学位論文要旨



No 125469
著者(漢字) 金山,浩司
著者(英字)
著者(カナ) カナヤマ,コウジ
標題(和) ソヴィエト連邦における物理学哲学論争 : 1930-1941年
標題(洋)
報告番号 125469
報告番号 甲25469
学位授与日 2010.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第950号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 岡本,拓司
 東京大学 教授 橋本,毅彦
 東京大学 教授 村田,純一
 東京大学 准教授 廣野,喜幸
 東京工業大学大学院社会理工学研究科 准教授 梶,雅範
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、戦前期ソヴィエト連邦における物理学理論をめぐる哲学・イデオロギー論争の具体的内容、論争の経緯に見られる思想的・社会的ダイナミズムを、従来の歴史研究が前提としていた予断を取り払いつつ史料の精密な読解を通じて解明することにある。この目的に接近するために、筆者は、論争に参加したもろもろのアクターの手による論考の含意を、バランス良く、そこで用いられる語法等のニュアンスをも取捨することなく、細密に記述することを目指した。本論文で扱われる論争は、ソ連公定イデオロギーに根ざした用語・マルクス主義自然哲学の発想に基づいた記述がなされていることが多く、従来は、そういった要素への意識的・無意識的な嫌悪あるいは理解の不十分さから、論争そのものの内容の検討は不十分にしかなされておらず、また論争の政治的・社会的次元の解釈においても、指導的物理学者と無知蒙昧なイデオローグといった固定した二項対立図式が予断として持ち込まれてきた。本論文においては、これまでにも参照はされてきたが表面的な検討しかなされてこなかった公刊史料―なかんづく、哲学総合雑誌『マルクス主義の旗のもとに』誌上論文を中心とする―、そもそも歴史記述に用いられてこなかった書簡等の文書館所収史料、公刊史料ではあっても着目されることのなかったそれ等を網羅的に精査しつつ、このような従来の研究が持っていた不十分さを取り除く歴史的記述を目指した。

本論文が扱う時期は、スターリンと彼を支持する政治指導層による「上からの革命」の影響に伴いソヴィエト哲学界の支配層の人員および諸文献において扱われるテーマ・語法の激変がもたらされた1930 年前後より、独ソ戦の勃発に伴い哲学的議論がひとまずの中断をみた1941 年までの10 年あまりである。この比較的に短い期間に、ソ連での論争は、同時期の物理学理論の全般的な発展状況、欧米諸国での物理学者たちのさまざまな科学上・哲学上の発言、国内的にも対外的にもきわめて緊迫した政治・社会状況等の影響を如実に受けつつ、広がりを見せていた。この広がりとは、論争に参加していた人間の顔ぶれという意味でも、扱われていたテーマの多彩さという点でもそうであり、ソ連における論争を他国に例のないユニークなものとしている。前者についていえば、論争は、ある程度の自然科学・哲学の素養を持ちソヴィエト政権の宣伝扇動活動を行うための訓練を受けた、イデオロギーの「審問官」ともいうべき共産党員、そして最新の物理学理論の発展状況に通じた指導的な理論物理学者といった人々のほか、実験物理学者、20 世紀以降物理学理論がこうむった変化の理解に難のある旧世代の物理学者・工学者、ひいては地方在住のまったく無名の人物に至るまで、専門家集団にとどまらない広範囲のメンバーを引きこんでいた。後者についていえば、論議の対象となった点は古典物理学の歴史的・哲学的解釈に属するそれから、1930 年代当時最新の物理学理論の発展を受けたそれまで、多様であった。宇宙の熱的死の有無(あるいは宇宙の時間的・空間的無限性)、量子力学からの帰結として決定論の否定が導かれることの是非、場概念(あるいは物理作用の媒質)と物質との相互関連、諸学問の中における物理学の位置づけ(あるいは還元主義的世界観の是非)、エネルギー保存則(あるいはエネルギー概念)の存在論的位置づけ、等が争われた論点であった。

本論文で行った歴史的検討を通じて得られた結論は以下のとおりである。 1.物理学に関しては、戦前期ソ連での哲学・イデオロギー論争の主要な論点は、これまで考えられていたような新理論の丸ごとの肯定か否定といった次元を超えたより精妙なそれをめぐってのものであったこと、 加えて2.この論争は、その語法や論争方法に見られる「異様さ」にもかかわらず、明確な一定の哲学的方向性を有しており、20 世紀自然科学の哲学における一定の潮流の一つとみなせること、そうした明確な方向性は甚だしい混乱と「もたつき」が生じていた戦前期にすら看取できること、 そして3.論争の社会的・政治的次元についてみるならば、1930 年代という比較的短期間の間にもめまぐるしい変遷があり、論者同士の思想的・人間的関係も数年・数カ月単位で変化しており、論争史を一定した二項対立の図式に基づいて描出するわけにはいかないこと、 である。以下、敷衍してみていこう。

まず、哲学・イデオロギー論争の主要な論点は、相対性理論や量子力学といった新理論の物理学上の定式ではなかったことは銘記されるべきである。相対性原理、不確定性関係といった新たな概念に対し全否定を試みる論議は少数派のそれであり、かつこうした論者の多くは1920年代にすでに「機械論者」として党内論争の水準においても否定されていた。上述したように、1930 年代の議論の多くは、専門の物理学者の間でも見解の分かれる論点(不確定性関係と決定論との関係、宇宙全体の熱的死の有無)や、西欧の物理学者らの間に実際にあった、あるいは誤解を抱かせがちな哲学的見解(宗教的信条・主観主義的信条等)、物理理論そのものの正当さ・真偽にほとんど関連しない哲学上の論点(場や空間の存在論的位置づけ、機械論的世界観をめぐる論争)、結果的にむしろ哲学者の側が正当な結論を支持していたことが明るみになった論点(ベータ崩壊をめぐる仮説=エネルギー保存則の正当性)、等をめぐってたたかわされていた。

それらの論議には、まぎれもなく、エンゲルスやレーニンの立場を受け継ぎつつ最新の物理学理論に対処しようとする一定の方向性がみられる。反形式主義・反現象主義がそれであり、エネルギー概念・場概念をめぐる唯物論的な解釈がそれであり、また、反機械論=還元主義の否定もそうである。戦前期の論争においては、指導的科学者の側も物理学理論の解釈におけるまだイデオロギー的正統性の確立という要求に起因するこういった方向性を理解し弁証法的唯物論の語法を充分に身につけるという過程を経ておらず、現代物理学と弁証法的唯物論との調停という作業を行うには数年間の「もたつき」の期間を経なければならなかった。

当時の物理学理論の発展をめぐる状況と照らし合わせてみたとき、論争の内在的な分析は興味深い結論へとわれわれを導く。ソ連における論争は、上述したように、弁証法的唯物論という国是たる哲学体系と新しい物理理論とを調停させるという目的のもとで行われたという点では特殊であるが、1930 年代当時のさまざまな物理学理論の提起に対する反応や科学哲学分野における百家争鳴ぶりの一環として、国際的視野のもとで捉えることもできる。すなわち、当時西欧諸国において第一線にいる物理学者たちの間でも、量子力学の哲学上の解釈は割れており、宇宙論の基本的な方向性―膨張宇宙論か定常宇宙論かといった―もいまだ不明であり、エネルギー保存則を保持するか否かといった物理学理論にとって最も根本的な領域においても動揺が見られ、現象主義的・主観主義的なそれを含めて物理学者たちがさまざまな哲学的見解を打ち出していた。イデオロギー的熱狂のほかにも、論者たちのこうした状況への対応・興味関心という内在的な要因が、ソ連での論争を活性化させていたのである。

結局、戦前期のソ連で行われた論争そのものは、言語の壁と論争方法・論争で用いられている語法の特殊性から、ソ連国外に世界的規模で広く影響を与えることはなかった。しかし20 世紀の物理学に関する哲学史の流れをバランスよく記述するためには、こうしたソ連での―必ずしも整理はされていないものの明確な哲学的立場に基づいた―論争に目を配ることは、不可欠となってくる。こうした配慮はとりわけ、20 世紀半ばにソ連国外においても数々の著名な物理学者がマルクス主義に基づいた自然観・物理観を確立しようと試みてきた―この傾向はおそらく、欧米諸国よりも、日本をはじめとする非・西欧圏でより強かった―ことをかんがみるとき、重要である。

3 番目の論点としてあげておいた、政治的・社会的分析に関しては、以下のようなことが明らかになった。刻々と内外の政治状況が変化していた1930 年代当時の問題を取り扱うににあっては、「後知恵」をもって論争の(あるいは論者同士の関係の)全体的な性格づけを行うことには慎重にならなければならない。たとえば、最も戦闘的なイデオローグたちといえども、1930 年代末に至るまで一貫して指導的物理学者らに対抗する立場をとっていたわけではない。旧世代の電気工学者と共産党イデオローグは、すぐさまの共闘関係を築いていたわけではなく、互いに牽制し合ってもいた。

