学位論文要旨



No 125496
著者(漢字) 田中,茉莉子
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,マリコ
標題(和) 信用と媒介
標題(洋) Essays on Credit and Medium
報告番号 125496
報告番号 甲25496
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第277号
研究科 経済学研究科
専攻 経済理論専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩井,克人
 東京大学 教授 神谷,和也
 東京大学 教授 福田,慎一
 東京大学 教授 松井,彰彦
 東京大学 講師 加納,隆
内容要旨 要旨を表示する

無数の異質な経済主体からなる分権的な市場経済では、相対の物々交換により、現在保有している財を将来保有したいと考えている財に交換することは困難である。このような欲望の二重の一致の不便を解消する方法として信用取引と貨幣交換が存在する。岩井(1994)は、信用が属人的で直接的取引関係を要求する一方、貨幣はそのものに信用が与えられているため、間接的関係を可能にすると論じている。その上で言葉も貨幣と同様に媒介であると述べている。本論文は、「信用」と「媒介」という概念が異質で無数の経済主体間の相互依存関係を分析する際の本質であると考え、信用、貨幣及び言語を主題とする。第一論文では、三期間世代重複モデルを用いて、信用市場が完全あるいは不完全な社会における資本蓄積を分析する。第二論文では、二国三通貨サーチモデルを用いて、取引相手国と自国通貨以外の第三通貨が国際的に流通する均衡を分析する。第三論文では、政府と無数の異質な経済主体によるチープトークゲームを用いて、情報伝達の特徴を分析する。

第一論文は、労働も生産も行わない引退世代の存在する三期間世代重複モデルを作成し、生産性の異なる世代間における、信用に基づく異世代間貸借が経済成長に与える影響を分析する。生存期間の延長に伴って発生した引退世代は、その収入を引退世代自らが蓄積した金融資産に加え、現役世代からの移転にも依存している。本稿は、この所得移転が単なる現役世代から引退世代への一方向の移転ではなく、異世代間の信用に基づく貸借、すなわち引退世代が現役時代に行った貸与の見返りであるという解釈を提示する。

本稿は世代重複モデルを採用する。しかし、世代重複が一期間のみである二期間モデルや全世代の消費性向が均一化されたYaari-Blanchardタイプの多期間・無限期間モデルでは異世代間取引が発生しない。また、Samuelson流の保存不可能な消費財のみの貸借は、貨幣という媒介の存在なしには成立しない。そこで信用を基盤とした異世代間貸借を分析するため、Diamond流の盗本を考慮した三期間世代重複モデルを作成する。

de la Croix and Michel(2002)は、Diamond(1965)の二期間モデルにおいて賃金を受け取る期間を一期間から二期間に延長することで三期間モデルに拡張した。そこでは、第一期と第二期に賃金所得を得られるため、第二期の生産性が高ければ第一期に借入をして賃金以上の消費を行い、第二期に返済するという異世代刷貸借が可能となる。一方、本稿は労働も生産活動も行わない第三期をDiamond(1965)に追加することで三期間モデルに拡張した。de la Croix and Michel(2002)と異なり、第二期に各世代は労働ではなく生産活動に従事し、会社を経営する。

この設定は、現実の会社内でのライフサイクルすなわち若年世代が賃金所得を受け取り、中年世代が会社を経営管理し、引退世代が余暇を享受するという傾向を反映している。中年世代はPenrose(1965)の「中心経営陣」に対応しており、人的資源を含む会社所有の生産資源を経営管理する。Diamond(1965)と異なり、引退世代は労働も生産も行わず収入がないため、Samuelson(1958)と同様、余暇を享受できない可能性がある。そこで中年世代は引退後の消費を確保するため、若年世代に非賃金的移転―例えば企業内外の職業訓練や社宅の提供・低金利融資などの福祉プログラム―を提供し、引退後に会社や経済の成長の見返りとして行われる移転により余暇を享受する。本稿は、上記の労働供給環境を想定することにより、Penrose(1965)が重視した「管理組織体としての会社」が異世代間貸借を通じて成長し得ることを示唆している。

本稿のモデルにおいて、各世代は寿命の不確実性に直面している。第二期末まで確実に生存するが、第三期首での生存確率はq∈(0,1]である。Diamond and Dybvig(1983)に見られる世代内の異質性は事前には存在しないが、生存期間の不確実性により事後的に発生する。しかし、Blanchard(1985)流の公正な生命保険を導入することにより、予期せざる遺産を生み出すことなく生存リスクを排除できるため、各世代は生涯の期待効用を最大化し、消費を平準化し、結果として異世代間貸借が発生する。

