学位論文要旨



No 125507
著者(漢字) 久保田,寿子
著者(英字)
著者(カナ) クボタ,ヒサコ
標題(和) シアノバクテリアSynechocystis sp. PCC 6803の光化学系I複合体の分子生物学的解析
標題(洋) Molecular studies of photosystem I complex from the cyanobacterium Synechocystis sp. PCC 6803
報告番号 125507
報告番号 甲25507
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第956号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 和田,元
 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 佐藤,直樹
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
 東京大学 准教授 箸本,春樹
内容要旨 要旨を表示する

地球上の殆ど全ての生物は、植物の光合成によって太陽光エネルギーから変換された化学エネルギーに依存して生命活動を行っている。高等植物やシアノバクテリアなどが行う酸素発生型光合成の電子伝達系は、水を酸化して酸素を発生する光化学系II(PSII)複合体と、二酸化炭素を同化する還元力を生み出す光化学系I(PSI)複合体の二種類の超分子複合体が、シトクロムb6f 複合体を介してつながって構成されている。PSI の反応中心であるP700 は光誘起電荷分離によってP700+となり、シトクロムb6f 複合体からプラストシアニンを介して伝達された電子を受け取る。その電子は、PSI のコアタンパク質であるPsaA 及びPsaB に配位しているA0 と呼ばれるクロロフィル、続いてフィロキノンA1、さらに鉄イオウクラスターFXへと伝達される。その後、電子はストロマ側の表在性サブユニットPsaC に結合している鉄イオウクラスターであるFA 、FB を経由し、フェレドキシンに渡り、最終的にフェレドキシン-NADP+レダクダーゼによるNADPH の生産に使われる。高等植物において、PSI は単量体として存在しているが、シアノバクテリアの場合、その殆どが三量体として存在する。2001 年にシアノバクテリアSynechococcus elongatus のPSI 結晶構造が2.5Aの分解能で報告された。単量体は12 種類のサブユニットからなるタンパク質部分と、96 分子のクロロフィル、2 分子のフィロキノン、3 つの鉄-硫黄クラスター、22 分子のカロテノイド、3 分子のホスファチジルグリセロール(PG)、1分子のモノガラクトシルジアシルグリセロール(MGDG)、カルシウムと推定されている金属イオンと201 個の水分子という極めて多種に及ぶ成分により構成されている。PSI はすでに多くの高等植物やシアノバクテリアから精製され、複合体の構成成分の分析やX 線結晶構造解析などが進められてきているが、精製したPSI について単量体と三量体を分離し、それらを構成する成分、活性、機能などの違いについて詳細に解析した例はない。

本研究では、Synechocystis sp. PCC 6803 を用いてPSI 複合体を効率よく簡便に精製する方法を確立し、精製した複合体の脂質やタンパク質成分の分析を行い、複合体に結合している新規の脂質やタンパク質サブユニットを同定した。通常、PSI は複数のイオン交換クロマトグラフィーなどを用いた煩雑な方法によって精製されているが、本研究ではHis タグを付加したサブユニットを発現する株(PSI を構成するサブユニットであるPsaF のC 末端、PsaJ のN 末端にHis タグを付加した株)を作製し、PSI の精製に使用した。

