学位論文要旨



No 125475
著者(漢字) 竹田,泉
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,イズミ
標題(和) 18世紀アイルランド・リネン業の展開と大西洋市場 : ランカシャー初期綿業との関係をめぐって
標題(洋)
報告番号 125475
報告番号 甲25475
学位授与日 2010.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第273号
研究科 経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野塚,知二
 東京大学 教授 馬場,哲
 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 准教授 石原,俊時
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、イギリス綿業史を産業革命より前に遡らせることを第1の目的としている。従来のイギリス綿業史研究の焦点は、一連の紡績機の登場以降、つまり18世紀末以降にあり、それ以前の時期について十分に顧みられているとは言えない。言うまでもなく、イギリスで国産化されたキャラコは17世紀後半に初めて東インドからもたらされたキャラコを代替するものであった。水力紡績機の登場によって安価な純綿キャラコが国産可能となったことが注目されているにもかかわらず、それ以前はなにが東インド製キャラコの代替品の役割を果たしていたのかについて、立ち入って論じられることはない。

第一章では、産業革命以前の綿業形成史を描くために、18世紀ランカシャー・リネン業に注目する。綿業前史としてしばしば論じられてきたファスチアン業ではなく、リネン業に注目することの正当性を示すために、まず、キャラコ、リネン、ファスチアンの概念の整理を行い、キャラコの代替品足りえたのは、薄くて軽く、容易に洗濯できるといった性質をもつリネンであったことを明らかにする。続いて、大西洋貿易において実際に東インド製キャラコを代替したのは、諸種の毛織物やファスチアンではなく、リネン、それもランカシャー製リネンであったことを確認する。市場が限定されない'Universal Use'な製品を製造し、それをもって広大な市場に進出したという点において、18世紀ランカシャー・リネン業はのちの本格的綿業へとつながる「初期綿業」を表していたのである。

このランカシャー・リネン業の成長は、イギリスの慎重な市場開拓、および政策上のバックアップを背景に、大西洋地域への製品輸出、アメリカからの綿花輸入、アイルランドからの麻糸輸入を不可欠の要素とし、製品の販路、原料の入手の両面で外部に依存したものであった。水力紡績機の普及で綿製経糸が安定的に供給されるようになると、ランカシャーはアイルランド製麻糸への依存から脱却するとともに、綿業はリネン業から分離独立することとなる。

第二章以降は、ランカシャー・リネン業の発展に大きく影響を受ける18世紀アイルランド・リネン業の姿を描くことに傾注する。経済史における18世紀イギリスの伝統的理解は、経済活動の自由が確立された後、産業革命への途を自立的に準備する姿を前面に出したものとなっているが、そこにアイルランドの姿は見当たらない。しかしながら、実際、「初期綿業」であるランカシャー・リネン業の成長は、アイルランドと深く関係して進展したのである。第一章では、麻糸供給者としてランカシャーに貢献しながらも、同時に、リネンの生産者としてランカシャー製リネンと競合関係にたたされたアイルランド・リネン業の姿を描くが、この論点が、第二章以降のテーマとなる。

第二章では、なぜ、アイルランドが、ランカシャーとこうした関係に立たされたのかについて、経済政策史の観点から探ることを目的とする。17世紀末に打ち出されたイギリスによるアイルランド・リネン業育成策は、次のような性格を持っていた。第1に、イギリス毛織物業保護の一方策に過ぎなかったという点、第2に、アイルランドに毛織物業からリネン業への交換を強制したものであるという点、第3に、その交換は、同等物の交換ではなかったという点である。アイルランド・リネン業の従属性の要因は、以上の点に求めることができよう。イギリス当局は、ランカシャー・リネン業の勃興といったイギリス国内の経済状況の変化に合わせて、アイルランド・リネン業育成策を形骸化させていく。最終的にイギリスは、直接的にアイルランドには不利で、ランカシャーには有利な政策を打ち出すこととなる。イギリスの政策とアイルランド・リネン業の利害の衝突が決定的となったのは、アイルランドを奨励対象から外した1771年リネン奨励金法の制定であった。

