学位論文要旨



No 125529
著者(漢字) 佐藤,正志
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,マサシ
標題(和) 地方行財政改革下の公共経営に関する地理学的研究
標題(洋)
報告番号 125529
報告番号 甲25529
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第978号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 准教授 梶田,真
 九州大学 教授 高木,彰彦
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,国が主導して進めた地方行財政改革が,地方自治体にいかなる影響や効果を及ぼしているか考察することを目的とした.

まず,第I章では,近年の公共経営をめぐる議論の中心となっているガバナンスの議論に着目し,研究動向と分析視点の導出を進めた.ガバナンスの議論では,政府の機能に関してネットワーク中心アプローチと政府中心アプローチが議論の中心となっている.しかし,既存研究が規範的な議論にとどまり,政策の効果や影響との関係を視野においていないことを示した.政策の効果や影響を考察するにあたり,ガバナンスの基礎となる政策ネットワーク論で見られた組織間関係論における資源依存関係の視角が,有効な点を示した.

地方自治における資源依存関係を地理学で議論する上で,政府間関係や地域政治,資本や住民組織の存在といった複合的な要因としての「地域的文脈」の考察が必要な点を示した.地域的文脈は欧米の地理学を中心に議論がなされているが,行政と地域との関係を取り上げる上で日本においても有効であることを指摘した.これらの点を踏まえて,資源依存関係が各地域の文脈の上に成立しているのか,「資金」「人材」「知識・情報」の観点に加えて,政府の関与から「権限」を取り上げた分析の必要性を提示した.

第II章では,第一節で事例選定にあたり,地方行財政改革の動向と自治体に与える影響を考察した.現在の地方行財政改革の方針は,国および地方自治体ともに歳出削減が大きな焦点となっている.この中で,地方交付税と国庫支出金を中心に,地方への税源委譲と国の補助金削減を進める「三位一体の改革」が行われた.この策は,地方自治体の財源を減少させるものであり,地方交付税や国庫支出金が担ってきた財源保障機能の低下に繋がった.特に,依存財源を中心とした行財政運営を行う農山村に対して,行政運営の継続の困難さを生み出し,財政改革と平行して進められた市町村合併を導入する自治体を増加させる結果となった.一方で,自律的な行政運営を保つため,合併を選択せず自治体の存続を図る町村も見られた.

国による地方行財政改革の方針と影響を踏まえて,本研究では都市自治体,農山村での区分を行った.このうち農山村に関しては,市町村合併による編入を加味し,合併を選択しなかった自治体,合併した自治体に区分した.これらの自治体の区分に基づいて,本研究では3 事例を対象に取り上げることを示した.

第二節では実証に先立ち.地方行財政改革の影響の予察として,新たに全国的に導入された事例として指定管理者制度を取り上げ導入状況の地域差とその要因を考察した.

自治体での指定管理者制度導入状況に関して,選定比率,民間企業指定比率,NPO 法人指定比率を考察すると,民間企業指定比率は,大都市圏を中心に高まる傾向が見られたが,その他の指標は明確な地域差が見られなかった.民間企業やNPO の選定先を,地域区分別に見ると,地方都市では大都市圏に立地する企業を選定した点が示される.特に専門性や規模の経済性が求められる分野でこうした傾向が見られた.反面,NPO は同一市区内での選定が多い点が示された.

次に,指定管理者制度の導入を促進する要因を考察すると,必ずしも民間企業の存在や自治体の財政状況の悪化,都道府県からの通達行政が指定管理者制度の導入を促進する要因とはならない.むしろ,首長の執政体制や保守政党の支持が民間企業の選定を中心に影響を及ぼすことが示された.

第II章での結果を踏まえ,第III章で,都市に対する地方行財政改革の影響を考察した.事例として岐阜県岐阜市のバス事業民間譲渡を選定し,譲渡前後でのアクター間関係とその効果を考察した.結果,岐阜市では民間譲渡前後でバス路線網や運行本数といったサービス指標はほとんど変化せず,サービスの維持がされていた.一方,バス事業に関する経費は,譲渡後に削減が進められている.

