学位論文要旨



No 125539
著者(漢字) 小松,英司
著者(英字)
著者(カナ) コマツ,ヒデジ
標題(和) TTF系スピン分極ドナーを用いた有機磁性-導電性共存系
標題(洋)
報告番号 125539
報告番号 甲25539
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第988号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 教授 尾中,篤
 東京大学 教授 村田,滋
 東京大学 准教授 深津,晋
内容要旨 要旨を表示する

近年、有機磁性体および有機導電体の研究が急速に進展し、有機強磁性体、有機金属、有機超伝導体などの新しい分子性物質が開拓された。それらの物性が発現する転移温度などに未だ難はあるものの、すでにそれらの分野が当初目指した高い水準に到達した感がある。その実績を踏まえ、現在それらの物性を複合する、あるいは、電場、磁場、光、圧力などで複合化された物性を制御できるように操作性を持たせるなど、高度化の段階に差し掛かったといえる。

その流れの中で重要な課題の一つとして、磁性と導電性の双方を併せ持ち、かつそれらが互いに相関をもった「有機 磁性-導電性共存系」の構築が挙げられる。磁性-導電性共存系では、磁性を担う局在スピンと導電性を担う伝導電子が相互作用する結果、外部磁場の印加による導電性の変調(磁気抵抗効果)や、伝導キャリアを介した局在スピンの整列などの複合物性の発現が期待できる。従来、無機の磁性金属イオンを局在スピンとして用いた 分子性物質による磁性-導電性共存系の構築は数多く報告されているものの、有機分子がスピンを担った有機物質による磁性-導電性共存系は実現されていなかった。著者が所属する研究室では、以前から 有機 磁性-導電性共存系の構築を目指し、一電子酸化により基底三重項のカチオンビラジカルを与える特殊なドナーラジカル「スピン分極ドナー」の開発を進めてきた。そして2年程前に、ジセレナジチアフルバレン誘導体にニトロニルニトロキシドを交差共役的に接続したスピン分極ドナーESBN の導電性イオンラジカル塩ESBN2ClO4 が、20 K 以下で負性磁気抵抗を発現したことを報告した。しかしながら、その低温での導電性は、電場印加による非線形伝導によりもたらされたものであり、金属的な導電挙動を示すには至っていない。 本研究では「金属的な導電挙動を示す 有機 磁性-導電性共存系の構築」を目指した。有機 磁性-導電性共存系の構築は、分子レベルで動作可能なスピンエレクトロニクス素子の開発へ向けた基礎研究として捉えることもでき、興味深い研究対象であると考えている。

第2 章では、高導電性を示すイオンラジカル塩を与えるスピン分極ドナーの合成を目指し、テトラセレナフルバレン(TSF)骨格を有するドナーラジカルTSBN(図1:左)を設計した。この分子設計指針は、ドナー骨格への高周期カルコゲン元素の導入による、分子のオンサイトクーロン反発(U)の減少と導電経路の移動積分(t)の増大(導電の次元性の向上) を利用した導電性の向上である。 当初に計画したチタノセン錯体を利用した合成経路では目的物が得られず、ポリジセレニドを用いる経路により、ようやくTSBN の合成に至った。電気化学測定から、TSBN は一電子酸化によってドナー部位から電子が抜かれ、カチオンジラジカル種となることが示唆され、さらに、ヨウ素酸化した試料のESR 測定により、分子内の有機局在スピンと酸化により生じたπラジカルの間に強磁性的相互作用が働く基底三重項状態であることが示された。

電解結晶化の条件を精査することでTSBN イオンラジカル塩TSBN2ClO4 を得た。次いで、TSBN2ClO4 単結晶試料のX 線結晶構造解析を試みたが、単結晶の質が充分でなく、現在のところ解析には至っていない。しかしながら、格子定数から、ESBN2ClO4 と同形の結晶であると推測される。すなわち、ドナー部位のπ共役平面を重ねるようにhead to head 型に積層したカラム構造を形成しており、さらに、カラム内およびカラム間のSe-Se 接触が増強されていると考えている。 また、磁化率の温度依存性はキュリーワイス則(C = 0.75 emu K mol-1 , θ = -2.1 K)で良好に再現され、分子間に弱い反強磁性的相互作用が働いていることがわかった。