本研究で作製したF-His とJ-His 株は、光独立栄養条件下で野生株と同様の速度で増殖し、細胞を用いた光合成のnet 活性、PSII 活性、また、チラコイド膜を用いたPSII 活性、PSI 活性において、野生株との差が見られなかった。このため、His タグ付加による影響は無いと考えられた。それぞれの株から調製したチラコイド膜をドデシルマルトシドで可溶化したのち、Ni アフィニティークロマトグラフィーを用いることによりPSI を精製した。精製したPSI をグリセロール密度勾配遠心法により単量体と三量体に分離した。精製した複合体のPSI 活性を測定したところ、三量体、単量体ともに、高い活性を保持しており、三量体は、単量体よりも高い活性を持っていることが明らかになった。三量体と単量体をSDS-PAGE を用いてタンパク質を分析した結果、三量体には、PsaA、PsaB、PsaD、PsaF、PsaL、PsaE、PsaC、PsaK2、PsaK1、PsaI、PsaJ、PsaM のサブユニットが検出され、PSI のサブユニット以外のタンパク質は検出されなかった。単量体ではPsaK2 以外のPSI サブユニットが検出され、それに加えて多くの新規のタンパク質が含まれていることが明らかになった。これらのタンパク質を質量分析によって解析したところ、NDH-1 複合体の表在性領域を構成するタンパク質が6種類(NdhH、NdhK、NdhI、NdhJ、NdhN、NdhM)、PSII アセンブリーオペロン(PAP オペロン)にコードされるタンパク質が4種類、その他のタンパク質が4種類、合計14種類のタンパク質が同定された。NDH-1 はPSI と相互作用し、サイクリック電子伝達を行っていることが知られているが、シアノバクテリアにおいてNDH-1 とPSI の相互作用を生化学的に示した報告はない。今回、初めてPSI 単量体とNDH-1 が結合していることを示唆する結果が得られた。PAP オペロンは、PSIIのアセンブリーに関与しており、PSII の表在性タンパク質であるPsbV、PsbQ、PsbP が欠損した株ではPAP オペロンの発現が促進され、逆に酸化ストレスやPSI が欠如した株においては抑制されることがわかっている。PSI にもPAP オペロンにコードされたタンパク質が存在するということは、それらのタンパク質がPSII だけでなくPSI のアセンブリーにも関与していることを示唆している。次に、ネイティブな複合体の状態を調べるために、精製したPSI の単量体と三量体をBlue Native-PAGE を用いて分離したところ、三量体は一つのバンドとして、また、単量体は近接する二つのバンド(高分子側の単量体1と低分子側の単量体2)として検出された。これら複合体を形成するタンパク質をSDS-PAGEにより分離し、サブユニット組成を解析した。三量体には、全てのPSI サブユニットが検出されたが、単量体にはPsaK2 が検出されなかった。また、単量体の1 及び2 について詳しく解析した結果、単量体1 にはPsaL サブユニットが含まれているが、単量体2 には含まれていないことが明らかになった。PsaL はPSI の三量体化に機能しているという報告があることから、単量体2にPsaL が結合して単量体1となり、それから三量体が形成されるのではないかと考えられる。さらに、得られたPSI 三量体について脂質分析を行ったところ、反応中心当り6 分子の脂質[2 分子のMGDG、1 分子のジガラクトシルジアシルグリセロール(DGDG)、1 分子のスルホキノボシルジアシルグリセロール(SQDG)、2 分子のPG]が含まれていることが明らかになった。この結果は、Synechocystis sp. PCC 6803のPSI にはS. elongatus のPSII のX 線結晶構造解析では同定されていないDGDG やSQDGもPSI に結合していることを示しており、これらの脂質がPSI において重要な機能を担っているものと推定される。なお、これらの全ての分析について、F-His 及びJ-His 間に差はなく同様の結果が得られた。

次に、PSI における新規に同定された脂質DGDG のPSI における機能を解析するために、PsaJ-His を用いてDGDG 合成酵素遺伝子(dgdA)の欠損株を作製した(dgdA/J-His)。dgdA/J-Hisは、光独立栄養条件下でΔdgdA とほぼ同様の速度で増殖したため、His タグの影響は無いと考えられた。DGDG 合成酵素欠損株から調製したチラコイド膜を可溶化し、Blue-Native-PAGE を行ったところ、PSII の二量体は大幅に減少し、PSII 単量体及びCP43-less 単量体が増加していた。一方、PSI は三量体、単量体ともに野生株とほぼ変わらない割合で検出された。しかし、チラコイド膜を可溶化した後、His タグ精製を行ったPSI についてグリセロール密度勾配遠心法やBlue-Native-PAGE を用いてPSI の複合体を分離したところ、殆どが三量体として存在している場合(PSI-T)と、殆どが単量体として存在している場合(PSI-M)があった。単量体が殆どを占めている場合は、単量体と三量体の間にPSI の分解によって生じたと考えられる複合体に相当する二本の緑色のバンドが検出された。PSI-T の単量体(T-mono)と三量体(T-tri)、PSI-Mの単量体(M-mono)と三量体(M-tri)を構成するタンパク質をSDS-PAGE を用いて分離しサブユニット組成を分析したところ、全てのPSI 複合体において、PsaM とPsaI サブユニットが検出されなかった。T-tri とM-tri には、PsaA、PsaB、PsaD、PsaF、PsaL、PsaE、PsaC、PsaK2、PsaK1、そしてPsaJ-His サブユニットに加えて、双方共に未知のタンパク質が検出された。T-mono とM-mono のタンパク質組成は異なっており、T-mono は、J-His のそれと同様のサブユニット組成を持ち、PsaK2 が検出されなかった。しかしながら、M-mono には、PsaK2が存在しており、PSI 以外のサブユニットの量が少なくなっていた。これらのことから、M-monoは、生体内においては三量体を形成していたPSI が、DGDG が欠落していることにより不安定化し、精製途中で単量体に解離したものであることが示唆された。dgdA/J-His から調製したチラコイド膜、また、それから精製したPSI、T-tri 及びM-tri のPSI 活性を測定した。すると、何れのサンプルも、J-His から精製したものの活性よりも30%以上低かった。このことから、DGDGはPSI の活性を維持するのに重要な役割を持つことが示唆された。dgdA/J-His のチラコイド膜について脂質分析を行った結果、DGDG は検出させず、代わりにJ-His と比較して、PG、MGDG、SQDG の増加がみられた。一方、精製PSI のT-tri 及びM-mono の脂質分析を行うと、T-tri の場合、反応中心当たり3 分子のPG、4 分子のMGDG、3 分子のSQDG が、M-mono の場合、反応中心当たり3 分子のPG、5 分子のMGDG、4 分子のSQDG が検出された。合計、反応中心当たり5~7 分子の脂質の増加が確認された。これらのことからDGDG は、PSI 三量体構造を安定化し、PSI が高い活性を維持するのに必要であることが明らかになった。

