学位論文要旨



No 125521
著者(漢字) 下,聡介
著者(英字)
著者(カナ) ヤギシタ,ソウスケ
標題(和) 酵母膜画分を用いたγセクレターゼの無細胞アッセイ系
標題(洋)
報告番号 125521
報告番号 甲25521
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第970号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
 東京大学 准教授 坪井,貴司
 東京大学 教授 久保田,俊一郎
 東京大学 准教授 増田,建
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

γセクレターゼは,プレセニリン(presenilin, PS),ニカストリン,Aph-1,Pen-2 の4種類の膜タンパク質が複合体を形成して活性を持つ酵素であり,様々な膜タンパク質の切断に寄与している(Kimberly et al., 2003; Takasugi et al., 2003; Edbauer et al., 2003)。その基質としてよく知られているものの一つにアミロイド前駆体タンパク質(amyloid precursor protein, APP)がある。APP がβセクレターゼ(β-site APP cleaving enzyme 1:BACE1)によって切断されたときにできるC 末端側の断片である99 アミノ酸残基のC99 をγセクレターゼが切断し,アミロイドβタンパク質(amyloid β-protein, Aβ)が産生される(Selkoe, 2001)。Aβはアルツハイマー病の脳内に見られる老人斑を構成する成分であり,アルツハイマー病の病因であると考えられているタンパク質である。

産生されるAβとしては主に2種類が知られており,それらはAβの有するアミノ酸残基数を付して,それぞれあAβ40,Aβ42と呼ばれている。Aβ42はAβ40よりも凝集性が強く,アルツハイマー病脳内に先に蓄積することが剖検脳を用いて明らかにされている(Iwatsubo et al., 1994)。

Aβ40,Aβ42 を産生する箇所をγ切断部位と呼ぶが, γセクレターゼがC99 を切断する場所はγ 切断部位以外にも,そのC 末端側に複数存在することが知られている。その中でも特に重要なのは,Aβ48,Aβ49 を産生する箇所であるε 切断部位である(Gu et al.,2001)。これまでのいくつかの報告から,γ セクレターゼはまずC99 をε 切断部位で切断してAβ48,Aβ49 を産生し,それらをC 末端側から3 残基ごとに切断してAβ40 やAβ42 を産生していることが示唆されている(Sato et al., 2003; Funamoto et al., 2004;Qi-Takahara et al., 2005; Yagishita et al., 2006)。この仮説はトリペプチド仮説と呼ばれる。これによれば,Aβ40 はAβ49 からAβ46,Aβ43 を経て産生され,Aβ42 はAβ48 からAβ45を経て産生されることになる。

私は以前,脂質ラフト画分を用いたin vitro アッセイ系を樹立し,この系を用いてAβ46がγセクレターゼによって,Aβ40 とAβ43 へと切断され,Aβ42 へとは切断されないということを明らかにした(Yagishita et al., 2008a)。この結果は,トリペプチド仮説を強く指示するものである。

本研究では,さらに詳しくγ セクレターゼの酵素学的解析をin vitro で試みるため,酵母を用いた実験系の樹立をすることとした。

酵母を用いた理由としては,

[1] 内在性のγ セクレターゼやAPP が存在しないので,内在性因子の影響がない

[2] 遺伝子組み換えが容易である

[3] 目的のタンパク質を高レベルで発現できることが挙げられる。

【本論文の内容】

1. 酵母膜画分におけるγ セクレターゼ活性の再構築

生化学的解析用に作成したPEP4 欠損酵母株PJ69-4Apep4Δ (genotype: MATa, trp1-901,leu2-3,112, ura3-52, his3-200, gal4Δ, gal80Δ, GAL2-ADE2, LYS2::GAL1-HIS3,met2::GAL7-lacZ, pep4::kanMX)に,γ セクレターゼ複合体を構成するPS,ニカストリン,Aph-1,Pen-2 および基質であるC99 を発現させた。

この酵母から膜画分を採取し,gamma Buffer(50mM PIPES, pH 7.0, 250mM Sucrose,1mM EGTA)で懸濁した後,無細胞アッセイに供した。