論文の前半では、信用市場の完全性を仮定し、長寿社会における資本蓄積を特徴付ける。第一に、長寿社会では、引退後の消費に備えた若年期の追加的貯蓄に加えて、会社を経営する中年世代から賃金労働に従事する若年世代への資本の貸与が行われるため、資本の過剰蓄積が発生しやすいことを示す。第二に、異世代間貸借の存在する均衡が動学的非効率であるとき、中年世代が退職世代に支払う利子所得税を減税すると、異世代間取引が促進される一方、若年期の追加的貯蓄が減少するため、黄金律が達成されることを示す。第三に、貨幣の導入も資本の過剰蓄積解消に有効であることを示す。Tirole(1985)は二期間モデルに基づいているため、現在進行中の長寿社会でのバブル発生の可能性を過小評価している可能性がある。

論文の後半では、不完全な信用市場により債務不履行が発生し得るケースを分析する。若年世代により蓄積される資本が引退後の消費の原資であると共に、担保としても有効に機能し、債務不履行を防止して異世代間貸借を可能にすることを示す。同時に、担保制約により合理的期待形成下でも複数均衡が発生すること、特に二間期循環が発生し得ることを明らかにする。

第二論文は、国際取引における媒介としての第三通貨―取引相手国と自国以外の第三者あるいは両国を含む超国家機関により発行される通貨―の流通を貨幣のサーチ理論を用いて分析する。先行研究の多くは取引参加国により発行された通貨糊の競争に若目している。しかし、ドルやユーロ、あるいは20世紀まで流通していたマリア=テレジア銀貨のように、第三通貨は国際取引において重要な地位を占めてきた。国際取引では、国内取引以上に物々交換が困難であり、国内で流通する通貨でさえ国際的に受け入れられない可能性が存在する。ここに第三通貨が存在し、一般的な交換の媒介として流通しているならば、自国通貨と第三通貨を交換することで取引が活発になると考えられる。無数の異質な経済主体からなる分権的経済における交換手段としての貨幣を分析するため、サーチモデルを採用する。

Matsuyama,Kiyotaki,and Matsui(1993)の二国二通貨モデルは、国内通貨が国際通貨として流通する均衡を、各国の経済規模と両国の経済統合度の観点から特徴付けた。本稿は、この環境に第三通貨を導入し、その国際的流通と、国内通貨との通貨交換を分析する。Zhou(1997)は、異なる商品に対する選好のショックを導入することで、各国内での内生的な自国通貨の現金制約が発生し、外国為替市場で通貨交換が行われることを示した。本稿では、経済主体が国内・国際取引の両方に参加し、内生的に現金制約が生じるため、国内通貨と第三通貨が共存し、かつ両者間で交換が行われる均衡が存在する。Rey(2001)の三国三通貨モデルにおける外生的現金制約及びWaller and Curtis(2003)における国内での外貨規制が存在しない場合でも、通貨交換が行われることを示す。分析の結果、自給自足経済は第三通貨を導入し、国際取引に参加することで常に厚生を高め得ること、そして従来の二国二通貨モデルの議論とは対照的に、経済開放度が高くない場合は、通貨統合が必ずしも各国経済の厚生を改善しないことが判明する。

第三論文は、チープトーク、すなわち発信に費用がかからず、経済主体の利得に直接影響を与えない発話が媒介となり、受信者の予想を通じて実体に間接的な影響を及ぼし得るという現象に着目する。歴史的計画―例えば国民所得倍増計画や欧州経済通貨統合など―は、スローガンを伴うことが多い。スローガンは計画の帰結を保証するものではないため、経済に直接影響を与えることはない。しかしながら、ユーロ導入に際して観察されたように、スローガン自体が計画に信悪性を与え、計画達成に必要な条件が内生的に整い、計画が実現するという現象が存在する。そこで本稿はチープトークという概念を用いて、実体的根拠を持たないメッセージが媒介として受け入れられ、間接的に経済に影響を与え得ることを示し、その性質を分析する。

Stein(1989)は、Fedによる政策発表をチープトークとみなし、Crawford and Sobel(1982)の階級均衡(partition equilibrium)という概念を用いて特徴付けた。そこではメッセージの送り手であるFedが、利害の一致しないメッセージの受け手に対しては目標値の含まれる階級を報告することで、情報の正確さは低下するものの、比較的信悪性の高いメッセージを発信することを示している。本稿も部分的な情報伝達を可能とする階級均衡を採用するが、一対一ではなく、一つの政府と無数の異質な民間からなるチープトークゲームを分析する。また、政府の目標が政府のタイプからは独立し、民間との相互依存関係の中で定まると仮定する。この設定の下で、政府による情報伝達が世論のフォーカルポイントとなり得ることを示す。

