学位論文要旨



No 125506
著者(漢字) 加藤,陽子
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヨウコ
標題(和) ジュウシマツのメスによる求愛歌の弁別 : 系列と音要素の検討
標題(洋) Song discrimination by female Bengalese finches : song elements or sequence?
報告番号 125506
報告番号 甲25506
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第955号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,寿一
 東京大学 准教授 村上,郁也
 東京大学 准教授 奥野,誠
 東京大学 准教授 植田,一博
 理化学研究所 チームリーダ 岡ノ谷,一夫
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

歌鳥のオスは「歌」と呼ばれる発声を求愛に用いる。歌には音響構造の異なる複数の音要素が含まれ、それら音要素がある規則を持って配列される。オスはお手本となる歌(父親の歌)を聞き覚え、発声学習によって歌を獲得する(Brainard and Doupe 2002)。歌鳥の脳内には歌を学習し、歌うための神経回路が発達している。歌を学習する時期にはこの神経回路が成熟していくことが判っている。そのため発達時に十分な栄養をとれないなど、外的なストレスを受けると、歌の学習精度が低下することが報告されている(Nowicki et al. 1998)。したがって成長後の歌は、オスの学習期における発達状態の良さを反映すると考えられる。このためメスにとって、歌を指標としてオスを選ぶことはより発達状態の良いオスを選ぶことにつながると考えられる。一方でメスは発達期に父親の歌を聞き覚え、自種の歌に対する選好を獲得することが示されている(Clayton 1990, Lauay et al. 2004)。

ジュウシマツはオスのみが求愛のために歌をうたう。歌には無音区間で区切られた複数の音要素が含まれる。音要素にはいつも同じ順序で歌われる系列があり、これをチャンクと呼ぶ。歌はこのチャンクが複数の遷移パターンで歌われる構造を持っている(Honda and Okanoya 1999)。ジュウシマツの歌には個体によって音要素の違いと、それらの組み合わせである系列の違いがみられる。オスの歌系列の複雑さは発達条件によって影響を受けることから(Soma 2006)、メスはより複雑な歌を選好することによって繁殖を有利に行えることが考えられる。これまでの研究で、メスに複雑な歌を提示するとより繁殖準備行動を行うことが報告されている(Okanoya 2004)。また、複雑な歌と単純な歌を選択させると、メスは個体によって異なる選好を示すことも報告されている(Morisaka et al. 2008)。本研究では、ジュウシマツのメスがオスの求愛歌にみられる系列の違いを聞き分け、えり好みを行っているのかを、行動実験と聴覚領域における即初期遺伝子ZENKを用いた実験によって検討した。

2.行動実験による歌選好の検討

メスの歌に対する選好を実験的に調べる方法として、本研究ではオペラント選択実験を用いた。オペラント選択課題では二つの歌それぞれに対して一つずつ反応キーが関連付けられ、キーへ反応することによって歌刺激が提示される(図1)。歌鳥はほかの報酬(例えばエサ)などの追提示なしに、歌を聞くためにキーに対して反応を行うようになる。

実験1では刺激として発達初期に聞いた父親の歌と新奇な歌を提示した。これによりメスが求愛歌の要素の違いによって選好を示すか、また親近な歌と新奇な歌のどちらを好むのかを検討した。実験2では父親の歌とその音要素の系列を逆順に入れ替えた歌(Order reversed song, OREV)を提示し、音要素の系列の違いにたいして選好を示すかどうかを検討した。父親の歌とOREVを違う歌として認識するのであれば、実験1同様に親近な歌に対して、または新奇な歌に対して選好がみられると予測された。

実験1では全ての被験体が新奇な歌よりも父親歌に対して多く反応した。(Wilcoxon signed rank test, n = 6, p = 0.031, 図2左)。したがって、メスは音要素の違いを聞き分け、父親の歌に対して選好を示すことがわかった。実験2では、父歌とその逆順序歌に対する反応数に有意差はみられなかった(Wilcoxon signed rank test, n = 7, p = 0.94, 図2右)。

これらの結果から、メスは音要素の違いを聞き分け、親近な父親の歌に対して選好を持つことがわかった。しかし、本実験ではメスの系列の違いに対する選好は検出されなかった。

3.即初期遺伝子の発現からみた系列に対する聴覚処理の検討

行動実験ではメスは音要素の違いに対して選好を示したが、系列の違いに対する選好は検出されなかった。このため次に、メスの聴覚領域において系列の違いが処理のされているのかを検討した。

歌鳥の聴覚領域NCM・CMMは歌の記憶に関わり、メスのえり好みにおいても重要であることが示唆されている(Bolhuis and Gahr 2006)。聴覚領域では歌の提示によって即初期遺伝子ZENKが発現する(Mello et al. 1992)。またこのZENK発現は、同じ歌を繰り返し提示することで減少する事が報告されている。これは、同じ歌刺激の提示に対する馴化を反映していると考えられる。馴化が起こった後に、異なる歌を提示すると、ZENKは再び誘導される。これは脱馴化を示すと考えられる(Mello et al. 1995)。

本実験では、メスに父親の歌(Father song)を繰り返し提示したのちに、引き続いて異なる刺激を提示し、聴覚領域におけるZENK発現を計測した(図3)。

実験には三つの群を用いた。実験群(F/S群 n = 7 )では、父親の歌を繰り返し提示し、馴化を起こさせた後で、続いて系列をランダムに並び替えた歌(Shuffle song)を提示した。対照群として父親の歌を提示し続ける群(F/F群 n = 7)、新奇な歌(Conspecific song)を提示する群(F/C群 n = 7)を用いた(図3A)。先行研究から、F/F群では父親の歌に馴化し、ZENKの発現が減少すること、F/C群では脱馴化によりZENKが誘導されることが予測された。シャッフル歌を提示したF/S群でZENKが発現するのであれば、系列の違うシャッフル歌は父親の歌と異なる歌であると処理されていると考えられた。反対に、ZENK発現が減少するのであれば、聴覚領域NCM・CMMは系列の違いを処理していないことが予測された。

in situ hybridization法によってZENKを可視化し、聴覚領域NCM・CMMそれぞれにおいて顕微鏡写真を撮影した(図3C)。ZENKの発現量は画像解析ソフトImage Jによって定量化した。結果、NCM、CMMの両領域においてシャッフル歌を聞いたF/S群のZENK発現は、父親の歌を聞いたF/F群と同程度であり、新奇な歌を聞いたF/C群よりも有意に少なかった(図4、ANOVA; NCM F [2, 18] = 13.61, *p < 0.01, CMM F [2, 18] = 32.03, *p < 0.01)。したがってメスの聴覚領域NCM・CMMでは系列の違いによらず、同一な音要素かどうかを基準として処理が行われていることが示唆された。

4.考察

ジュウシマツの求愛歌には音要素と系列の二つの個体差がある。系列の複雑さはオスの発達状態の状態を示す(Soma et al. 2006)ため、メスは系列の複雑さを聞き分け、選好を持つことが予測された。

行動実験において、メスは新奇な歌よりも父親の歌を好む選好をみせた(図2左)。近縁種であるキンカチョウでは発達初期に聞く父親の歌は、自種の歌に対する選好獲得に重要であることが示されている(Clayton 1990, Lauay et al. 2004)。またメスは成長後も発達初期に聞いた歌を選好する(Riebel 2000)。本研究ではジュウシマツのメスも発達初期に聞いた父親の歌を聞き覚え、選好を持つことが示された。したがってジュウシマツにおいても父親の歌が選好獲得に影響していることが考えられる。また、実験1からメスは音要素に違いを聞き分け、選好を示すことが判った。実験2ではメスが系列の違いを聞き分け、選好を示すかを検討した。結果、メスの系列に対する選好は検出されなかった(図2右)。この結果からは、メスが系列に対して選好を持っているか、持っていないのかを結論づけることはできない。メスが系列に対して選好を示すのかどうかについては、今後さらに検討することが必要だと考えられる。