その結果,基質C99 からのAβ産生を確認した。これは,酵母の膜画分においても,正しくγセクレターゼ活性が再構築できたことを示唆する。そこで,私はここで再構築されたγセクレターゼ活性が,哺乳類細胞で再構築したときのそれと同等なのかどうかを検討することにした。以下の点について検討を行い,全て哺乳類細胞で再構築されたγ セクレターゼと同等であることを確認した。

[1] 0.25% CHAPSO 存在下でAβ 産生活性が上昇する。

[2] 0.1% ホスファチジルコリン(PC)存在下でAβ 産生活性が上昇する。

[3] γ セクレターゼ阻害剤L-685,458 で活性が阻害される。

[4] 至適pH が7.0 である。

次に,同様のことをC99 の細胞質側部分をほとんど削ったC55 を基質としても行い,C99 と同様にγ セクレターゼの基質となることを確認した。なお,酵母の内在性因子にC55 を切断する活性を持つものがあることを見出したが,この活性はPC の添加によって阻害された。よって,PC を添加した条件においては,酵母内在性因子の寄与は無視できることになる。

これらの結果は,酵母内においても哺乳類細胞内におけるのと同等のγセクレターゼを再構築できたことを示しており,哺乳類細胞の内在性因子の影響のない新しいγセクレターゼのアッセイ系の樹立に成功したと言える(Yagishita et al., 2008b)。

2. Aβ48,Aβ49 の切断の検討

上記で新たに樹立したアッセイ系を用いて,私は「Aβ49,Aβ48 はin vitro でそれぞれAβ40,Aβ42 へと切断されるか」という課題に取り組もうと考えた。この問題については,現在までのところ示唆はされているが,直接的に生化学的手法で証明はなされていないからである。

そこで,酵母にAβ48,Aβ49 を発現させて上記の方法でアッセイをした。しかし,予想に反してAβ 産生は検出できなかった。

酵母に発現させたγ セクレターゼの活性が低いのではないかと考えて,次に私は,酵母に発現させた基質を,哺乳類細胞の一種であるChinese hamster ovary(CHO)細胞由来のγセクレターゼによって切断させるという実験系も新たに樹立した。この系では,CHO 細胞の全膜画分を酵素として用い,酵母膜画分を基質として用い,両者を1%CHAPSO 存在下で混合した後,上記の系と同様にアッセイを行った。基質としてC99やC55 を用いた場合には,γセクレターゼ依存的なAβ 産生を認めた。しかし,基質としてAβ48,Aβ49を用いた場合には,γセクレターゼ依存的なAβ 産生を認めなかった。

さらに, Aβ48,Aβ49をコードするDNAからmRNAをin vitro で作製し,そこからタンパク質合成反応を行わせて基質を得ようと試みた。しかし,膜指向性を持たせるために付加したAPP 自身のシグナルペプチドがin vitro で切断されず,γセクレターゼの基質となり得るA48,Aβ49を得ることができなかった。

このように,Aβ48,Aβ49 はin vitro assay 系においてはAβ40 やAβ42 へとは切断されない。この理由として,以下のことが考えられた。

[1] Aβ48,Aβ49 の膜に対する配向が正しくなされていない。

[2] Aβ48,Aβ49 の凝集反応が優先的に進行している。

[3] ε 切断がないとγ 切断が進行しないという制約がある。

[4] Aβ48,Aβ49 がγ セクレターゼに基質として認識されていない。

3. γ セクレターゼ阻害剤DAPT の作用機序についての検討

γセクレターゼ阻害剤DAPT は,アッセイ系によってその効果が大きく違うことが知られている。培養細胞に作用させたときはC 末端側の長いAβの貯留を引き起こす(Qi-Takahara et al., 2005; Yagishita et al., 2006)のに対し,可溶化した膜画分を用いたアッセイ系では濃度依存的にAβ産生を阻害する(Kakuda et al., 2006)。

そこで,本研究のアッセイ系では,DAPT がどのように作用するのかを確かめることとした。その結果,C 末端側の長いAβ の貯留を引き起こすことなく,濃度依存的なAβ 産生抑制を確認した。