第三章は、この1771年法以降、アイルランド・リネン業がいかに自らの発展を模索したのかについて、ランカシャー・リネン業との関係から動態的に把握することを目的とする。1771年法の制定によって、アイルランド・リネン業は、自らの従属性を明確に認識することとなる。政策的な後ろ盾を得たランカシャー・リネン業は、アイルランドの競合相手として台頭しただけでなく、アイルランド・リネン業を自らの麻糸供給地として再編することとなったが、このことは、アイルランド・リネン業にとっては、イギリスからの保護の消滅と麻糸入手の困難化を意味した。アイルランドのリネン製造関係者は、関税引き上げによってランカシャーへの麻糸流出を阻もうと目論むが、一方で、麻糸をランカシャーに輸出することによって利益を得ている麻糸輸出関係者は、その関税引き上げに真っ向から反対した。アイルランド・リネン業は、ランカシャーとの関係をめぐって内部分裂し、麻糸輸出問題において真っ向から対立することとなる。リネン製造者としてランカシャー・リネン業に敵対する者と、麻糸供給者としてランカシャー・リネン業の利益に従う者とが同時存在し、後者が前者の発展を阻害する「内なる壁」として立ちはだかったのである。1771年法後、自立的な発展を模索するアイルランド・リネン業は、その阻止要因を内部に孕んでいたことを麻糸関税論争において明確に自覚することとなった。しかしこれは、自己の主体形成をむしばむ要素が、イギリスがアイルランド・リネン業育成策を打ち出した当初から長年蓄積されてきたことからくる当然の結果であったのである。ここに、植民地産業としての18世紀アイルランド・リネン業という像が浮かび上がる。

第四章以降は、1771年法制定までの時期において、アイルランド・リネン業がいかに展開したかについて明らかにすることがテーマとなる。第四章では、18世紀前半、アイルランドがいかに大西洋市場に参入していったかを分析する。イギリスによって毛織物業からリネン業への強制的な転換を余儀なくされたアイルランドは、まずは、売れる見込みがあり、生産が比較的容易なリネンを生産することによって自らの成長を図った。そのリネンは、すでに大西洋市場で大きな需要があったドイツ製のオズナバーグおよびダウラスであったのである。この種のリネンは、植民地の人口の大部分を占める労働者や年季使用人といった白人や黒人奴隷の衣類として使用されるものであった。このオズナバーグおよびダウラスの模倣製造の着手に商人は大きな役割を果たしたのである。市場において何が売れるかという彼らの情報は、アイルランドの生産過程に影響を与えた。

第五章では、アイルランドにおけるオズナバーグ、ダウラス製造とそれを推進するアイルランド当局の政策について、粗質リネン製造、取引の一大拠点であったドロヘダを事例として検証する。ここでは、オズナバーグやダウラスの重要性を認識したリネン・ボードが、どのようにその模倣製造の奨励策を打ち出していったかについて、さらには、ドロヘダおよびその後背地におけるオズナバーグ、ダウラス生産およびその取引の実態が明らかとなる。

続いて、第六章では、アイルランドにおいてオズナバーグ、ダウラス製造が軌道に乗った後の時期に対象が移る。1760年代初頭、戦争によってドイツ製オズナバーグおよびダウラスの輸出が激減したことを受けて、アイルランド製のものに需要が集まったが、この状況にアイルランドの生産者は手抜きや不正による増産という形で対応した。さらにそれを可能にしたのは、従来からのリネン検査制度の不徹底であった。「つくれば売れる」状況は、生産者を粗製濫造に陥らせただけでなく、それを防ぐ立場にあった検査官にも手抜きや不正を促し、粗悪品の流出を増大させたのである。多くの粗悪品はそのまま売れたが、その一方で、クレームや返品の数も増加した。こうしたアイルランド製リネンに対する評判の低下をいち早く察知したのも商人であった。ここでも、商人が市場の情報提供者としての役割を果たすことが確認される。市場から遠い存在である生産者が陥った粗製濫造問題に対して、改革の必要性が商人から発せられたのである。

