学位論文要旨



No 125531
著者(漢字) 土松,隆志
著者(英字)
著者(カナ) ツチマツ,タカシ
標題(和) シロイヌナズナ(アブラナ科)における自家受粉の進化に関する研究
標題(洋) Studies on the evolution of self-fertilization in Arabidopsis thaliana (Brassicaceae)
報告番号 125531
報告番号 甲25531
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第980号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,元己
 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 教授 深津,武馬
 東京大学 准教授 吉田,丈人
 九州大学 教授 矢原,徹一
内容要旨 要旨を表示する

第1章

General Introduction

他殖的状態から自殖的状態への進化的推移は、被子植物においてもっとも一般的な現象のひとつである。自殖は近交弱勢を伴うものの、交配相手がいない環境でも種子を残せるという繁殖保証の観点、自殖由来の種子には自分のゲノムだけを伝えられるという伝達効率の観点から有利だと考えられてきた(Darwin, 1876; Fisher, 1941; 総説としてGoodwillie et al., 2005)。これまでの自殖の進化に関する研究の多くは、このような自殖の適応的意義についての報告であったが、その一方で、どのような遺伝子の突然変異が他殖から自殖への進化を引き起こすのかという遺伝的背景に関する研究は数少ない。本論文ではまず、アブラナ科シロイヌナズナを用いて自殖に関わる突然変異を同定し、その突然変異が自殖率の進化にどのように影響を与えるのかを明らかにすることを目的とした (Chapter 2)。

自殖の進化にともない花形態や生活史など多岐に渡る性質が引き続いて二次的に進化することが知られており、自殖種のもつ典型的な表現型は「自殖シンドローム」として知られている (Barrett, 2002)。本論文では次に、「自殖シンドローム」の性質の中でも最もよく知られた性分配 (sex allocation; Charnov, 1982)についての理論的な検討を行った (Chapter 3)。最後に、自殖率の進化に影響を与える突然変異についての一般的なパターンについて考察を行った (Chapter 4)。

第2章

Evolution of self-compatibility in Arabidopsis by a mutation in the male specificity gene

アブラナ科シロイヌナズナ属における祖先的な状態は自家不和合性(自身の花粉が柱頭についても花粉管が伸長しない性質)に基づく他殖的状態であったが、自家不和合性の不活化にともない複数種で独立に自殖性が進化したことが知られている。シロイヌナズナは野外でほぼ99%という高い自殖率を持つことが知られている (Abbott and Gomes, 1989)。シロイヌナズナにおいてどの遺伝子のどの突然変異によって自殖性が起源したのかという問題については、多くの研究があるにも関わらずいまだ不明な点が多い (総説としてMable, 2008およびIgic et al., 2008)。特にこれまで、自家不和合性崩壊・自殖の進化の直接の原因となった突然変異と、自家不和合性が崩壊した後二次的に生じた突然変異を区別することが困難であると考えられてきた。私は、自家不和合性を担うS遺伝子座を自殖性獲得の候補遺伝子とするアプローチによって、シロイヌナズナにおける自家不和合性崩壊・自殖の進化の直接の原因となった突然変異を同定し、その進化集団遺伝学的なパターンを以下のように明らかにした。

(1) 近縁他殖種ハクサンハタザオにおけるS遺伝子相同遺伝子全長の単離

シロイヌナズナ属の他殖種は、SCRと呼ばれる雄側因子とSRKと呼ばれる雌側因子からなるS遺伝子座の働きによって自家不和合性を持つことが知られている。よって、シロイヌナズナにおいて高い自殖率が進化するためには、この自家不和合システムの少なくとも一因子が不活化することが必要である。私は、S遺伝子座の進化(不活化)プロセスを明らかにするために、S遺伝子全長を近縁他殖種ハクサンハタザオから単離し、シロイヌナズナのS遺伝子と配列を比較した。その結果、シロイヌナズナの複数系統内において依然として機能的と考えられる雌因子SRKが多数見つかったのに対し、雄因子SCRでは、213bpの逆位が発見された。さらに、この逆位以外は、シロイヌナズナの系統間で広く共有された突然変異はSCRにおいて見つからなかった。この事実は、SCRにおける逆位が、シロイヌナズナにおける自家不和合システムの不活化と、それにともなう自殖性の進化をもたらした可能性を示唆している。

(2) 種間交配実験による自殖変異の同定:雌因子ではなく雄因子が原因

次に、依然機能的と考えられるSRKをもつシロイヌナズナ12系統について、ハクサンハタザオを花粉親とした種間交配実験を行った。ハクサンハタザオを花粉親とした場合、通常シロイヌナズナとの種間交配は和合であり、F1も作出可能である (Shimizu 2002)。また、自家不和合遺伝子SCR-SRKはシロイヌナズナにおいて種をこえた分離 (trans-specific segregation)をするので (Bechsgaard et al 2006)、SCR-SRKシステムに基づく不和合反応は種間交配であっても観察される。私は、この性質を利用して、SRKを含む雌側の自家不和合性が自殖種シロイヌナズナの12系統において依然として存在しているかを調べた。その結果、Old-1, Wei-1を含む計7系統で、不和合反応が観察された。この事実は、SRKだけでなく、それ以外の自家不和合性に関わる雌側の因子(例えばSRKの下流のシグナル伝達因子)もシロイヌナズナのいくつかの系統で依然として機能しうる状態であることを示しており、雌側因子ではなく雄側因子が自家和合性進化の原因であることを強く示すものである。

なお、雄側因子が自家和合性進化の原因であることは、種間交配実験だけでなく形質転換実験によっても裏付けられた。 (1)で明らかになったSCRにおける213bpの逆位突然変異を人工的に元に戻したSCRをシロイヌナズナWei-1(種間交配実験から雌側の不和合因子が機能的であることがわかっている系統のひとつ)に遺伝子導入したところ、形質転換個体において柱頭における不和合反応および種子数の減少が見られた(三重大学・諏訪部圭太准教授および東北大学・渡辺正夫教授との共同研究)。これらは、SCRにおける213bpの逆位変異がシロイヌナズナにおける自家和合性の起源に寄与したことを強く示すものである。

「自殖突然変異」に働いた自然選択の検出

次に、この突然変異を持つ遺伝子座がシロイヌナズナ集団に過去にどのように広まっていったのかを分子集団遺伝学的に解析した。シロイヌナズナのヨーロッパ集団ではゲノム全体を網羅する集団遺伝学的解析から現生集団における顕著な集団構造(集団全体が遺伝的に均一に混ざりあっていないこと)が明らかになっている。これは、複数の氷河退避地からの分布拡大・融合という集団の歴史的背景を反映していると考えられている (Sharbel et al., 2000; Francois et al., 2008; Beck et al., 2008ほか)。シロイヌナズナの分布の中心であるヨーロッパ集団においては、シロイヌナズナのヨーロッパ集団では、S-locusにおいてAタイプとCタイプという2種類の、周辺遺伝子においてEタイプとWタイプという2種類のはっきり異なる配列が知られている。私が(1), (2)の実験で自殖突然変異を同定したのはAタイプにおいてである。私は、S遺伝子座の周辺の対立遺伝子のパターンは集団構造から期待されるパターン(東にEが多く西にWが多い)とよく合致したのに対し、S遺伝子座上においてはこのパターンは見られないことを発見した。また、S遺伝子座上においてはAタイプの頻度が急激に増加し、ほぼヨーロッパ集団で固定していた。これらの結果は、自殖性を担う突然変異を持つAタイプのS遺伝子座が、東西の分集団からの集団の融合拡大期に自然選択を受けて急速に集団中に広まったことを示唆するものである。私はさらに、組み換え率や集団サイズを考慮した定量的な進化シミュレーションを行い、観察されたパターンが中立進化で再現される可能性は極めて低いことを確認した。これらの結果から、AタイプのS遺伝子座の進化に自然選択が関与していると結論づけた。

以上(1)-(3)から、私は、シロイヌナズナの自家不和合性因子の雄側因子に起きた逆位が自然選択によって集団中に広まることにより、シロイヌナズナの自殖性が起源したことを明らかにした。

第3章

Sex allocation bias in hermaphroditic plants: effects of local competition and seed dormancy

性分配 (sex allocation)とは、限られた資源を親が雄と雌にどのように振り分けるかという問題のことである (Charnov, 1982)。進化的に安定な性分配比を変化させうる要因としてこれまで、自殖などの近親交配の効果 (Charnov, 1982)や空間的な分散の雌雄差 (Taylor, 1994など) が考えられてきた。これらの要因に加えて、種子休眠など時間的な分散は、特に植物において極めて一般的な生活史形質であるにも関わらず、その性分配への効果は今まで検討されてこなかった。そこで本研究では、モンテカルロ法を用いた進化シミュレーションにより、種子休眠などの時間的な分散の効果が性分配に与える影響を理論的に検討した。その結果、種子休眠率が上昇するほど性配分は雌に偏ることが明らかになった。野外で一般的な植物における雌偏向の性配分は、今まで提案されてきた要因だけで説明するのは難しいとされていたが、種子休眠の効果を考慮に入れることで説明できる可能性がある。

第4章

General Discussions

第2章において私は、雄側の突然変異がシロイヌナズナにおける自家和合性・自殖性の起源に重要な役割を果たしたことを明らかにした。雌側におきた自家和合変異よりも雄側に起きた自家和合変異の方が、集団中に広まりやすいという可能性が指摘されている (Uyenoyama et al, 2001; Busch & Schoen, 2008)。また、ミヤマハタザオ (Arabidopsis kamchatica)、Petunia axillarisなどシロイヌナズナ以外の種においても、雄側の変異が原因で自家和合性が起源した可能性が示唆されている(Tsuchimatsu et al., unpublished; Tsukamoto et al., 2003, 2005)。 私が予備的に行ったシミュレーション解析の結果、雄側の変異の広まりやすさは、花粉制限・自家和合個体の自殖率・性分配比などいくつかの生態学的なパラメータに強く影響を受けることが明らかになった (Tsuchimatsu et al., unpublished)。今後、分子集団遺伝学的解析、種間交配、シミュレーションなどの方法を併用することによって、自家和合性が過去にどのような環境下で広まったのかを詳細に明らかに出来るようになるかもしれない。第3章で解析した性分配の進化など、「自殖シンドローム」についても議論を行う。

