学位論文要旨



No 125538
著者(漢字) 栗原,顕輔
著者(英字)
著者(カナ) クリハラ,ケンスケ
標題(和) 内封DNAの自己複製と連動するベシクル自己生産系
標題(洋)
報告番号 125538
報告番号 甲25538
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第987号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 教授 村田,滋
 東京大学 准教授 若本,祐一
 東京大学 講師 豊田,太郎
内容要旨 要旨を表示する

【1.背景】

生命の起源や生命システムの仕組みを探求する手法として、ベシクルを用いた人工細胞の構築が注目を集めている。一般に人工細胞を分子レベルから構築する構成的アプローチと、ベシクルに細胞の機能を持たせた物質を封入して機能を発現させる準構成的アプローチ(semi-synthetic approach)に分けられる。前者ではLuisi やSzostak らのグループがRNA 細胞を目指しており、後者では四方や吉川らのグループが生体由来物質を封入して、それらの機能を持つベシクルを構築している。どちらのアプローチにとっても人工細胞に必須の要素は、次世代へと受け継がれる情報物質の複製、自他を区別できる境界膜の自己生産、反応を触媒する物質だと考えられる(図1)。

本研究室では、前者のアプローチとして、高倉による外部から膜分子前駆体を添加することで自己生産できるジャイアントベシクル(GV)系を構築している[1]。また情報物質の複製としてGV 内でのDNA の複製が課題となるが、最近庄田と田村によりベシクル内ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)の条件が見つかったことにより、この課題は解決しつつある。そこで筆者は、内部でDNA の複製が進行しているベシクルに自己生産を誘発することで、人工細胞へ向けた大きなステップを踏み出すことを目標とした。

【2.高電解質溶液中でのベシクル系の構築】

第二章では、DNA の複製手法であるPCR 用の緩衝溶液と、同程度の高電解質液中でも調製でき、かつ長時間安定に存続できるベシクルの作成を目指した。DNA 複製が進行する高電解質溶液に耐えうる新規膜分子と触媒(図2)は、次のような指針の下に行った。膜分子(V)としては、親水部にカチオン性である4 級アンモニウム塩を持ち、疎水部末端にアルデヒド基を持ち、疎水部としてはやや長めのアルキル基を用いる二本鎖型両親媒性分子を用意する。それにより高電解質条件下でも安定に二分子膜を形成し、前駆体の加水分解に必要な触媒の取り込み能力を高める。蛍光性触媒分子(CF)としては二本の長鎖アルキル基を、非蛍光性触媒分子(CN)としては、一本の長鎖アルキル基をもつイミダゾール塩酸塩を用いる。膜分子前駆体(V*)は、水溶性の必要があるため双頭極性型とし、極性を持つ電解質分子をイミン結合で連結させる。この膜分子前駆体を、GV分散液に添加すると、ベシクルに含まれる酸触媒の作用によりイミン結合が加水分解をうけ、生じた膜分子(V)がベシクルに取り込まれる。

膜分子V と非蛍光性触媒分子CN と蛍光性触媒分子CF を、90:10:1 の割合で混合したGV を調製したところ、顕微鏡観察の結果、ベシクルはフローサイトメトリー(FCM)計測に用いる高電解質の緩衝溶液中でも、安定に存在することがわかった。さらに膜分子前駆体を添加すると、脱イオン水中と同様に自己生産挙動を示した。本研究よりも前に、アルキル鎖の炭素が二つほど少ない膜分子で構築したベシクルの自己生産を集団計測した例があるが、初期分布からいきなり2,3 回分裂が進んで安定した分布に移行しており、中間過程である肥大・分裂・成長についての情報が得られていなかった[2]。本系は自己生産の進行が遅いので、中間過程の観測も可能となり、DNA の複製とベシクルの分裂との関係性を調べることにも繋がった。また、セルソーターを用いて自己生産するベシクルのソーティングもできるため、ソーティングしたベシクルも自己生産することを確認した。自己生産ダイナミクスのサイズ依存性についても考察を行った。