ランカシャーが台頭してくるまでのアイルランド製リネン輸出拡大の背景には、ドイツ製リネンの模倣とそれを支えた商人の存在があった。しかしながら、こうしたアイルランドにおける粗質リネン業の拡大も、ランカシャーの台頭とイギリスからの保護の消滅とともに終わりを迎えることとなる。その後アイルランドは、キャラコとは市場の異なる高級リネン製造に特化していくが、その背景には、こうした歴史があったのである。

本稿では、消費の視点を導入することによって、従来の研究の限界を乗り越えることを試みている。第1に、産業革命前のイギリス綿業史の描写であり、第2に18世紀アイルランド・リネン業の新しい像の提示である。本稿の議論によって、イギリス産業革命はいかにして起こったかという従来の問いに、新たな視点を提供することができるならば幸いである。

審査要旨 要旨を表示する

1.論文の主題と研究上の位置

本論文は、イギリス綿業史を産業革命より前に遡らせることを第一の目的としている。これまで、イギリス綿業は一連の技術革新や工場制度の形成とともに産業革命期に確立して、純綿キャラコの国産に成功したとされてきたのだが、本論文は、それよりも早く18世紀初頭から東インド産キャラコを代替する織物が製造されていたことに注目して「初期綿業」という概念を導入するとともに、ランカシャー初期綿業と競合し、またそれに原料経糸を供給し続けたアイルランド・リネン業の盛衰を叙述しようとする研究の成果である。

これまでの研究が概して製品の素材に注目して繊維産業を区分してきたのに対して、本論文は製品の用途や消費過程に注目して、18世紀のヨーロッパおよび大西洋地域においては麻製もしくは綿麻混織のリネン製品がキャラコの代替品であったことを明らかにし、繊維製品の流通と消費の過程から生産の実態に迫るという新しい研究方法を開拓しようとしている。

2.論文の構成と内容

予め本論文の章別構成を示すなら以下のとおりである。

序章

第1章 ランカシャー綿業の形成過程 ―大西洋貿易とアイルランド・リネン業―

第2章 イギリス重商主義とアイルランド・リネン業

第3章 アイルランド・リネン業の自己認識過程と利害分裂

第4章 アメリカ市場は何を要求したか ―アイルランドによるドイツ製リネンの模倣―

第5章 アイルランドにおけるドイツ製リネンの模倣の事例 ―18世紀中葉のドロヘダ―

第6章 18世紀後半のアイルランド・リネン業における粗製濫造問題 ―1764年法を中心に―

終章

法律のリスト

参考文献リスト

序章ではまず、イギリス綿業の形成過程については生産視角からの研究がながく主流であったが、18世紀末以降に毛織物産業ではなく綿業において技術革新がおこったのはなぜかという問いに答えるためには消費の視点も必要であるとの主張が示され、本研究が注目すべき事象として、素材よりも用途・有用性、消費の歴史的・地域的特徴を反映するものとして織物の名称、アメリカとの消費文化の同時性の三点が挙げられる。従来の綿業史研究は水力紡績機の登場により純綿キャラコが安価に製造できるようになったことに画期を求めてきたのだが、本論文は、では、それ以前は何が東インド製キャラコの代替品の役割を果たしてきたのかという問いを設定して、ランカシャーおよびアイルランドのリネン業の18世紀の展開過程を跡づける本論文全体の構想を提示する。

