学位論文要旨



No 125498
著者(漢字) 大場,隆広
著者(英字)
著者(カナ) オオバ,タカヒロ
標題(和) 戦後日本における高卒ブルーカラーの研究
標題(洋)
報告番号 125498
報告番号 甲25498
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第279号
研究科 経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 佐口,和郎
 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 教授 玄田,有史
 東京大学 教授 加瀬,和俊
内容要旨 要旨を表示する

本論文の基本的な問いは、「なぜ日本経済において高卒ブルーカラーが増加したのか」、「高卒ブルーカラーの増加は日本経済にどのような影響を与えたのか」である。これらの問いに答えるために、高卒ブルーカラー採用の進展が産業間で相違があったという事実に着目するとともに、高卒ブルーカラー採用が企業の生産性に与えた影響を分析する。

1950年代の日本では高校進学率が低く、戦後に義務教育となった新制中学を卒業した者は、学校や職業安定所による紹介によって、あるいは親や親類の縁故によって中卒者として就職するのが大勢であった。そしてこれら中卒者たちは復興しつつあった企業の工場でブルーカラーとして中心的な役割を担っていた。一方、1960年代に入ると高校進学率が上昇し、中学卒業後、高校に進学し、高校を卒業した後に就職する者が増えてきた。そして従来は中卒者によって担われていたブルーカラー職に高卒背が参入していくようになった。さらに1970年代になると、高校進学が大勢となり、高卒者がブルーカラー職の中心を担うようになった。すなわち、日本では1950年代から1970年代にかけて、生産現場の中心的役割は中卒者から高卒者へと移行したのである。この現象は日本企業の生産性にどのような影響を与えたであろうか。後述するように、高度成長期の日本における高卒ブルーカラーの役割についてはいくつかの先行研究があるが、残された論点は多い。本論文では、高卒ブルーカラーの役割の検討を通じて、戦後日本の経済発展を生産現場の視点から解明することを試みる。

上記のように、高卒ブルーカラーが日本の産業に普及したのが1950年代~1970年代であることから、本論文では主にこの時期を対象とする。男女別に見ると、男子では1950年代に高卒ブルーカラーの普及が始まり、1960年代に急拡大し、1970年代に定着していったのに対して、女子では1960年代に普及が始まり、1970年代に急拡大していった。したがって全体としては1950年代が高卒ブルーカラーの黎明期、1960年代が拡大・普及期、1970年代が定若期と見ることができ、1950年代~1970年代を対象とすることでブルーカラーの高卒化を包括的に取り扱うことが可能となる。

対象とする産業は、1950年代については建設業、化学工業、造船業、1960年代については鉄鋼業および電気機械製造業、1970年代については繊維産業である。これらの産業を対象とする理由は、これらがいずれも対象時期における日本経済の成長をリードした産業であるとともに、これらの産業が高卒者の主要な就職先となっていたことにある。時期によって対象とする産業が異なるのは、第1章以下で述べるように、時期によって中卒者および高卒者の需給状況が異なり、また産業によって高卒者の活用開始の時期や活用方法も異なったからである。すなわち時期や産業によって高卒者の意義や価値は異なっていた。この点を考慮して本論文では時期別、産業別に高卒ブルーカラーの役割を探ることとした。

第1章の研究課題は「戦後の高卒ブルーカラー増大の前提としての、高校の増設・定員の増加をもたらした要因の解明」である。工業高校の定員増・新設の背景となったのは産業発展への志向であったという記述資料からの発見に基づいて、製造業の発達の程度と工業高校の分布の関連を数量的に分析した。その結果、「製造業が発達していない地城(農業が盛んな地域)ほど、県内および県外への就業対策や将来の県内および県外製造業の発達を期待して、職業高校全体の中での工業高校の比率を高める」という関係を確認することができた。次に、上記の関係が生じた理由を、労働需要県(神奈川県)、労働均衡県(静岡県)、労働供給県(青森県、福島県)それぞれの議会での,議論の検討を通じて探った。

第2章の研究課題は「後に日本企業の中で生産活動の主体となった高卒男子労働者が1950年代から1960年初頭にかけて、工場や現場の中でどのような役割を担ったか」、「どのような形で生産活動に貢献したか」である。その解明のために既存の座談会報告やアンケート調査から高卒者の役割に関する二つの仮説(「中卒者の代替としての高卒者」と「技術や機械に適応する素材としての高卒者」)を導き、間組(建設業)、石川島重工業(造船業)、東洋高圧工業(化学工粟)の調査個票によって検証した。