民間の異質性と政府・民間それぞれの最適化問題を定式化するため、Alonso,Dessein,and Matouschek(2008)と同様に、各経済主体のタイプと行動との乖離を表す「適応コスト」及び政府と各経済主体との行動との乖離を表す「協調コスト」を導入した。Alonso et al.(2008)では、二人の送り手と一人の受け手との間の水平的・垂直的対話が行われる。本稿では、一人の送り手と無数の受け手との間の垂直的対話が行われる。さらに、両者の利害対立の有無が送り手の最適戦略に与える影響を比較する。

分析の結果、政府のメッセージが発信されると、民間同士の直接的対話が存在しなくとも、政府の行動に対する予想を通じて、民間が間接的に世論を考慮することが判明する。その上で、民間と利害対立のない政府が常に正確な情報を発信する一方、その他の政府は発話の正確性と信憑性の二律背反に直面しているため、その最適戦略が、協調の必要度、自己利益の追求度そして利害対立の程度に依存して決まることを明らかにする。

審査要旨 要旨を表示する

田中茉莉子氏の博士論文は序説と三つの章によって構成されており、三つの章はいずれも信用と媒介が分権的な経済交換において果たす役割に関して研究した理論的論文である。このうち第一章と第二章は、3世代世代重複モデルを用いて異世代間貸借を経済動学理論に組み込む試みであり、第三章は2国3通貨サーチモデルを用いて自国通貨でない第三通貨が国際的に流通する条件を分析している。以下その内容を紹介する。

これまでの経済成長理論において、信用を介した世代間貸借の問題を分析した研究は少ない。世代間貸借を分析するためには、ソロー型モデルではなく世代重複モデル(OLG)を構築しなければならないが、P.Diamondの二世代OLGモデルでは決済期に貸し手あるいは借り手が存在しないため、P. Weilの無限期間OLGモデルでは全世代の貯蓄性向が同一であるため、いずれも世代間貸借は起こらない。少なくとも三世代のOLGモデルが必要になるのである。田中氏の第一章は、de la CroixとMichelが提示した三世代モデルから出発し、長寿化の問題に焦点を当てるために、労働は若年期にのみ供給し、中年期は企業経営に特化するという仮定を導入し、労働も生産もしない老年世代の存在が資本蓄積に与える効果を分析している。重要な結論は、老年世代の生存確率の上昇は、現役世代が引退に備えて自己貯蓄だけでなく世代間貸借を行うインセンティブを高めるために、資本蓄積を促進し、生産関数や時間割引率に関する現実的なパラメタ-値の下で、動学的非効率性の可能性が高まるということである。さらに、田中氏は、動学的非効率性がある時の、中年世代に対する利子所得減税の効果を分析し、最適課税率を計算している。また、その時、貨幣あるいはバブルの存在も動学的非効率性を解消させることも示している。これは、P. Diamondの二世代OLGモデルに基づいたTiroleのバブルのモデルの拡張であり、長寿化による過剰蓄積がバブル発生の可能性を高めるというインプリケーションをもつ。

第二章は、第一章と同一の三世代OLGモデルを分析しているが、信用市場の完全性の仮定がはずされる。信用市場が不完全な経済では、中年世代による若年世代に対する貸し付けは、若年世代の唯一の資産が「譲渡不可能性」をもつ労働であることによって不完備契約になり、ホールドアップ問題が起こる可能性が生まれる。(これは、同時に、なぜ第一章では、若年世代が中年世代から資本を借りて企業経営を行うという可能性を考慮しなかったかの正当化にもなる。)そこで、田中氏は、中年世代が若年世代へ貸し出しをする際に、ホールドアップ問題を避けるために、若年世代の貯蓄を「担保」として要求するという仮定を導入する。第二章では、このような担保制約が存在するとき、合理的予想形成の下での三世代OLGモデルは、条件によって、担保制約が無効なまま成長する場合や担保制約が有効なまま成長する場合だけでなく、担保制約が交互に有効になったり無効になったりする内生的な景気循環の可能性をもつことを示すことになった。さらに、第二章では、担保率という資本市場の不完全性の程度を表す概念を導入し、その値の変化が担保制約の有効性や内生的循環の可能性にどのような影響を与えるかについても分析している。