第1章は、綿業前史としてしばしばファスチアン業が注目されてきたのに対して、薄手で洗濯容易というキャラコ代替品を製造したのはリネン業であったことを示し、Wadsworth & Mannの先駆的研究においてファスチアンとリネンが明瞭に区別されていたことの意義を再確認する。ここで、リネンとは経緯とも麻糸ないし麻の経糸に綿の緯糸を素材とする薄手の平織り織物で、大西洋地域(西アフリカ、西インド諸島・カリブ海、およびアメリカ植民地)向けの輸出品として、厚手の毛織物やファスチアンに代わって18世紀前半から重要な役割を果たしてきたことが示される。イギリス商人によって輸出されたこれらリネンの主たる産地はヨーロッパ大陸(殊にドイツ語圏)、ランカシャ-、およびアイルランドで、大陸製リネンにかけられたイギリスでの輸入関税は再輸出の際に払い戻され、他方で、アイルランド製を含む国産リネンの輸出には1743年以降奨励金が与えられるという政策的背景が明らかにされる。大西洋地域では純麻リネンよりも純綿キャラコが好まれたためランカシャでは、まず緯糸に綿を用いた混織リネンを製造し、また早くから試みられていた純綿キャラコの国産化も水力紡績機の導入により綿製経糸が安く安定的に供給できるようになって1780年代以降本格化するという「初期綿業」の発展経路が示される。こうした「初期綿業」としてのランカシャー・リネン業に対して、アイルランドはリネン製造で競合していただけでなく、麻製経糸の供給という点ではそれに包摂される面も併せ持っていたことが明らかにされ、第2章以降で叙述されるアイルランド・リネン業の盛衰の背景要因が示される。

第2章は、アイルランド・リネン業がこうした二面性を持つにいたった原因をイギリスの経済政策に注目して解明する。17世紀末にイギリスは国内毛織物産業を保護するために、アイルランドに対して毛織物からリネンへの転換を強制し、リネン業育成策が施行されたものの、18世紀中葉以降、大西洋地域向けのリネン製品輸出でランカシャー・リネン業が成長すると、アイルランドに対する育成策を形骸化させ、最終的に1771年の輸出奨励金法ではアイルランド製リネンは対象から外されることとなったとして、イギリス重商主義政策の変化がアイルランド・リネン業衰退の背景に作用していたことが明らかにされる。続く第3章では、1771年法制定後にアイルランド・リネン業内部には、麻糸輸出に関税をかけて流出を阻もうとするリネン製造関係者と、それに反対してランカシャー・リネン業の利益に従おうとする麻糸輸出関係者の利害対立が顕在化したことが示され、著者はそこに植民地産業としての特質が表現されていると見る。1771年法はアイルランド・リネン業の独自の利害認識が形成されるきっかけとなったのだが、その後ランカシャー・リネン業が機械製綿経糸を用いた綿業に発展したため、アイルランドの麻糸紡績業は需要を失い、またリネン製造業もランカシャー製の純綿キャラコとの競争に敗れて崩壊し、以後アイルランドにはアルスターの高級リネン製造のみが残ったとして、18世紀にアイルランド各地で急成長した粗質リネン業が消滅する原因が明らかにされる。

第4章から第6章までは、この成長期のアイルランド・リネン業の展開の特質を論ずる。まず第4章では、アメリカ市場で黒人奴隷や白人労働者・年期奉公人の衣料として好まれたオズナバーグ(糸・布ともに未漂白)やダウラス(漂白糸を用いるが布は未漂白)といったヨーロッパ大陸に起源を有するリネン製品の名称と特性が、ロンドンやリヴァプールの商人によってアイルランドに伝えられ、アイルランド政府のリネン業奨励組織であるリネン・ボードによって、その模倣品製造が推奨されたことが明らかにされる。第5章は、アイルランド産リネンの取引中心地であったドロヘダとその周辺地域に焦点を当てて、当時の複数の調査記録から、大陸製リネンの模倣品製造が展開するさまを描き出す。従来品より広幅の輸出用品の製造のために形成された生産・流通組織は必ずしも産地としての一貫した連関を形成せず、たとえば、ウェストミーズ州では製造された麻糸の大半が輸出され、同州の織布業者は紡糸を他州から調達せざるをえなかったことが明らかにされ、第3章で述べられた利害対立の背景が示される。第6章は、七年戦争の影響でドイツ製リネン輸出が減退して、アイルランド製リネンへの需要が急増した時期の粗製濫造問題に注目する。イングランドの輸出商人から苦情が集中する中で従来の検査制度の弱点が露呈したのに対して、ドレイパーと呼ばれる現地のリネン商人や漂白業を兼営するラッパーが中心となって新たな検査制度と取引形態が考案されて実施されたことを明らかにする。

終章は、各章で明らかにされた成果を振り返った上で、リネン生産地の勃興/衰退の契機が他のリネン生産地との関係のなかに存在するのではないかとの見通しを示して、ヨーロッパ各地のリネン業盛衰史を、相互の有機的関連の中で叙述するという今後の課題を確認する。

3.評価

本論文の最大の貢献は、史料的な制約の大きい18世紀アイルランド・リネン業について、その盛衰の動態を、さまざまな史料・文献を渉猟することによって、多面的に、しかし一貫した視点から叙述したことである。その結果、(1)イギリスの重商主義政策によって翻弄されたことがアイルランド・リネン業盛衰の基本的な背景であること、(2)アイルランド・リネン業は、初期綿業としてのランカシャー・リネン業と競合し、同時に麻糸を供給するという関係の中で成長し、また自己認識を確立するものの、イギリスによるランカシャー・リネン業保護策と純綿キャラコ国産化によって急激に存在の条件を失ったこと、(3)大西洋市場で好まれる商品についての情報がイングランド商人によって伝達され、輸出向け製品への転換が進んだこと、そして(4)粗製濫造問題に対して現地の商人が主体的に行動して改善方法を整えたことが、本論文によって明らかにされた。これらの諸点はいずれも、今後ながく学会で共有される知見となるであろう。

このような貢献がありながらも、本論文には以下の弱点も含まれている。まず第1に、先行研究の到達点と限界をどのように評価するのか、また、その評価を踏まえて本論文の独自性をどのように打ち出すのかという点では改善の余地があり、18世紀ランカシャー・リネン業をもって「初期綿業」とする本論文の概念設定の新しさは必ずしも鮮明とはいえない。第2に、上述の点とも関わるが、本論文が明らかにしたリネン業の実態は、従来の経済史研究が構築してきた知見や概念、殊に問屋制・買入制など繊維製品の取引形態をめぐるそれに照らして解釈することが可能であると思われるにもかかわらず、事実の提示で終わっている箇所が散見されるため、本論文によって発見された事実が充分説得的に意味づけられているとはいえない。第3に、繊維製品の名称と用途に注目するという本論文の特色にもかかわらず、それは徹底的ではなく、ファスチアンや粗質リネンという概念で括られてきたものの中に、どのように多様な製品が含まれていたのか、また、それらの需要動向がリネン業の動態にいかなる影響を与えたのかという新たな疑問を発生させている。第4に、リネン・ボード(アイルランド・リネン業の振興を目的とした機関)の設置者・構成・権限・財政等の基本的な事項や、アイルランド・リネン業では綿を使用したリネンは製造されたのか否かといった、読者が当然疑問とする点について、史料的制約もあるので完全な解明は望めないとしても、より立ち入った言及・説明がなされるべきであろう。

しかしながら、これらの点は先に述べたような本論文の学問的貢献を決定的に損なうものではなく、著者の今後の検討課題というべきものである。本論文に示された研究成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、今後さらに学界に貢献しうる能力を備えていることを充分に示している。

以上より審査委員会は、口頭試問と慎重な審議を経て、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに相応しいとの結論に達した。

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