【3.内部でDNA を増幅した自己生産するジャイアントベシクルの構築】

第三章では、DNA を複製した自己生産するGV 系を構築したことについて述べている。情報分子(DNA)を内部で自己複製させつつ、袋(GV)自体が自己生産するには、PCR によるDNA の複製条件下でベシクルを自己生産させる必要がある。このときの満たすべき条件としては、以下の三つがある。第一は、強い電解質溶液中でDNA が内包できるような中空のベシクル系を構築すること。第二は、ベシクルに封入したDNA がPCR で増幅すること。第三は、DNA が増幅したベシクルに膜分子前駆体を添加した際、自己生産ダイナミクスが起こること。以上の要件が達成されれば、少なくとも人工細胞と呼べる系が構築できたことになる(図3)。

そのためには、PCR の高熱条件にも耐えうる系を構築する必要がある。第二章で述べたベシクル系に高熱条件下でも相転移を起こしにくいリン脂質を配合することとし、膜の脂質としてPOPC、POPG、人工膜分子V、非蛍光触媒分子CN を6:2:2:1 の割合で調合した。POPG はPOPC と同様にベシクル膜を強固にし、カチオン性膜分子を電気的に中和する狙いがある。DNA はポリアニオン性なので、仮に膜がカチオン性ならば、膜分子と相互作用してDNA と脂質の複合体を形成する恐れがあるからである。ベシクルに封入する内容物は、緑色蛍光タンパクを発現できる1229 塩基対の鋳型DNA、プライマー対、デオキシヌクレオチド、DNA 合成酵素、Mg2+、二本鎖DNA(dsDNA)を検出するSYBRR Green I (SG)である。上記の膜成分を用いて作製したマルチラメラの粗ベシクルを押し出し法で再調製することで、内部DNA を含むことのできる中空状のGV の構築に成功した。このベシクルはPCR の熱条件でも安定で、中空状の構造を保った。図4 に示す蛍光顕微鏡観察像より、PCR 処理前のベシクルでは蛍光は観測されないが、鋳型DNA を内包したベシクルをPCRにかけると、増幅したdsDNA とSG の複合体が発する蛍光を検出することができた。このGV 系を集団計測すると、系全体の約15%のベシクルの蛍光強度が増加したことも分かった。増幅したdsDNA が鋳型DNA と同鎖長であることは、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により確認した。

PCR でDNA を増幅させたGV に、カチオン性膜分子の前駆体V*を添加することで、ベシクルの自己生産ダイナミクスを引き起こすことに成功した。これを微分干渉顕微鏡で観察した連続写真を図5 に示す。増幅したDNA を含むベシクルは、膜分子前駆体を添加してから数分間で数回のGVの分裂があった。さらに蛍光顕微鏡観察では、分裂後のベシクルも蛍光が観測されたので、分裂したベシクルにも増幅したDNA が含まれていることが明らかになった。

一方、DNA 内包ベシクルの自己生産は、DNA を内包していないベシクルのそれと比較して速く進行する傾向がある。すなわち鋳型DNA が無いGV に温度サイクルをかけた場合、約2 時間で平均して数回しか分裂しない。これらの結果は、増幅したDNA が外水相に添加したカチオン性の膜分子前駆体と連携することで、GV の分裂を加速させることを示している。本系では全体としてベシクル膜の電荷は中和されているが、部分的にポリアニオン性のDNA と相互作用する膜分子のクラスターが生じ、DNA がベシクル二分子膜のうち内側の膜に取り込まれる際に、相対的に外側の膜分子が多くなるので外膜の曲率が大きくなり変形を起こす。すなわちエキソサイトーシス様の変形がベシクルの分裂を誘発すると考えられる。このメカニズムは、増幅したDNA を持つGV では連続した分裂が起き、増幅したDNA を持たないGV ではそれが起こらないことを説明している。

【4.結論と展望】

ここで関連研究との比較をしてみたい。Luisi らの人工細胞の研究では、ラージベシクル内部でPCR を行ったが分裂させることができず、PCR 効率も約0.1%と低かった。Szostak らはラージベシクル内部に複製する核酸の前駆体を取り込み、内部で核酸の重合をしているが、物理的な力でベシクルを分裂させており、不自然さが残る。また両者とも単一ベシクルについて顕微鏡観察を行っており、その現象が頻度よく起こる事象であるか判断できない。

本研究で構築した系は、PCR の高電解質条件や加熱冷却条件にも耐えうるベシクル系である。本系は添加された膜分子前駆体を加水分解することで膜分子としてベシクル中に取り込み、肥大・分裂を起こさせる点で化学的なアプローチからGV を自己生産することにも成功した人工細胞モデルといえる。外部からの条件設定により、任意に膜分子前駆体を添加して自己生産することができ、適宜DNA を増幅できる系といえる。本研究はまた集団解析より、この現象が決して希有な現象でないことも示した。集団解析の結果、内部情報分子の複製と自己生産ダイナミクスの連動性が見えてきた最初の例であり、DNA を多く含むベシクルほど分裂が速く進んだことは、二つのダイナミクスの連携を強く示唆している。現在のところ、DNA の情報はポリアニオン性であることのみで、膜分子と相互作用しているように見える。さらに情報としての意味を取り出すには、ベシクルの分裂と内部DNA の増幅量の閾値との関連を調べる必要があるだろう。自己生産を多数回繰り返させるには、分裂の度ごとに減少するV 以外の膜分子や、内部のDNA 複製に必要な物質をベシクルに補給する手法の確立が前提となるが、このベシクル系とFCM 計測の技術を用いれば、複製した人工細胞がどのように進化するのかの実験を行うことも可能となろう。

[1] K. Takakura, T. Sugawara, Langmuir 2004, 20, 3832-3834.[2] T. Toyota, K. Takakura, Y. Kageyama, K. Kurihara, N. Maru, K. Ohnuma, K. Kaneko and T.Sugawara, Langmuir 2008, 24, 3037-3044.

図1. 人工細胞モデル構築に必要な要素

図2. 合成した分子の構造式

図3. 人工細胞モデルの模式図

図4. PCR 前のベシクルとPCR 後のベシクルの微分干渉顕微鏡像 上:明視野像 下:蛍光野像 (bar=10 μm)

図5. DNA を内包するベシクルの自己生産ダイナミクスの微分干渉顕微鏡像 (bar=10 μm)

審査要旨 要旨を表示する

生命システムを構成的に理解するアプローチの中でも、人工細胞モデルの構築は、生命の本質に迫るものとして注目が集まっている。栗原氏の博士論文は、両親媒性分子が水中で形成する、細胞とほぼ同じサイズのべシクルという構造体を用いて、ベシクル内部での情報分子(DNA/RNA)の自己複製と、ベシクルそのものの自己生産が連動する人工細胞モデルの構築を目指したものである。

論文の概要

第一章では、本研究の背景、目的とその意義について述べている。第二章では、DNAの複製が起こりうる高電解質水溶液中で、自己生産が可能なべシクル系の構築とその自己生産ダイナミクスの集団解析について述べている。水素結合によるDNAの相互認識が水中で行われるには、高電解質溶液である必要があるが、その条件はべシクル形成には不利であり、両親媒性分子は不定形な凝集体を形成し易い。栗原君はこの問題を、疎水性の大きな膜分子と触媒分子を合成し、それらを用いたべシクル系を用いることで克服し、膜分子前駆体の添加により、ベシクルの自己生産が起こることを顕微鏡観察で明らかにした。さらに、フローサイトメトリーにより、数万の個数のべシクル集団を対象とした自己生産ダイナミクスの集団解析を行い、第二世代以降の集団をサイズごとに分け取り、その部分集団の自己生産プロセスを精査することで、自己生産ダイナミクスに及ぼすべシクルのサイズ効果を明らかにした。また、ベシクル集団が3,4回の自己生産を行なった後も、ベシクル集団のサイズ分布がほぼ一定に保たれる原因を解明する上で貴重な知見を得ている。

第三章で栗原君は、ベシクル自己生産ベシクル内部でDNA複製を行うための条件を考慮し、二種のリン脂質(双性イオンPOPCとアニオン性リン脂質POPG)とべシクル再生産ダイナミクスに必要なカチオン性膜分子からなるハイブリッドな膜を用意した。このべシクル分散液に2段階からなる温度昇降プロセスを20回行ったところ、二本鎖DNAが約数十倍に増幅することを、蛍光プローブを用いることで明らかにした。また、増幅した二本鎖DNAが鋳型DNAと同じ鎖長を持つことは、ゲル電気泳動により確認している。

ついで、PCR後のべシクルに、膜分子の前駆体分子を添加したところ、内水相でDNAが増幅したべシクルのみが、約10分の間に選択的に数個のべシクルに分裂すること、さらに、蛍光顕微鏡による観察より、分裂前のべシクルの内水相に含まれていたDNAが、新たに分裂したべシクルにきちんと分配されていることを見出した。この結果は、ベシクル内部のDNAの存在が、ベシクル分裂ダイナミクスの進行を速めたことを意味している。本成果は、RNAワールドを構成する情報伝達分子の増幅と、リピッドワールドに関連する膜分子生産反応のダイナミクスが連動しる人工細胞モデルが誕生したことを述べている。

審査結果

この発表を受け審査会では、以下のような質疑討論を行なった。

第二章の研究成果を基に、大きな障壁があると思われる挑戦的テーマに挑戦し、よく吟味したな実験条件を設定して優れた成果を挙げた点が高く評価された。特に、自己生産ベシクルの内部でDNAの複製系を実現するには、1)内部にDNAの複製に必要な化学物質を、全てくるみ込めるような中空ベシクルめ高電解質水溶液中での作製、2)可能な限り物理化学的に複製を実現するに当たり、二本鎖DNAを熱的に解くため必要とされるベシクル形状の熱耐性(約95℃)、3)ポリアニオンであるDNAと、膜複製に必要とされるカチオン性膜分子を含むベシクル膜との微妙な相互作用の導入、が満たされなければならず、その条件をクリヤーする膜成分を見出したことは申請者としての高い能力を示すものといえる。

前向きのコメントとして、膜分子前駆体を添加した時、ベシクル内部でDNAの増殖が起こっているベシクルのみが迅速な分裂(自己生産ダイナミクス)を起こす実験結果は重要である。その際、1)ベシクル内のDNA量にダイナミクスを誘発する閾値があるのではないか。2)ベシクルが内部のDNAの情報(遺伝子型:ジェノタイプ)を読み、それがダイナミクスあるいは形態(形態型:フェノタイプ)に反映されるようになれば、進化の可能性を内包した人工細胞へと展開することも可能となろう。3)このモデルでは、分裂したあとにさらに何代にもわたり自己生産を続けていくための仕組みはないが、今後、分子輸送システムを組み込むことで、世代にまたがり連携のある分裂が行われるようになろう。とのコメントがあった。

論文の記述に対して、DNA増殖ベシクルに膜前駆体添加で迅速に分裂する機構についてより明快な記述や、上記にダイナミクスに関し対照実験結果があれば本文に明記して欲しいとの要望があり、その後すでに改訂がなされている。

栗原君の博士論文は、昨年度ノーベル化学賞を受賞したSzostak、生命に起源を化学的に解明する研究の先駆者であるLuisiおよびPartelが、2001年に、細胞の最も本質的な三要素として、内部の反応系を外部の反応系と仕切るコンパートメント(膜)、内部の代謝反応に不可欠な触媒(酵素)、細胞の個性を子孫に伝える情報物質(RNA,DNA)を挙げ、そこには、情報物質(RNA,DNA)の複製と膜の自己生産という二つのダイナミクスが連動することが、細胞としての最小限の要件であるとの論文を発表している。その後様々な試みがあったがまだ、充分な系が提示されていなかった中にあって、待望久しかったSzostakらの提唱した膜分子再生産とDNA複製が連動するベシクル型人工細胞モデルを実現したものであり、関連分野のマイルストーンとなる成果として、高く評価された。

結び

論文の公表状況であるが、今研究の第2章に記述されているフローサイトメトリーによるジャイアントベシクルの集団解析に関しては、(申請者が筆頭著者でないため)参考論文であるが、すでに膜物性の専門誌Langmuirに掲載されている。また、本論文の2章の内容はSoft Matterに投稿し受理された。第3章の内容は、閲覧率の高い一般誌Angewandte Chemieに投稿し高い評価を得たが、一部考察を追加するようにとのコメントがあり、改訂稿を準備中であり、近々再投稿できると考えている。それぞれ共著者との共同研究であるが、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって、本論文は博士(学術)学位申請論文として合格と認められる。

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