事業運営におけるアクター間関係を見ると,譲渡後民営事業者に対して岐阜市が契約条項による罰則の制定と,補助金を中心とした事業継続のインセンティブ策を取った.これらの策の対象は短期であるが,岐阜市は政策の決定を行使して,交通政策方針の決定にあたっている.交通政策策定には,住民やバス事業者といった地元アクターの参加が進められたものの,その政策内容は,岐阜市の計画に従っており,岐阜市が譲渡後も交通政策に対する中核的アクターとしての立場を保持していた.

第IV章では,農山村の自治体のうち合併しなかった地域として,青森県三戸町の公共サービス全般の包括業務委託を取り上げた.三戸町では,自治体内に専門サービス業者が存在せず行政が地域内雇用も兼ねてサービス供給を行ってきた.しかし,行財政改革への対応から,経費削減を求めて東京に本社を置く民間企業との間で包括委託によってサービスを民営化した.

サービスの変化に着目すると,包括委託前後でサービス水準はほとんど変化せず,かつ当該サービス供給の人員数も減少していないため,サービスの維持が図られていると考えられる.しかし,サービスの経費は,委託料を中心に包括委託後増加に転じている.

三戸町の包括業務委託における行政と民間企業の関係に着目すると,高頻度での折衝や,罰則事項の不設定,民間企業へのインセンティブとしての委託料増加に見られる,「協働的契約」により運営が行われている.これは,事業の長期的継続と町内での雇用基盤の確保を町が勘案したためであり,「経費削減」は最大の目的でなくなった.域外のアクターとの連携では,町の権限の機能は限定的になり,民間企業の持つ知識や運営方針が事業運営に影響を及ぼす.

第V章では,市町村合併による編入を行った農山村の自治体における事業の再編を議論した.事例とした鳥取県旧鹿野町は,当初町長主導の下でまちづくり事業を開始した.事業は町が中心的な担い手であり,住民は補助金を中心に資金を行政に依存して活動していた.しかし合併の決定後,町と住民団体の協働化が進み,事業運営に関する知識や情報の伝達と同時に,事業運営の住民団体への権限委譲が進んだ.

結果,合併後鳥取市による資金面の削減にも関わらず,活動は減退せず自主事業化が進んだ.特に,旧鹿野町内で住民団体を中心に事業ネットワーク形成が進み,自主事業への転換に繋がった.一方で,知識や資金の導入の手段として,域外のアクターとなる国土交通省や鳥取県,鳥取大学といった上位政府のアクターとの間での関係が構築されている.

この点を踏まえると,合併当初旧鹿野町の目的であった「事業の存続」にとどまらず,活動規模は拡大している.一方で行政による経費の削減が進むのと同時に,自主事業化に繋がっており,当該事業に対する影響は市町村合併に関しては,影響がないと考えられる.

第III章から第V章までの事例を踏まえて,第VI章では地方行財政改革下での各自治体のアクター間の資源依存関係の変化と政策の効果や影響との関係,および各自治体での資源依存関係の地域差を生み出す地域的文脈との要因の接合を試みた.「権限」「資金」「人材」「知識・情報」の側面から各事例の資源依存関係を考察すると,いずれの事例も,行政が政策指針設定やサービス・事業内容の規制といった「権限」を保持し続けている.当該事例ではいずれも行政直営の事業運営から民間企業や住民組織への運営に転換が図られているが,サービスや事業に関して,行政が中核的アクターとしての位置づけを保ち方針が強い影響を及ぼすことを示した.

ただし,行政の保持する権限が常に政府以外のアクターに対して有効に作用するとは限らないが本研究から示される.三戸町の事例で見られた域外のアクターとの連携では,政策の影響力の低さ,および事業における情報や知識の共有化といった点から,行政が事業に対して保持する権限が減衰する点が示された.

一方で,事業関係をめぐるネットワークの形成およびアクター間関係では,各地域の文脈に応じた関係が築かれている点が示された.いずれの事例も,長期的なサービスや事業内容の維持を目的としている.しかし,都市では同一自治体内に所在する企業を選定し罰則の設定やサービス水準の制定が図られている一方,合併を選択しなかった農山村では,域外のアクターを選定し,協働的契約が築かれていた.この背景には,自治体内の事業運営可能なアクターの存在が影響を及ぼしていた.編入による自治体の合併の場合,新自治体での周辺化への懸念から,旧町域内での事業の維持を図っている.いずれの事例も,各地域における行財政改革の影響に対して,域内のアクターの存在が対応の差となって現れていることが示される.