本研究では、Synechocystis sp. PCC 6803 からPSI 複合体を簡易に精製する方法を確立するためにHis タグを付加したPsaF サブユニットまたはPsaJ サブユニットを発現するF-His 株とJ-His 株を作製した。これらの株では、活性の高いPSI 複合体をNi2+-アフィニティークロマトグラフィーを用いて簡便に精製することができ、精製したPSI をグリセロール密度勾配遠心法に供与することで単量体と三量体を分離できることが明らかとなった。精製した三量体には、これまでPSI のサブユニットとして知られているタンパク質のみが同定されたが、単量体では14 種類の新規のタンパク質が同定された。これらのタンパク質はPSI、特に単量体において重要な機能を担っている可能性が示唆される。また、三量体の脂質を分析したところ、反応中心当り6 分子の脂質が存在することが明らかになった。興味深いことに、S. elongatus のPSI 結晶構造では同定されていないDGDG やSQDG がSynechocystis sp. PCC 6803 のPSI には存在していた。DGDG のPSI における機能を調べるために、DGDG が合成できないdgdA/J-His 株を作製し、DGDG の欠損がPSI に与える影響について調べたところ、DGDG が欠損するとPSIの活性が低下し、PSI 複合体が単量体に解離し易くなることが明らかとなった。これらの結果は、DGDG がPSI の活性維持や構造の安定化に寄与していることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

地球上の殆ど全ての生物は、植物やシアノバクテリアなどが行う光合成に依存して生命活動を行っている。光合成の初期反応はチラコイド膜でおこり、光エネルギーは生物が利用できる化学エネルギーへと変換される。この光エネルギー変換反応を担う光合成装置は、いくつかの超分子複合体により構成されている。それらの超分子複合体の一つが光化学系I複合体(PSI)であり、本論文提出者はこのPSIに注目して研究を行った。PSIはすでに多くの植物やシアノバクテリアから精製され、複合体を構成する成分の分析やX線結晶構造解析などが進められている。シアノバクテリアThermosynechococcus elongatus のPSI三量体については、2001年に結晶構造が2.5Åの分解能で報告されている。複合体は単量体当り12種類のサブユニットからなるタンパク質部分、96分子のクロロフィル、2分子のフィロキノン、3つの鉄-硫黄クラスター、22分子のカロテノイド、3分子のホスファチジルグリセロール(PG)、1分子のモノガラクトシルジアシルグリセロール(MGDG)、カルシウムと推定されている金属イオンと201個の水分子という極めて多種に及ぶ成分により構成されており、それらの構成成分の複合体内での配置や立体構造が明らかとなっている。植物のPSI単量体についてもX線結晶構造解析によって得られた構造が報告されている。一方、PSIは植物においては単量体として存在しているが、シアノバクテリアでは単量体と三量体の状態で存在し、三量体の活性の方が単量体の活性に比べて高いことが知られ、三量体の結晶構造のみがこれまで報告されている。しかし、なぜ植物のPSIは単量体で存在し、シアノバクテリアでは単量体と三量体の状態で存在するのか、シアノバクテリアのPSI単量体と三量体の成分、構造、機能の違いについても未だに不明であり、それらの点について詳細に解析した例はない。そこで、本論文提出者は、Synechocystis sp. PCC 6803から簡便にPSIを精製する方法を確立し、その方法で精製したPSIの単量体および三量体の構成成分や活性を詳細に調べ、単量体と三量体の成分や機能の違いについて解析した。