4. 酵母内在性因子についての検討

酵母の内在性因子の中に私はC55 を切断する因子があることを認めた。この因子によるC55 切断活性は L-685,458 で阻害された。この因子の正体は,酵母内に存在するSignal peptide peptidase(SPP)ではないかと考えられた。SPP はγ セクレターゼに相同性のある酵素として知られており,特に哺乳類SPP はγ セクレターゼの簡易的なモデルとしてよく研究されている。現在までに,哺乳類SPP は,L-685,458 によって阻害されるが, DAPT では阻害されず,(Z-LL)2 Ketone によって阻害されることが知られている。

本研究で見出した酵母内在性因子が同様の性質を有しているかどうかを確認したところ,DAPT では阻害されず,(Z-LL)2 Ketone によって阻害されることを見出した。

よって,酵母内在性因子はSPP である可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

γセクレターゼは,プレセニリン(presenilin,PS),ニカストリン,Aph-1,Pen-2の4種類の膜タンパク質が複合体を形成して活性を持つ酵素であり,様々な膜タンパク質の切断に寄与している。特にアルツハイマー病との関連が有名であり,その関連基質がアミロイド前駆体タンパク質(amyloid precursor protein,APP)である。APPがβセクレターゼ(β-site APP cleaving enzyme1:BACE1)によって切断されたときにできるC末端側の断片である99アミノ酸残基のC99をγセクレターゼが切断し,アミロイドβタンパク質(amyloid β-protein,Aβ)が産生される。

Aβはアルツハイマー病の脳内に見られる老人斑を構成する成分であり,アルツハイマー病の病因であると考えられているタンパク質である。産生されるAβとしては主に2種類が知られており,それらはAβの有するアミノ酸残基数を付して,それぞれAβ40,Aβ42と呼ばれている。Aβ42はAβ40よりも凝集性が強く,アルツハイマー病脳内に先に蓄積することが剖検脳を用いて明らかにされている。

Aβ40,Aβ42を産生する箇所をγ切断部位と呼ぶが,γセクレターゼがC99を切断する場所はγ切断部位以外にも,そのC末端側に複数存在することが知られている。その中でも特に重要なのは,Aβ48,Aβ49を産生する箇所であるε切断部位である。これまでのいくつかの報告から,γセクレターゼはまずC99をε切断部位で切断してAβ48,Aβ49を産生し,それらをC末端側から3残基ごとに切断してAβ40やAβ42を産生していることが示唆されている。この仮説はトリペプチド仮説と呼ばれる。これによれば,Aβ40はAβ49からAβ46,Aβ43を経て産生され,Aβ42はAβ48からAβ45を経て産生されることになる。

論文提出者は,以前に脂質ラフト画分を用いたin vitroアッセイ系を樹立し,この系を用いてAβ46がyセクレターゼによって,Aβ40とAβ43へと切断され,Aβ42へとは切断されないということを明らかにし,トリペプチド仮説を強く指示した(Yagishita eta1。,J.Biol.Chem.,2008)。

論文提出者は,学位請求論文において,さらに詳しくγセクレターゼの酵素学的解析をin vitroで試みるため,酵母を用いた新しい実験系の樹立に成功した。

【本論文の骨子】

1.酵母膜画分におけるγセクレターゼ活性の再構築

論文提出者は,生化学的解析用にPEP4欠損酵母株PJ69-4Apep4△(genotype:MATa,trp1-901,leu2-3,112,ura3-52,his3-200,gat4Δ,8al80Δ,GAL2-ADE2,LYS2::GAL1-HIS3,met2::GAL7-lacZ,pep4::kanMX)を作製し,γセクレターゼ複合体を構成するPS,ニカストリン,Aph-1,Pen-2および基質であるC99を発現させた。そして,この酵母から膜画分を採取し,無細胞アッセイに供した。その結果,基質C99からのAβ産生を確認した。これは,酵母の膜画分においても,正しくγセクレターゼ活性が再構築できたことを示唆する。次に,ここで再構築されたγセクレターゼ活性が,哺乳類細胞で再構築したときのそれと同等なのかどうかを以下の四点から検討を行い,全て哺乳類細胞で再構築されたγセクレターゼと同等であることを確認した。