第VII章では,第VI章までの議論を踏まえて,地方行財政改革下における政策の効果と影響に関する既存の議論の問題点と政策的含意を提示した.現在の地方行財政改革では,多元的アクターによる参加と政策決定への関与が求められている.しかし本事例で示された自治体の政策運営に対する権限の保持を踏まえるならば,中核的なアクターであり続けている.特に,農山村では域内でのアクターの不足と,日本の地方自治体政策運営や方針決定に見られる企画部門では,自治体行政の指針が政策に強く影響を及ぼす.

一方で,同一の自治体内の事業者の存在が,政策における方向性の共有化や,自治体の企画部門の方針の一貫性に対して影響を及ぼす.各自治体での公共経営では,域内での事業運営可能なアクターの存在が事業やサービスの安定的運営には重要になる.この点を踏まえるならば,管轄領域内での運営を担える組織の育成,事業運営にあたっての域外のアクターへの資源依存の減少が,今後各自治体には求められる.

審査要旨 要旨を表示する

1980年代以降,わが国では行財政改革が進められてきたが,なかでもニュー・パブリック・マネジメント(NPM)や公民連携(PPP)といった政府運営に民間部門の運営方法を導入しようとする動きは,地方自治体における公共サービスのありようを大きく変えてきている。本論文の目的は,こうした地方行財政改革が地方自治体による公的事業をどのように変化させ,そうした変化が住民生活にいかなる影響をもたらしているかを明らかにすることにある。本論文では,地域ガバナンス分析の新たな視点を導入し,地方議会の議事録や予算・決算書類の分析,関係主体へのヒアリング調査を行うことにより,公共経営の変貌と課題を解明した点に大きな意義がある。

本論文は,7つの章から成る。まず第1章では,公共経営をめぐるガバナンス論や政策ネットワーク論などの研究成果が整理され,本研究の目的と方法が述べられる。第2章では,わが国における地方行財政改革の動向が概観されるとともに,指定管理者制度を取り上げ,その全国的な導入状況の分析がなされ,民間企業やNPOの関わり方において大都市圏と周辺地域で地域的差異が生じている点が指摘されている。こうした公民連携の進捗状況を全国的視点から地図化し,地域差を分析した研究は,新しい試みとして注目される。

第3章,第4章,第5章の3つの章は,本論文の中心をなす地域実態分析の成果である。第3章では,岐阜市におけるバス事業の民間譲渡が取り上げられている。そこでは,岐阜市が赤字を背景にしてバス事業を民間企業に譲渡したものの,独自の規制の設置を通じて,交通政策に対する影響力を保持することによって,運行本数や運賃,路線網といった公共サービス内容を維持していることが明らかにされている。

第4章では,全国的にも注目されている青森県三戸町における公共サービスの民間企業への包括委託が対象となっている。財政基盤が脆弱かつ受け皿となる民間事業者を欠く三戸町が,東京に本社がある民間企業に包括委託を行うに至った経緯が詳細に明らかにされるとともに,サービス内容と雇用は維持されているものの経費削減にはつながっていない問題点が指摘されている。

第5章は,鳥取県旧鹿野町を対象地域として合併によるまちづくり事業の変化を取り上げたもので,時宜を得た興味深い研究成果である。合併により景観整備を柱としたまちづくり事業の存続が危ぶまれたが,まちづくり協議会を中心とした住民組織の自主活動への転換が図られた結果,事業の存続・拡大が進められてきた点が明らかにされている。

第6章では,事例研究をふまえて,各自治体における関係主体間の資源関係がいかなる地域的文脈によって成立してきたかが考察されている。わが国では,行政の直営による事業運営から民間企業や住民組織への転換が図られてきたが,依然として行政が企画部門の権限を保持し,中核的アクターとしての位置を保っている点が指摘されている。続く第7章では,地域内において公共サービスの新たな担い手を育成することなど,今後の政策的課題が示されている。

以上のように本論文は,地方自治体における公民連携の取り組みをガバナンス論に注目した実証研究から解明したもので,行政地理学の新分野を切り開く研究成果として,高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク