学位論文要旨



No 125477
著者(漢字) 橋本,規之
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,ノリユキ
標題(和) 日本の石油化学工業 : 産業政策と産業組織の歴史分析
標題(洋)
報告番号 125477
報告番号 甲25477
学位授与日 2010.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第275号
研究科 経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 加瀬,和俊
 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 准教授 中林,真幸
内容要旨 要旨を表示する

本論は、政府・企業間関係の経済史的考察の一環として設備投資調整行為に分析の焦点を定める。そして、通産省と業界団体の協調関係に基づく投資調整が実施された典型産業に数えられる石油化学工業を対象として採り上げ、1960年代半ばから90年代半ばまでの同産業の動向を分析してゆく。

本論の分析課題として設備投資調整の局面に注目するのは、基礎素材を提供する装置産業において設備投資は、企業の経営戦略の最重要項目であり、企業の資本蓄積と産業組織の構造を規定する主要な要因と考えられるためである。

設備投資調整の視点からみたとき、日本の石油化学工業は、拡大局面と縮小局面をそれぞれ2度経験している。最初は高度成長期の後半、67年に政策的に導入されたエチレン年産30万トン基準を契機とした大型計画の続発である。2度目は、80年代末から90年代初頭の、いわゆるバブル経済期にみられた活発な設備投資である。

縮小局面では、1つは第2次石油危機の影響を受けて、83年に成立した特定産業構造改善臨時措置法(産構法)に基づく設備処理の共同行為と共同販売会社の設立があり、いま1つは90年代後半のポリエチレンなど誘導品部門における事業統合会社による業界再編がある。前者は産業横断的な構造不況対策として産業政策の全面的な支援を得て実現しており、後者も企業別の事業構造転換促進法の側援を受けている。

本論の第1章では、エチレン年産30万トン計画期の需要面の実態的基礎を与えた塩化ビニル産業を事例として取り上げ、高度成長期の原料転換政策と石油化学工業の育成政策との関連を再考した。高度成長の後半期は既存化学製品の原料転換が最終段階に達しており、最後の巨大需要として残されていた塩化ビニル樹脂の原料転換が、30万トン計画の主要誘導品としてコンビナートに取り込まれ、エチレンセンターとの共同出資による塩化ビニルモノマーの大型設備が相次いで建設された。

カーバイド法がコスト面で石油化学方式に劣位となるのはもはや確定的な流れではあったが、30万トン基準の登場がなければ原料転換が短期間のうちに全面的に進展することはなく、資源の賦存状況に応じた企業経営の差異がより反映された可能性は否定できない。高度成長期に通産省が進めていた原料転換政策は、設備投資基準との相互作用により、30万トン計画数の増幅をもたらしたと考えられる。

この塩化ビニルの原料転換政策は同時に、ソーダ工業やカーバイド工業など他の化学産業が石油化学へ進出することを意味していた。塩化ビニルを石油化学と結びつけたのは、塩化ビニルモノマーの製法革新であった。EDC法、オキシ法という塩ビモノマーの製造方法の進化が、中間財市場の登場とともに塩化ビニルの産業組織を変容させた。アンモニア法ソーダの転換から政策的にEDC生産に進出したモノマー企業が誕生し、既存のポリマー企業との利害の調整を経て、やがてポリマー部門への進出を果たした。

第2章では、高度成長期の石油化学協調懇談会の投資調整と産業組織への影響、そして30万トン計画の経済的帰結が論じられた。また石油精製の余剰ナフサの有効利用から誕生した背景を持つ日本の石油化学産業にとって、通産省の石油政策が無視できるものではなく、石油・石油精製業政策は、石油化学産業の30万トン計画の遂行と企業間関係の形成に重大な影響を与えた。

石油化学協調懇談会は1964年から74年まで存続したが、協調懇体制での設備投資調整様式の変化はエチレンに関していえば、30万トン基準前後で区分できる。64年から67年の30万トン基準制定前までは、設備枠の均等配分による小刻み増設であり、先発企業グループと後発企業グループ同士の設備能カシェアは安定的に推移した。しかしながら、枠配分方式は先発、後発企業の利害対立の要因となり、30万トン基準が提示されることになる。結局のところ9つの30万トン計画が全て実現した72年時点では先発企業グループのシェアの低下がそのまま後々発の新規参入3社のシェアとなった。

エチレン年産30万トン基準は、計画の審査を通じた実質的な行政指導として、投資単位の政策的誘導を行うとともに、エチレンセンターへの外資の排除を裁量的に実現した。30万トン基準の設定は、需要想定をベースにした設備枠の配分というマクロ的な調整方式から、個々のコンビナートを対象として、原料ナフサ手当や誘導品構成を確認するミクロ的な調整方式への転換を意味した。

石油産業における通産省の外資排除・民族資本の優先的育成は、石油化学工業の動向を大きく左右した。民族系販売会社・共同石油の設立は、石油審議会において関連精製企業に設備の増設枠を優先的に与え、その最も厚遇された鹿島石油は、三菱油化の鹿島計画の実現を原料面から支えた。これに対して、原料供給先の極東石油が外資排除の影響を受け拡大投資が制約されていた三井石油化学は、原料ナフサの確保を目的に石油精製系の日本石油化学との共同投資を選択した。

1970年代の石油化学産業は、2度の石油危機の影響もあり、特に70年代後半以降は潜在的な需給ギャップが次第に顕在化した。第3章は、章の前半では70年代後半の石油化学企業の設備投資行動に関する先行研究への反証と再解釈に当てられた。74年に石油化学協調懇談会が事実上終了して以後、石油化学工業の投資調整を取り仕切る制度・機関は公的には存在していない。そのため先行研究では、協調懇体制後の70年代後半に(石油)化学企業の投資行動における同質性が顕在化したことを統計分析により示している。しかしこの議論は、設備投資をどのように定義するかで内容が本質的に規定される。先行研究では設備の新設投資と、既存設備の改造や生産技術、操業技術の改善といった生産性向上活動の成果とが区分されていないという重大な問題点がある。本章では誘導品5製品を事例としてこれを具体的に検証し、議論の修正と拡張を試みた。

章の後半は、この時期問題となった原料ナフサの高騰に端を発した石油化学業界の輸入ナフサの自由化運動を石油行政との関連から整理した。石油精製業・石油行政との間で顕在化した利害の対立は、ナフサの輸入権問題として焦点化する。この問題は代理商方式という行政指導でいったん解決が図られたが、石油業界のモラルハザードにより当初の実効性は低いものであった。そこで基礎産業局と資源エネルギー庁に産業政策局を加えた3者間での調整機関(連絡会議)の設置と、代理輸入を行う石油業界に対する監督強化という行政面での追加的措置により解決が図られた。このようにナフサ輸入権問題に象徴される石油化学業界と石油業界の対立は、行政レベルでの調整が実施されたが、この行政指導は石油化学産業を産構法に基づく産業体制整備に誘導することを目的としていた。

第2次石油危機の発生は、石油化学工業にも深刻な影響を与え、潜在的過剰能力を顕在化させる。通産省は78年に制定した特定不況産業安定臨時措置法(特安法)を改正・延長した特定産業構造改善臨時措置法(産構法)を83年に成立させ、石油化学工業はその主な指定業種として、設備処理カルテルと共同販売会社設立して、構造改善に取り組むことになる。第4章では設備処理の共同行為の機能と成果に関する実証分析が主題となった。

設備処理の合意形成の困難さを克服するための手段としては、業界全体の合意形成を促進するために、産業構造審議会などの利用がある。具体的な調整では、設備処理基準の緩和など様々な妥協策がとられることがある。産構法ではアウトサイダーの規制手段は認められていなかったが、エチレン設備の共同処理は、処理率32.0%、達成率88.6%であった。このような法的強制力を伴わないカルテル行為の有効性を担保しているのが、構造改善計画の作成過程における企業間の利害の調整であり、具体的な処理の形態である。

構造改善計画では、需要に見合った供給体制の構築、開放経済体制下でも経済合理的に存立する生産コストの実現、安定的な経営基盤の確立が具体的な目標として掲げられた。本章で検討した生産面について言えば、それらの目標は、設備処理の共同行為を通じて、高効率の生産設備への集約化、償却負担の軽減、価格の相対的安定化というかたちで達成された。

第5章は、産構法期に設立された共同販売会社制度を中心とした分析である。共販会社制度は95年まで存続したが、その機能と成果は産構法期とそれ以後のポスト産構法期では対照的であった。共販会社体制は、90年代前半に石油化学工業が再び「構造不況」に陥る一因となり、その制度的限界を露呈する。共販会社は3段階の発展が想定され、共販会社を核とした事業の集約化が期待されたが、結果的に90年代後半に急速に進展した合成樹脂部門の産業再編の担い手は、95年に共販体制の解体後に新たに設立された生販統合の事業会社であった。もっとも、この事業統合会社が誕生した段階で過剰設備の処理や高効率設備への集約化が進展したわけではなく、設備の所有権や事業会社の経営権の明確化などの問題を解決する必要があった。

過剰設備の処理や高効率設備の集約を実現するためには、それに対応した工場群のプールも必要とした。事業統合会社間の経営統合はこのような広域的な最適化を可能にした。90年代の産業政策は、80年代の産構法のように産業横断的かつ産業全体を対象とするものではなく、個別企業を単位として、その事業構造転換を促進する方針に転じていた。事業統合会社はこの企業政策の支援を受けて誕生したが、市場と企業活動のグローバル化の進展は、産業政策よりも競争政策に活躍の場を与えた。独占禁止法の改正や企業法制の整備は、経営権の明確化と持株会社による事業統合会社間の経営統合を通じて、産業組織の再編を促進する補完的な機能を果たした。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、高度成長期以降1990年代に至る日本の石油化学工業を対象として、日本の産業政策と、これに規定されながら展開する設備投資調整について検討し、この調整過程が産業組織に与えた影響等を実証的に検討することを課題としている。

あらかじめ構成を示すと、以下の通りである。

序章 課題と方法

第1章 高度成長期日本の産業政策と設備投資調整

第1章補論

第2章 「産構法」に基づく設備処理と共同行為

第2章補論

第3章 合成樹脂産業の再編と事業統合会社の誕生

終章 総括と展望

まず本論文の構成に従って主要な論点とこれについての著者の貢献を明らかにし、その上で審査委員会の評価を記すこととしたい。

序章では、「日本の石油化学産業に関する産業政策と産業組織の歴史分析」として、本論文が「高度成長期から現在にいたるまでの設備投資と設備処理に関する政府・企業間、並びに企業間の組織的調整のメカニズムを明らかにし、産業政策論と投資調整論に新たな知見を付け加えることを課題」としていることが示される。この課題に即して、具体的には、(1)高度成長期における官民協調懇談会の投資調整と参入規制、(2)1980年代の構造改善法に基づく設備処理カルテルと共同販売会社の設立、(3)産業組織に対する介入型産業政策の時代が終了した1990年代後半以降の、事業統合会社誕生が考察の対象となることが明らかにされる。そこでは、個別企業の動向を踏まえて、関連する政策と、寡占企業間の戦略的相互依存関係を、実態に即して捉えることが肝要であり、これが本論文の基本的な視座となることが宣言されている。

高度成長期の設備投資調整政策を扱った第1章では、石油化学協調懇談会の投資調整の全過程を対象として、とりわけエチレン30万トン基準に焦点を当て、石油政策と原料転換政策という、設備投資調整とは対立しうる政策展開を視野に入れつつ調整過程の実態を明らかにした。ここで強調されている点は、第1に、30万トン基準の設定が、需要見通しと基準稼働率をベースにした設備枠の配分というマクロ的調整を優先する方式から、個々のコンビナートを対象としたミクロ的調整を重視する方式への移行を意味したことである。第2に、この投資調整への政策介入が、原料供給における共同石油系精製会社の積極的育成、誘導品需要における塩化ビニルモノマーの原料転換政策によってゆがめられていったことが指摘される。その結果、短期間の輪番投資という方式も影響して、これらの諸要素が競争促進的に働き、30万トン計画の個別審査というミクロ的調整過程で、「過剰投資」を惹起することとなったという。

第2章では、第2次石油危機の深刻な不況下で顕在化した過剰能力に対して、通産省が特定不況産業安定臨時措置法(特安法、78年制定)を改正・延長した特定産業構造改善臨時措置法(産構法)を83年に成立させ、同法に基づいて指定業種となった石油化学工業において設備処理カルテルの結成と共同販売会社の設立を通じて実施された構造改善計画を論じる。これまでの研究では、構造改善について、計画通りに設備処理を達成した反面で、企業の合併や退出を通じた産業組織の再編・集約化にはつながらず、ダイナミックな資源の移動を促したわけではないと評価されている。これに対して本論文では、具体的な設備処理過程をていねいに跡づけることによって、資本と労働の流動性の制約や独禁法の運用方針などの条件の下でカルテルの共同行為が一定の経済合理性を有していたと主張している。設備処理の共同行為を通じて高効率の生産設備への集約化や償却負担の軽減、価格の相対的安定化が達成されたというのが、その理由である。

第3章では、産構法のもとで設立された共同販売会社制度と、1990年代後半から2000年代前半にかけて急速に展開した業界再編に焦点を当てた分析が試みられる。それによれば、共販会社体制は、90年代前半に石油化学工業が再び「構造不況」に陥る一因となり、その制度的限界を露呈した。もともと、この共販会社は、設立当初の主な目的であった販売と流通面で一定の合理化を達成したとはいえ、体制整備の面で期待された集約化と過度の競争の排除に関しては課題を残していた。そのような事情もあって、製販統合会社を経て事業統合会社へと共販会社体制が見直されていった。その結果、親会社からの生産受託方式によって製販統合会社の意思決定が制約されていたなどの問題点が次第に克服されていくことになった。この過程では、独占禁止法の改正や企業法制の整備が重要な意味を持った。

終章では、投資調整カルテルを可能にした基礎的条件について、(1)市場環境、(2)経済制度、(3)アウトサイダーの存在、(4)利害調整のメカニズムの4点に注目して整理し、さらに過剰投資をもたらした要因をあらためて総括している。著者は、この総括に際して、「政策体系としてのまとまりのよさ」という意味で「ポリシー・インテグリティ」という概念を導出し、この概念によって「相互に関連する産業政策を明示的に捉えるとともに、産業政策と過剰投資の因果関係に1つの解釈を与えることが可能になる」と主張している。

本論文は、これまでの先行研究に対して、設備投資調整の具体的なあり方を企業行動に注意を払いながら検討することで、批判的に継承しようとしたところに特徴がある。その結果、第1に、30万トン基準の設備投資調整がマクロ的な需要予測を基準とする供給総量のコントロールを放棄し、コンビナートごとの規模の経済性から見た基準によって認可が判断されたこと、そのために投資促進的であったこと、第2に、産構法に基づく設備処理カルテルにおいて、企業間の協調的な行動によって高効率の設備への集約化がある程度進展し、その過程で生じ得た摩擦的な混乱が回避されたこと、第3に共販会社体制が90年代に行き詰まったあと、産業政策面の介入的な措置ではなく、企業法制や独占禁止法に基づく競争政策の展開の下で、企業の自主的な組織改革が進展したことを明らかにしている。

このような貢献の反面で、本論文には残された課題も多い。第1に設備投資調整が投資促進的に機能したという議論については、過剰投資であっても政府が救済してくれるという期待をはらんでいたと中村隆英が指摘しているが、これらの研究と著者の主張との異同について明確に論じられていない。そのために、「過剰投資のメカニズム」が論じられている場合にも、それが石油危機のような市場環境の激変が無くとも問題となるような性格のものであるか否か、そして、そもそも設備の過剰という評価はどのような基準によって論じられているのかなどが明確ではない。

第2に、設備処理カルテルについては、カルテルによる共同行為の有効性についての統計的な検証の解釈に問題があり、検証が十分ではない。第3に、共販体制の改組にかかわって産業政策の関与がほとんど無かったということを取り上げた積極的な意義が、十分に論述には活かされていないために、産業政策と設備投資調整を焦点に論じるという本論文の意図が不鮮明になっている。また、終章において導出された「ポリシー・インテグリティ」という概念の有効性については、設備投資調整が政策の優先順位となったときには、この調整に経済合理性が付与されたことを言い換えたに過ぎず、積極的な意義を見出しがたい。

以上の問題点については、著者が、本論文の主題にかかわる企業資料の収集や聞き取り調査などについての努力をさらに追加し、それによって実証的な根拠を明確に示すことが必要であり、そうした方向が追求されることを期待し、今後の著者の研究への示唆として指摘しておきたい。

しかしながら、以上のような問題点があるとはいえ、本論文に示された研究成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を持っていることを明らかにしている。従って審査委員会は本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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