学位論文要旨



No 125465
著者(漢字) 村中,伸滋
著者(英字)
著者(カナ) ムラナカ,シンジ
標題(和) 低温磁気力顕微鏡を用いた酸化物薄膜の磁区構造観察
標題(洋) Magnetic Domain Structures of Oxide Thin Films Observed by Low Temperature Magnetic Force Microscope
報告番号 125465
報告番号 甲25465
学位授与日 2010.03.05
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5448号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 教授 斉木,幸一朗
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 小澤,岳昌
 東京大学 教授 吉信,淳
内容要旨 要旨を表示する

【序】

強磁性体の磁区構造は、交換相互作用などの強磁性発現機構を反映するばかりでなく、磁区の界面(磁壁)はキャリアの散乱源となるため、デバイス作製の観点からも興味が持たれている。磁区の観察法としては、磁性微粒子を利用するビッター法の他、カー効果顕微鏡、ローレンツ顕微鏡、走査型SQUID顕微鏡、磁気力顕微鏡(Magnetic Force Microscopy; MFM)などの各種顕微鏡が用いられてきた。なかでもMFMは、数十nmレベルの高い空間分解能を有する、磁場下の測定が可能である、などの特徴を持つことから、微細な磁区を観察する上で強力なツールとなっている。

一方、磁性半導体や強相関巨大磁気抵抗材料の登場により、電子の電荷とスピンの両方の自由度を利用するスピンエレクトロニクスが注目されている。このような物質では、一般に室温以下の低温で強磁性が発現するため、低温での磁区構造観察が必要となるが、特に磁性半導体では、磁化が小さいため高い磁場感度が求められる。現時点では、これらの要求を満足するMFM装置は見当たらない。

本研究では、低温測定に適したMFMヘッドを設計・製作するとともに、カンチレバーの変位を抵抗値として検出する抵抗検知方式を採用することにより、高感度超高真空低温MFMの開発を行った。また、試作した低温MFMを用い、酸化物系磁性半導体Ti1-xCoxO2および巨大磁気抵抗材料La1-xSrxMnO3エピタキシャル薄膜の磁区構造観察を行った。

【低温MFM装置の開発】

低温MFMでは、ヘッド周囲を低温の壁で覆う必要があり、また防震性能を向上させるためにも、ヘッド部をできるかぎりコンパクトに設計する必要がある。試料の粗動には慣性駆動方式を採用した。また、ヘッド部は回転ステージ上に設置し、真空チャンバー内でヘッド部全体を90度回転できるように設計した。真空チャンバー外部から、電磁石により外部磁場(最大2700Oe)を印加できる。また、ヘッドの回転により、外部磁場の方向を変化させることが可能である。MFMは冷媒によって冷却したコールドヘッドに接触させることにより冷却した。最低到達温度は、液体ヘリウム、液体窒素を使用した場合、それぞれ15 K、78 Kである。

カンチレバーには、抵抗検知型AFMカンチレバーを用いた。カンチレバー部をレジスト樹脂でマスクし、先端部にPLD法(Pulsed Laser Deposition technique)を用いてCoCrPt薄膜(膜厚50nm)を堆積させた。得られたCoCrPt薄膜の磁化-外部磁場(M-H)曲線を図1に示す。低温になるほどで、大きな保磁力を示しており、液体窒素温度では600 Oeに達している。z方向のフィードバック制御は、周波数検知方式により行った。まず、励振ピエゾによりカンチレバーを自励発信させておく。探針先端が試料表面に近づくと、共振周波数がシフトするが、このシフト量△fを自作したPLL(Phase-locked loop)回路で検知し、サーボ回路を通してフィードバックピエゾを駆動する。

MFMでは、原子間力と磁気力を分離するため、試料―探針間距離が近い状態(原子間力が支配的)と遠い状態(磁気力が支配的)で同一領域を走査することが行われる。ストライプ型磁区構造を仮定し、試料―探針間距離40 nmで磁気イメージを計測した場合の、z方向磁気勾配と磁区幅との関係を見積もった結果を図2に示す(77 K)。抵抗検知の検出限界(1.6x10-5 N/m)を考慮すると、空間分解能は、飽和磁化の小さいTi0.95Co0.05O2(Ms=1m T)で40 nmと見積もられる。