また物理学者の側も、各種産業に対する物理学の成果の応用等をもってしてのみではイデオローグの攻撃をかわすことはできなかったことも注意するべきである。1938 年末には論争は一定の鎮静化をみたことが本論文においての歴史的実証によって明らかであるが、これは物理学者の政治的勝利というよりは、多分に妥協と歩み寄りの産物であった。1936年以降の、指導的な物理学者および研究所への、実践的成果を十分に出していないとの非難は1938 年時点でも決して撤回されたわけではなく、核物理学の産業・軍事への応用の見通し等が出る以前の状況では、物理学者たちの切れる「カード」は多くなかった。論争の沈静は、セルゲイ・ヴァヴィーロフという、その他の指導的物理学者たちに比べて妥協的かつ弁証法的唯物論に関連する「語法」を、現代物理学の積極的成果を擁護する文脈の中で使いこなすことができた人材の戦略に拠っていたのである。

上述したようなテーマを扱うにあたりもっとも銘ずるべきは、いまだ「悪夢」から逃れられていない人々が陥りがちな心理的罠、すなわち二項対立図式に典型的にみられるような予断、の排除であろう。本論文はそのような試みの一環としても位置づけられるはずである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、序論、9つの章、結論、付録からなる。序論では、本論文で取り上げられる課題についての研究史が概観されるとともに、本論文において新たに論じられる問題が整理される。第1章では、議論の前提となるマルクス主義的科学観とそのロシア・ソヴィエト連邦における展開が紹介され、第2章では本論文の舞台の前史ともいうべき1920年代の様相が解説される。以下、第3章から第8章までは、雑誌『マルクス主義の旗の下に』における物理学と哲学をめぐる論争の詳細な分析が、論者たちの書簡等の資料の検討とともに展開され、第9章では第二次大戦およびその後の状況が紹介されている。

本論文以前にも、ソヴィエト連邦において、1930年代を中心に物理学者と哲学者の間で論争が生じていたことは知られていたが、研究者の多くは、この論争を、相対性理論・量子力学等の新しい物理学に違和感を覚える論者たちと、20世紀初頭、特に1920年代後半より世界的に広がっていった新たな形態・理論に基づく物理学研究を擁護しようとする物理学者たちの間の角逐と見なしており、特に物理学者たちがどのようにして新たな研究を守りながら進めていくことに成功したかを記述する点に主たる関心が寄せられていた。これに対し、金山氏は、論争の舞台となった『マルクス主義の旗の下に』誌に掲載された諸論考、および論者たちの書簡等を精密に読み込むことにより、以下の諸点を明らかにすることに成功した。第一に、この論争が新しい物理学の拒絶・受容を主要な論点としてなされたものではなく、マルクス・エンゲルス・レーニンの科学観を受け継ぎつつ新たな物理学の潮流に対応しようとした試みとして理解できること。第二に、その試みの成果は、ソヴィエト連邦の影響圏においてのみ共有されるものではあったが、20世紀の科学観の展開を論ずる際には語り落とすことのできない水準に達していると評価できること。第三に、11年間(1930年から1941年)という比較的短い期間における論争にも、当時のソヴィエト連邦の科学者たちを取り巻く政治的・社会的環境の急激な変化の影響が色濃く反映されていること、特に論争の終焉は粛清等の拡大を懸念する当事者たちの歩み寄りによるものと理解されうること。

本論文の審査においては、一次資料の詳細な調査に基づいて論争の内容に分析を加えた点、特に検討対象となった論争は、これを、科学に無知なイデオローグと新たな研究を模索する物理学者の間の対立と見なす図式によっては理解できないことを明らかにした点が高く評価された。また、相対性理論・量子力学の登場によって生じた20世紀の物理学における変革を考察する際に、無視できない材料を提供する研究であるとの評価もなされた。

今後の課題としては、以下の点が指摘された。論争の中でも、主軸となった論点とそうでない論点があるが、各論点の重みの違いについても整理がされるとよいのではないか。また、たとえばそれ以前の物理学の歴史の流れからみて重要な論点を強調する、20世紀の科学観としての特徴を取り上げる、あるいは量子力学の登場後に世界的に生じた物理学の変革の一環として整理するといった工夫もあり得たのではないか。科学において生ずる論争一般についての先行研究を参照し、論争の研究として整理することも可能であったのではないか。特に同時期のルイセンコ問題などとの比較も可能であったのではないか。政治的・社会的分析については、さらに検討の余地があり、特に、論争の内容に、論争外のどのような具体的な事情が影響を及ぼしたかについては、人事・予算等の資料をも参照した研究により分析を深めることが可能ではないか。

以上のような指摘は、しかし、本論文によって当該課題の再検討の要が明らかにされたために初めてなしうるものであることは明らかであり、審査委員会もその作業のために費やされた金山氏の労力を高く評価した。

なお、本論文の一部は、査読付きの学術誌に4つの論文として掲載されている。

結び

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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