本論文提出者は、Synechocystis sp. PCC 6803からPSI複合体を簡易に精製する方法を確立するために、Hisタグを付加したPsaFサブユニットまたはPsaJサブユニットを発現するF-His株とJ-His株を作製した。通常、PSIは複数のイオン交換クロマトグラフィーなどを用いた煩雑な方法によって精製されているが、Hisタグを付加したサブユニットを発現する株を用いれば、PSI複合体をNi2+-アフィニティークロマトグラフィーを用いて簡便に精製することができるものと考えた。作製した株からPSIを精製したところ、これらの株では活性の高いPSI複合体を簡便に精製することができ、精製したPSIをグリセロール密度勾配遠心法に供与することで単量体と三量体を分離できることを明らかにした。精製したPSIの構成成分を詳細に分析したところ、三量体には、これまでPSIのサブユニットとして知られているタンパク質のみを検出したが、単量体ではNDH-1複合体の表在性領域を構成するタンパク質が6種類(NdhH、NdhK、NdhI、NdhJ、NdhN、NdhM)、PSIIアセンブリーオペロン(PAPオペロン)にコードされるタンパク質が4種類、その他のタンパク質が4種類、合計14種類の新規のタンパク質を同定した。これらのタンパク質はPSI、特に単量体において重要な機能を担っている可能性が示唆された。NDH-1はPSIと相互作用し、サイクリック電子伝達を行っていることが知られている。NDH-1のサブユニットがPSIに含まれていたという結果は、シアノバクテリアにおいてPSI単量体とNDH-1が結合している可能性を初めて示した重要な知見である。一方、PAPオペロンは、PSIIのアセンブリーに関与しており、PSIIの表在性タンパク質であるPsbV、PsbQ、PsbPが欠損した株ではPAPオペロンの発現が促進され、逆に酸化ストレスやPSIが欠如した株においては抑制されることが知られている。PSIにもPAPオペロンにコードされたタンパク質が存在するということは、それらのタンパク質がPSIIだけでなくPSIのアセンブリーにも関与していることを示唆している。

また、本論文提出者は脂質についても分析し、三量体には反応中心当り6分子の脂質[2分子のMGDG、1分子のジガラクトシルジアシルグリセロール(DGDG)、1分子のスルホキノボシルジアシルグリセロール(SQDG)、2分子のPG]が含まれていることを明らかにした。この結果は、Synechocystis sp. PCC 6803のPSIにはT. elongatus のPSIIのX線結晶構造解析では同定されていないDGDGやSQDGもPSIに存在していることを示しており、これらの脂質がPSIにおいて重要な機能を担っているものと推定された。

さらに、本論文提出者はPSIにおける新規に同定された脂質DGDGの機能を解析するために、J-Hisを用いてDGDG合成酵素遺伝子(dgdA)の欠損株を作製した(dgdA/J-His)。作製したdgdA/J-Hisからチラコイド膜やPSIを精製して脂質分析を行ったところ、DGDGは検出させず、PG、MGDG、SQDGの増加がみられ、PSIでは反応中心当たり5~7分子の脂質の増加が確認された。チラコイド膜とPSIの活性についても測定したところ、何れのサンプルでも、J-Hisから精製したものの活性よりも30%以上低く、DGDGはPSIの活性を維持するのに重要な役割を持つことが示唆された。これらの実験結果は、DGDGがPSI三量体構造を安定化し、PSIの高い活性の維持に必要であることを示している。

以上のように、本博士論文の研究内容は、これまで未解明であったシアノバクテリアのPSI単量体と三量体の構成成分や活性の違いについて分子レベルで解析し、単量体にのみ結合している新規タンパク質成分の同定、従来の研究から知られていたMGDGやPG以外に、DGDGやSQDGもPSIに存在することの発見、さらに、PSIにおけるDGDGの重要性を明らかにした点で優れており、植物生理学や光合成の研究分野に貴重な知見を提供するものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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