学位論文要旨



No 125509
著者(漢字) 浅井,智久
著者(英字)
著者(カナ) アサイ,トモヒサ
標題(和) 「自己」の認知精神病理学 : 何が健常者における統合失調症様の受動的体験を引き起こすか?
標題(洋) A cognitive psychopathology of the "self" : What causes schizotypal passivity experiences in the general population?
報告番号 125509
報告番号 甲25509
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第958号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 長谷川,壽一
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 石垣,琢麿
 東京大学 准教授 村上,郁也
内容要旨 要旨を表示する

本博士論文は6章の構成で,健常者における統合失調症様の受動的体験の原因を検討した(図1)。受動的体験とは,行為における自他の誤帰属によって引き起こされるとされる幻聴などの統合失調症症状であり,統合失調症の病理解明に加えて,健常者における自己意識の構造を考える上でも示唆を与える現象である。

第1章では,本論文に含まれる研究の背景について,特に統合失調症の症状論や統合失調型パーソナリティとの連続性についてまとめ,これを序論とした。

第2章は,統合失調症と健常者における統合失調型パーソナリティとの連続性を検討することを目的とした。研究1では,健常者の性格理論の1つである性格5因子論によって統合失調型パーソナリティが説明できることを示した。これは統合失調症の次元モデル(連続性モデル)を支持する結果であり,統合失調型パーソナリティは性格特性の1形態として理解できることを示唆した。しかしながら,統合失調症は陽性症状,陰性症状,認知的解体などの多様な症状を含む。

そこで研究2では,本論文で扱う受動的症状の主症状である幻聴について注目し,健常者における幻聴様体験尺度を作成することによって,統合失調症の幻聴症状との連続性を検討した。先行研究より尺度項目を厳選し,統計的な分析の結果,幻聴様体験尺度(AHES-17)を開発し,さらにこのAHES-17を使用して,健常者における幻聴傾向と虚記憶課題との関連を示した。統合失調症患者における幻聴症状と虚記憶の関係が先行研究では報告されており,類似の認知機能の障害が確認されたことは幻聴という症状で見た場合の統合失調症の連続性を示唆していると考えられる。これらの2つの研究は,統合失調症という疾患単位で見た場合,幻聴という症状単位で見た場合のどちらの観点でも統合失調症と健常者の統合失調型パーソナリティの連続性を示唆していると考えられる。

第3章は,統合失調型パーソナリティにおける受動的体験と自己主体感の関係について検討した。自己主体感とは,自分自身が行為を生成した主体である,という感覚のことで,この自己主体感が障害された結果,受動的体験が引き起こされると考えられている。受動的体験には幻聴などが含まれるが,自分自身で発話や内言を生成しているのも関わらず,この行為主を自己へと帰属できないために,他者の声として認識されている可能性がある。先行研究では,統合失調症患者における異常な自己主体感が実験研究によって報告されているが,健常者における統合失調型パーソナリティでは報告されていない。

そこで研究1では,広義の自己主体感である自己行為とその結果の因果知覚について,統合失調型パーソナリティとの関係を検討した。実験参加者は,自分の好きなタイミングでキー押しをした後,時間遅れをはさんで純音が呈示され,純音を鳴らした行為主体について自他判断を行った。その結果,統合失調型パーソナリティ(陽性特性)の低い健常者では,時間差を検出しても行為主を自己へ帰属する場合があったのに対して,特性の高い健常者では,自己主体感判断は時間差検出とほぼ同じであった。これは,統合失調型パーソナリティの傾向が高い人ほど,自己主体感が弱いという結果であったと考えられる。

続いて研究2では,統合失調症の臨床的な現象像との整合性を得るために,狭義の自己主体感である行為の自他帰属課題を行った。実験参加者はマウス装置を操作し,空間的にバイアスのかけられた視覚フィードバックが返され,その自他帰属を判断した。その結果は,研究1と同様に,統合失調型パーソナリティの高い健常者では自己主体感が弱いと解釈できるものであった。自己主体感を説明する計算論モデルでは,行為の実行系と予測系という2つの処理経路を想定しているが,統合失調症の受動的体験は,このモデルの中でも特に行為の予測系の障害である可能性が示唆されている。

そこで研究3では,統合失調型パーソナリティにおける自己運動の予測を測定した。実験参加者は,視覚フィードバックが返されない条件下でディスプレイ上のターゲットをクリックすることが求められ,そのターゲットとの誤差を自己運動の予測誤差と定義した。その結果,幻聴傾向が高い健常者では,自己運動の予測誤差が大きくなることが示された。

この手や腕を用いる行為の自他帰属課題は,受動的体験のうちでも作為体験のアナロジーであるが,研究4では幻聴について検討した。従来の主観的な発話の自他帰属判断だけでなく,発話のフィードバック制御を測定することによって潜在的な自他帰属の指標を検討した。その結果,フィードバックされた音声を主観的に自己へ帰属しにくい人ほど,自己音声のフィードバックに頼らない発話制御をしている関係性が示唆され,さらにこのような人は同時に幻聴傾向の得点が高いことが示された。これら4つの研究では,一貫して統合失調型パーソナリティと弱い自己主体感の関係が示唆された。

第4章では,統合失調型パーソナリティと半球機能差の関係について検討を行った。半球機能差の異常は統合失調症の原因の1つと考えられており,また自己主体感との関連も示唆されている。そこで研究1では,統合失調型パーソナリティと利き手の関係を質問紙研究によって検討した。先行研究からは,利き手の側性の弱さ(両利き手)と統合失調症や統合失調型パーソナリティの関係が示唆されているが,ほとんどは西欧文化圏での研究であり,利き手に対して独自の文化的背景を持つアジア圏でその関係を示したものはない。そこで,日本における利き手の矯正の影響を除外すべく作成された尺度を用いた結果,西欧圏での知見と同様の,両利き者では統合失調型パーソナリティ(特に陽性特性)が高くなるという結果が得られた。

研究2では,客観的な半球機能差の指標として,空間運動,動力コントロール,言語機能の3つの実験課題を行った。統合失調症のリスクファクターとしては,運動機能の側性の異常の他に言語機能の側性も疑われているが,統合失調型パーソナリティとの関係はほとんど検討されていない。それぞれの実験の結果,統合失調型パーソナリティにおける空間運動と意味言語処理の非側性化が示唆された。これら2つの研究は,質問紙による主観的な半球機能差の指標でも,実験課題による客観的な指標でも,一部の運動機能をのぞいて,陽性統合失調型パーソナリティと運動機能・言語機能の非側性化の関係を示唆している。

第5章では,今までの研究を踏まえて,自己主体感と半球機能差の関係について検討した。近年の研究では,自他の表象における半球機能差が確認されており,自己主体感との関連も予想される。また統合失調症の症状論を考える上でも,統合失調症の自己主体感仮説と半球機能差仮説は包括的に統合される必要がある。この発展的な検討のために,まず研究1では自己主体感を測定する尺度を開発し,その後の研究に備えた。先行研究で報告されている自己主体感の異常と考えられる現象から項目を選定し,統計的分析を行って自己主体感尺度(SOAS)を作成した。さらにこの自己主体感尺度の3つの下位因子(主体の誤帰属感,身体の制御不能性,社会的主張性)を見出した。

研究2では,この尺度を用いて,利き手・利き足との関係を質問紙研究によって検討した。800人以上の参加者を,クラスター分析によって,利き手・利き足の側性の組み合わせで群分けを行った。その結果,右手利きで左足利きという,側性の一致していない弱側性群において,自己主体感尺度の主要因子である主体の誤帰属感の得点が高くなるという関係が見られた。さらに,この群では自己主体感によって統合失調型パーソナリティが有意に説明でき,異常な半球機能差(弱側性)が正常な自己主体感の生起を障害し,最終的に統合失調症様の受動的体験につながっているという因果モデルが示唆された。