[1]0.259。CHAPSO存在下でAβ産生活性が上昇する。

[2]0.1%ホスファチジルコリン(PC)存在下でAβ産生活性が上昇する。

[3]γセクレターゼ阻害剤L-685,458で活性が阻害される。

[4]至適pHが7.0である。

次に,同様のことをC99の細胞質側部分をほとんど削ったC55を基質としても行い,C99と同様にγセクレターゼの基質となることを確認した。なお,酵母の内在性因子にC55を切断する活性を持つものがあることを新たに見出したが,この活性はPCの添加によって阻害された。よって,PCを添加した条件においては,酵母内在性因子の寄与は無視できることになる。

これらの結果は,酵母内においても哺乳類細胞内におけるのと同等のγセクレターゼを再構築できたことを示しており,論文提出者は,哺乳類細胞の内在性因子の影響のない新しいγセクレターゼのアッセイ系の樹立に成功したと言える。

2.Aβ48,Aβ49の切断の検討

上記で新たに樹立したアッセイ系を用いて,論文提出者は,「Aβ49,Aβ48はin vitroでそれぞれAβ40,Aβ42へと切断されるか」という課題に取り組んだ。この問題はγセクレターゼの基質切断機序解明の上で非常に重要な問題であるが,直接的に生化学的手法で証明はなされていない。

そこで,論文提出者は,酵母にAβ48,Aβ49を発現させて上記の方法でアッセイをした。しかし,予想に反してAβ産生は検出できなかった。

酵母に発現させたγセクレターゼの活性が低いのではないかとの認識から,論文提出者は,酵母に発現させた基質を,哺乳類細胞の一種であるChinese hamster ovary(CHO)細胞由来のγセクレターゼによって切断させるという実験系も新たに樹立した。この系は,CHO細胞の全膜画分を酵素として,酵母膜画分を基質としてそれぞれ用い,両者を1%CHAPSO存在下で混合した後,上記の系と同様にアッセイを行うというものである。基質としてC99やC55を用いた場合には,γセクレターゼ依存的なAβ産生を認めた。しかし,基質としてAβ48,Aβ49を用いた場合には,γセクレターゼ依存的なAβ産生を認めなかった。

さらに,Aβ48,Aβ49をコードするDNAからmRNAをin vitroで作製し,そこからタンパク質合成反応を行わせて基質を得ようと試みてもいるが,APP自身のシグナルペプチドがin vitroで切断されず,γセクレターゼの基質となり得るAβ48,Aβ49を得ることができなかった。

このように,Aβ48,Aβ49はin vitro assay系においてはAβ40やAβ42へとは切断されない。この理由として,論文提出者は,以下のことを想定している。

[1]Aβ48,Aβ49の膜に対する配向が正しくなされていない。

[2]Aβ48,Aβ49の凝集反応が優先的に進行している。

[3]ε切断がないとγ切断が進行しないという制約がある。

[4]Aβ48,Aβ49がγセクレターゼに基質として認識されていない。

3.γセクレターゼ阻害剤DAPTの作用機序についての検討

γセクレターゼ阻害剤DAPTは,アッセイ系によってその効果が大きく違うことが知られている。培養細胞に作用させたときはC末端側の長いAβの貯留を引き起こすのに対し,可溶化した膜画分を用いたアッセイ系で信濃度依存的にAβ産生を阻害する。

論文提出者は,本研究のアッセイ系では,DAPTがどのように作用するのかを確かめることとした。その結果,C末端側の長いAβの貯留を引き起こすことなく,濃度依存的なAβ産生抑制を確認した。

4.酵母内在性因子についての検討

論文提出者は,本論文の研究を遂行する過程において,C55を切断する因子が酵母の内在性因子の中に存在することを見出した。論文提出者は,この因子の正体として酵母内に存在するSignal peptide peptidase(SPP)を想定し,それを検証する実験を行った。

SPPはγセクレターゼに相同性のある酵素として知られており,特に哺乳類SPPはγセクレターゼの簡易的なモデルとしてよく研究されている。現在までに,哺乳類SPPは,L-685,458によって阻害されるが,DAPTでは阻害されず,(Z-LL)2 Ketoneによって阻害されることが知られている。

論文提出者が,本研究で見出した酵母内在性因子について阻害剤実験を行ったところ,L-685,458および(Z-LL)2 Ketoneによって阻害され,DAPTでは阻害されないことを見出した。よって,酵母内在性因子はSPPである可能性が示唆された。

したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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