次に、聴覚領域NCM・CMMにおける系列情報の処理を、即初期遺伝子ZENKの発現を指標として検討した。結果、聴覚領域NCM・CMMはランダムに系列を入れ替えた父親の歌(シャッフル歌)に対して、正常な父親の歌と同じような反応を示した(図4)。したがって、この領域では系列の違いを処理せず、同じ音要素であれば同じ歌であると処理していることが示唆された。一方で、音要素の違いに対してはZENKの発現が誘導された。このため、聴覚領域NCM・CMMは音要素の違いに基づいた処理を行っていることが示唆された。

本研究における検討からは、ジュウシマツのメスが歌の系列を聞き分けていることは示されなかった。一方、音要素の違いに基づく歌の選好および聴覚処理が示唆された。歌に含まれる音要素の音響情報も重要な特徴である。発達状態の違いは系列だけでなく、音要素の種類数にも反映される(Soma et al. 2006)。したがってメスは、音情報に基づいた選好によっても、よりよいオスと番うことができると考えられる。今後、歌に対するメスのえり好みをさらに詳しく検討することによって、ジュウシマツの求愛歌がもつ機能や、その進化過程に対して理解が進むことが期待される。

図1行動実験装置レバーへの反応で歌が提示される。

図2 左:父親の歌(Father)と新奇な歌(Unfamiliar)に対する反応数。メスは父親の歌に対して有意に多く反応した。右:父親の歌(Father)とその音要素系列を逆順序にした歌(OREV)。反応数に有意な差はみられなかった。グラフは縦軸を対数表示とした。* p < 0.05

図3実験手続き A.歌刺激例。a父親の歌,bシャッフル歌,c新奇な歌の一部。B.実験スケジュール。刺激は一分間に一度、提示された。C.歌鳥の聴覚領域CMM・NCMの模式(左)とZENK発現例(右)。灰色部を解析場所とした。Scale bar 500μm.

図4 NCM(A)とCMM(B)のZENK発現。F/F群およびF/S群はF/C群より有意に発現が少なかった。* p < 0.01

審査要旨 要旨を表示する

歌鳥のオスは「歌」と呼ばれる発声を求愛に用いる。オスは手本となる歌(父親の歌)を聞き覚え、発声学習によって歌を獲得する。歌鳥の脳内には歌を学習し、歌うための神経回路があり、歌を学習する時期にこの神経回路が成熟していくことが知られている。また、発達時に外的なストレスを受けると、歌の学習精度が低下することが報告されている。したがって成長後の歌は、オスの学習期における発達状態の良さを反映すると考えられる。このためメスにとって、歌を指標としてオスを選ぶことはより発達状態の良いオスを選ぶことにつながると考えられる。一方でメスは発達期に父親の歌を聞き覚え、自種の歌に対する選好を獲得することが報告されている。

ジュウシマツはオスのみが求愛のために歌を歌う。歌には無音区間で区切られた複数の音要素が含まれる。音要素にはいつも同じ順序で歌われる系列(チャンク)があり、歌はこのチャンクが複数の遷移パターンで歌われる構造を持っている。ジュウシマツの歌には個体によって音要素の違いと、それらの組み合わせである系列の違いがみられる。先行研究より、メスに複雑な歌を提示するとより活発に繁殖準備行動を行うことが報告されている。また、複雑な歌と単純な歌を選択させると、メスは個体によって異なる選好を示すことも報告されている。本研究では、ジュウシマツのメスがオスの求愛歌にみられる音要素と系列の違いを聞き分け、えり好みを行っているのかを、行動実験(第2 章)と聴覚領域における即初期遺伝子ZENK を用いた実験(第3章)によって検討した。

本論文の第2 章では、オペラント選択実験を用いて歌選好を検討した。二つの歌それぞれに対して一つずつ反応キーが関連付けられ、キーへ反応することによって歌刺激が提示された。歌鳥はほかの報酬の対提示なしに、歌を聞くためにキーに対して反応を行うようになった。実験1では刺激として発達初期に聞いた父親の歌と新奇な歌を提示した。これによりメスが求愛歌の要素の違いによって選好を示すか、また親近な歌と新奇な歌のどちらを好むのかを検討した。実験2では父親の歌とその音要素の系列を逆順に入れ替えた歌を提示し、音要素の系列の違いに対して選好を示すかどうかを検討した。父親の歌とその逆順序歌の違いを認識するのであれば、系列に対して選好がみられると予測された。結果、実験1では全ての被験体が新奇な歌よりも父親歌に対して多く反応した。よって、メスは音要素の違いを聞き分け、父親の歌に対して選好を示した。実験2では、父歌とその逆順序歌に対する反応数に有意差はみられず、メスの系列の違いに対する選好は検出されなかった。