なぜ異常な半球機能差が自己主体感を阻害するのか,その論理的なメカニズムを検討するために,最後に研究3では発話における自他帰属と半球機能差の関係を実験課題で検討した。統合失調症患者の幻聴症状は右半球で起こっている可能性が示唆されており,これらの研究から幻聴とは,半球機能の非側性化の結果,本来言語処理が行われないはずの右半球で言語処理が行われており,それが予測違反となって発話主を自己へ帰属できないのではないか,という仮説が考えられている。この仮説を検証するために,実験参加者は発話を行い,その音声フィードバックが参加者の右耳・左耳・両耳のいずれかに返され,それに対して発話主の自他帰属判断を行った。その結果,幻聴傾向の低い人では呈示耳条件の違いは見られなかったのに対して,傾向の高い人は自己声を他者へと誤帰属する傾向(外的誤帰属)が,両耳条件に比べて,方耳条件(右耳・左耳)で見られた。しかしながら,自己主体感尺度の主要因子である主体の誤帰属感と関連が見られたのは,左耳条件のみであった。このことから,左耳(右半球)条件では主体の誤帰属感から外的誤帰属が見られたのに対して,右耳(左半球)条件では,先行研究で報告されている音声知覚の障害などから外的誤帰属が見られたのではないかと考察した。これらの一連の結果は,受動的体験の本質的な原因は半球機能差の問題であり,それが行為の自他帰属の異常を導き,最終的に受動的体験という形で臨床報告されている可能性を示唆している。

第6章では,総合考察としてドーパミン仮説などの神経化学的な仮説との対応や,それも含んだ因果モデルの考察を行った。また統合失調症の受動的体験という現象を通じて見えてくる,私達の自己意識や自己感の構造についても認知精神病理学的な観点から考察した。

図1 本博士論文の流れ

審査要旨 要旨を表示する

本博士論文は,健常者における統合失調症様の受動的体験の原因を検討した。受動的体験とは,行為における自他の誤帰属によって引き起こされるとされる幻聴・作為体験・思考吹入などの統合失調症症状であり,統合失調症の病理解明に加えて,健常者における自己意識の構造を考える上でも示唆を与える現象である。

第1章では,本論文に含まれる研究の背景について,特に統合失調症の症状論や統合失調型パーソナリティとの連続性についてまとめ,これを序論とした。

第2章は,統合失調症と健常者における統合失調型パーソナリティとの連続性を検討することを目的とした。研究1では,健常者の性格理論の1つである性格5因子論によって統合失調型パーソナリティが説明できることを示した。これは統合失調型パーソナリティは性格特性の1形態として理解できることを示唆している。研究2では,幻聴について注目し,健常者における幻聴様体験尺度を作成することによって,統合失調症の幻聴症状との連続性を検討した。その結果,先行研究で報告されている幻聴患者の虚記憶傾向と同様の傾向が,健常者の幻聴傾向者でも確認された。これは幻聴という症状で見た場合の統合失調症の連続性を示唆していると考えられる。

第3章は,統合失調型パーソナリティと自己主体感の関係について検討した。自己主体感とは,自分自身が行為を生成した主体である,という感覚のことで,この自己主体感が障害された結果,受動的体験が引き起こされると考えられている。研究1では,広義の自己主体感である自己行為とその結果の因果知覚について,統合失調型パーソナリティとの関係を検討した。その結果,統合失調型パーソナリティ特性の高い健常者では,自己主体感判断と時間差検出に違いが見られず,これは自己主体感の弱さを示唆していると考えられる。続いて研究2では,統合失調症の臨床的な現象像との整合性を得るために,狭義の自己主体感である行為の自他帰属課題を行った。実験参加者はマウス装置を操作し,空間的にバイアスのかけられた視覚フィードバックが返され,その自他帰属を判断した。その結果は,研究1と同様に,統合失調型パーソナリティの高い健常者では自己主体感が弱いと解釈できるものであった。研究3では,統合失調症の受動的体験は自己行為の予測の障害である可能性が示唆されているので,統合失調型パーソナリティにおける自己運動の予測を測定した結果,幻聴傾向が高い健常者では,自己運動の予測誤差が大きくなることが示された。この手や腕を用いる行為の自他帰属課題は,受動的体験のうちでも作為体験のモデル実験であるが,研究4では幻聴について検討した。その結果,フィードバックされた音声を主観的に自己へ帰属しにくい人ほど,自己音声のフィードバックに頼らない発話制御をしている関係性が示唆され,さらにこのような人は同時に幻聴傾向の得点が高いことが示された。

第4章では,統合失調型パーソナリティと半球機能差の関係について検討を行った。半球機能差の異常は統合失調症の原因の1つと考えられており,また自己主体感との関連も示唆されている。研究1では,日本における利き手の矯正の影響を除外すべく作成された尺度を用いて質問紙調査を行った結果,西欧圏での知見と同様の,両利き者では統合失調型パーソナリティ(特に陽性特性)が高くなるという結果が得られた。研究2では,客観的な半球機能差の指標として,空間運動,動力コントロール,言語機能の3つの実験課題を行った。それぞれの実験の結果,統合失調型パーソナリティにおける空間運動と意味言語処理の非側性化が示唆された。

第5章では,今までの研究を踏まえて,自己主体感と半球機能差の関係について検討した。研究1では,先行研究で報告されている自己主体感の異常と考えられる現象から項目を選定し,統計的分析を行って自己主体感尺度(SOAS)を作成した。さらにこの自己主体感尺度の3つの下位因子(主体の誤帰属感,身体の制御不能性,社会的主張性)を見出した。研究2では,この尺度を用いて,利き手・利き足との関係を質問紙研究によって検討した。その結果,右手利きで左足利きという,側性の一致していない弱側性群において,自己主体感尺度の主要因子である主体の誤帰属感の得点が高くなるという関係が見られた。研究3では発話における自他帰属と半球機能差の関係を実験課題で検討した。その結果,幻聴傾向の高い人は自己声を他者へと誤帰属する傾向(外的誤帰属)が,両耳条件に比べて,方耳条件(右耳・左耳)で見られ,また左耳条件では自己主体感尺度の主要因子である主体の誤帰属感と関連が見られた。このことから,左耳(右半球)条件では主体の誤帰属感から外的誤帰属が見られたと考察した。

第6章では,総合考察としてドーパミン仮説などの神経化学的な仮説との対応や,それも含んだ因果モデルの考察を行った。また統合失調症の受動的体験という現象を通じて見えてくる,私達の自己意識や自己感の構造についても認知精神病理学的な観点から考察した。

本論文においては,次の点が高く評価された。

1)健常者の幻聴様体験尺度や自己主体感尺度を作成し,その信頼性と妥当性を確認したこと。その際,のべ3200名以上に及ぶ多数の調査データを積み重ね,統計的な手法を用いることによって実証的な議論を組み立てていること。

2)質問紙法だけではなく,のべ380名以上の参加者に対して実験法を用いて,幻聴を含む受動的体験の心理学的な発生要因の解明を試みたこと。また,その結果から自己主体感研究の新たな方向性を示したこと。

3)幻聴などの精神病理症状を通じて見えてくる,正常に機能している自己主体感について考察を行い,計算論や神経科学的な知見と合わせたモデルを提案したこと。

4)統合失調症患者と健常者における統合失調型パーソナリティの連続性を示唆することによって,統合失調症様の体験は質的に異なる一部の人のみでなく誰でも経験しうるものであるという意味で,精神病理に対する偏見や先入観の払拭につながる知見を報告したこと。

なお,以上の研究の実施にあたって,倫理的な配慮は十分になされていると確認された

これらの成果により,本論文は,博士(学術)の学位に値するものであると,審査員全員が判定した。なお第2章の一部は,「Psychiatry Research」誌に公表予定,第3章の一部はそれぞれ「Psychiatry and Clinical Neurosciences」誌・「Journal of Motor Behavior」誌・「Consciousness and Cognition」誌に公表済み,第4章の一部はそれぞれ「Laterality」誌・「Brain and Cognition」誌に公表済み,第5章の一部は「心理学研究」誌に公表済みである。

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