、刺激選択的神経細胞と称する。67個の刺激選択的神経細胞のうち、15個の神経細胞が両期間で刺激選択性を見せた。これら刺激選択的神経細胞の空間分布を各サルにおいて冠状面で見てみると、どちらのサルにおいても刺激選択的神経細胞の大部分はA35内で固まって存在し、前後軸方向に沿って3-4 mmの長さの範囲に集中する傾向があった。

私はまず全体的なA35神経細胞の神経応答を調べた。A35で記録された手がかり刺激に選択的な神経細胞の平均発火頻度を見てみると、A36で観察されるような対連合を記銘する刺激選択性のパターンだった。これを対連合応答という。そこで私は先行研究で得られたA36の神経活動(Naya et al., 2003)と今回A35から記録した神経活動を比較することにした。A36の神経特性の一部は既に報告済みだが(Naya et al., 2003)、今回の報告ではA36から取れた全神経細胞について新たに解析しなおしてある。

対連合の度合いを定量化するために、手がかり刺激呈示期間中の特定の刺激に対する平均発火頻度とその対刺激に対する平均発火頻度との間の相関係数を各神経細胞について計算した。この相関係数を対連合指数(Pair-Coding Index, PCI)と定義した。仮に単一の神経細胞が刺激対と無関係に刺激選択性を示せば、PCIの期待値は0に近づく。手がかり刺激に選択性を示す神経細胞についてPCIの分布を見ると、A36と同様に有意に正に偏っていた (A35, n = 64, median = 0.39; A36, n = 73, median = 0.54; P < 0.001 for both areas, Wilcoxon's signed-rank test)。このことはA35の神経細胞は集団として対連合を表現していることを示唆している。A35の神経細胞のPCIの分布はA36と有意な差は無かった (P = 0.13; Kolmogorov-Smirnov test)。このことは2つの領野間には対連合に関して階層的な上下関係はないということを示唆している。

遅延期間の神経活動は連合記憶の情報を時間的に伝えると考えられている(Fuster, 1999; Naya et al., 1996)。そこで私は先の手がかり刺激選択的神経細胞を遅延期間にも刺激選択性がある(= 遅延選択的神経細胞)か否かで2群にわけた。遅延期間にも選択性を持つ神経細胞のPCI (n = 15, median = 0.78) は遅延期間にまで刺激選択性を維持できなかった神経細胞 (n = 49, median = 0.29) に比べて有意に高いPCIを持っていた (Kolmogorov-Smirnov test, P = 0.021)。この傾向はA36でも観察され、A35の遅延選択的神経細胞のPCIはA36のものと有意な差はなかった (P = 0.37)。A35では、手がかり期間に刺激選択性を示さない3つの神経細胞を含む18個の神経細胞が遅延期間選択性を示した。A36では40個だった。以後、私はこれらの遅延選択的神経細胞に注目して解析した。

A35から記録された代表的な遅延選択的神経細胞の応答を示す(図2a)。この細胞は手がかり期間に提示された特定の刺激に対して最も強い応答を示す(最適刺激、赤色の線)。一方、その対刺激が提示されると、最適刺激の時と同等に反応をする(対刺激、マゼンダの線)。この最適刺激とその対刺激からなる組を第一対(the primary pair)と呼ぶことにする。この第一対に対する強い応答に対して、この神経細胞は他のどの対に属する刺激を手がかり刺激として提示してもほとんど反応しない(残りの対への平均応答、灰色の線)。 我々の研究室では以前A36の神経細胞が最適刺激とその対刺激に対する応答が相関しているような対連合応答をすると報告した(Naya et al., 2003)。しかしながらA36では、たとえ神経細胞が高いPCI値を持っていたとしても特に遅延期間に選択性を示す場合にこれらの神経細胞において最適試行での神経活動と対試行での神経活動とは弁別がつくものであった。一方で、図2のA35の神経細胞は最適試行での神経活動と対試行での神経活動を区別するのは難しいものだった。このように特定の図形対に選択的に反応し、その図形対内は区別しないような神経活動はA35において神経細胞が図形対単位で連合記憶を表現していることを示唆している。

そこで私は最適試行と対試行との間を発火頻度では区別することが難しいという傾向がA35の遅延選択的神経細胞全体でも観察されるかをROC曲線解析で調べた。ROC曲線解析では、各神経細胞のふるまいから観察した試行が最適刺激が提示された試行なのか対刺激が提示された試行なのかを区別できるか推定することができる。ROC曲線より下の部分の面積(AUC)は2種類の試行の間の弁別能力を示す指標になる。AUCが1に近いほど確実な弁別を意味し0.5に近いほど弁別ができないことを意味する。A35においては、第一対内の各刺激(= 最適刺激と対刺激)間の弁別能力を示す指標であるAUCの中央値は0.65であった。一方、A36においては0.79であった。AUCの分布はA36よりもA35の方が有意に低かった (図3左、Kolmogorov-Smirnov test, P = 0.02)。このことはA36に比べてA35の方が最適試行に対する神経応答と対試行に対する神経応答がより同等であることを示唆している。続いて、各神経細胞が第一対とその他の対をどれくらい弁別しているのかふるまいをみた(対間の弁別)。対間の弁別に対してAUCの値はA35 (median = 0.72)とA36 (median = 0.72) とでは有意に差は無かった (図3右、Kolmogorov-Smirnov test, P = 0.92) 。このことは、A35がA36に比べて対間の弁別能力に変わりはなく、これらの結果が単にA35の神経細胞が刺激選択性が低いことを反映しているわけではないことを示唆している。