三つの事例から得られた知見は、第一に高卒者は必ずしも中卒者不足の補充要員、「中卒者の代替としての高卒者」であった訳ではなかったこと、第二に高卒者の活用の程度は業種や企業や工場の特性によって様々でありながらも、「技術や機械に適応する素材としての高卒者」という役割を共通して果たしていたことであった。また生産関数の推計からは高卒者採用が企業の生産活動にプラスの影響をもたらしたことが統計的に有意に確認された。

第3章の研究課題は「1960年代から1970年代初頭にかけての高卒男子労働者および高卒女子労働者の役割」の解明である。そのために1960年代から1970年代にかけて、日本企業で生じた高卒ブルーカラーの増加要因、その産業間・企業間での相違、および高卒ブルーカラー採用が企業の生産性に与えた影響について検討した。分析からは、導入技術に必要な技能に最適な労働者を選択した結果として、鉄鋼業は高卒者を、電気機器製造業は中卒者を選択していたことが分かった。また、鉄鋼業においても電気機械製造業においても高卒ブルーカラー採用が企業の生産性にプラスに寄与したことも明らかにされた。

第4章の研究課題は「1970年代から1980年代の繊維企業に焦点を当てて高卒女子ブルーカラーの増大の意味」を解明することである。研究結果の中で特に注目すべき点としては、第一に、高卒者を採用する程度が事業部門によって相違があり、非繊維部門、加工部門、毛部門に関係する工場ほど高卒者を高い比率で採用していたことである。第二に繊維企業の生産関数の推計から、高卒採用率は売上高に対して有意にプラスの影響を与えており、高卒者採用が売上高に貢献したことが確認された。

第5章の研究課題は「1960年代に高卒男子および高卒女子をブルーカラーとして採用したことで、企業は企業内のどのような制度をどのような意図で再設計したのか」を解明することである。三菱電機と新日本製鉄八幡製鉄所、住友金属工業の事例で高卒ブルーカラー化の影響として明らかにされたのは第1に賃金・人事体系の変容であり、第2に企業内教育の変容、第3に定着対策の導入であった。

第6章の研究課題は「1970年代に盛んになった高卒女子作業職(ブルーカラー)の採用に伴う紡績企業の賃金変化と制度変化を解明し、労働供給に関して制約された条件下での紡績企業の対応を明らかにすること」である。分析からはゼンセン同盟の高卒者に対する姿勢、高卒者対策としての福利厚生の充実、短大との提携などが明らかとなった。

冒頭で示したように、本論文は1950年代から1970年代にかけて生産現場の中心的役割が中卒者から高卒者へと移行していき、高卒者が日本企業の生産性を左右する重要な存在になったという認識のもと、「なぜ日本経済において高卒ブルーカラーが増加したのか」、「高卒ブルーカラーの増加は日本経済にどのような影響を与えたか」を研究課題とした。

第1章から第6章の分析を踏まえるならば、上記の課題に以下のように答えることができる。まず高卒ブルーカラーが増加したのは、人口構成の動きに追随する形で、様々な思いが交錯した結果であったと言える。すなわちベビーブームという人口構成の動きが先行する形で、1960年代にその進路問題が顕在化してきた。その際には子供を進学させたいと思う親、親を応援する教師、地元を振興させたいと思う県議会議員など様々な声や要望があった。これに対して地方自治体は普通高校を最も多く新設する一方、農業県ほど工業高校を増やしていくという選択を行った。この時に増設された普通高校や工業高校が供給母体となって、地元企業のみならず全国に高卒労働者を生み出していくこととなったのである。

