学位論文要旨



No 125473
著者(漢字) 秋吉,史夫
著者(英字)
著者(カナ) アキヨシ,フミオ
標題(和) 銀行パニックに関する研究 : 昭和恐慌期を題材に
標題(洋)
報告番号 125473
報告番号 甲25473
学位授与日 2010.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第271号
研究科 経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 柳川,範之
 東京大学 教授 大橋,弘
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 准教授 澤田,康幸
 東京大学 教授 佐々木,弾
内容要旨 要旨を表示する

近年、銀行パニックに関する多くの理論研究が行われている。銀行取付が一つの銀行から預金が急激に流出することであるのに対し、銀行パニックは銀行システム全体から預金が急激に流出することである。一つの銀行に対する取付が他の銀行に波及することによって、銀行パニックに発展することもある。

銀行パニックの発生メカニズムについて様々な理論モデルが存在するが、銀行パニックが社会的費用をもたらす可能性については共通の指摘を行っている。その一つは、銀行パニックによって健全な銀行が破綻する可能性があることである。もう一つは、銀行パニックの悪影響が銀行業だけにとどまらず、実体経済に波及する可能性があることである。

銀行パニックに関する理論研究は、パニックの社会的費用が大きなものになる可能性を説得的に論じ、先進諸国における手厚い預金者保護政策に理論的な根拠を与えた。しかし一方で、預金者保護政策が銀行経営者・預金者のモラルハザードを誘発する可能性が、多くの理論研究によって指摘されてきた。そして1980年代後半から90年代初頭にかけて米国が経験したS&L危機は、銀行経営者・預金者のモラルハザードの問題が現実的かつ深刻なものであることを明らかにした。このように預金者保護政策の弊害が認識されるにつれて、銀行パニックの防止という政策の意義を実証的に検証しようとする研究が盛んに行われるようになった。

大恐慌期の米国を対象にした実証分析の結果は、次のようにまとめられる。まず銀行パニックによって健全な銀行が破綻するかという問題については、パニックによる健全な銀行の大規模な破綻は観察されないという結論で概ね一致している。一方、銀行パニックが実体経済に悪影響を与えるかという問題については、パニックによって銀行の信用仲介機能が低下し、生産活動を縮小させるという結論で概ね一致している。

戦間期の日本を対象とした実証分析の結果は、次のようにまとめられる。銀行パニックによって健全な銀行が破綻するかという問題については、米国の研究と同様に、パニックが発生しても健全な銀行は破綻をまぬがれていたと論じる研究が多い。しかし一方で、パニックによって一部の健全な銀行が破綻したと主張する研究も少なくない。銀行パニックが実体経済に悪影響を与えるかという問題については、米国の研究とは対照的に、否定的な結論が一般的である。

本博士論文は、昭和恐慌期(1930-32年)におけるデータの分析を通じて、銀行パニックの社会的費用に関する実証的な知見の蓄積に貢献することを目的としている。1930年1月、浜口内閣は旧平価での金本位制復帰にふみきった。割高な為替レートを維持するために緊縮的な金融・財政政策がとられ、折から始まった世界恐慌の影響とあいまって、日本経済は昭和恐慌と呼ばれる深刻な不況に陥った。名目GNP成長率は大きく落ち込み、1930年には-9.9%、1931年には-9.3%を記録した。経済の縮小は、犬養内閣による1931年12月の金本位制再離脱まで続いた。深刻な不況の中で多くの銀行が破綻した。1930-32年間に休業した銀行は118行であり、その比率は全体の12.1%に達した。金融恐慌が起きた1927年の休業銀行は44行、その比率は全体の2.8%であり、昭和恐慌期の銀行システムの動揺は1927年金融恐慌と同程度かそれ以上の深刻なものであった。銀行システムの動揺が深刻化する中で、銀行パニックもいくつか発生した。旧本銀行の資料によれば、(1)和歌山(1931年11月)、(2)背森、岩手(1931年11月)、(3)岐阜、愛知(1931年12月)、(4)愛知、三重、静岡(1932年3月)の4つの銀行パニックがこの時期に観察された。

本博士論文が分析対象とする昭和恐慌期には、先行研究が分析対象としてきた米国の大恐慌期、日本の1927年金融恐慌期にはない特色がいくつかある。論文は4章から成り、昭和恐慌期のデータの特色を活かし、先行研究では必ずしも明らかになっていない点を分析することを試みている。以下、各章の内容を順に説明する。

第1章では、銀行パニックに関する先行研究を展望し、本論文が取り組む問題について論じている。また米国のサブプライム・ローン問題に端を発した2007-08年の金融危機と本論文との関連について若干の考察を行っている。