TSBN2ClO4単結晶試料について、伝導度測定(直流四端子法)を行った。測定には、研究室自作のサンプルホルダーを用い、MPMSにより温度を制御した(T = 290~5 K)。この試料の室温伝導度はσRT = 6 S/cmとかなり高く、ESBN2ClO4よりも約103倍に向上したことになり、分子設計が的を射たものであるといえる。その高い導電性を反映し、半導体(Ea = 11 meV (290-100 K) )でありながら、直流四端子法で、5 K以下の極低温まで電気伝導度測定が可能となった。

導電特性の磁場応答性を調べる目的で、磁場下での伝導度測定を行った。 図2に、各温度における磁気抵抗比( (RH-R0)/R0 )の磁場依存性を示す。印加する外部磁場が強くなるにしたがって、負性磁気抵抗比の絶対値は増加する挙動を示した。これは、外部磁場が強まるにつれて、ラジカル部位の局在スピンが徐々に揃っていくことに対応していると考えられる。実際、TSBN2ClO4の磁気抵抗比はその磁化の2乗に比例する(MR (〓)M2)ことがわかった。この結果は、TSBN2ClO4の負性磁気抵抗が、結晶中の有機局在スピンの秩序化によって引き起こされていることを強く示唆している。

活性化エネルギーが低い結晶が得られたことを受け、TSBN2ClO4の伝導度の圧力依存性を検討した。5 kbar の加圧下では、伝導度の上昇(RT = 9 S/cm)と活性化エネルギーの低下(Ea = 7 meV)が見られ、ついに10 kbar下では、約70 K以上の温度域において、温度の低下に伴い伝導度が増加する金属的な導電挙動を示すことを見出した(σRT = 11.8 S/cm, 10 kbar下)。さらに、10 kbarの加圧下において15 K以下の低温域では常圧下と同様に負性磁気抵抗が認められ、1.7 K, 12 T 印加時には、負性磁気抵抗比は -99.9% (ρ(12T)/ρ(0T) ~ 1/1200) に達した。すなわち、世界初の「有機磁性金属」が実現された。

第3章では、導電カラム間の分子配列の制御とそれに伴う分子間相互作用の増大を目標に掲げ、分子末端にハロゲンを置換したTTF系スピン分極ドナー(CTBN、BTBN、ITBN:図1:右)の合成およびその物性について論じた。

黒色の中性結晶を与えたジブロモ体BTBNの吸収スペクトルには、分子内遷移に帰属される吸収帯の他に、近赤外領域(約10,000 cm-1)から赤外領域(約1,400 cm-1)にかけて幅広な吸収帯が観測された。BTBNは結晶中で、ドナー部位のπ共役平面が重なった一次元の積層カラムを形成しており、また、隣接カラム間には、分子末端の臭素原子とベンゾジチオール環の硫黄原子の接触(Br・・・S : ca. 3.6 A)および、もう一つの臭素原子とニトロキシド部位の酸素の接触(Br・・・O-N : ca. 3.0 A)がみられる(図4)。先に示した幅広な吸収帯は、カラム間にみられたBr・・・O-N接触に起因した、HOMOバンドからSOMOバンドへの遷移に由来するものと考えられる。

BTBN中性単結晶について直流四端子法による伝導度の温度依存性を測定したところ、室温伝導度σRT = 9.0 × 10-4 S/cm 、活性化エネルギー Ea = 0.28 eVの半導体であることが明らかとなった。この伝導度は、単一成分中性結晶としては驚くほど高い値である。 BTBN中性結晶の高い導電性は、ドナー部位のπ共役平面のスタックによる導電経路の形成と、分子間の電荷移動相互作用に基づくキャリアの生成によるものと考えられる。 磁化率の温度依存性は、鎖間に弱い反強磁性的相互作用が働く擬一次元強磁性鎖モデル(Jintra = + 6.5 K, Jinter = - 1.1 K, z = 2)で良好に再現された。

高電圧を印加すればより低温での伝導度測定が可能と考え、櫛型電極を用いて2 K で I-V 特性の測定を試みた。その結果、約8 V 以上の電圧を印加して得られる電流は、電圧の16乗に比例し、顕著な非線形性を示すことがわかった。この伝導は、I-V特性の温度依存性の検討などから、有機EL素子のキャリア輸送にも用いられている空間電荷制限伝導(SCLC)であると結論した。

