学位論文要旨



No 125532
著者(漢字) 野澤,一博
著者(英字)
著者(カナ) ノザワ,カズヒロ
標題(和) サイエンス型イノベーションにおける知識フローの空間特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 125532
報告番号 甲25532
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第981号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 丹羽,清
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 准教授 梶田,真
内容要旨 要旨を表示する

バブル経済崩壊以降、工場の海外移転や近隣諸国のキャッチアップ等により、国内の製造業は大きなダメージを受けている。国内産業は、近隣諸国が容易に模倣やキャッチアップを果たせない革新的な技術や製品を開発すること、つまりサイエンス型イノベーションを起こすことが必要と言える。そこで本研究の目的は、サイエンス型イノベーションのための空間とはどのようなものなのかを明らかにし、サイエンス型イノベーションのための地域の在り方について考察する。

以下において各章の概要を記す。第1章では研究の背景、目的及び方法を著している。本論文では、サイエンス型イノベーションの空間を検証するに当たり、知識を軸に捉えることとした。大学にある技術シーズが実用化へと発展するプロセス、つまり知識の創造および伝播を知識フローとして捉え、その空間について考察する。また、イノベーションのための社会・制度的空間として地域の在り方を考察するに当たり、近接性という概念を用いて知識創造や技術移転の主体間の関係を分析する。研究の方法として、特許データを基礎資料として産学連携の相手先の特定と地理的分布など関係構築状況について明らかにした。また、イノベーションの特性を抽出するためにイノベーション・システムを形成する企業、大学、行政関係者のインタビューを行い、産学連携の目的・内容・コミュニケーション方法等についてのエビデンスを得た。

第2章と第3章では既存研究および施策展開状況をサーベイし、理論と政策の整理を行った。

第2章では、マネジメント論と地理学の視点からイノベーションと場/地域に関する先行研究を概括し、研究の視角について提示した。イノベーションに関して多くの研究が行われており、様々な見方がある。イノベーションの影響度として、革新的イノベーションと漸進的イノベーションでは違いがあるとされている。また、イノベーションと地域との関わりについても研究の蓄積が進んでいる。しかし、イノベーションと地域に関する研究の多くは産業集積地の説明手段としてイノベーションを説明するものが多く、その多くが漸進的なイノベーションを扱っており、革新的なサイエンス型イノベーションにおける地域との関係をとり扱ったものが少ない。また、論文や特許の伝播など、イノベーションの一局面を取り上げたものが多く、イノベーションの複雑な実像を反映したものではなかった。そこで、それら既存研究の陥穽を踏まえ、本研究の視角として知識フローのプロセスという視角と知識フローに関わる主体間関係という視角を抽出し、知識の発展展開を追うことにより、イノベーションが行われる空間を明らかにすることとした。

第3章では、国内における地域イノベーション政策について概括し、併せて地域イノベーションの先行実証研究について整理した。地域イノベーション政策は、文部科学省を中心とした地域科学技術政策と経済産業省を中心とした地域産業政策により構成されている。地域イノベーション政策のガバナンスとしては、政府レベルと都道府県レベルの2つの層により展開されている。地域イノベーション政策の特徴として、技術シーズの実用化を図ることが主眼とされており基礎研究から応用研究・実用化研究へのつなげるというアプローチが取られている。地域においてイノベーション・システムを構築することを目指しており、産学官の連携体制が重視されている。課題としては、研究の補助金・助成金が市場原理的な分配制度をとっているため、もともと研究ポテンシャルの高い地域に資金が集中するようになり、停滞地域の経済活性化が難しい状態が続く懸念がある。先行事例研究として、国内の産地とクラスター政策対象地域を取り上げ、その中で加工技術中心のものづくり型と科学技術を重視するサイエンス型に分類した。

第4章、第5章、第6章では、既存研究での特徴及び課題を踏まえ、実証研究を行った。

第4章では、長野県におけるカーボンナノチューブの実用化の取り組みを取り上げた。長野県では文部科学省の政策を活用し、信州大学にあるカーボンナノチューブの実用化を図っている。カーボンナノチューブに関する共同研究は文部科学省の政策活用以前から県外大企業に拡散しており、同政策を契機として大学から県内中堅企業で移転していった。それは、政府の政策をきっかけとして、地方自治体により技術が見い出され、地域大学と地元企業との関係構築が図られ、活動が地域内に展開していった。このように、知識の伝播のためには、地理的近接性は十分条件ではなく、組織的・制度的近接性を得てから展開されるものと言える。

第5章では、山形県における有機ELの実用化の取り組みに関する実証研究の結果を示している。山形県では県の政策として山形大学にある有機ELの関する技術シーズの実用化を目的として時限的な研究所が開設された。しかし、そこでの研究開発の参加企業は、地元企業は少なく県外大企業の参加が中心であり、具体的な成果も県外企業が挙げていた。地元企業が有機EL研究に積極的に関与出来ない幾つかの要因が考えられる。地元企業の多くが大手企業の下請け企業であるので研究開発にモチベーションをあまり持たない、長期間の研究開発投資に耐える体力がない、研究所と地元企業と橋渡しする地元のとりまとめ役がいない点などが挙げられる。このように、技術の移転は、研究所及び教授と企業の物理距離が短くても容易ではない。共同研究への参加は地理的近接性のあることにより促進されるのではなく、技術の認知的近接性や企業のリスク負担力が重要な役割を果たしていることを示している。

第6章では、海外のサイエンス型イノベーションの取り組みとして、スコットランドにおけるバイオテクノロジ産業の育成について取り上げた。知識型―特にバイオ産業育成政策における展開は、地元資源だけによる育成では発展に限界があり、クラスター外の資源の活用も必要としている。スコットランドでは、革新的な知識を生むためにクラスターを越えた様々な知識の相互交流が見られた。ローカルの状況は地域経済開発にとって重要な要因であるが、グローバルな要因もまたローカル産業の競争力の強化に影響を与えるものである。イノベーションはローカルとグローバルのネットワークの結節点で生まれる。地域にとってローカルとグローバルの資源の混合と合成させることが重要である。それゆえ、地域開発政策はローカル環境とグローバル要因を組み合わせる運営能力の強化を考慮すべきであると言える。

第7章では、第4章、第5章および第6章の実証研究で得られた知見を比較分析することでサイエンス型イノベーションにおける空間を検証し、地域の在り方を考察した。先ず、カーボンナノチューブと有機ELの比較において、両事例とも実用化までは様々な要素技術の統合がおこなわれ、そのための共同研究プロジェクトが連鎖的につながっていた。地域は内外の関係機関を結ぶプロジェクトの結節地と言える。技術はローカルだから同じローカル機関へ移転しやすいとは限らない。サイエンス型イノベーションの空間とは必ずしも明確にローカルとノンローカルの役割を分類できるものではない。同時にサイエンス型イノベーションの技術シーズは流動性が高いので、ローカル内でのイノベーション活動の展開に優位性があるわけではなく、ローカルとノンローカルにおける事業化の競争状態にあると言える。技術開発がローカルで行われるかどうかは、先ずローカルに技術内容やレベルが合う企業の存在があり、その企業を研究開発に参加させるために不確実性(リスク)を軽減させることが必要である。サイエンス型イノベーションでは地理的近接性より関係性近接性が重要である。地域にとってイノベーションに必要なことは地域内外の機関を結ぶ関係構築能力と、地域外の要素を地域へ定着させる能力である。

終章では、研究の総括と政策への含意の提供を行った。本研究では、科学技術をベースにしたイノベーションにおける知識創造の展開について取り上げ、その関係的要因の強さが空間形成に強く働いていることを示した。そして、政策への含意として今までの地域でのイノベーション・システムの構築だけではなく、知識創造から事業創造、産業創造までつなげる視点から地域イノベーション・マネジメントの枠組みを示した。なお、本研究は、知識の流れからイノベーションの空間の精査を行うという新しいアプローチであり、日本における数少ないサイエンス型の地域イノベーションに関する実証研究であり、既存政策の枠組みに新しい視点を提供した。また、今後の研究の課題として、今回扱った事例の長期的な観察および更なる他事例の検証が残されている。

審査要旨 要旨を表示する

わが国では, これまで自動車や電気機械などのものづくり産業において, 改良・改善を進め, 国際競争力を発揮してきた。こうしたものづくり型のイノベーションに対して, ライフサイエンスやナノテクノロジーなど, 科学的知識をもとに新製品を開発するサイエンス型イノベーションが重視されてきている。本論文の目的は, こうしたサイエンス型イノベーションを取り上げ, 科学的知識の実用化の過程において産学官の連携がいかなる空間的関係で構築されてきたかを明らかにし, サイエンス型イノベーションを促進する地域政策のあり方を考察することである。本論文では, 特許データを基礎資料として産学連携の地理的関係を明らかにするとともに, 大学, 企業, 行政関係者へのインタビューを行うことにより, ローカルからグローバルにわたる重層的な知識フローの空間特性を解明した点に大きな意義がある。

本論文は, 7つの章と終章から成る。まず第1章では, 研究の背景, 目的, 方法が述べられている。第2章ではマネジメント論と地理学の視点からイノベーションと地域に関する先行研究が整理され, 知識フローのプロセスと主体間関係といった本研究における2つの視角が提示される。続く第3章では, 日本の地域イノベーション政策が概括されているが, 国レベルの政策だけではなく, これまで手薄であった都道府県レベルの政策展開についても詳しい検討がなされている。

第4章, 第5章, 第6章の3つの章は, 本論文の中心をなす実証研究の研究成果である。第4章では, 長野県におけるカーボンナノチューブの実用化の取り組みが取り上げられている。そこでは, 汎用性が高いという技術特性から, 早い時点で共同研究が県外の大企業に拡散していたものの, 文部科学省の政策に長野県が指定されることを契機として県内での産学連携が活発化し, 知識が県内中堅企業に移転していったことが明らかにされている。

第5章では, 山形県における有機ELの実用化の取り組みが対象となっている。山形県では県の政策として, 山形大学にある有機ELに関する技術シーズの実用化を目的として研究所が開設された。しかしながら, 有機ELにおける事業展開が既存事業の延長線上にあるという地元企業が少なく, 研究開発の参加企業は県外の大企業が中心になっているという実態が明らかにされている。

第6章では, 海外のサイエンス型イノベーションの取り組みとして, スコットランドにおけるバイオテクノロジー産業の育成が取り上げられている。そこでは地方政府のイノベーション施策とともに, 日系を含む多国籍企業の役割が注目されており, ローカルとグローバルの資源混合が重要である点が指摘されている。

第7章では, 実証研究で得られた知見が比較され, サイエンス型イノベーションと地域との関係が考察されている。長野と山形の事例の比較を通じて, 地域にとって, 地理的近接性よりも産学官連携に関わる主体間の関係的近接性が重要であり, 地域内外の機関を結ぶ関係構築能力と地域外の要素を地域へ定着させる能力をいかに創出するかが課題であるとされている。

終章では, これまでの知見が整理されるとともに, 地理学的研究と経営学的研究に橋を架ける地域イノベーション・マネジメントの枠組みが提案されている。

以上のように本論文は, サイエンス型イノベーションにおける空間特性を知識フローに注目した実証研究から検討したもので, 研究開発の経済地理学に関する研究成果として高く評価することができる。したがって, 本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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