学位論文要旨



No 125491
著者(漢字) 松本,直樹
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ナオキ
標題(和) 地方自治体公立図書館における事業形成過程の分析 : 図書館事業形成の政治行政力学
標題(洋)
報告番号 125491
報告番号 甲25491
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第164号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 根元,彰
 東京大学 教授 牧野,篤
 東京大学 教授 影浦,峡
 東京大学 教授 山本,清
 東京大学 教授 大桃,敏行
内容要旨 要旨を表示する

本論文の課題は,現代日本の地方自治体公立図書館における事業形成過程の動態を分析し,モデル化することにある。本論文は全8章によって構成されている。

まず第1章では図書館をめぐる状況を概観した上で,研究課題と対象について述べる。近年の公立図書館をめぐる状況として,地方分権の進展や財政逼迫に起因する公共サービス提供のあり方に関する見直し等の改革の影響が挙げられる。このような状況を受け,公立図書館においては自ら経営改革を行い,社会的に意義のある機関であることを説明していくことが求められている。そして,そのためには,つねにサービスを開発し経営方法を革新していくことが求められるが,本研究ではこうしたサービスの開発,経営方法の革新を事業形成と捉え,その動態を明らかにしモデル化する。

上記の状況を受け第1章ではつづけて本研究の課題を述べる。本研究では図書館の事業形成過程の動態を明らかにするが,その際,地方自治体を対象にした政策過程論にならい2つの視点から明らかにしていく。それは個体レベルからのアプローチと総体レベルからのアプローチである。個体レベルからのアプローチとは,事業形成の要因を主に形成のプロセスにかかわる要因とアクターの影響力関係に求めるものである。総体レベルからのアプローチとは,事業形成のプロセス要因やアクターの影響力関係といった個々の図書館・自治体の要因を捨象するとともに,図書館の関係をマクロ的に観察し,図書館間のネットワークの形状やネットワーク上の図書館の位置を事業形成要因と捉えるものである。この2つのアプローチを組み合わせることで,図書館の事業形成を包括的に明らかにすることができると考える。

本研究で取り組む課題は6点ある。それは,課題1:図書館内部における事業形成過程,課題2:行政組織における事業形成過程,課題3:議会の事業形成への関わりと関心,課題4:事業普及のメカニズム,課題5:図書館員が用いる情報源,課題6:図書館関連団体の活動,である。課題1から3が個体レベルからのアプローチによって,課題4から6が総体レベルからのアプローチによって,研究する課題である。

第2章では関連する先行研究のレビューを行う。第2章は主に3つの部分から構成される。それは,(1)本研究にかかわる法制度に関する先行研究,(2)分析枠組みに関する先行研究,(3)個別の課題に関する先行研究,である。(1)ではこれまでの「事業」にかかわる研究が法制度的な観点からアプローチされることが多かったことから,そうした研究をレビューするとともに,そうしたアプローチの限界について述べる。(2)では,研究の枠組みを構築する際,参考にする「個体レベル」の研究と「総体レベル」の研究について概観する。ここでは政治学,行政学,地方自治に関する研究,さらには社会学で蓄積されてきた研究をカバーしている。(2)ではさらに,事業形成をプロセスに分割する視点として「プロセス論モデル」と「ゴミ缶モデル」についても簡単に概観する。(3)では,本研究が分析する研究課題ごとにこれまでの研究を概観する。

第3章から第7章までは,第1章で示した課題について,第2章の先行研究を踏まえ事例調査と質問紙調査を組み合わせながら分析を行っていく。

まず第3章では図書館内部の事業形成過程について,8自治体11の事例を取りあげて分析する(課題1)。取りあげた事業はボランティアの受入,障害者サービスの導入,ビジネス支援サービスの導入,である。事例の分析から,事業は図書館長,あるいはそれに準じる管理的ポジションにいる図書館員によって提案されることが多いこと,特に経営管理的な事業については図書館長によって主導されること,が明らかとなった。また,事業形成のプロセスは構造化されておらず,管理職と担当者がインフォーマルに話し合う中で推進されることが分かった。会議を開催し提案を募ったり,案を議論したり,議決をとることはほとんど行われていなかった。

第4章では9自治体の予算編成過程を分析する(課題2及び3)。予算を対象としたのは,事業は基本的に予算を必要とすることが多く予算編成が庁内における事業形成とほぼ等しいためである。結果,特に強い影響力を持つのは財務部局,企画部局であり,首長も潜在的に強い影響力を持つことが分かった。市民(団体)は参加の制度が十分整備されていないため事業形成過程に直接かかわることは少なかった。また,予算編成過程はきわめて構造化されており,スケジュール,決定のルールが明示的に存在し,そのことは図書館員の事業形成に強い影響を及ぼしていた。特に庁内の財務部局等との交渉を担う図書館長はそうしたルールを強く意識していた。

議会については潜在的に強い影響力を持つことが明らかになった。但し影響力は与党・野党で異なり,与党の影響力が一般に高く評価されていた。影響力は首長を媒介することが多く議会一般質問などが契機となっていた。影響力を利用するため,図書館長の中にはインフォーマルにコンタクトをとり情報提供を行い事業推進の支援を依頼していた。

第5章では埼玉県内全41市を対象に議会一般質問における図書館関連質問について内容の分析を行うとともに,図書館関連の質問を頻繁に行う議員4名に対し質問の意図や背景について聞き取り調査を行う(課題3)。これまで図書館界では議会をほとんど分析の対象としてこなかったが自治体が二元代表制を採用していることを考慮するなら,実態面でも研究面でもより焦点を当てるべきと考える。調査の結果,まず図書館関連の質問を頻繁に行う議員が一定数いることが確認された。政党では公明党,共産党系会派所属の議員質問が目立った。男女の比較から女性議員による質問が顕著に多いことが明らかとなった。質問を行う背景としては,地盤とする地域に図書館がある,PTAなど支持団体が図書館と関係がある,個人的に関心を持つ,などがあった。

以上,第5章までが主に個体レベルの研究である。以上の分析によって,事業形成におけるプロセスにかかわる要因とアクターの影響力関係にかかわる要因を明らかにした。

第6章では総体レベルの研究を行う。第6章は5節から構成される。第1節で,課題の整理をしたのち,第2節では事業波及のメカニズムを探るためヤングアダルトサービスと障害者サービスを対象に調査を行う(課題4)。調査は関東地方6県への質問紙調査と,事業が普及している県,普及していない県に対する事例調査をそれぞれのサービスについて行った。結果,県内にモデル的な図書館や情報交換を促進する図書館関連団体が存在している県では事業の普及が見られ,逆にそうしたものが見られない県では事業が普及していないことが確認された。つぎに,第3節ではそうした事業普及を支える図書館員の情報交換の態様について同じく6県に対し質問紙調査を行った(課題5)。結果,図書館関連団体が存在する県では活発に図書館員同士が自治体を越えた情報交換を行っている一方,そうでない県では図書館員の情報入手がマスメディアに依存する傾向の強いことが分かった。第4節では,情報交換を活性化させる図書館関連団体について,埼玉県内の2つの団体(埼玉県公共図書館協議会,図書館問題研究会埼玉支部)を歴史的に調査・研究した(課題6)。結果,これらの団体は県内図書館員への暗黙知・形式知の伝達に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。第5節では第2節から第4節までの調査結果を統合し,事業普及をモデル化した。

第7章では,関東地方6県の公立図書館に対し質問紙調査を行い,第3章から第6章までの調査で明らかとなった事項について定量的な観点からデータを集め分析を深める。調査の結果,事業形成の多くは基本的に図書館員が主導していること,その中でも非管理的な職員が主導する傾向が見られた。しかし,最終的な影響力については図書館長の影響力の高まることが明らかとなった。他に,多くの新しい事業を積極的に採用している図書館では,図書館長以外の管理的な職員が積極的に事業形成にかかわっていること,テクニカルサービス・パブリックサービスなどが経営管理的な事業と比較し積極的に取り組まれていること,が明らかとなった。また,図書館以外の部局としては財務部局,企画部局が事業形成過程で強い影響力を持つことが確認された。

第8章では第3章から第7章までの調査で明らかとなったことを統合し図書館の事業形成をモデル化した。その際,事業を既存事業との関係から,そして事業の性質から区分けし分析を深めた。モデル化では,「相互参照」「総合的な調整」「多元的な立案」という3つのメカニズムを提示した上で,事業のタイプ別にメカニズムの作動様式を整理した。

第8章では最後に経営上・政策上の提言と今後の課題について整理した。経営上・政策上の提言は8つある。それらは,(1)事業形成方式の明確化,(2)政策サイクルの意識化,(3)異動のルール化,(4)総合調整機能の習熟と活用,(5)庁内他部署との連携,(6)図書館関連団体の活動の支援と参加,(7)モデル図書館の発見,(8)図書館関連団体への個人参加の検討,である。今後の課題としては,本研究が採用したアプローチの限界として分析が現状を前提としているため現状の制度を追認する傾向の強いこと,事業形成のプロセスに載らないような事例を分析の対象にできていないこと,について述べた。

審査要旨 要旨を表示する

地方自治体における公立図書館の政策決定過程の研究は,現場からの実践報告や断片的な事例研究などに限られ本格的な研究の蓄積が乏しい傾向にあった。本論文は内外の図書館情報学の研究に基づくだけでなく,行政学の政策過程分析の理論と方法を援用することにより,経営体としての図書館とそれをとりまく自治体行政内の政策過程および自治体間の事業普及過程を実証的に描き出そうとしたものである。

行政学の政策過程論における先行要件仮説に基づき,図書館の内部過程については埼玉県内の8自治体の事例について文献およびインタビューによる事例調査を行い,自治体の政策過程の検討のために同県内9自治体の予算編成過程について関係者へのインタビューを行い,さらに同県内41自治体の議会議事録の分析を行った。また,自治体間の事業普及過程については,政策過程論の波及仮説に基づいて関東6県の公立図書館を対象に質問紙調査を実施し,図書館員や図書館関係団体へのインタビューで補足する方法をとった。最後に,このような分析で得られたものを確認する目的で,関東6県の図書館を対象にして質問紙調査を行い定量的なデータを収集した。

分析の結果,図書館事業には経営管理業務に関するものとサービスを新たに展開するものとがあるが,サービスの立案にあたって担当者は他の自治体のサービス状況を相互に参照しながら新しいサービスを立案していること,また,事業の性質によってボトムアップ型だったり管理職主導だったりすること,議会においても特定政党の所属議員など図書館について強い関心をもって働きかけている議員がいること,などのことから立案プロセスは多元的であることが明らかになった。また,図書館から全庁的な検討に移ったときに,とくに経営管理業務に関するものについては財務・企画部門や教育長の影響力が強いことや,図書館サービスについては総務系部門が調整を行いリソース配分の全庁的なメカニズムが作用して決定されることなどが明らかになった。最後に,以上のような検討をふまえて図書館政策に対していくつかの提言を行っている。

図書館行政は法的な縛りが弱いため,自治体の裁量の余地が大きく,また自治体内の経営組織としては十分な独立性が担保されていないが,その一方,市民の要求を直接受ける場に位置するために提供すべきサービスの幅が大きいという特徴をもつ。そうした部門の政策形成プロセスについて,本論文はその特性を見据えつつ一つ一つの要素をていねいに分析し,相互の関係を明らかにした日本で初めての研究である。行政学的な手法に学びつつも,その特性を明らかにするために,図書館および自治体行政の現場に入ってのミクロな調査と質問紙によるマクロな把握を適宜組み合わせることで,複雑な政策プロセスを構造的に記述し,図書館現場に役立つ知見を提示したことは高く評価される。以上の理由で,本論文は博士(教育学)の要件を十分に備えていると判断された。

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