学位論文要旨



No 125517
著者(漢字) 檜山,聡
著者(英字)
著者(カナ) ヒヤマ,サトシ
標題(和) キネシン駆動型DNA修飾微小管を利用した分子配送システムの構築と分子通信への展開
標題(洋)
報告番号 125517
報告番号 甲25517
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第966号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 教授 豊島,陽子
 東京大学 教授 陶山,明
 東京大学 准教授 佐藤,健
 東京大学 准教授 竹内,昌治
内容要旨 要旨を表示する

携帯電話に代表される我々が普段使用している通信機器は,電磁波(電気・光信号)を情報媒体として,文字や映像といった情報を伝達している.一方,電磁波による通信が行われるよりも遥か昔から,数十億年という歳月をかけて進化してきた生物界においては,分子(化学信号)を情報媒体とした多様かつ精緻な分子システムが存在している.このような分子を介した情報伝達機構を人為的な設計・制御の下で再構築することができれば,電磁波を使った既存の通信技術では困難であった生体の現象や状態などの生化学的な情報の伝達や,タンパク質やDNA,脂質などを通信デバイスの素材として利用する新たな通信モデルや通信システムが創出できるかもしれない.私は世界に先駆けて,この概念を「分子通信(molecular communication)」と名付け,その実現化に向けた研究を進めている.

分子通信とは,情報が符号化された分子(タンパク質やDNAなどを含む化学物質)の伝送を制御することによって,情報のみならず実体を有する分子そのものを伝達し,その分子を受容(受信)した受信側に生化学反応を生起する新たな情報通信機構のことを指す(第1章).分子通信を実現するシステムは,(1) 情報が符号化された分子(情報分子)を送出する分子送信機,(2) 生化学的・物理的な性質が異なる各種の情報分子を同一の分子伝送システムにて統一的に伝送を行うことを可能とする分子通信インターフェース,(3) 情報分子を分子送信機から分子受信機まで伝達する分子伝送システム,(4) 伝送された情報分子を受信して情報の復号化に相当する生化学反応を行う分子受信機から構成される.分子通信は,ナノテクノロジー,バイオテクノロジーおよび通信工学分野を融合した学際的かつ萌芽的な研究分野であるため,(1) ~ (4)の各研究対象には多くの研究課題が残されている.その中でも本研究では,分子伝送システムの構築に焦点を当て,モータータンパク質「キネシン」と管状タンパク質「微小管」の働きによる生細胞内における物質流通システムとしての能動輸送機構を,人工的な環境下で再構築を行うことで,キネシンによって駆動される微小管を利用した能動的分子配送システムの実現性について検証した.

まず,キネシンによって駆動される微小管を利用した分子システムの先行研究例を幾つか紹介しながら既存システムの問題点を明らかにし,ガラス基板上に固定化したキネシン上を滑走運動する微小管に所望の積み荷分子を荷積みして目的地まで輸送し,目的地で微小管からその積み荷分子を荷降ろす一連の動作を,外部からの制御を導入することなく自律的に行うことのできる分子配送システムを提案した(第2章).本提案システムでは,微小管,積み荷分子,目的地のガラス基板上に各々一本鎖DNAを結合することで,相補となる一本鎖DNA間で特異的かつ自律的に二本鎖DNAが形成される現象(二本鎖形成反応・鎖交換反応)を利用して,積み荷分子の微小管への荷積みと,目的地での微小管からの積み荷分子の荷降ろしを行うシステム設計としている(図1).モデル積み荷分子として,生化学的・物理的に安定な粒子(マイクロビーズ)を用いて,溶液中を浮遊している輸送対象のマイクロビーズを荷積み・輸送・荷降ろし可能かを統計実験データに基づいて検証した.その結果,マイクロビーズに結合した一本鎖DNAと微小管に結合した一本鎖DNAとが相補鎖である場合に,滑走運動する微小管にマイクロビーズが有意に荷積み・輸送された.また,マイクロビーズに結合した一本鎖DNAと荷降ろし場所に固定化した一本鎖DNAとが相補鎖である場合に,滑走運動する微小管からマイクロビーズが有意に荷降ろしされた.つまり,一本鎖DNAの塩基配列を識別子として制御性よくマイクロビーズの荷積み・輸送・荷降ろしが可能であることが分かった.

