学位論文要旨



No 125513
著者(漢字) 井村,祥子
著者(英字)
著者(カナ) イムラ,アキコ
標題(和) クラシックバレエの脚の動作分析 : ルルベとフェッテについて
標題(洋)
報告番号 125513
報告番号 甲25513
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第962号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 小嶋,武次
 東京大学 准教授 渡會,公治
 東京大学 准教授 柳原,大
 東京大学 教授 金久,博昭
 東京大学 教授 中澤,公孝
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的

ダンス科学の発展において,様々なダンスの基盤となっているバレエの動きを科学的に分析することは意義深い.しかし,バレエの動作分析は進んでいるとは言い難く,障害予防や教育指導の現場に生かせる科学的知見は乏しい.本研究では,バイオメカニクスの観点から,バレエ動作を理解することを目的とした.そこで,バレエの代表的回転技であるフェッテターンの回転の仕組みと,バレエで頻繁に使われる,脚の中程度の屈曲に次ぐ爪先立ち動作(ルルベ・アン・ポワント)の身体上昇の仕組みについて検討した.

フェッテターンの動作分析―連続回転の仕組み

バレエのフェッテターンは,連続回転が32回も行われる難易緯度の高い技である.本研究の目的は,そのターンの連続性について仕組みを調べるとともに,運動に必要な体肢の関節の発揮トルクを推定して,ターンに必要な体力を評価することであった.

ダンサー7名によるフェッテターンを高速度映画カメラ3台で撮影し,それと同時に捉えた床反力データにより,逆動力学の手法を用いて全身各セグメントの角運動量,床から作用する摩擦によるトルク,各関節での発揮トルクを算出した.連続回転の仕組みについて明らかになったのは,次のことである.

1.両肩関節と遊脚股関節において発揮される水平外転及び水平内転トルクによって体幹と体肢との間での角運動量の移動が起こり,それぞれの回転速度が変化する.つまりフェッテターンの回転方向にトルクが発揮されることで,右上肢と遊脚の角速度が増加し,それらの角運動量が増加する.このとき体幹の角運動量がそれらの体肢へ移動したため,体幹の角速度は減少する.

2.床からのトルクは,支持脚の足底が接地している間,体肢の身体長軸周りの回転によって増加し,外力として身体に作用する.これが角運動量を体肢に補充する.

3.遊脚の股関節及び右肩関節で水平内転トルクを発揮して,それらの体肢の回転を止める.このことで角運動量が体幹に移動し,体幹の角速度が再び増加する。つまり1とは逆の事柄が起きる.

4.左肩関節は,遊脚側の体肢とは逆方向に運動する.そのため遊脚の回転方向への加速が終わる時に,水平内転トルクが発揮される。その体幹への反作用は,体幹の前面が正面を向いている時間を長くすることに貢献する.

また、各関節での発揮トルクの強度の推定から,支持脚の股関節外転トルク,膝伸展トルク,足底屈トルクが最大に近いレベルで発揮され,回転中のバランス保持と下肢の屈伸を可能にしていることが分かった.

フェッテターンのシミュレーション―回転の達成のためのトルク発揮パターン

フェッテターンの動作分析によって,その回転の仕組みが明らかとなった.その回転のためのトルク発揮パターンは,回転速度の変化や,床の摩擦係数の変化に影響されうるが,ダンサーがどのようなトルク発揮でそれらに対応しているかは不明である.そこで本研究では,フェッテターンによる連続回転で,安定した回転を生み出す回転トルク発揮パターン,及び回転時間や摩擦係数の変化とそのパターンとの関連について調べることを目的とした.

平均的なダンサーの身体を,支持脚(L)及びそれ以外の部分(B)の二つに分けた.Bを回転させるトルクT,Bの初期角速度,Lに作用する床からの摩擦によるトルクTF,床との摩擦係数をモデルに入力し,それらのセグメントの身体長軸周りの角度及び角速度,一回転後の角速度の変化を調べた.そして次の結果を得た.

1.安定した回転のためのTとTFのコントロールにおいて,それらの積分値が1回転でそれぞれ0となるようなトルク発揮パターンとなり,モデルの妥当性が立証された.

2.回転時間や摩擦係数の変化に対し,発揮トルクの大きさを変え,発揮のタイミングを同じにして同様の回転角度を得られるトルク発揮パターンがあることが示された.これらのことから,発揮トルクの調整で回転の状況に応じることが出来ると分かった.

3.上体と支持脚の回転角度差が大きすぎないなどの,身体セグメントの配置の制約が発揮トルクの範囲を限定する原因となることが考えられた.

またこれらの結果から,大きな摩擦力の変化を伴う地上での身体運動のシミュレーションは可能であり,自由度の大きい多リンクセグメントのモデルによる回転のシミュレーションでの検討事項が明らかとなった.