以上より、本研究において私は系統的にA35の神経細胞から神経活動を記録することに成功し、A35の神経細胞が対連合を表現していること、特に遅延期間に刺激選択性を示す細胞についてはA36と比較して対連合の表現がより抽象度が高い表現になっていることを示した。

図1

A35からの戦略的な単一神経細胞記録。

a) 嗅皮質の構造的区分と目標部位(A35,赤)。 b) MRIで検出した標識(矢印)とPrussian blue反応による染色結果。 c)及びf) Nissl染色切片。矢頭は損傷マーカーを示す。 d)及びg) c)及びf)の一部を拡大したもの。 e)及びf) 再構成した神経細胞の記録位置。星印は損傷マーカー位置を示す。

図2

A35から記録された遅延選択的神経細胞の例。

ラスタープロットとスパイク密度関数は手がかり刺激提示開始時で揃えて表示してある。

図3

A35(赤)とA36(青)におけるAUCの比較。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は傍嗅皮質35野(A35)における連合記憶についての神経表現を明らかにするため、高解像度の磁気共鳴画像(MRI)を用いてin vivoで記録精度をあげる方法と標準的な手法である組織学的同定法の2つの方法を組み合わせ、これまでは困難であった課題遂行中のサルのA35で系統的な単一神経活動記録を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.高解像度のMRIを用いてin vivoでの記録精度をあげたのちに組織学的に記録部位を同定した結果、課題遂行下の動物においては初めて系統的な単一神経活動記録結果を得た。対連合記憶課題遂行中の2匹のサルA35において181個の神経細胞を記録した。そのうち67個の神経細胞が手がかり刺激呈示期間(64個)または遅延期間(18個)中に有意に刺激選択性を示した(刺激選択的神経細胞)。どちらのサルにおいても刺激選択的神経細胞の大部分はA35内で固まって存在し、前後軸方向に沿って3-4 mmの長さの範囲に集中する傾向があった。

2.手がかり刺激呈示期間中の特定の刺激に対する平均発火頻度とその対刺激に対する平均発火頻度との間の相関係数を各神経細胞について計算した。この相関係数を対連合指数(Pair-Coding Index, PCI)と定義し対連合の度合いを定量化した。その結果、手がかり刺激に選択性を示す神経細胞についてPCIの分布を見ると有意に正に偏っていた。このことはA35の神経細胞は集団として対連合を表現していることを示唆している。

3.先行研究においてA36においても2.と同様な結果が観察されていた(Naya et al., 2003)ため比較したところ、A35の神経細胞のPCIの分布はA36と有意な差は無かった。このことは2つの領野間には対連合に関して階層的な上下関係はないということを示唆している。

4.先の手がかり刺激選択的神経細胞を遅延期間にも刺激選択性があるか否かで2群にわけた。遅延期間にも選択性を持つ神経細胞のPCIは遅延期間にまで刺激選択性を維持できなかった神経細胞に比べて有意に高いPCIを持っていた。この傾向はA36でも観察され、A35の遅延選択的神経細胞のPCIはA36のものと有意な差はなかった。

5.しかしながらA35の遅延選択的神経細胞において最適試行と対試行において発火頻度からは提示された2つの図形を区別できないことが観察されたため、この傾向がA35の遅延選択的神経細胞全体で観察されるかをROC曲線解析で調べた。A35においては、最適刺激とその対刺激間の弁別能力を示す指標であるAUCの中央値は0.65であった。一方、A36においては0.79であった。AUCの分布はA36よりもA35の方が有意に低かった。このことはA36に比べてA35の方が最適試行に対する神経応答と対試行に対する神経応答がより同等であることを示唆している。続いて、各神経細胞が最適刺激を含む対とその他の対をどれくらい弁別しているのかふるまいをみた(対間の弁別)。対間の弁別に対してAUCの値はA35とA36とでは有意に差は無かった。このことは、A35がA36に比べて対間の弁別能力に変わりはないことを示している。

以上、本論文は高解像度MRIを用いてin vivoで記録精度をあげる方法と標準的な手法である組織学的同定法の2つの方法を組み合わせることでA35から系統だって単一神経細胞記録を行い、隣接する領野のA36と比較することでA35における連合記憶についての神経表現を明らかにした。本研究はサルA35の神経表現に関するはじめての報告であり、またこれまで未知に等しかった、A35とA36という傍嗅皮質内の2つの領野における連合記憶表現の違いを示したことから視覚記憶の情報処理の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク