学位論文要旨



No 125492
著者(漢字) 朱,琳
著者(英字)
著者(カナ) シュ,リン
標題(和) 中国史像と政治構想 : 内藤湖南と梁啓超との比較
標題(洋)
報告番号 125492
報告番号 甲25492
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第237号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,浩
 東京大学 教授 苅部,直
 東京大学 准教授 平野,聡
 東京大学 教授 中谷,和弘
 東京大学 教授 高原,明生
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、日中両国それぞれの代表的な思想家、内藤湖南(1866-1934)と梁啓超(1873-1929)の二人を分析の対象として取り上げ、それぞれの中国史像と政治構想、および歴史観と政治観との関連に焦点をあて、実証的な手続きを踏みながら比較研究を行ない、こうした諸問題を明らかにしていこうとする試みである。

本研究は、序章・第I部・第II部・第III部・終章から成る。

まず序章では、なぜ内藤湖南と梁啓超の二人なのか、という問題意識を明らかにする。

第I部は、「内藤湖南と梁啓超」と題する。第一章「内藤湖南―論説記者から歴史学者へ」と第二章「梁啓超―言論人・政治家・学者」において、二人それぞれの思想形成を跡付け、第II部、第III部での議論の前提とする。

第II部は、「二つの中国史像の構想―歴史観と政治観との間」と題する。

第三章「時代区分―「文化」の基準と「政治」の基準」において、まず、日本の近代歴史学の成立と時代区分の導入に着目し、ついで、「文化」を基準とする湖南の「宋近世説」について分析を行ない、その文化史研究の原点が日本史認識にあり、若き日の論説にすでに後年の時代区分論の萌芽を見出すことができることを指摘する上で、湖南の「上古―中世―近世」という三区分の二つの区切りに、それぞれ中国文化本位の「波動説」と辛亥革命につながる「唐宋変革論」があったことを解明する。

第四章「国家政治体制の構想―歴史の伝統に見出す未来像」において、まず、明末清初と清末が「封建―郡県」論の二つのピークをなしていることを指摘し、ついで、湖南の「郷団自治」論と梁啓超の「地方自治」認識、および「聯邦制」をめぐる二人の議論ついて分析を行ない、二人の議論における異同を比較しつつ、その原因を明らかにする。さらに、二人の体制構想を広い文脈に位置づけるために、附論「自治の伝統と「聯邦制」の体制構想」を設け、同時代の日本の知識人の山路愛山・吉野作造・橘樸の三人の見解にも目を向け検討する。

第III部は、「歴史観と政治観の深層―「伝統」と「近代」の狭間で」と題する。

第五章「「文化」の視座と「文明」の視座―東西文化比較論」において、湖南における「文化」の視座と梁啓超における「文明」の視座をそれぞれ明らかにした上で、文化の「民族性」と「時代性」の問題を考察する。

最後に、終章において、毀誉褒貶の分極にあった二人に体現された学問と政治、文化と政治の問題を浮上させる。

以上、本研究をもって、内藤湖南と梁啓超の二人が、いかなる形で歴史像の構築にかかわり、また、いかなる政治構想を打ち出す試みを行なったのかを明らかにし、学問と政治、文化と政治の関係をどう処理するか、という現在でも重要な問題をいま一度問い直す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、内藤湖南(1866-1934)と梁啓超(1873-1929)という同時代を生きた二人の知的巨人を採り上げ、その中国史像と政治構想を連関させつつ解明し、比較を試みた、序章と五つの章、そして終章からなる大作である。

序章は、1903年にこの二人が大阪で筆談した印象的な逸話から起筆される。そして、二人が辛亥革命前後の変動する中国を見つめ、中国史の全体像の再構築を図り、さらに中国政治社会のあるべき未来像を構想したことを指摘し、ジャーナリストと学者との二面を持ったことなど共通点も多いが相違点も多いこの二人の思想の比較的検討を実証的に行うことを、本論文の課題として提示している。

第I部は、「内藤湖南と梁啓超」と題され、二人の生涯と思想の形成と変遷が描かれている。

第1章「内藤湖南―論説記者から歴史学者へ」第1節「内藤湖南の思想形成」は、湖南の誕生以来の経歴、その知的成長、京都大学教授となるまでの遍歴等を多種多様な史料から詳細に跡付け、その学問・思想の個人的背景を描いている。同第2節「歴史観を支える二本の柱」は、「天運螺旋循環説」と「文化中心移動説」が湖南の歴史観の二本柱であると捉え、その内容を紹介している。

第2章「梁啓超―言論人・政治家・学者」第1節「『神童』から戊戌変法の風雲児へ」は、梁啓超の初期の経歴を辿っている。第2節「『新思想界之陳渉』―明治日本との出会い」は、1898年の日本亡命以後の梁啓超の思想営為、とりわけ中国通史の再構築を試みるようになる経過を、彼の日本と西洋の思想家との関係を示しつつ解明している。第3節「『善変之豪傑』―二度の外遊と思想的転換」は、特に政治的未来小説『新中国未来記』(1902年)等に着目し、梁啓超の「改良」と「革命」との間での揺動を、彼の欧米体験及び歴史像の変化と関係付けつつ説明している。

第II部は、「二つの中国史像の構想―歴史観と政治観との間」と題され、二人の中国史像が詳細に紹介され、分析されている。

第3章「時代区分―『文化』の基準と『政治』の基準」第1節「日本の近代歴史学の成立と時代区分の導入」は、近代歴史学の一つの重要な特徴が時代を区分することにあり、それが現在と将来の見方に関わっていることをまず指摘し、ついで、特に那珂通世・桑原隲蔵の時代区分と湖南のそれとの質的相違を明らかにしている。第2節「湖南の『宋近世説』―文化の基準」は、有名な湖南の「宋近世説」が、日本文化史の考察と連関していることを指摘し、さらに、湖南が「近代」は西洋から与えられたものではなく中国自身の発展によるとし、しかもそれを周辺文化との作用・反作用の内に捉えたとして、その内容を詳細に解析している。第3節「梁啓超における『専制』の進化―『政治』の基準」は、梁啓超の歴史観における進化論の衝撃を、その由来に溯って詳しく分析している。そして、文化ではなく政治を基準とした彼の時代区分の試みと、国際政治観とを、明らかにしている。

第4節「湖南と梁啓超との比較」では、これまでの論述を承けて、二人の歴史観の共通点と相違点との総括的解明がなされている。第一に、二人とも一種の進歩史観ではあるが、中国史の把握に相違のあること、第二に、二人とも貴族政治と君主専制政治とを対立概念とするが、それぞれの評価が異なること、第三に、二人とも歴史の発展を信じるがその原動力については見解が異なること、第四に、二人とも世界史の中で中国史を捉えるが、その捉え方が異なることが指摘されている。

第4章「国家政治体制の構想―歴史の伝統に見出す未来像」第1節「『封建―郡県』論の二つのピーク」は、封建か郡県かという論争は、明末清初と清末の二度大きく盛り上がったことを指摘し、それらが地方自治論の先駆をなしているとしている。第2節「湖南の『郷団自治』論」は、湖南が宋以後の平民台頭の趨勢の上に辛亥革命後の共和制を位置づけ、それは伝統的な郷団組織によって担われるべきだと考えたとして、その内容を詳しく論じている。そして、彼が、中国では一時「聯邦制」が出現してもいずれは中央集権的共和国になると正確に予言したこと、しかし、彼の理想的中国像はあくまで「郷団自治」を基盤とするものであったことを指摘している。第3節「梁啓超における『地方自治』」は、梁啓超が、個人の自治から同心円的に拡大して国家に至ることを理想としたとして、その内容を詳論している。そして、彼の湖南省の政治改革運動への参与を紹介し、さらに、その「聯邦制」論の変遷を分析している。

第4節「湖南と梁啓超との比較」では、以上の論述を承けて、湖南の「郷団自治」論と梁啓超の「地方自治」論との比較がなされている。第一に、二人は明末清初以来の封建論を承けつつも、さらに体制変革を目指していたこと、第二に、二人は、郡県制故に「自治」が発達したという理解においても共通していたこと、第三に、にもかかわらず、梁啓超は個人の自治から次第に拡大して国民国家を形成することを目標とし、一方、湖南は、「郷団」が自治する一方、政治や経済は「国際管理」にする方が得策であるとしたこと、第四に、梁啓超は、個人と国家という両端の重要性を強調するが、湖南は「郷」という場と「郷団組織」という中間の層に専ら注目すること、第五に、二人は共に官主導の自治や外国の制度の直輸入に反対し、また、五四運動期の「新青年」たちには同調しなかったこと、第六に、中国人自身の改革能力についての見方が異なっていたこと等が指摘されている。

この後に、附論「自治の伝統と『聯邦制』の体制構想」が挿入されている。そこでは、山路愛山・吉野作造・橘樸の、それぞれに湖南と異なる中国自治論が紹介されている。

次が、第III部「歴史観と政治観の深層―『伝統』と『近代』の狭間で」である。

第5章「『文化』の視座と『文明』の視座―東西文化比較論」第1節「湖南における『文化』の視座」は、まず湖南の「文明」「文化」の語の使用歴を詳細に跡づける。その上で、彼の中国と日本の「文化」の関係論を、津田左右吉との対比において明らかにしている。そして、中国文化への傾倒故に、満洲事変後「東方文化聯盟」に関与したことを指摘している。第2節「梁啓超における『文明』の視座」は、湖南と対照的に「文明」の「国民」の創出を目指した梁啓超を論じ、第一次世界大戦による欧州人の自己懐疑が彼の思想に影響したことを明らかにしている。第3節「文化の『民族性』と『時代性』」は、杜亜泉・陳独秀等と比較しつつ、梁啓超が、大戦前には文化の「時代性」をより強調し、後には「民族性」をより強調して東西文明の融合を唱えるようになったという変化を、詳細に跡づけている。

終章は、二人への毀誉褒貶を概観し、最後に、彼等の「失敗」や「挫折」を含め、現代でも重要な問題を考える上で、彼等は多大な示唆を与えると述べ、論文を結んでいる。

なお、本論文には、この後に、参考文献表(5頁)と「内藤湖南・梁啓超関連略年譜」(16頁)が付されている。

以上が、本論文の要旨である。

本論文の長所としては、特に次の3点を挙げることができる。

第1に、内藤湖南と梁啓超という同時代の、しかも直接の交流もあった二人における、中国史像と中国の政治社会の将来構想との連関の解明とその比較という重要な問題を主題とし、それに精細な解答を提示したことである。この二人は、2千年を超える皇帝の支配を終焉においこんだ辛亥革命の衝撃の前後に中国史を考察し、その中国史像は後世に大きな影響を与え、今も与え続けている。しかも、二人は、中国の政治に対して発言を続け、特に梁啓超は政治の実践にも深く関与した。しかし、これまで、両者を同じ比重で対象とし、しかもその中国史像と政治構想との両面を扱った本格的な比較研究は、日中のいずれにも存在しない。本論文は、まずこの着眼と問題設定における政治思想史研究としての独創性、および現にその研究を着実に成し遂げた点で、高く評価することができる。

第2に、その調査の徹底性と記述の包括性である。湖南と梁啓超は、いずれも膨大な著作を残したが、筆者はそれをよく消化している。しかも、秋田県の湖南の故郷にまで赴いて彼の少年期に関する資料を収集し、微細な史実の確認のために関係者に直接問い合わせるなど、関連事項の調査を徹底的に行った。関連文献や先行研究の探索も網羅的であり、本文を補足する脚注も詳細にして充実している。さらに、中国史像と政治構想の両面について、二人における時代的変化にもよく目配りし、その全体像を描き出し、湖南と梁啓超のそれぞれの特色を浮かび上がらせることに成功している。

第3に、本論文は、単に包括的であるだけでなく、社会進化論の受容、辛亥革命の衝撃、第1次世界大戦の受け止め等、一般的にして重大な問題に特に着目し、それらへの二人の思想的対応を比較しつつ解明している。その結果、湖南・梁啓超それぞれの研究のみならず、他の分野への示唆や知的波及効果を持ちうる内容となっている。

もっとも、本論文にも短所が無いわけではない。

第1に、湖南・梁啓超が直接・間接に接した欧米の思想との比較が少ないことである。例えば、梁啓超が『人群進化論』として紹介したSocial Evolution (1894)の著者、Benjamin Kidd(1858-1916)との比較などもなされていれば、本論文は、一段と充実した内容になったと思われる。

第2に、極く一部ではあるが、叙述に整理されていない個所があり、重複や論旨を把握しにくい場合があることである。

しかし、以上は、望蜀の歎というべきものであり、本論文の価値を大きく損なうものではない。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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