【Ti0.95Co0.05O2薄膜の磁区構造観察】

Ti1-xCoxO2は室温磁性半導体であり、これまでSQUID顕微鏡(空間分解能~5um)観察によりミクロンオーダーの磁場分布は観測されているものの、nmスケールでの磁区構造観察例は皆無である。Ti0.95Co0.05O2薄膜はサファイア基板上にPLD法により作製した。同薄膜を、本研究で開発したMFMを用いて観察した結果(測定温度78 K)を図3に示す。同時に観測した凹凸像より、本薄膜は400nm程度の径を持つグレインからなっている。一方、磁気イメージを見ると、個々のグレイン内には構造がないものの、グレインにより磁場強度が異なっている。面直磁化ストライプ磁区モデルを用いると、磁区の幅d は 〓であたえられる。ここに、Lは膜厚、γは磁壁エネルギー、Msは飽和磁化である。Ti0.95Co0.05O2について見積もったγ=1.02×10-2[J/m2]を用いると、d=20μmと計算され、粒子径よりも大きい。従って、本薄膜では、粒子間の磁気結合が弱く、その結果、各グレインが単磁区として振舞っているものと考えられる。

【La0.6Sr0.4MnO3の磁区構造観察】

ペロブスカイト型La1-xSrxMnO3は代表的な強相関物質であり、x=0.4の系は、キュリー温度270Kの強磁性を示す。本研究では、PLD法によりSrTiO3(001)基板の上に堆積させたLa1-xSrxMnO3薄膜について、78 KでMFM測定を行った。無磁場下で観測された凹凸像と磁気イメージを図4に示す。凹凸像より見積もったグレインサイズは200 nm程度である。走査範囲2.7μm×2.7μmの磁場像を見ると、明るい領域と暗い領域に明確に認められ、それぞれスピンが上向きと下向きの磁区に対応している。各磁区の内部で磁気構造は観測されず、従って、本系の磁区は複数のグレインにより構成されている。また、グレインの境界と磁区の境界は一致していることが分かった。磁区のサイズは1~2μm程度であり、この値は、これはまでLa1-xCaxMnO3系やNd1-xSrxMnO3系で観測された値(300nm)に比べやや大きい。

また他の領域を観察した所、グレインサイズが50nm程度の領域も観察された。その磁区境界部分の拡大図を図4(c),(d)に示す。境界部での磁気イメージには、グレインを反映した円形構造が現れている。また、各グレインの発する磁場は異なっており、従って、磁区の境界では、グレインを単位としてスピンの方向が徐々に変化していると考えられる。スピンが変化する領域の幅は500 nm程度である。このような、グレインを単位とする磁区境界での磁気的振舞いは、本高感度MFMで始めて観測された現象である。

また、グレインサイズが50nm程度の場合に外部磁場を面直方向に徐々に印加した。通常の強磁性体は磁区境界である磁壁は、外部磁場を印加するとその大きさにより徐々に移動することが知られている。本研究で観測したLa1-xSrxMnO3薄膜の場合にも外部磁場を印加していくことで徐々に移動が観察された。また1200Oeまでの強い外部磁場を印加することで最終的にはMFM観測範囲領域のすべての磁気モーメントの方向がそろうことを確認した。MFMによる磁壁移動を観測したのも本研究が初めてである。

【結論】

高感度な低温磁気力顕微鏡装置の開発に成功した。同装置を用いて磁性半導体であるTi0.95Co0.05O2薄膜の磁区構造を観測した結果、初めてnmスケールの磁区構造を観察した。また、各グレインが単磁区として振舞っていることがわかった。一方、強相関強磁性体La1-xSrxMnO3では、グレインサイズにより、磁区の振る舞いが異なることが分かった。グレインサイズが200nm以上の場合、磁区のサイズは200~400 nmであり、磁区は複数のグレインから構成されていた。しかし、グレインサイズが50nm程度と小さくなった場合、磁区境界の幅~500 nmの領域では、各グレインを単位としてスピンの向きが徐々に変化することを見出した。また、外部磁場を印加した際、磁壁は徐々に移動していき、最終的には一様に磁気モーメントの方向がそろうことを確認した。