本論文の第3章では、即初期遺伝子ZENK の発現を通して、メスの聴覚領域において系列の違いが処理されているのかを検討した。歌鳥の聴覚領域CM・CMM は歌の記憶に関わり、メスの選好においても重要であることが示唆されている。聴覚領域では歌の提示によって即初期遺伝子ZENK が発現するが、この発現は、同じ歌を繰り返し提示することで減少する事が報告されて、馴化を反映している。馴化が起こった後に、異なる歌を提示すると、ZENK は再び誘導され、脱馴化を示す。

本実験では、メスに父親の歌を繰り返し提示したのちに、引き続いて異なる刺激を提示し、聴覚領域におけるZENK 発現を計測した。実験には3群を用いた。実験群(F/S 群n=7)では、父親の歌を繰り返し提示し、馴化を起こさせた後で、系列をランダムに並び替えた歌を提示した。対照群として父親の歌を提示し続ける群(F/F 群n=7)と、父親歌の後に新奇な歌を提示する群(F/C 群n=7)を用いた。先行研究から、F/F 群では父親の歌に馴化し、ZENK の発現が減少すること、F/C 群では脱馴化によりZENK が誘導されることが予測された。シャッフル歌を提示したF/S 群でZENK が発現するのであれば、系列の違うシャッフル歌は父親の歌と異なる歌であると処理されていると考えられた。反対に、ZENK 発現が減少するのであれば、聴覚領域NCM・CMM は系列の違いを処理していないことが予測された。

in situ hybridization 法によってZENK を可視化し顕微鏡写真を撮影した。発現量は画像解析ソフトによって定量化した。結果、NCM、CMM の両領域においてシャッフル歌を聞いたF/S 群のZENK 発現は、父親の歌を聞いたF/F 群と同程度であり、新奇な歌を聞いたF/C 群よりも有意に少なかった。よってメスの聴覚領域NCM・CMM では系列の違いによらず、同一な音要素かどうかを基準として処理が行われていることが示唆された。

これらの結果をふまえて第4章では、総合考察を行った。ジュウシマツの求愛歌には音要素と系列の二つの側面で個体差があり、系列の複雑さはオスの発達状態の状態を示す報告があることから、メスは系列の複雑さを聞き分け、選好を持つことが予測された。行動実験の実験1から、メスは音要素に違いを聞き分け、選好を示すことが判ったが、実験2では、メスの系列に対する選好は検出されなかった。サンプル数の問題や、実験に使用した個体の履歴の統制が十分でなかったことから、今回の実験のみからは、予測したような系列への選好があるかどうかについて、結論は下せない。即初期遺伝子ZENK の発現を指標にした研究では、聴覚領域NCM・CMM はランダムに系列を入れ替えた父親の歌(シャッフル歌)に対して、正常な父親の歌と同じような反応を示した。この領域では系列の違いを処理せず、同じ音要素であれば同じ歌であると処理していることが示唆された。一方で、音要素の違いに対してはZENK の発現が誘導された。これらより、聴覚領域NCM・CMM は音要素の違いに基づいた処理を行っていることが示唆された。行動実験と即初期遺伝子発現の結果を総合すると、従来、報告の無かった音要素の違いに基づく歌の選好性が示された。

本研究は、ジュウシマツのメスが求愛歌をどのように弁別しているかを、行動実験と即初期遺伝子の両面から検討した統合的な研究であり、個体数は多いとは言えないが、非常にスケールの大きな研究である。結果からは、先行研究が見落としてきた音要素の重要性が浮かび上がり、発見的価値も大きい。今後は、実験条件を改善しつつ、さらなる発展が期待できる。

これらの成果により、本論文は、東京大学総合文化研究科課程博士(学術)の学位請求論文として合格であると、審査委員が全員一致で判定した。

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