第2章では、銀行破綻が近隣の銀行の預金流出を引き起こす伝染効果について、普通銀行のマイクロ・データを用いた検証を行っている。昭和恐慌期の特色として、銀行破綻発生の地域的な差異がある。昭和恐慌期には中部地方や東北地方のように大規模な銀行破綻が生じた地域もあれば、中国地方のように銀行破綻が全く生じなかった地域もあった。米国の大恐慌期を分析した研究は、伝染効果の大きさについて否定的な結果を報告しているが、彼らの分析では銀行の破綻規模の違いが考慮されていない。しかし理論モデルによれば、伝染効果の大きさは銀行破綻の規模によって異なる可能性がある。

本研究では、大規模な銀行破綻が生じた地域とそうでない地域を比較することによって、銀行の破綻規模と伝染効果の大きさとの関係を明らかにすることを試みた。具体的には、個々の銀行の預金変化率をその銀行のファンダメンタルズ要因と伝染効果要因によって説明する計量モデルを推定した。その結果、預金者の行動は銀行や地域経済のファンダメンタルズを基本的に反映しているが、大規模な銀行破綻が生じた場合には伝染効果が無視できない大きさとなっていることを確認した。このことは、銀行破綻の規模によって伝染効果の大きさが変わることを示唆するものである。

第3章では、昭和恐慌期中に発生した4つの銀行パニックに焦点をあて、銀行パニックが健全な銀行を破綻させるかという問題を検証している。一連の先行研究は、パニックに直面した多くの銀行が金融当局の緊急融資により破綻をまぬがれた事実の重要性を認めつつも、データの制約から金融当局の最後の貸し手機能を明示的に分析することはなかった。このため先行研究の多くが示している「銀行パニックでも健全な銀行はほとんど破綻することはなかった」という実証結果は、異なる解釈の余地を残すものになっている。一つは、先行研究が主張するように「パニックによる預金者の混乱は、健全な銀行を破綻に追い込むほど深刻なものではなかった」という解釈である。もう一つは「パニック時の預金者の混乱は深刻だったが、金融当局による緊急融資が健全な銀行の破綻を防いだ」という解釈である。どちらの解釈が正しいかを明らかにすることは、銀行パニックの社会的費用を評価する上で非常に重要である。

昭和恐慌期については、日本銀行が実施した緊急融資に関する詳細な情報が、日本銀行の資料から入手できる。本研究では、日本銀行による緊急融資のデータを利用し、最後の貸し手機能を明示的に考慮した分析を試みた。先行研究の方法に従い、パニック発生地域における休業銀行と生存銀行の破綻確率をそれぞれの財務情報に基づいて推定し、比較を行った。比較に際しては、日本銀行から緊急融資を受けた銀行も休業銀行に含めた。分析の結果、パニック時における銀行破綻とファンダメンタルズの関係は従来考えられていたよりも弱いものであり、預金者の混乱が深刻なものであったことが確認された。そして、日本銀行が流動性を選別的に供給することで、パニックによる健全な銀行の破綻を防いでいたことが確認された。

第4章では、昭和恐慌期における道府県レベルのパネル・データを用いて、銀行パニックをはじめとする銀行システムの動揺が実体経済に悪影響を与えるかという問題を検証している。昭和恐慌期においては、政府・日本銀行による経済への介入が例外的に少なかった。このことは、銀行システムの動揺が実体経済に与える影響を検証する際に重要な意味を持つ。戦前の政府・日本銀行は、銀行や経済の動揺に対処すべく大規模な介入をしばしば実施した。その顕著な例として、1927年金融恐慌時の日本銀行による救済融資、1932-35年の高橋是清蔵相による積極的な財政政策がある。政府・日本銀行による介入効果のバイアスが深刻な場合、銀行システムの動揺が実体経済に与える影響が過小評価される可能性がある。これに対し昭和恐慌期は、浜口・若槻内閣による金本位制維持政策のために、政府・日本銀行の介入が小規模なものにとどまった。本研究では昭和恐慌期に推定期間を限定することによって、政府・日本銀行の介入の深刻な影響を回避している。

理論研究によれば、「銀行パニックの発生といった銀行システムの動揺が、銀行の信用仲介機能の低下を通じて実体経済に深刻な影響を与える」とされている。この仮説を検証するにあたり本研究では、地域の銀行システムの動揺と信用仲介機能の低下を表す指標として、各県の郵便貯金増加率と銀行貸出減少率をそれぞれ用いた。まず銀行システムの動揺が銀行の信用仲介機能を低下させる効果については、これを強く支持する結果を得た。一方、銀行の信用仲介機能の低下に伴う地域の生産水準の低下については、弱い関係しか見いだせなかった。ただし産業別の分析では、製糸業といった銀行借入への依存度が高い産業で、銀行の信用仲介機能の低下が生産活動に大きな影響を与えるという結果を得た。これらの結果は、昭和恐慌期において銀行システムの動揺が少なくとも部分的には実体経済に影響を及ぼし、その程度は企業の資金調達構造と密接な関係があることを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

本博士論文は、昭和恐慌期を具体的な題材にとり銀行パニックに関する実証研究を行った意欲的な論文である。銀行パニックに関しては、数多くの理論的研究が行われてきているものの実証的な研究は比較的少なかった。それは、実際に銀行パニックや銀行システムの不安定化が生じたケースが比較的少ないからである。その意味で、昭和恐慌期は貴重な現実事例であり、また米国の大恐慌期、日本の1927年金融恐慌期にはない特徴も有している。その結果、この期を対象に実証研究を行った本研究は興味深い結果を導いている。

本論文の執筆中に、現実経済ではサブプライムローン問題に端を発した金融危機が発生し、大きな「銀行パニック」の事例を経験することになった。その結果、近年、金融危機に関する理論研究や実証研究も飛躍的に増大し、金融危機発生のメカニズムや再発防止策に関する学術的関心も高まっている。本論文は直接的には、現代の金融危機を対象とした論文ではないが、金融パニックのメカニズムの一端を明らかにしているという点で、今日的意義も高く、この点からも本博士論文の成果は高く評価することができるだろう。

本論文の構成は以下のようになっている。

第一章 序論

第二章 銀行破綻が及ぼす伝染効果の分析

第三章 Banking panics, bank failures, and the lender of last resort

第四章 銀行システムの動揺が生産活動に与える影響について

各章の内容の要約・紹介

各章の内容を要約・紹介すると以下のようになる。

まず、第一章では、本論文全体を通ずる問題意識の概観が行われており、重要な問題点となるポイントの説明と過去の文献のサーベイが行われている。また、アメリカのサブプライムローン問題発生以降の金融危機と本博士論文との関係についても言及がなされている。

第二章では、銀行破綻が近隣の銀行の預金流出を引き起こす伝染効果の存在について、昭和恐慌期の普通銀行に関するマイクロデータを用いて分析を行っている。

昭和恐慌期は日本でも銀行がかなり破綻した時期であり、銀行破綻の実証分析を行う上では貴重なテータが比較的揃っている。1930年1月、浜口内閣による金本位制復帰により緊縮的な金融・財政政策がとられ、世界恐慌の影響とあいまって、日本経済は昭和恐慌と呼ばれる大不況に陥った。名目GNP成長率は、1930年には-9.9%、1931年には-9.3%と大きく落ち込んだ。この深刻な不況の中で多くの銀行が破綻した。1930-1932年の間に休業した銀行は118行あり、全体比率の12.1%のも上っている。このように銀行システムが動揺する中で、銀行パニックと呼ばれるような現象もいくつか発生している。

昭和恐慌期に生じた特徴としては、銀行破綻発生に地域的な差異があった点があげられる。昭和恐慌期には、中部地方や東北地方のように大規模な銀行破綻が生じた地域もあれば、中国地方のように銀行破綻が全く生じなかった地域もあったからである。本研究では、大規模な銀行破綻が生じた地域とそうでない地域を比較することによって、銀行の破綻規模と伝染効果の大きさとの関係を明らかにしようとしている。具体的には、個々の銀行の預金変化率が、その銀行のファンダメンタルズ要因と伝染効果要因によって変化する計量モデルをつくり、推定している。その結果、預金者の行動は銀行や地域経済のファンダメンタルズを基本的に反映しているものの、大規模な銀行破綻が生じた場合には伝染効果が無視できない大きさとなっているという結果を導いている。このことは、銀行破綻の規模によって伝染効果の大きさが変わることを示唆する実証結果である。

第三章では、昭和恐慌期中に発生した4 つの銀行パニックに焦点をあて、銀行パニックが健全な銀行を破綻させるかという問題を検証している。日本銀行(1969, 1993) によれば、(1) 和歌山(1931 年11 月)、(2) 青森、岩手(1931 年11 月)、(3) 岐阜、愛知(1931 年12 月)、(4) 愛知、三重、静岡(1932 年3 月)の4 つの銀行パニックがこの時期に観察されている。

金融パニックに関する今までの研究では、銀行パニックでも健全な銀行はほとんど破綻することはなかったという実証結果を導いているが、その結果の解釈については、意見の分かれるところであった。それは、パニックに直面した多くの銀行が金融当局の緊急融資により破綻をまぬがれたという事実があるためである。しかし、その重要性を認めつつも、今までの研究では、データの制約から金融当局の最後の貸し手機能を明示的に分析することはなかった。このため先行研究の多くが「パニックによる預金者の混乱は、健全な銀行を破綻に追い込むほど深刻なものではなかった」という解釈を示しているものの、「パニック時の預金者の混乱は深刻だったが、金融当局による緊急融資が健全な銀行の破綻を防いだ」という解釈の余地を残す結果となっている。本研究の特徴は、日本銀行による緊急融資のデータを利用し、最後の貸し手機能を明示的に考慮した分析を試みた点にある。

過去の文献にしたがって、パニック発生地域における休業銀行と生存銀行の破綻確率をそれぞれの財務情報に基づいて推定し、比較を行っている。分析の結果、パニック時における銀行破綻とファンダメンタルズの関係は従来考えられていたよりも弱いものであり、預金者の混乱が深刻なものであったことが確認された。そして、日本銀行が流動性を選別的に供給することで、パニックによる健全な銀行の破綻を防いでいたことが確認された。その結果、中央銀行による最後の貸し手機能がパニックの防止に大きな役割を果たしているという含意が得られた。

第四章では、昭和恐慌期における道府県レベルのパネル・データを用いて、銀行パニックをはじめとする銀行システムの動揺が実体経済にどのような影響を与えたかという問題を検証している。戦前の政府・日本銀行は、銀行や経済の動揺に対処すべく大規模な介入をしばしば実施した。その顕著な例として、1927 年金融恐慌時の日本銀行による救済融資、1932-35 年の高橋是清蔵相による積極的な財政政策がある。政府・日本銀行による介入効果のバイアスが深刻な場合、銀行システムの動揺が実体経済に与える影響が過小評価される可能性がある。これに対し昭和恐慌期は、浜口・若槻内閣による金本位制維持政策のために、政府・日本銀行の介入が小規模なものにとどまった。本研究では昭和恐慌期に推定期間を限定することによって、政府・日本銀行の介入の影響をあまり受けることなく、銀行システムの動揺が実態経済に与えた影響を分析することが可能になっている。

この章では、地域の銀行システムの動揺と信用仲介機能の低下を表す指標として、各県の郵便貯金増加率と銀行貸出減少率をそれぞれ用いている。銀行システムの動揺が銀行の信用仲介機能を低下させる影響については、これを強く支持する結果を得ている。その一方で、銀行の信用仲介機能の低下に伴う地域の生産水準の低下については、弱い関係しか見いだせないと主張されている。ただし産業別の分析では、製糸業といった銀行借入への依存度が高い産業で、銀行の信用仲介機能の低下が生産活動に大きな影響を与えるという結果を得ている。これらの結果から、本章では、昭和恐慌期において銀行システムの動揺が少なくとも部分的には実体経済に影響を及ぼし、その程度は企業の資金調達構造と密接な関係があるという結果を導いている。

論文の評価

本論文がとりあげたテーマは、今後の金融システムのあり方を考えるうえで重要なトピックスであり、また金融危機の発生以降、現実の政策課題としても大きな関心を集めている問題である。この点に関して、昭和恐慌期という興味深い時期を対象として、実証研究を行った本博士論文の問題意識と取り組みは高く評価できる。また、ここで得られている実証結果は、それぞれ興味深い結果であり、分析結果についても評価できる論文である。

第二章では、一部の銀行破綻が他の銀行の預金流出を引き起こす伝染効果を分析している。ここでは、さまざまな規模の銀行破綻が起きた昭和恐慌期のデータ特性をうまく利用し、銀行破綻の規模と伝染効果の大きさとの関係を検証している。ここでは、個々の銀行の預金変化率を被説明変数として分析していて、近隣の銀行の破綻によって預金流出が引き起こされていることから伝染効果の存在を確認している。また、この伝染効果は、銀行破綻が大規模になるほど強くなることが明らかになっていて、大規模な銀行破綻の発生によって、近隣の銀行が深刻な預金流出に直面したことを示唆する結果となっている。

このように、データ特性をうまく利用することによって、今までの実証分析では難しかった側面から、伝染効果の存在を検証している点では興味深く、また評価できるものである。ただし、銀行破綻の伝染効果の具体的なメカニズムやプロセスが十分には明示されていないため、どのような伝染効果が働いたのかが必ずしも明らかではない。この点は今後の検討課題であろう。

それに関連して、改善する余地のある分析上の課題もいくつか存在する。本研究では、同一県内で生じた大規模な銀行破綻が個々の銀行の預金変化率に対して大きな負の効果を持つという結果から、大規模な銀行破綻のときほど伝染効果が強くなることを示すという解釈を導いている。しかし、この結果は、地域の銀行が直面した激しい預金流出によって大規模な銀行破綻が引き起こされたという逆の因果関係から生じている可能性がある。このような逆の因果関係による影響をいかにコントロールするかは今後の課題である。

また、本研究では、地域のファンダメンタルズを表す変数の1 つとして、地価の対前年比変化率を用いている。しかし地価の動向が銀行貸出の担保価値に与える効果を考えると、地価のピークであった1920 年代初め頃を基準とした地価変化率を用いた方がより適切だという指摘もなされた。銀行破綻の規模の違いについても、現段階での分析は4 つのダミー変数 によって定式化されている。しかし、破綻銀行数や破綻銀行の預金シェアといった変数で表した場合にも同様の結果が得られるのかどうかは、今後検討する余地があるとの指摘もあった。さらに、本研究で分析した伝染効果は県内の銀行に限定されたものである。しかし現実には、県外支店や銀行間取引を通じて伝染効果の他県への伝播が生じたと考えられ、県外銀行への伝染効果の検証も今後の課題として指摘された。

第三章では、銀行パニックの発生によって、健全な銀行が破綻しなかったという過去の実証結果に対して、中央銀行の最後の貸し手機能の効果がどのような役割を果たしたのかを検証した興味深い論文である。今までの分析においても、中央銀行の機能がなんらかの役割を果たした可能性について認識はされていたものの、データ面での制約からこの点についての十分な検証は行われてこなかった。それに対して本研究ではやはりデータの特性をうまく利用することで、この問題に関する検証を行っている。具体的には、日本銀行による緊急融資のデータを利用することで、最後の貸し手機能を明示的に考慮した分析を行っている。この点は興味深い試みであり、また得られている実証結果も中央銀行の選別的流動性供給の役割の重要性を示唆している点で、意義のある結果となっている。

ただし、現在の分析では、それぞれの銀行の破綻確率を推計し、その結果を比較する形で上記のような結果を導いている。そのため、この結果の比較からだけでは、ここで主張されているストーリー以外の可能性を排除できないこと、他の可能性をいかに排除するかが今後の課題であることが指摘された。また、銀行利益のデータも補強材料として使ってみる余地があるとの指摘もなされた。

第四章では、銀行パニックによる銀行システムの動揺が、いかに実体経済に深刻な影響を与えるかを昭和恐慌期の道府県パネル・データを用いて分析している。このような問題意識は、近年の世界的な経済危機の発生によって多くの研究者の関心課題となっており、その点からも本研究の成果には、重要な意義があると考えられる。そこでは、銀行システムの動揺が発生した地域では銀行貸出が大きく減少し、銀行による信用仲介機能の低下が観察されること、また銀行貸出の減少は、製糸業といった銀行借入への依存度が高い一部の産業に深刻な影響を与えていたことが明らかになっており、金融システムが実態経済に与える影響を考えるうえで、意義のある分析結果となっている。

しかし、いくつかの課題も存在する。まずこの研究では、銀行貸出額の変化率が生産性の変化率に与える影響を検証する際に、銀行貸出額の変化率の操作変数として郵便貯金の増加率を用いている。厳密には、この操作変数は、生産物市場のショックと相関を持たないという条件を満たす必要があるが、この点については必ずしも明白ではない。したがって、郵便貯金の増加率が果たして操作変数としてふさわしいかどうかについて意見がだされた。また、この研究では企業の資金調達構造に着目しているが、データの制約からストックとフローの数値が混在している。銀行借入の限界的な変化が企業活動にインパクトを与えることを考慮すれば、フローの数値で統一することが望ましく、そのためには日本企業の資金調達に関するデータの更なる調査が望ましいとの指摘もあった。また、銀行貸出額の変化率は現段階では実質値でみているが、名目値でみたほうが、本研究で想定している経済構造としては適切なのではないかとの指摘もあった。

このように本研究は、今日的意義の高い問題を昭和恐慌期というユニークな歴史的イベントを対象として実証分析を行った興味深い博士論文である。うえで述べたように、いくつかの点で改善すべき点がないわけではない。しかしながら、これらの点はいずれも今後の更なる研究の発展を示唆するものであり、本論文の価値を損なうものではないと考えられる。

以上の点により、審査委員は全員一致で本論文を博士(経済学)の学位授与に値するものであると判断した。

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