極低温においてもBTBN中性結晶にSCLC機構で電流が流せることが判明したため、その磁場効果を検討した。磁場の掃引に対する磁気抵抗比の変化を測定したところ、30 K 以下では負性磁気抵抗が発現し、2 K, 5 T 印加時では磁気抵抗比が -76%であった(図5)。 また、BTBN中性微結晶(薄膜)に対して絶縁膜を介した静電的なドーピングを試みたところ、両極性のトランジスタ特性を示し、さらに磁場により移動度が向上することが明らかになった。

以上のように、導電カラム間の相互作用の増大による導電性の向上を狙って合成したBTBNであったが、単一成分の有機ラジカル中性結晶でありながら、その導電性が磁場でも電場でも制御できるという予想外の成果を導くことができた。この成果は、有機物質による多重応答性素子の構築の可能性を示したという点においても意義があると考えている。

図1 本研究で合成したスピン分極ドナー

図2各温度のおけるTSBN2ClO4の磁気抵抗比の磁場依存性

図310 kbar加圧下におけるTSBN2ClO4の抵抗率の温度依存性(黒:ゼロ磁場、赤:9 T 印加時)

図4BTBN 中性結晶の分子配列(a) 一次元カラム構造(b) カラム間の分子間接触

図5各温度のおけるBTBN中性結晶の磁気抵抗比の磁場依存性

審査要旨 要旨を表示する

近年、次世代エレクトロニクスとして、電子の持つ電荷のみならずスピンの情報を取りこんだスピンエレクトロニクスに関心が集まっている。申請者の所属する研究室では2007年に、ベンゾテトラチアフルバレンのジセレナ誘導体に、安定πラジカルであるニトロニルニトロキシドを交差共役的に導入したドナーラジカル (ESBN) を合成し、そのイオンラジカル塩結晶の電気抵抗が磁場を印加することにより、大きく減少することを見出した。これは、有機分子がスピンを担った世界初の磁性-導電性共存系として注目を浴びた。しかしながら、その結晶は半導体で、電荷秩序状態にあるため伝導度は必ずしも高くなく、高電場印加による非線形伝導を用いて磁気抵抗が計測されており、有機 磁性-導電性共存系の概念を確立する上で、より高い導電性を示す試料の出現が望まれていた。

論文の概要

学位申請者小松英司君の博士論文は、このような研究動向を受け、有機ドナーラジカルの分子構造を見直し、イオンラジカル塩の伝導度を高めることで、磁性-導電性共存系としての特性を一層明確にすることを目標として著されたものである。論文の第1章は、上記の現状認識と研究の目標について語られている。その中で、磁性-導電性共存系を実現する上で、ドナーラジカルの一電子酸化で生じた非局在πスピンとラジカル部の局在スピンのスピン整列が起こる"スピン分極ドナー"の電子構造が重要であることを強調している。

第2章では、より高い導電性を示すためのドナーラジカルとして、テトラチアフルバレン骨格の四つの硫黄原子を全てセレン原子で置換したテトラセレナ誘導体を提案し、逆合成法による合成経路の検討の後、精密な合成を行い目的化合物 (TSBN) を得ている。次いで、電解結晶化法で過塩素酸イオンを対イオンとした2:1塩の調製に成功した。その結晶の伝導度測定を行い、伝導度がESBNイオンラジカル塩と比較して4桁ほど向上したことを報告している。また、ほぼオーミックな伝導領域にある5 Kにおいて、5 Tの磁場印加により、53%に及ぶ負性磁気抵抗を観測したことから、有機ドナーの積層部を流れる伝導電子と有機ラジカルの不対電子の間に交換相互作用が存在することを明確に実証したことを述べている。

さらにこの塩に10 kbarの静水圧を印加したところ、室温から70 Kまでの温度域で金属的導電性が観測され、70 Kでは緩やかに半導体に転移するものの、1.7 K において12 Tの磁場印加下で、抵抗が1200分の1に減少することを見出した。有機ドナーラジカルのイオンラジカル塩で金属的導電性を示した最初の例であり、スピン分極ドナーの電子構造から考察するに、二重交換相互作用に基づく強い相互作用が起こっており、3桁に及ぶ負性磁気抵抗を示したことは、有機 磁性-導電性共存系の重要性を示すものだと結論している。