審査要旨 要旨を表示する

他殖的状態から自殖的状態への進化的推移は、被子植物においてもっとも一般的な現象のひとつである。自殖は近交弱勢を伴うものの、交配相手がいない環境でも種子を残せるという繁殖保証の観点、自殖由来の種子は自分のゲノムだけを伝えられるという伝達効率の観点から有利だと考えられている。本研究は植物の自殖性進化の遺伝的・生態的背景をより深く理解するために行なわれたものである。

本論文は4章よりなる。第1章は、総合イントロダクションであり、自殖性進化の研究についてこれまでの研究を精査し、問題点を整理した。そして、従来の自殖性進化に関する研究の多くは、自殖の適応的意義についての報告であり、他殖から自殖への進化を引き起こす突然変異の特定やその分子進化など、遺伝的背景に関する研究は数少ないことを指摘した。

第2章では自殖性進化の遺伝的背景を明らかにするために、アブラナ科シロイヌナズナを用いた研究を行っている。シロイヌナズナ属において祖先的な状態は自家不和合性に基づく他殖的状態であり、自家不和合性の不活化にともない複数種で独立して自殖性が進化したことが知られている。この際、どの遺伝子に起きたどのような突然変異により自殖性が起源したのかという問題についてはいまだ不明な点が多い。この問題に対し、論文提出者は自家不和合性を担うS 遺伝子座を詳細に解析した。

シロイヌナズナ属の他殖種は、雄側因子SCR と雌側因子SRK からなるS 遺伝子座により自家不和合性を持つ。そこで近縁他殖種ハクサンハタザオからS 遺伝子全長を単離し、シロイヌナズナと配列を比較することにより、SCR 内の逆位が、シロイヌナズナの自家不和合システムの不活化と、自殖性の進化をもたらした可能性を示した。次に、多殖種のハクサンハタザオを花粉親とした種間交配実験を行い、シロイヌナズナの7系統で不和合反応があり、SRK 以外の雌側因子がシロイヌナズナのいくつかの系統で依然として機能しうることを示している。これは雄側因子が自家和合性進化の原因であることを強く示すものである。さらに本結果は機能するSRK 遺伝子を形質転換した実験によって裏付けられた。

この突然変異を持つ遺伝子座がヨーロッパのシロイヌナズナ集団に過去にどのように広まっていったのかを分子集団遺伝学的に解析し、S 遺伝子座の周辺の対立遺伝子のパターンは集団構造とよく合致したのに対し、S 遺伝子座上においてはこのパターンは見られないことを発見した。この結果は、自殖性を担う突然変異を持つS 遺伝子座が、集団の融合拡大期に自然選択を受けて急速に集団中に広まったことを示唆するものである。また、組換え率や集団サイズを考慮した定量的な進化シミュレーションを行い、観察されたパターンが中立進化で再現される可能性は極めて低いことを確認し、S 遺伝子座の進化に自然選択が関与していると結論づけた。

これらの成果は、モデル植物としてよく研究されているシロイヌナズナの利点、近縁野生種の解析と種間交配、分子集団遺伝学的解析やシミュレーションなどを組み合わせたきわめて独自性の高い研究アプローチにより成し遂げられたものであり、国際的に高い評価を得ている。

第3章では自殖に関連する性質である性配分についての理論的な検討を行った。性配分とは、限られた資源を親が雄と雌にどのように振り分けるかという問題であり、自殖などで近親交配が進むほど、雌に偏らせて資源を配分することが進化的に安定であることが知られている。本研究では、これまでほとんど重視されてこなかった種子休眠の影響を加えた数理モデルを構築して時間的な分散の効果を評価した。さらに花粉と種子による空間的分散と種子休眠による時間的分散を組込んだシミュレーションを行うことにより、自殖以外にも、花粉散布・種子休眠などの種子・花粉の時空間的な分散の効果が性配分に影響をもたらすことを理論的に明らかにした。

第4章は総合討論であり、雄側の突然変異がシロイヌナズナにおける自家和合性・自殖性の起源に重要な役割を果たしたこと、雌側におきた自家和合変異よりも雄側に起きた自家和合変異の方が、集団中に広まりやすいという可能性が指摘されている。また、シロイヌナズナ以外の種においても、雄側の変異が原因で自家和合性が起源した可能性が示唆されている。シミュレーション解析を行なった結果、雄側の変異の広まりやすさは、花粉制限・自家和合個体の自殖率・性配分比などいくつかの生態学的なパラメータに強く影響を受けることを明らかにしている。

以上のように本研究は、モデル植物として広く研究されているシロイヌナズナを用いた自殖性進化と、自殖に伴う性配分を、分子遺伝学、集団遺伝学などさまざまなアプローチにより解明を試みたものあり、研究手法は独自性が高く、その成果は大きな学術的貢献として認められる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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