「高卒ブルーカラーの増加は日本経済にどのような影響を与えたか」については、まず第一点目として新技術に適応できる人材を増加させることとなった点を指摘できる。なぜなら産業によっても異なるが、基本的には戦前には高等小学校を卒業した者が担っていたOJTで修得する基幹労働を戦後に中卒者が引き継ぐ一方で、戦後に新規に導入された新しい技術に適応する人材として高卒者が機能していたからである。ただし電気機械製造業のように新しい技術の導入が、必要とされる技能の労働集約的性質を高める場合には、むしろ中卒者が技術の担い手として期待されることもあった。第二点目として、研究結果からは1950年代から1970年代にかけて、中卒労働者に比べて高い比率で高卒労働者を雇うことが企業の生産にプラスの効果を与えていたこと、さらに第三点目として、高卒者をブルーカラーとして採用したことで企業は人事・賃金体系の改定、新たな教育訓練の策定、定着対策の導入という形で高卒者の労働意欲を維持し就業を継続させる制度変革を行った点を指摘できる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1950年代~70年代の日本において、ブルーカラー労働者の中心が中学校卒業者から高等学校卒業者に移行したという事実(ブルーカラーの高卒化)に焦点を当て、それが生じた理由、およびそれが日本経済に与えた影響を検討したものである。本論文は次のように構成されている。

序章 課題と全体の構成

第1章 高卒労働者の供給増加要因-1960年代の高等学校増員・増設の背景とその要因-

第2章 1950年代男子高卒者の役割-建設業・造船業・化学工業-

第3章 1960年代男女・中卒者および高卒者の役割-鉄鋼業と電気機械製造業-

第4章 1970年代から1980年代にかけての女子高卒者の役割-繊維業-

第5章 高卒採用と制度変化1-1960年代の三菱電機・八幡製鉄・住友金属を事例に-

第6章 高卒者採用と制度変化2-1970年代の紡績企業を事例に-

終章 結論と残された課題

序章では、上記の課題に取り組むにあたって、1950年代の建設業・化学工業・造船業、1960年代の鉄鋼業・電気機械製造業、1970年代の繊維産業を対象として取り上げる理由を述べたうえで、教育と経済の関係に関する文献がサーベイされている。文献は教育学・社会学を背景としたものと経済学を背景としたもの二分され、後者はさらに人的資本に関する経済学的研究と経済史分野における研究に区分されている。本論文は、経済史分野における戦後日本におけるブルーカラーの高卒化に関する文献の中に位置づけられ、高卒ブルーカラーの生産現場における役割を明らかにすることを通じて、高卒者の就職プロセスに関する先行研究と就職後の労務管理制度に関する先行研究の間をつなぐものであるとされている。

第1章では、教育サービスの供給の側面からブルーカラーの高卒化の理由が検討される。ブルーカラーの高卒化は、1960年代における高校、特に工業高校の増員・増設という教育サービスの供給に関する要因によって支えられたこと、そして工業高校の増員増設は、1960年代初めの時点で工業化が遅れており、新規高卒労働力を他県に供給していた県ほど急速に進展したことが明らかにされている。そして、県議会議事録等に基づいて、その理由は、これらの県の人々が持っていた、将来の工業化への期待にあったとされる。

第2章では比較的早期に男子ブルーカラーの高卒化が進んだ建設業・造船業・化学工業を対象として、1950年代から60年代初頭にかけての生産現場で、高卒男子ブルーカラーがどのような役割を担ったかが検討される。まず、当時行われた企業の労務担当者による座談会の記録等から、男子高卒ブルーカラーの役割に関する2つの見方、すなわち「中卒者の代替としての高卒者」と「技術や機械に適応する素材としての高卒者」が引き出され、それを手がかりに、間組(建設業)、石川島重工業(造船業)、東洋高圧工業(化学工業)の事例について、1950年代~60年代初めに行われた調査の個票データが分析される。それを通じて、いずれの事例においても、男子高卒者は特定の工場・部署に集中的に配置されており、「技術や機械に適応する素材」という性格を持っていたという結論が導かれている。また、1955年~59年の企業別データの計量分析から、機械設備の増加に応じて高卒者が採用されたこと、高卒者の採用は企業の生産性を高める効果を持っていたことが示されている。

第3章では、1960年代~70年代初めに見られた高卒ブルーカラー採用姿勢の産業間の相違に着目して、技術革新とブルーカラーの高卒化の関係が検討される。具体的には、1960年代初めにブルーカラーの高卒化を進めた鉄鋼業と、高卒化の進展が60年代後半に生じた電気機械製造業が比較される。鉄鋼業では、技術革新の結果、作業の中心が高熱重筋労働から監視労働に移行し、「カン、コツを中心とする年功的熟練から技術標準と作業標準を基盤とし教育訓練によって成立する近代的熟練」を持つ労働者が重要となったこと、それには高卒者が適合的であったことが指摘される。一方、電気機械製造業における技術革新は、ベルトコンベアーによる流れ作業を支える単純労働の需要を生み出し、それには「勤勉素朴」で「まじめ」な中卒者が適合的であったとされる。必要とされる技能に対して最適な労働者を選択した結果、鉄鋼業は高卒者、電気機械製造業は中卒者を中心に採用したということになる。また、このような見方を支持する事実として、高卒者採用の生産性向上効果は、電気機械製造業より鉄鋼業において相対的に大きかったという分析結果が示されている。

第4章では、ブルーカラーの高卒化が相対的に遅かった繊維工業を対象として、そこで1970年代~80年代に生じた女子ブルーカラーの高卒化の意味が検討される。まず、女子ブルーカラーの高卒化の背景として農家子弟の高校進学率の上昇を確認したうえで、繊維企業9社の1970年~83年の工場別データの分析から、高卒者の採用が特定の工程を担当する工場に集中していたことが明らかにされる。この結果は、インタビュー調査に基づいて、整反・検査など幅広い知識や判断力が必要な職場に高卒者が集中的に配置されたことを反映するものと解釈されている。さらにこの解釈と整合的な事実として、企業別データの分析によって、高卒採用率が企業の生産性を高める関係があったことが示される。

第5章では、1960年代に生じたブルーカラーの高卒化に伴って、企業内の賃金・人事制度と教育訓練制度がどのように変更されたかについて、三菱電機、八幡製鉄、住友金属工業の事例を用いて検討される。賃金・人事制度については、中卒ブルーカラー、高卒ブルーカラー、高卒ホワイトカラーという異なる種類の従業員にそれぞれ不満を生じさせることなく、彼らにインセンティブを与えることが課題であったとされる。その課題に応えるため、三菱電機では能力主義に基づく資格制度、八幡製鉄では作業長制度と職務給が導入された。また、教育訓練制度については、三菱電機で基礎技能を中心とした高卒ブルーカラー向けのカリキュラムが作成されたこと、八幡製鉄では高卒ブルーカラーの採用がその他従業員向けの企業内教育内容の高度化をもたらしたことが明らかにされている。

第6章では、1970年代~80年代に、高卒ブルーカラー採用のために紡績企業が採った施策が検討される。まず、企業別データによって中卒女子18歳の賃金と高卒女子初任給を比較することを通じて、1978年にはほとんど全ての企業で後者が前者を上回ったことが明らかにされる。一方、ゼンセン同盟の要求賃金において、高卒女子初任給が中卒女子18歳の賃金を上回ったのは1980年であった。この事実から、高卒初任給を18歳中卒女子賃金より相対的に高く設定することは、労働組合の要求ではなく企業の方針によるものであったことが指摘される。そして、それは、高卒ブルーカラーの採用にあたっての他産業との競争に関する考慮を反映していた。同じ理由から、紡績企業は寄宿舎の改善、短大との提携等の福利厚生の充実を行ったことが明らかにされている。終章では、以上の論点が再度確認されたうえで、残された課題が示されている。

本論文の主要な貢献は、1950年代~70年代の日本において高卒ブルーカラーが担った役割を、複数の産業を対象にさまざまな角度から検討し、それを通じて、企業が、より高度な能力を必要とする新しい技術に生産現場を適応させる目的で高卒ブルーカラーを採用したという事実を明らかにしたことにある。そして、この論点は、高度成長期に行われた調査の個票データなど、豊富なデータと資料によって裏付けられている。このほか、1960年代に農業県ほど工業化への期待を背景として工業高校の増員・増設が急速に進んだという事実発見は興味深く、高校新卒者と18歳中卒者を、労働組合と企業、特に前者がどのように位置づけていたかという問題設定にも新規性がある。

もっとも、本論文には、いくつかの問題点が残されている。第一に、1950年代から70年代という、日本経済が急速な変化を経験した時期について、一括して高卒ブルーカラーの役割を論じていることは必ずしも適切ではない。時期によって、企業が高卒ブルーカラーに期待する役割が変化した可能性があるからである。第二に、本論文では計量分析が多く用いられているが、モデルとデータの選択が適切に行われていないケースが散見される。第三に、労働経済学分野の関連文献のサーベイが十分ではない。

これらの問題点は、今後、著者によって解決される必要がある。しかし、本論文に示された研究成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献し得る能力を備えていることを示している。したがって、審査委員会は、全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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