第3章で小松君は、2章とは異なる分子設計、すなわちテトラチアフルバレンの硫黄をセレンに置換するのでは無く、ドナー骨格のカルコゲン元素は硫黄原子のままで周縁部に2個の臭素原子を導入したドナーラジカル (BTBN) を合成している。これは、本来イオンラジカル塩を作製した際に、ドナーが積層したカラム間の相互作用を増大するための分子設計であったのだが、合成したドナーラジカルの中性結晶が黒色を呈したため、吸収スペクトルを測定したところ低エネルギー領域(バンド端は0.16 eVと見積もられる)に、バンド間遷移に帰属される吸収が観測された。またこの結晶は活性化エネルギーが280 meVの半導体であり、4端子法で測定した室温電気伝導度は、9 ×10-4 Scm-1と中性結晶としては異常に高い伝導度を示した。これは、ドナーラジカル分子のHOMOが形成する価電子帯と、ラジカル部に係数が局在化したSOMOが形成する半占有軌道のエネルギーギャップが小さいことに起因し、セルフドープされた状態にあるためと考察している。この結晶は、低温においては絶縁化するが、櫛形電極で高電場 (4 ×104 Vcm-1) を印加すると、非線形的にコンダクタンスが高まり、2 K において 5 T印加の下で76 %にも及ぶ負性磁気抵抗を示すことが分かった。その導電機構は、近年、応用が注目されている有機エレクトロルミネッセンス (EL) 素子と同じく空間電荷制限伝導 (SCLC) によるものと解釈される。

まとめとして、スピン分極ドナーという特徴ある電子構造を持つ新規なドナーラジカルを合成したことで、有機物がスピンを担う物質として世界で初めて金属的導電性をもち巨大な負性磁気抵抗効果を示す物質を実現したこと、また単成分からなる中性結晶でありながら、電極からのホール注入で導電性を獲得し、かつ磁場の印加でその導電性を制御できる物質を創出したことは、分子スピンエレクトロニクス研究の基盤となる成果だと結んでいる。

審査結果

審査委員会では、以下のような質疑応答があった。申請者小松君の博士論文は、第2章では堅実な分子設計に基づく物性の飛躍的向上を達成し、第3章は意外性のある展開で中性結晶でありながら、その導電性が電場・磁場で制御できることを発見している点に申請者の研究者としての資質が感じられる、との評価があった。また、物性に関する優れた成果が提示されていることもあり、物性の発現機構、その解釈に関して、高度な質疑応答が行われた。論文の記述について、1)すでに報告されているESBNと今回作製した TSBNのイオンラジカル塩のより詳細な比較、2)空間電荷制限伝導 (SCLC) 機構が本物性にどのように関与しているかのより踏み込んだ議論、3)負性磁気抵抗の磁場依存曲線とスピン分極の相関についての定式化、へのコメント・要望があった。上記の点はすでに論文の改訂が行われている。また、今回見出された物性は、単に 磁性-導電性共存系としてではなく、荷電スピンソリトンの輸送現象と捉えるべきではないかとの前向きなコメントがあった。将来、スピン偏重電流の測定などの実験結果を基に議論されるべきであろう。

これらの成果は、小松氏の堅実な合成能力、電解結晶化の条件探索に見られる粘り強さ、分子の性質を注意深く観察し、意外性のある成果に結びつける洞察力によるものであり、"ものづくり"を中心に据えた物性・機能開発の研究者としての優れた資質の証左であるというのが、審査委員全員の一致した見解であった。申請者は序論で自ら述べているように、新しい物性を示す分子を合成したいとの思いから、この分野を専門として選択したため、大学院入学当初は、物性科学のバックグランドは必ずしも十分ではなかったが、研究を進めていく中で、物性についても理解を深め、優れた論文を著したことは賞賛に値する。

結び

なお、成果の公表状況としては、博士論文の第2章の前半に関する内容は、錯体・物性関連の専門誌Polyhedronに掲載されている。後半のイオンラジカル塩の導電性・磁性の加圧効果は、昨年の12月に発見された内容であり、現在論文作成中である。第3章の内容はすでにアメリカ化学会誌に投稿し、レフェリーにより高い評価を得ている。結晶構造の詳細に触れるようにとのコメントがあったため、結晶の質および測定法を改良することで得られた精度の高い構造解析結果を追加した改訂稿を作成し、投稿済みである。それぞれ共著者との共同研究であるが、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって、本論文は博士(学術)の学位申請論文として合格と認められる。

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