図1磁性探針のM-H曲線

図2 空間分解能と磁場感度との関係

図3 Ti0.95Co0.05O2のMFM像3.3μm×3.3μm

図4 La0.6Sr0.4MnO3の78K におけるAFM像とMFM像(a)AFM像2.7μm×2.7μmb)MFM像 2.7μm×2.7μmc) AFM像 670 nm×670 nm d) MFM像 670 nm×670 nm

図5 グレインサイズ50nmのLa0.6Sr0.4MnO3のAFM像とMFM像 78K,2.7μ×2.7μ(a)AFM像(b)MFM像

審査要旨 要旨を表示する

強磁性体の磁区構造は、交換相互作用などの強磁性発現機構を反映するばかりでなく、磁区の界面(磁壁)はキャリアの散乱源となるため、デバイス作製の観点からも興味が持たれている。本研究では、低温磁気力顕微鏡(LT・MFM)を開発し、同顕微鏡を用いて強磁性体である希薄磁性半導体と巨大磁気抵抗材料を観察し、磁区構造の解明を行っている。

本論文は6章からなっている。

第1章は序論であり、強磁性体の磁区構造とその観察装置について概観している。特に、応用の観点からも興味が持たれている希薄磁性半導体と巨大磁気抵抗材料について触れ、これらの材料の磁区構造観察に必要とされる顕微鏡装置の性能を比較検討し、MFMの有用性について説明している。

第2章はLT・MFM装置の開発について述べている。MFMの動作原理を説明し、カンチレバー変位の検知方式や探針用の磁性材料など、LT-MFMの性能を決定する様々な要素について詳細に検討している。また、磁場感度や空間分解能のシミュレーションを行い、開発したLT-MFM装置での実測値と比較した上で、設計通りの性能が得られていることを検証している。

第3章は希薄磁性半導体であるTi0 .95CO0.05O2薄膜の磁区構造観察の結果について述べている。MFM測定と同時に観測した凹凸像より、本試料は400nm程度の粒径を持つグレインからなることを示し、一方、MFM像からは、個々のグレインは内部構造を持たず、かつグレインにより磁場強度が異なっている様子を観測している。磁壁の幅や磁区サイズに関する理論値との比較から、本試料では、グレイン間の磁気結合が弱く、その結果、各グレインが単磁区として振舞っていると結論している。

第4章は巨大磁気抵抗材料であるLa0.6Sr0.4MnO3薄膜の磁区構造観察の結果について述べている。グレインが比較的大きな試料では、ストライプ状の磁区を観測し、磁壁の幅はLT-MFMの空間分解能(~50nm)より小さいことを検証している。一方、グレインサイズが50nmの試料では、磁区境界で磁化が徐々に変化し、その遷移領域の幅は250nmにも達することを見出している。以上の結果をもとに、磁区境界付近ではグレインを単位として面内磁区と面直磁区とが共存する新しいドメインモデルを提案している。

第5章ではグレインサイズ50nmのLa0.6Sr0.4MnO3薄膜を対象に、外部磁場を印加した際の磁壁移動を調べている。面直外部磁場の増大につれ、磁壁は徐々に移動するが、その一部は転位による欠陥に捕捉されること(ピン止め現象)を見出している。また、外部磁場を12000eまで増加させると、突然ピン止めが解消され、観測範囲領域の磁気モーメントがすべて同方向に揃うことを観測している。以上の結果より、上ピン止め力の見積もりを行い、他の磁性材料との比較から、上記欠陥が非常に大きなピン止め力を持つことを指摘している。

6章は結論と要約である。

以上のように、本論文は、低温磁気力顕微鏡の開発と、同顕微鏡による希薄磁性半導体と巨大磁気抵抗材料の磁区構造観察について述べており、その結果をもとに新たな磁気モデルを提案している。これらの研究は理学の発展に大きく寄与する成果であり、博士(理学)に値する。なお、本論文は複数の研究者との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、及び考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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