次に,微細加工技術を導入することで,溶液中を浮遊しているマイクロビーズだけでなく,ガラス基板上のある特定の場所に二本鎖形成反応にて緩く固定化したマイクロビーズの積み出し輸送を可能とするシステムを提案すると共に,マイクロビーズの荷積みと荷降ろしの様子を顕微鏡観察映像による可視化を図った(第3章).具体的には,荷積み場所用の一本鎖DNAないしは荷降ろし場所用の一本鎖DNAのマイクロアレイをガラス基板上に作製して各々荷積み場所・荷降ろし場所とした.荷積み場所にはマイクロビーズを二本鎖形成反応にて固定化して微小管を滑走させ,荷降ろし場所にはマイクロビーズを荷積みした微小管を滑走させた.その経時変化を顕微鏡で観察した結果,荷積み場所では相補鎖を結合したマイクロビーズの微小管による積み出し輸送現象が観察され,相補鎖を固定化した荷降ろし場所では微小管からのマイクロビーズの荷降ろし現象が観察された.つまり,本提案システムでは,塩基配列を識別子とした特異的かつ自律的な二本鎖形成反応・鎖交換反応によって,基板上の特定場所から特定場所へ積み荷分子を配送可能であることが分かった.なお,本提案システムでは,ナノスケールからマイクロスケールまでの粒子(量子ドットや様々な粒径のマイクロビーズ)を荷積み・輸送・荷降ろし可能であり,汎用性の高さが示唆される.

続いて,モデル積み荷分子として,タンパク質やDNAなどの機能性分子・情報分子を内包可能な人工膜小胞(リポソーム)を用いて,提案する分子配送機構が無機質な粒子だけでなく,中空構造を有するナノスケールからマイクロスケールの有機分子カプセルも安定的に荷積み・輸送・荷降ろし可能かを検証した(第4章).その結果,リポソームに結合した一本鎖DNAと微小管に結合した一本鎖DNAとが相補鎖である場合に,滑走運動する微小管にリポソームが有意に荷積み・輸送され,リポソームに結合した一本鎖DNAと荷降ろし場所に固定化した一本鎖DNAとが相補鎖である場合に,滑走運動する微小管からリポソームが有意に荷降ろしされた.つまり,本提案システムは,ナノスケールからマイクロスケールのリポソームを破裂させることなく,安定的に荷積み・輸送・荷降ろし可能であることが分かった.

以上の結果から,提案した分子配送システムを用いると,情報分子を内包したリポソーム(分子通信インターフェース)を分子送信機から分子受信機まで,一本鎖DNAの塩基配列を識別子として選択的かつ自律的に配送可能となり,本研究によって分子通信システムにおける分子伝送技術の基礎を確立できたと結論付けられる(第5章).情報分子を内包したリポソームを分子受信機に配送した後に,輸送した情報分子に応じた生化学反応を分子受信機内部で生起する分子通信システムの構築は今後の課題である.

図1.提案する分子配送システムの設計概念図

(a) 基板上に固定化されたキネシン上を滑走運動する微小管と,情報分子に相当する積み荷には,各々一本鎖DNA(ssDNA)を結合しており,微小管に結合した短いssDNA(桃色)と積み荷Bに結合した長いssDNA(青色)は相補鎖である.(b) 微小管が荷積み場所を通過すると,相補鎖を有する積み荷Bが二本鎖形成反応によって微小管に荷積みされ,輸送される.(c) 微小管に荷積みされた積み荷Bは,荷降ろし場所に向かって輸送される.(d) 荷降ろし場所には,ssDNAを基板上に固定化しており,積み荷Bに結合したssDNA(青色)と荷降ろし場所Bに結合したssDNA(橙色)は同一の鎖長で相補鎖である.積み荷Bを荷積みした微小管が荷降ろし場所を通過すると,相補鎖が固定化された荷降ろし場所Bにて積み荷Bが鎖交換反応によって微小管から荷降ろしされる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、タンパク質やDNAなどを含む化学物質を発信・伝送し,その分子を受容(受信)した受信側で生化学反応を生起するようなin vitroの系(「分子通信」)を確立するという目的に向けた研究、特に、分子伝送システムの構築に焦点を当てた研究について述べている.具体的には、モータータンパク質「キネシン」とチューブリンの重合体「微小管」の働きによる生細胞内における物質流通システムとしての能動輸送機構を,人工的な環境下で再構築を行うことで,キネシンによって駆動される微小管を利用した能動的分子配送システムの実現性を検証した.

まず,キネシンによって駆動される微小管を利用し,ガラス基板上に固定化したキネシン上を滑走運動する微小管に所望の積み荷分子を荷積みして目的地まで輸送し,目的地で微小管からその積み荷分子を荷降ろす一連の動作を,外部からの制御を導入することなく自律的に行うことのできる分子配送システムを設計した.本提案システムでは,微小管,積み荷分子,目的地のガラス基板上に各々一本鎖DNAを結合することで,相補となる一本鎖DNA間で特異的かつ自律的に二本鎖DNAが形成される現象(二本鎖形成反応・鎖交換反応)を利用して,積み荷分子の微小管への荷積みと,目的地での微小管からの積み荷分子の荷降ろしを行うシステム設計としている.モデル積み荷分子として,生化学的・物理的に安定な粒子(マイクロビーズ)を用いて,溶液中を浮遊している輸送対象のマイクロビーズを荷積み・輸送・荷降ろし可能かを統計実験データに基づいて検証した.その結果,マイクロビーズに結合した一本鎖DNAと微小管に結合した一本鎖DNAとが相補鎖である場合に,滑走運動する微小管にマイクロビーズが有意に荷積み・輸送された.また,マイクロビーズに結合した一本鎖DNAと荷降ろし場所に固定化した一本鎖DNAとが相補鎖である場合に,滑走運動する微小管からマイクロビーズが有意に荷降ろしされた.つまり,一本鎖DNAの塩基配列を識別子として制御性よくマイクロビーズの荷積み・輸送・荷降ろしが可能であることが分かった.

次に,微細加工技術を導入することで,溶液中を浮遊しているマイクロビーズだけでなく,ガラス基板上のある特定の場所に二本鎖形成反応にて緩く固定化したマイクロビーズの積み出し輸送を可能とするシステムを提案すると共に,マイクロビーズの荷積みと荷降ろしの様子を顕微鏡観察映像による可視化を図った.具体的には,荷積み場所用の一本鎖DNAないしは荷降ろし場所用の一本鎖DNAのマイクロアレイをガラス基板上に作製して各々荷積み場所・荷降ろし場所とした.荷積み場所にはマイクロビーズを二本鎖形成反応にて固定化して微小管を滑走させ,荷降ろし場所にはマイクロビーズを荷積みした微小管を滑走させた.その経時変化を顕微鏡で観察した結果,荷積み場所では相補鎖を結合したマイクロビーズの微小管による積み出し輸送現象が観察され,相補鎖を固定化した荷降ろし場所では微小管からのマイクロビーズの荷降ろし現象が観察された.つまり,本提案システムでは,塩基配列を識別子とした特異的かつ自律的な二本鎖形成反応・鎖交換反応によって,基板上の特定場所から特定場所へ積み荷分子を配送可能であることが分かった.なお,本提案システムでは,ナノスケールからマイクロスケールまでの粒子(量子ドットや様々な粒径のマイクロビーズ)を荷積み・輸送・荷降ろし可能であり,汎用性の高さが示唆される.

さらに,モデル積み荷分子として,タンパク質やDNAなどの機能性分子・情報分子を内包可能な人工膜小胞(リポソーム)を用いて,提案する分子配送機構が無機質な粒子だけでなく,中空構造を有するナノスケールからマイクロスケールの有機分子カプセルも安定的に荷積み・輸送・荷降ろし可能かを検証した.その結果,リポソームに結合した一本鎖DNAと微小管に結合した一本鎖DNAとが相補鎖である場合に,滑走運動する微小管にリポソームが有意に荷積み・輸送され,リポソームに結合した一本鎖DNAと荷降ろし場所に固定化した一本鎖DNAとが相補鎖である場合に,滑走運動する微小管からリポソームが有意に荷降ろしされた.つまり,本提案システムは,ナノスケールからマイクロスケールのリポソームを破裂させることなく,安定的に荷積み・輸送・荷降ろし可能であることが分かった.

以上の結果から,提案した分子配送システムを用いると,情報分子を内包したリポソーム(分子通信インターフェース)を分子送信機から分子受信機まで,一本鎖DNAの塩基配列を識別子として選択的かつ自律的に配送可能となり,本研究によって分子通信システムにおける分子伝送技術の基礎を確立できたと結論付けられる.

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する.

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