学位論文要旨



No 125512
著者(漢字) 梶山,弘光
著者(英字)
著者(カナ) カジヤマ,ヒロミツ
標題(和) インスリン依存性糖尿病マウスに対する脂肪幹細胞を用いた細胞治療
標題(洋) Cell therapy with adipose tissue-derived stem cells for insulin-dependent diabetes mellitus in mice
報告番号 125512
報告番号 甲25512
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第961号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 准教授 奥野,誠
 東京大学 准教授 道上,達男
 東京大学 准教授 坪井,貴司
 東京大学 特任教授 浅島,誠
内容要旨 要旨を表示する

1)本研究の背景と目的

近年の医学的研究の進展により、様々な病気に対する治療法や治療薬は急速な進歩を遂げつつある。しかし、現代の医学でも根治することが困難な病気は数多く残されている。そうした病気の1 つに、インスリン依存性糖尿病が挙げられる。インスリン依存性糖尿病は、膵臓のインスリン産生細胞が破壊されることが病因であり、インスリン分泌不全により血中のブドウ糖が正常に代謝されなくなる病気である。既存の治療法としては、インスリン注射により進行をくい止めることしか出来ておらず、革新的な治療法の開発が急務とされている。現在、様々な治療法の開発が進められる中で最も有望な治療法の1つとして、細胞移植による再生医療が注目を集めており、臨床応用において有効かつ安全なドナー細胞の選択方法や利用法について、世界中で研究が進められている。

近年、皮下脂肪組織に由来する脂肪幹細胞(Adipose tissue-derived Stem Cells、以下ASCsと略す)が同定された。ASCs は体内に豊富に存在する皮下脂肪から採取できる点で細胞数の確保が容易であり、細胞採取に伴う危険度も低いといった利点を有している。またin vitro での実験で、肝臓や筋肉など多系統の細胞への分化の可能性が示唆されている。このことは、もし仮にASCs がインスリン依存性糖尿病に対する再生医療へ応用可能であることが証明されれば、早期の臨床応用を目指す上で画期的なドナー細胞となりうることを示している。しかしながらASCs のもつ多分化能については、未だ十分な知見は得られていないのが現状である。

そこで私は、分化誘導を行ったマウスASCs のインスリン依存性糖尿病に対する治療効果を評価するために、同細胞をインスリン依存性糖尿病モデルマウスへ移植し、ドナー細胞としての応用可能性について検討を行った。

2)方法と結果

私は最初にレシピエントとしてインスリン依存性糖尿病の病態モデルマウスの作製を行った。まず、インスリン依存性糖尿病を誘発させる薬剤であるストレプトゾトシン(Streptozotocin、以下STZ と略す)をマウス腹腔内に投与した。対照群と比較すると、STZ 投与群においてはSTZ 投与5 日後に血糖値がおよそ4 倍に上昇した(P<0.01)。これらのマウスの膵組織切片を作製し、抗インスリン抗体を用いて免疫染色した結果、STZ 投与群でインスリン産生細胞が崩壊していた。以上より、STZ 投与によってインスリン依存性糖尿病の病態モデルマウスを作製できたと判断した。

ドナー細胞として用いるASCs としては、GFP トランスジェニックマウスの鼠径部脂肪組織を採取し、脂肪細胞を除去して得られた細胞を使用した。細胞移植後にASCs が長期間膵臓に生着し、病態を改善させる細胞へと分化するためには、生体内のインスリン産生細胞本来の機能をASCs に獲得させるような分化誘導条件を探索する必要があった。近年、インスリン産生細胞への分化実験においては、in vitro で終末分化させずにin vivo のシグナルを利用する分化誘導方法が注目されつつある。そこで私は、ASCs の分化誘導を行う上で、全工程をin vitroでの培養条件だけで行うのではなく、in vivo で生体内本来のインスリン産生細胞への分化シグナルを作用させる工程も含めて終末分化させる手法を試みた。つまりin vitro では終末分化させずに、インスリン産生細胞の分化系譜への方向付けのみを行い、その後、細胞の機能を決定づける終末分化を促進するために生体内へ移植し、膵臓組織内のインスリン産生細胞への分化シグナルを利用するという方針を立てた。

