学位論文要旨



No 125525
著者(漢字) 高橋,重一
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,シゲカズ
標題(和) 高等植物細胞内のヘム輸送機構の解明に向けた基礎研究
標題(洋) Fundamental studies for the elucidation of distribution mechanism of heme in higher plant cells
報告番号 125525
報告番号 甲25525
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第974号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 増田,建
 東京大学 教授 伊藤,元己
 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 教授 佐藤,直樹
 東京大学 教授 池内,昌彦
内容要旨 要旨を表示する

【背景と目的】

ヘムは、プロトポルフィリンIXと鉄から成るテトラピロール分子であり、酸素運搬、電子伝達等の多様な生理機能を果たしている。テトラピロール中間体は光増感作用を示す為、その生合成および蓄積は厳密に制御されることが知られている。この生合成制御においても、ヘムはフィードバック阻害物質として中心的な役割を果たしている。さらに最近、ヘムが細胞内シグナルとして、核の転写制御などに関わることが明らかとなってきた。高等植物細胞内でのヘム生合成は葉緑体で行われるが、ヘムを補欠分子族として要求するヘムタンパク質は葉緑体に限らず、ミトコンドリア、ペルオキシソーム、小胞体、細胞質等の、細胞内の多様なオルガネラに存在している。従って、細胞内にはヘムの分配・輸送に関わる機構が存在すると考えられる。ヘム生合成経路については詳細な研究が行われているが、ヘムの細胞内での分配・輸送機構については全く明らかとなっていない。細胞内におけるヘムの動態を明らかにする上で、高感度かつ正確なヘムの抽出・定量系の確立は必須である。しかし、これまでのヘム定量法は、毒性を持つ試薬を使用したり、検出感度やヘムに対する特異性が低かったり等、多くの問題点を抱えていた。さらにその抽出方法も、細胞内での存在が想定されているタンパク質に結合していないフリーのヘムを、選択的に抽出出来るかどうかなど未だ曖昧な点が残されており、その手法の確立は重要である。またヘムは疎水性分子であり、その細胞内輸送には輸送タンパク質の関与が考えられている。最近、動物細胞において、細胞質に局在するヘム結合タンパク質の存在が示され、動物細胞内でのヘム輸送に機能することが示唆されている。しかし、植物細胞における、このようなヘム結合タンパク質の同定・解析はこれまで全く成されていない。そこで本研究では、私は植物細胞内でのヘムの動態を明らかにすることを目的として、1.高感度かつ特異的なヘム定量法の開発、2.植物細胞からのヘムの抽出方法の確立、3.植物細胞におけるヘム結合タンパク質の解析について、研究を行った。

【実験結果と考察】

1. 高感度かつ特異的なヘム定量法の確立

ペルオキシダーゼは過酸化水素存在下でルミノール分解反応を触媒し、その際に化学発光が生じる。西洋ワサビペルオキシダーゼ(HRP)のアポタンパク質(ApoHRP)は、ヘムを持たないために不活性型であるが、ヘムの添加により活性型であるホロタンパク質へと自発的に再構成することが知られている。ApoHRPにヘムを添加すると、再構成するHRP量は添加したヘム量に依存するため、これを利用した酵素学的なヘム定量系が開発できるのではないかと考えた。そこで、ApoHRPをヘム溶液と混合して再構成した後、化学発光試薬によるHRP活性の検出を行った。その結果、発光試薬添加後直ちに化学発光強度が上昇し、その強度は添加したヘム濃度に対して高い直線性を示すことが明らかとなった。市販のウエスタンブロッティング用の発光試薬を用いた場合、検出限界は5 pMであり、極めて高感度にヘム定量を行うことができた。また検量線は発光試薬添加後、60分間は安定であった。さらに、他のポルフィリン類および金属ポルフィリン類は、ApoHRPを活性型に全く再構成できないことから、本方法はヘムの特異的な定量法として利用できることが明らかとなった。本ヘム定量法をHH(HRP-based heme assay)法と命名し、以後の解析に用いた。