第三章は、前二章とは異なり、2国3通貨のサーチモデルを分析している。その出発点はMatsuyama-Kiyotaki-Matsuiの2国2通貨のサーチモデルであるが、ユーロ圏におけるユーロの流通という具体的な問題に触発されて、それに第三通貨を導入したものである。第一通貨がドイツのマルクと第2通貨がフランスのフラン、第三通貨が共通通貨であるユーロと見なすことが可能である。第三章の主要結果は、各経済主体は国内取引・国際取引のいずれかに従事するという仮定の下に、各国で自国通貨のみ流通する均衡と各国で第三通貨のみが流通する均衡の他に、国際貿易に対する取引動機によって、国際貿易においては第三通貨、国内貿易においては各国通貨と第三通貨を用いる現金制約下で通貨交換が行われる均衡の存在可能性が証明されたことである。この均衡は、貿易依存度(国際取引に携わる確率)が高すぎても低すぎても、また第三通貨の供給量が少なくても存在しなくなることが示されている。また、第三章では、3種類の均衡間の厚生水準比較も行われ、国際貿易量に対する第三通貨の供給量の割合が低いときには、第三通貨のみの流通は必ずしも厚生水準を高めないことが指摘されている。

2.論文の評価

田中茉莉子氏の博士論文の三つの章とも、それぞれこれまでの研究にないオリジナルな貢献を含んでいる。生産を含んだ3世代OLGモデルは、de la Croix and Michelを始め、すでに幾つか存在する。だが、第一章と第二章は、de la Croix and Michelのモデルを簡略化することによって、世代間貸借の問題を逆に浮き彫りにすることに成功している。その結果、第一章では、長寿化が自己蓄積と世代間貸借という二つのルートを通して資本蓄積を促進することを示し、単なるintellectual curiosityの対象と見なされることの多かった動学的非効率性が現実的であり得るという興味深い結果を導いた。それは、同時に、Tiroleが2世代OLGを使って明らかにした動学的非効率性と資産バブルの関係に、さらなる意義を与えるものでもある。また、第二章は、まさに世代間貸借が可能になったことによって、OLGモデルに信用市場の不完全性という要素を自然に組み込んでいる。それによって、Grandmont以来多くの業績のあるOLGモデルに基づく内生的景気循環理論に、新たな景気循環のロジックを付け加えることができた。また、それは、信用市場の不完全性による景気循環の増幅を説明する代表的業績であるKiyotaki and Mooreのモデルと異なり、アド・ホックに2種類の異なった経済主体の存在を仮定することなく、しかも外生的ショックに依存しない、景気循環の可能性を示したことが特筆される。第一章と第二章の三世代OLGモデルは、さらに分析可能な要素を数多く持っており、今後さらなる理論的な展開が期待される。第三章は、前二章とはまったく異なった貨幣のサーチモデルを扱っており、その最大の貢献は、すでに分析され尽くしたかに思われていたMatsuyama-Kiyotaki-Matsuiの二国二通貨モデルに、第三通貨を組み入れることが可能であり、しかも各国で自国通貨と第三通貨が共存するという新たな均衡の存在条件を示したことにある。第三通貨のみ流通する均衡が必ずしも厚生水準を高めないことという結果も面白い。

三つの章とも、まだ学術雑誌で出版されていない。その中では、第三章が論文として最も完成したものになっており、その内容を短縮した論文は、国際的に権威のある査読誌から改訂後再投稿することを示唆されている。第一章と第二章はまだ書かれたばかりでありまだ投稿されていないが、表現等に工夫を加えれば、近い将来いずれかの学術雑誌に掲載される可能性は高い。

ただ、どの章も著者の説明が多少舌足らずであり、どのようなモチベーションで書かれたかが見えにくいという点は、多くの審査員が指摘した。また、第一章、第二章のモデルに関しては、中年世代も生産可能だが、その生産性は若年世代とは異なるという一般的な想定の下でも分析してみる必要があるのではないか、貯蓄行動における代替効果と所得効果との関係を明確化するために、生産関数および効用関数をコブ・ダグラス型および対数型から拡張してみる必要があるのではないか、という指摘があった。第三章に関しては、一国の通貨が共通通貨になる可能性も分析してみる余地があることや、価格が伸縮的なケースも考察しておくべきではないか、という示唆などがあった。

これらの問題点はあるが、本論文が博士論文としての水準に十分達していることは疑いなく、審査員は全員一致で博士(経済学)の学位授与に賛同した。

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