in vitro でインスリン産生細胞へ方向付けされたASCs を作製するために、転写因子であるPancreas duodenum homeobox 1 (以下Pdx1 と略す)を用いることとし、レトロウイルスを用いてASCs へ導入した。Pdx1 は、膵臓発生及びインスリン産生細胞への分化において中心的な役割を担っていることが知られている。一般に細胞の分化においては、分化状態特異的な遺伝子発現を直接制御する転写因子群により、強力に分化が進行していくことから、Pdx1 はインスリン産生細胞への分化誘導に有用であると考えられた。Pdx1 を導入したASCs(以下Pdx1-ASCs と記す)では、Pdx1 のRNA 及びタンパク質の発現が認められた。しかし、インスリン産生細胞のマーカーであるインスリン1 及びインスリン2 の発現は、Pdx1-ASCs においては認められなかった。以上の結果から、Pdx1-ASCs はインスリン産生細胞の分化系譜への方向付けのみがなされている可能性が示唆された。

Pdx1-ASCs のin vivo での終末分化を目指し、かつその治療効果を検討するために、Pdx1-ASCs をドナー細胞として、尾静脈からの注入によってインスリン依存性糖尿病モデルマウスへと移植した。対照群及びASCs 移植群と比較して、Pdx1-ASCs 移植群では細胞移植14日後に飽食時血糖値が減少し始め、その後有意に減少した(P<0.05)。またPdx1-ASCs 移植群では空腹時血糖値も細胞移植10 日後に減少し始め、その後有意に減少した(P<0.05)。さらに各移植群において細胞移植30 日後の血清インスリン濃度の測定と耐糖能試験を行い、その病態を解析した。血清インスリン濃度をELISA 法により測定したところ、対照群及びASCs 移植群と比較して、Pdx1-ASCs 移植群では血清インスリン濃度が優位に上昇した(P<0.05)。また腹腔内にブドウ糖液を注入し耐糖能試験を行った結果、対照群及びASCs 移植群と比較して、Pdx1-ASCs 移植群では有意に耐糖能が上昇した(P<0.05)。以上の結果よりPdx1-ASCs 移植群において、血糖値の減少、血清インスリン濃度及び耐糖能の上昇が認められインスリン依存性糖尿病の病態の改善が認められた。次にこの病態改善に移植細胞がどのように寄与しているのか検討するために、細胞移植30 日後の膵臓、肝臓、肺、脂肪、骨格筋、心筋、腎臓を各移植群より採取し、凍結組織切片を作製し、各切片に対して抗GFP 抗体による免疫染色を行った。その結果、Pdx1-ASCs 移植群で、膵臓以外の各臓器にはGFP 陽性細胞(移植された細胞)の存在を確認できなかったものの、GFP 陽性細胞は膵臓でその存在を確認できた。そこで組織学的により詳細な解析を行った。生体内ではグルカゴン産生細胞とインスリン産生細胞はともに隣接して島構造を形成している。従って、膵組織切片に対して抗GFP 抗体及び抗グルカゴン抗体による免疫染色を行い、GFP 陽性細胞(移植された細胞)及びグルカゴン陽性細胞の位置関係を解析した。その結果、大多数のGFP 陽性細胞(移植された細胞)はグルカゴン陽性細胞の近傍に位置していることが明らかになった。以上より、移植細胞はインスリン依存性糖尿病モデルマウスの本来インスリン産生細胞が位置していた近傍に生着した可能性が示唆された。次に膵組織切片に対して抗インスリン抗体による免疫染色を行った。その結果、Pdx1-ASCs 移植群では、GFP 陽性細胞(移植された細胞)においてインスリンの陽性所見が認められた。以上の結果から、Pdx1-ASCs が病態モデルマウスの膵臓に生着し、インスリンを産生したことにより、インスリン依存性糖尿病の病態改善が認められた。

インスリン依存性糖尿病モデルマウスの血糖値の減少、血清インスリン濃度及び耐糖能の上昇、並びに移植細胞の膵臓への生着が認められた本研究は、ASCs においてin vitro でPdx1 の発現を上昇させればインスリン依存性糖尿病に対する細胞移植治療のドナー細胞としてASCsが有用であることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はマウスの体内に存在する組織幹細胞を用いてインスリン依存性糖尿病モデルマウスに対する細胞治療に取り組んだものである。生体内には骨髄由来間葉系幹細胞、神経幹細胞、そして脂肪幹細胞(adipose tissue-derived stem cells, ASCs)などの様々な組織幹細胞が存在することが知られている。その中でも本研究ではASCs に着目した。その理由として、ASCs は、(1)体内に豊富に存在する皮下脂肪から大量に採取できる点で細胞数の確保が容易であり、(2)骨髄の採取に比べて細胞採取に伴う危険度も低く、(3)in vitro での実験で、肝臓や筋肉など多系統の細胞への分化の可能性が示唆されており、(4)移植後にガン化したという報告が未だない、からである。これらの利点は、もし仮にASCs がインスリン依存性糖尿病に対する移植治療へ応用可能であることが証明されれば、早期の臨床応用を目指す上で画期的なドナー細胞となりうることを示している。しかしながらASCs のもつ多分化能については、十分な知見は未だに得られていないのが現状である。そこで本研究では、分化誘導を行ったマウスASCs のインスリン依存性糖尿病に対する治療効果を評価するために、同細胞をインスリン依存性糖尿病モデルマウスへ移植し、ドナー細胞としての応用可能性について検討を行った。