ルルベ・アン・ポワントの分析―ターンアウトの機能的役割

バレエの下肢の運動は,全て脚の外旋(ターンアウト)を伴う.ルルベ・アン・ポワント(以下ルルベ)とは,トウシューズを履いてターンアウトをした下肢で行う,中程度の脚の屈曲後の軽い跳躍による爪先立ち動作のことである.これまでターンアウトによる股関節周りの筋の,上体の運動に対する作用などは詳しくは調べられていなかった.またルルベは,その間、上体の直立姿勢を保持する必要があり、脚による正確なバランス保持が要求されている。しかし、これまでの研究では膝・足関節の分析が主体となっており,股関節の運動と上体の運動の連関は検討されていなかった.股関節の矢状面に垂直な軸回りで発揮されるトルクは,上体の前後傾を引き起こす作用を持つ.したがって,ターンアウトによってそのトルクが前額面に垂直な軸周りにも成分を持つことで,上体の前後傾は少なくなると仮説を立てた.本研究の目的はルルベの下肢の動作分析を行い,上体の運動制御に関する仮説の検証を行うことであった.

ダンサー7名によるルルベをハイスピードビデオカメラ4台で撮影し,それと同時に計測した床反力データにより,逆動力学の手法を用いて股・膝・足関節での運動学及び運動力学データを算出した.また上体の前後傾及び左右傾の角度と角速度を求めた.その結果次のことが分かった.

1.ルルベの目的である身体上昇は主に膝・足関節の仕事により行われていた.

2.上体の前後傾及び左右傾は小さく.股関節では矢状面に垂直な軸回りの発揮トルクは小さく,前額面内に垂直な軸回りの発揮トルクは比較的大きかった.これはターンアウトした下肢でのルルベで生じる床反力の作用線が,股関節の前後の近い場所を通ったためであると考えられる.またターンアウトした両下肢での伸展は左右対称となり,前額面に垂直な軸回りの発揮トルクは相殺された.このことは上体の左右傾の安定化につながったと考えられる.

3.筋活動では,腓腹筋両頭,内・外側広筋の活動が足底屈や膝伸展に貢献していると考えられる.大腿二頭筋の大きな筋活動は,ターンアウトに見られる特徴であったが,その筋活動の理由は不明である.

これらの結果から,ターンアウトには脚伸展中に上体の安定に貢献するという機能的役割があると考えられる.

三つの研究から得られた視点―バレエにおける下肢の屈伸動作

これら三つの研究を通して,下肢の屈伸運動のコントロールが,バレエ運動において一つの重要な要素であると示唆された.シミュレーション研究から,フェッテターンでは床から作用する摩擦力に影響する垂直抗力,および地面との接地半径の調節が,回転の成否に関係することが示唆される.またフェッテターンの実験から,垂直抗力の変化は支持脚の屈伸により生み出され,そのトルク発揮での身体的負荷が比較的大きいことが推測された.またトウシューズによるプリエからの爪先立ちでは,身体の上昇において,支持脚の屈伸動作を調整して上体を安定させる方法が取られていた.

バレエにおける下肢の屈伸動作として,プリエは準備運動やジャンプなどの前に必ず用いられる.今後のバレエの研究では下肢の屈伸について,膝関節,股関節及び体幹回りの各筋の貢献を検討することが課題のひとつになると考える.また下肢の屈伸に関わる筋活動を考えることは,膝関節伸展における運動痛の予防や,ターンアウトの程度による上体の動きの補償の仕方の解明に役立つと考える.

本研究で導かれた結論

本研究の結果から,バレエ動作の仕組みに関する二つの知見を得た.一つは回転運動に関する知見であり,もう一つはターンアウトの身体運動における機能に関する知見である.前者に関しては,地上で行われる身体の長軸周りの回転が,床との摩擦に大きく影響されること,また回転に関わるトルク発揮のパターンを変えることにより,その摩擦の変化に対応できることが分かった.後者に関しては,矢状面内の股関節運動における上体の姿勢保持との関連以外に,その面内から外れて脚の運動が起こることで上体の姿勢保持が強化されることが分かった.また検証した二つのバレエ動作では,ともに鉛直方向の床反力のコントロールが動作を遂行するための要となっており,下肢の屈伸に関するコントロールが重要であることが分かった.

審査要旨 要旨を表示する

井村祥子氏の提出した「クラシックバレエの脚の動作分析 ~ルルベとフェッテについて~」と題する本論文は、クラシックバレエで用いられる連続回転動作を代表するフェッテターン(以下フェッテと略す)についてバイオメカニクスの観点から動作分析を行い、1)連続回転を可能にする身体の使い方を明らかにし、その際の運動強度を推定し、2)簡単な数学モデルを用いてそのターンのコンピュータシミュレーションを行い、回転の速さ及び接地足と床との間の摩擦係数が連続回転を可能にする関節トルク発揮に及ぼす影響を明らかにした。さらに、クラシックバレエで爪先立ちの方法として頻繁に用いられるルルベ・アン・ポワント(以下ルルベと略す)について同様の観点から動作分析を行い、3)クラシックバレエの特徴であるターンアウト(股関節と膝(下腿)関節を外旋位に保つ)と上体を鉛直位に保つことの間に機能的な関連があることを初めて明らかにし、加えて1)、2)、3)で得られた知見の意義を述べたものである。

フェッテの連続回転の仕組みについては、熟練した7 名の女性バレエダンサーの同ターンの動作分析により、既に提唱されていた連続回転を可能にする仕組みについての仮説の妥当性を明らかにした。つまり、ダンサーは支持足の足底が床についているときに、遊脚及びそれと同側の上肢の回転方向へのスイングにより、床から外力として身体に作用する回転方向へのトルクを生み出し、その前の爪先立っての回転で床との摩擦により失われる身体の角運動量を補っていた。これらのことを、3台の高速度映画カメラと1台の床反力計を用い、体幹及び体肢の角運動量の算出及び床反力計から支持足に作用したトルクの鉛直軸成分の算出によって、明らかにした。さらに、仮説では言及されていなかった支持脚側の上肢の役割が明らかになった。フェッテでは、上体を観客の正面に向けるに際し、その時間を長くすることが審美性の観点から要求される。支持脚側の肩関節で開いた上肢を水平内転させて閉じる際に発揮される内転トルクの反作用が上体の回転速度の増大を遅らせ、その時間を長くすることに役立っていることが明らかになった。

フェッテにおける体肢の運動強度については、体肢の主な関節でのトルク発揮を逆動力学により求め、先行研究で報告されている最大努力での発揮トルクとの比較により、その推定を行った。その結果、一般的には、遊脚とそれと同側の上肢のスイングのための運動強度よりも、支持脚屈伸のための運動強度が高いことが明らかになった。特筆すべきことは、支持脚の屈伸に直接関わりのない同脚股関節外転の発揮トルクも大きいことを明らかにしたことである。これは、遊脚のスイング由来の身体バランスの崩れを防ぐために、上体を遊脚と反対側にずらす必要から生ずることが明らかとなった。その結果、支持脚の屈伸に関わる筋のみならず、股関節外転に関わる筋のトレーニングもこのターンのためのトレーニングとして有効であることが示唆された。

フェッテを可能にする身体のトルク発揮に及ぼす回転の速さと支持足と床との間の摩擦係数の影響を、遊脚とそれ以外の身体部分からなる2セグメント数学モデルを用いてコンピュータシミュレーションにより調べた。その際、身体質量中心を通る鉛直軸周りの身体の慣性モーメントと鉛直方向の床反力及び足底の接床面積は、実験で得られた値を簡単な曲線で近似して用いた。また、身体が発揮する鉛直軸方向のトルクのパターンも実験で得られたそれに基づいたが、最大値、最小値及びそれらを結ぶ曲線の傾きは変数とした。

ダンサーがフェッテを行った実験条件に近い回転速度と床との摩擦係数を用いて、連続回転が可能になる身体のトルク発揮を調べ、回転が可能となる先の3変数の組み合わせを求め、それらの範囲を確定した。その後、回転の速さと摩擦係数の値を変えて組み合わせ、それに応じた連続回転が可能となる3変数の組み合わせの範囲を確定した。その結果、回転速度が大きくなるに伴い3変数の組み合わせが取れる範囲が狭くなり、実際のターンを行う場合に遊脚の動作のバリエーションが少なくなることが予想された。また、床の摩擦係数が大きくなると遅めの回転は不可能となり、体肢のスイングに必要な関節トルクの発揮能力が低いと、それは回転の制限要因になることが明らかになった。

クラシックバレエを特徴づける動作に、ターンアウトと上体を鉛直位に保つことがある。ターンアウトを伴わずに、両足を前後方向に向けて揃えて立つと、股関節で発揮される屈伸トルクは身体の矢状面に垂直な成分のみを持ち、上体(骨盤)を前後方向へ傾ける作用を持つ。一方、ターンアウトして立つと、股関節屈伸トルクの矢状面に垂直な成分は減り、前額面に垂直な成分が増える。後者の成分が上体に及ぼす作用は、左右の股関節での発揮トルクが同様であれば相殺される。よって、両脚の股関節で同様にトルク発揮がされる場合には、ターンアウトにより上体の動揺を軽減できると考えられる。これを作業仮説とし、高速度ビデオカメラと床反力計を用い、ターンアウトした直立位からの脚の屈伸により爪先立つルルベの際に脚の関節で発揮されるトルクを、7名の熟練した女性バレエダンサーについて調べた。その結果、股関節伸展トルクの矢状面に垂直な成分は前額面に垂直な成分に比べて小さく、後者の成分のほとんどは、対側の同成分によって相殺されることが明らかになった。このことから、作業仮説の妥当性が確かめられ、ターンアウトは上体の鉛直位の保持を容易にする機能を持つことが示唆された。クラシックバレエでのターンアウトは審美性の観点から必要とされており、上体の鉛直位の保持も同じ観点から必要とされている。この両者が機能的な関連を持つということが示唆されたことは重要である。

以上のように井村祥子氏の論文は、フェッテとルルベというクラシックバレエの代表的な動作2つを取り上げ、主に脚の働きに焦点を当てて動作分析を行い、回転の仕組みとそれに必要な体力水準、足と床との摩擦が回転動作に及ぼす影響、及び審美性の観点から必要とされているターンアウトの機能的意味について新知見を提供した。したがって、本審査委員会は全員一致して、博士(学術)の学位を授与されるにふさわしいと認定した。

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