2.植物からのヘムの抽出方法の確立

現在、主に行われている植物試料からのヘムの抽出法は、1978年にStillmanとGassmanにより報告された、pHの異なるアセトンを用いた段階的な抽出法である。この抽出法では、最初にアンモニアを含む塩基性アセトンによって試料からクロロフィルおよびカロテノイドを除去し、次いで中性アセトンで洗浄を行い、最後に塩酸を含む酸性アセトンによりヘムの抽出を行う。植物細胞にはタンパク質非結合性のフリーのヘムが存在すると想定されており、塩基性アセトンに抽出されるヘムが、フリーヘムのレベルを表すとの報告が成されている。この仮説を検証するため、代表的なヘムタンパク質であるヘモグロビン、ミオグロビン、カタラーゼから塩基性、中性、酸性アセトンを用いて、ヘム抽出を行った。その結果、塩基性アセトンに抽出されるヘムは、ヘムタンパク質の塩基性アセトンへの溶解度に依存し、ヘムとタンパク質の結合状態とは無関係であることが、一方、酸性アセトンはヘムタンパク質の酸性アセトンへの溶解度に関係なく、全てのヘムを抽出できることが明らかとなった。次に、植物試料に外部から既知濃度のヘムをフリーヘムとして添加したサンプルから、HH法を用いてヘム抽出・定量を行ったところ、外部から添加したヘムは全てのアセトンに定量的に抽出された。以上の結果は、植物細胞中のほぼ全てのヘムは、特異的あるいは非特異的にタンパク質や脂質に結合した状態で存在しており、非結合性のフリーのヘムは殆ど存在しないことを示唆する。さらに、植物組織からの定量的なヘムの抽出には、従来の段階的な抽出法ではむしろ途中でヘムを失う可能性が高く、酸性アセトンによる一度の抽出する方が、定量的なヘム抽出に適していることが明らかとなった。そこで、この抽出法とHH法を組み合わせて、シロイヌナズナの鉄代謝変異株fro7のヘム含量の測定を行ったところ、十分栄養条件下で生育させた場合は、fro7は野生株と同じヘム含量を示すが、鉄欠乏条件下で生育させた場合は、野生株に比べ有為に低いヘム含量を示す結果が得られた。以上の結果から、酸性アセトンによる一度のヘム抽出とHH法を組み合わせることで、これまでは定量不可能であった微量の植物試料中のヘム含量を正確に測定する系を開発することに成功した。

3.植物細胞のヘム結合タンパク質の解析

データベース解析により、シロイヌナズナのゲノム中に、動物細胞内でヘム輸送に機能することが示唆されているヘム結合タンパク質と相同性を有する6遺伝子(cHBP)が存在することを見出した。この内の1遺伝子についてはORF内に10塩基の欠損を持っていたことから、偽遺伝子であると推定された。また、2遺伝子の推定アミノ酸配列のN末端には、オルガネラ局在と予測されるシグナルペプチドが存在していた。本研究ではヘムの細胞質輸送に着目し、細胞質局在のタンパク質をコードすると考えられる残りの3遺伝子(cHBP1~3)についての解析を行った。半定量RT-PCR解析により、組織特異的遺伝子発現を調べた結果、cHBP1は葉で、一方cHBP2は根で高い発現レベルを示した。また、cHBP3は両組織で共に低い発現レベルを示した。次に、cHBP1、cHBP2がコードするタンパク質について、組換えタンパク質を用いた生化学的な解析を行った。cHBP3については、組換えタンパク質を得ることができなかった。cHBP1およびcHBP2を大腸菌中でHis-tag融合タンパク質として発現させたところ、共にinclusion bodyを形成していた。そこで、8 Mの尿素溶液を用いて可溶化・精製し、その後尿素を除き、リフォールディングを行った。得られたタンパク質にヘムを添加し、ニッケルアフィニティカラムで精製したところ、両タンパク質溶出画分は茶色を呈した。本画分の吸収波長スペクトルを測定したところ、タンパク質およびヘム由来のピークが認められたため、両タンパク質はヘム結合性を有している事が明らかとなった。トリプトファン消光実験により、ヘムの解離定数を求めたところ、cHBP1が0.38 μM、cHBP2が0.7 μMと、共に高い親和性を有していた。また、プロトポルフィリンIXおよびMg-プロトポルフィリンIXジメチルエステルに対しても親和性を持つことが明らかとなった。また、ヘム結合型cHBP1あるいはcHBP2とApo-HRPを混合したところ、両cHBPの濃度に依存したHRPの再構成による活性化が認められたことから、cHBP1およびcHBP2のヘム結合性は可逆的であり、アポヘムタンパク質にヘムを受け渡す能力を持つことが明らかとなった。以上の結果から、cHBP1およびcHBP2は植物細胞内でテトラピロールの輸送タンパク質としての条件を満たす新規なヘムタンパク質であることが明らかとなった。

【まとめ】

本研究では、高等植物細胞内におけるヘム輸送機構の解明を目的として、その基盤となる研究を行った。第1に、HRP再構成系を用いて、従来の方法に比べて5000倍以上高感度でヘムに特異的な定量系である、HH法を開発した。HH法は、多検体を同時に測定できるハイスループットな測定系であり、植物だけでなく動物や医療面でも応用が期待出来るアッセイ系であり、基礎研究用のキットとして商品化されることが決定している。第2に、植物細胞からのヘムの抽出法を確立した。酸アセトンによる一度の抽出とHH法を組み合わせることにより、従来不可能であった微量の試料からの、簡便かつ正確なヘム抽出・定量を行う系を開発した。さらに、これらのヘムの抽出・定量系の開発を通して、植物細胞内における殆どのヘムが、従来考えられていたフリーヘムとしてではなく、タンパク質や脂質との結合型として存在することを示した。第3に、植物細胞内でのテトラピロール輸送タンパク質として機能しうる生化学的な条件を満たす新規なヘムタンパク質cHBPを見出した。cHBPはこれまで全く謎であった色素体から細胞質へのテトラピロールの移行を解き明かす鍵となるタンパク質として、注目されている。

審査要旨 要旨を表示する

ヘムはポルフィリンの鉄錯体で、タンパク質の補欠分子族として、血液や筋肉における酸素運搬や、呼吸や光合成における電子伝達反応、また酸化還元反応など、生体内での多様な生理機能に必須な役割を果たしている。さらにヘムはポルフィリン代謝の初期段階のフィードバック制御物質として働き、転写や翻訳、イオンチャネルの制御などに関わるシグナルとしても機能することが明らかにされている。高等植物細胞でヘムは色素体で合成されるが、細胞内の様々なオルガネラ(細胞小器官)でも多様な機能を果たすため、その輸送機構が存在すると考えられてきた。特にヘムは疎水性分子であることから、単なる拡散ではなく、結合タンパク質を介した輸送が想定されてきたが、そのメカニズムは一切明らかになっていない。本論文は、高等植物細胞におけるヘム輸送機構の解明に向けて、その定量法や抽出法など基盤となる研究技術の確立を行い、さらに高等植物における新規なヘムの結合タンパク質の解析を行ったもので、全五章からなる。

第一章では、これまでのヘム代謝研究の展開とともに、本研究の背景と目的が述べられている。第二章では、従来のヘム定量法の欠点を指摘し、新規なヘム定量法の確立について述べている。本定量法は、従来の方法に比べて5000倍以上も高感度で、かつヘムを特異的に定量することを可能にした画期的なものであり、実験操作も容易で多検体を同時測定する技術の開発にも成功している。第三章では、植物組織からのヘムの抽出法について検討を行い、従来提案されてきたタンパク質非結合性のヘム(フリーヘム)の存在が抽出方法に基づくものであり、植物細胞には非常に低いレベルのフリーヘムしか存在しないことを明らかにしている。さらに従来の方法を改善した新たなヘム抽出法を確立し、第二章で確立した定量法と組み合わせることで、これまで不可能であった非常に微量な組織に含まれるヘムを正確に定量する方法を確立することに成功している。第四章では、モデル植物であるシロイヌナズナに、動物細胞でヘム輸送に関わると考えられているタンパク質のホモログが存在することを見出し、そのタンパク質の生化学的な解析を行っている。そしてこのタンパク質が、ヘムを可逆的に結合することができ、輸送タンパク質として機能出来ることを明らかにしている。第五章では、以上の研究成果を総括し全体をまとめている。

本論文は、以上のように、植物細胞におけるヘム輸送を明らかにする上で、欠くことの出来ない実験手法の確立に成功している。確立されたヘム定量法は、既に世界中の多くの研究室で新たな標準となるヘム定量法として利用され始めている。また本定量法は植物細胞に限らず、バクテリアや動物細胞、特に医療診断や医薬開発にも有用な技術として注目されており、基礎研究用の試薬キットとして市販されることが決定している。また本研究で見出された新規なヘム結合タンパク質に関する論文(四章に相当)は、今後、ヘム輸送機構を明らかにする上で鍵となる役割を持つことが期待され、生物学の分野で重要な論文を紹介するFaculty of 1000 BiologyにRecommended Articleとして推薦されている。以上のように、本論文はこれまで全く明らかでなかったヘム輸送機構の研究分野を開拓するもので、学術研究としての価値は非常に高い。したがって本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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