本研究の構成は大きく3 つに分けられる。第一にインスリン依存性糖尿病モデルマウスの作製、第二にドナー細胞となるASCs の分化誘導、第三に得られたドナー細胞のインスリン依存性糖尿病モデルマウスへの移植と治療効果の評価、である。

まず、インスリン依存性糖尿病モデルマウスの作製を試みた。インスリン依存性糖尿病を誘発させる薬剤として広く使用されているストレプトゾトシン(STZ)をC57BL/6J マウスに投与し、インスリン依存性糖尿病モデルマウスを作製した。STZ 投与群のマウスではSTZ 投与5日後に血糖値が上昇し、かつ血清インスリン濃度及び耐糖能が低下していた。また膵組織切片を免疫染色により評価したところ、STZ 投与群のマウスの膵臓ではインスリン産生細胞が特異的に破壊されていた。以上の結果より、STZ 投与群のマウスはインスリン依存性糖尿病の病態を表していたため、インスリン依存性糖尿病モデルマウスの作製に成功したと結論づけた。

次に、ドナー細胞の作製を試みた。本研究ではASCs をインスリン依存性糖尿病に対して治療効果を有するドナー細胞へと分化させるためにin vitro で誘導を行った。その際に、特に本研究では、従来のin vitro で終末分化させてから移植する手法ではなく、in vitro では終末分化させずに幹細胞の状態で移植する手法に着目した。その理由は、現在、1 型糖尿病に対する細胞移植医療の現場では膵幹細胞及び膵前駆細胞を移植ソースとする手法が注目されつつあるためである。そこで本研究ではin vitro において分化誘導する際に、その方針を立てる上で着目した点は、ASCs を膵臓インスリン産生細胞への分化系譜へ方向付けすることである。in vitroで幹細胞を方向付けることにより、移植後にin vivo 環境下でインスリン産生細胞へと分化を進めやすく、かつ生体内のインスリン産生細胞と類似した機能を有した細胞へと成熟分化させることができる、と考えたからである。そこでin vitro での分化の方向付けを行う上で、膵臓の発生分化に関わる転写因子の中でも、中心的な働きを担う転写因子の1つであるPdx1 に注目し、レトロウイルスを用いてPdx1 をASCs へと導入することとした。レトロウイルスを使用した理由は、ASCs の分化状態の方向性を変えるためにはこのPdx1 を大量に、かつ長期間発現させる必要があると考えたためである。こうしてin vitro ではまだ終末分化させていない、インスリン産生細胞への分化系譜へと方向付けされたドナー細胞(Pdx1-ASCs)を作製した。

この作製したドナー細胞を、インスリン依存性糖尿病モデルマウスに移植した。その結果、インスリン依存性糖尿病モデルマウスの飽食時血糖値が10 週以上低下し、同時に血清インスリン濃度及び耐糖能が有意に上昇したこと、を示した。またドナー細胞移植群のマウスの膵組織切片を免疫染色により解析した結果、ドナー細胞が膵臓において本来インスリン産生細胞が存在していたと考えられる位置に生着しており、かつインスリンを産生していたことが明らかになった。さらにドナー細胞のガン化は認められず、安全性の高い細胞であることが示唆された。

本研究を通じて、2 つの大きな発見がなされた。1 つ目はPdx1 の一因子のみでASCs をインスリン産生細胞の分化系譜へと方向付けることが可能であること、2 つ目は終末分化させていないドナー細胞を移植することにより長期間病態の改善が可能であること、である。これらは本研究から得られた極めて重要な知見であり、ASCs の再生医療への応用可能性を再認識させ、かつ今後ASCs を中心とした細胞移植研究に大きく貢献すると考えられる。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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