学位論文要旨



No 125553
著者(漢字) 大塚,朋廣
著者(英字)
著者(カナ) オオツカ,トモヒロ
標題(和) 横結合型量子ドットにおける電子輸送現象
標題(洋) Electron Transport in Side Coupled Quantum Dots
報告番号 125553
報告番号 甲25553
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5461号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 岡本,徹
 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 准教授 加藤,岳生
 東京大学 教授 小森,文夫
 慶応義塾大学 教授 江藤,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

本研究は横結合型量子ドットにおける電子輸送現象を実験を通して調べたものである。量子ドットは電子を微小な領域に閉じこめた人工量子系であり、任意の加工ができるという人工系の特性を生かして、原子や分子などの自然界の量子系とは異なり、直接リードを取り付けて電気伝導により内部の状態を測定することが可能である。この伝導現象においては量子ドットに直接電子が出入りするため、量子ドットとリードとは不可分となり、その結合系が研究の対象となる。これまでの量子ドットの伝導測定においては、測定量を量子ドットを通過して流れる電流とするために、二つのリードを量子ドットに結合させる手法がよく用いられてきた。この場合、量子ドットと二つのリードの電子系との結合系を扱うことになる。しかし、結合系という視点で見て物理的に最も単純な系は、量子ドットと一つの電子系との結合系である。この系が、本研究で扱う、量子ドットが単一のリードに結合した横結合型量子ドットである。

まず、横結合型量子ドットにおける量子干渉効果であるFano効果を、電子状態の良く定まった少数電子量子ドットを用いて測定した。図1(a)のように量子細線と呼ばれる一次元伝導チャンネルの側面に単一トンネル障壁を介して量子ドットを結合させると、量子ドットを経由する経路と経由しない経路が生じ、これらがFano効果と呼ばれる量子干渉効果を引き起こす。Fano効果による量子細線の伝導度GQWRの変化を、量子ドットの電気化学ポテンシャルを操作するゲート電圧VPと量子細線の幅を操作するゲート電圧VWの関数として測定した結果を図1(b)に示す。図中の破線は量子ドットの共鳴の位置を示すFano曲線の中心を結んだものであり、これが量子ドット内の電子数Nが変化するVPの値を示している。また図中の左端の領域ではFano曲線が観測されず、Nが0となったことを示しており、少数電子量子ドットが実現できたことが確認された。さらにN = 2と6の領域でのFano曲線の中心間距離の増大は量子ドットにおける殻構造を反映している。図1(b)中の実線に沿ったFano曲線の形状を図1(c)に示す。GQWRのプラトー上でVW次に横結合型量子ドットにおける励起状態を、方形波電圧を量子ドットのゲートに印加する手法を用いて調べた。VによってFano曲線の形状が変化する様子が見える。これは量子細線と量子ドットの結合部の有限幅に起因しており、実験結果を有限の結合幅を取り入れたモデル計算により再現した。

次に横結合型量子ドットにおける励起状態を、方形波電圧を量子ドットのゲートに印加する手法を用いて調べた。VPに方形波電圧を印加すると、図2(a)のように量子ドットの電気化学ポテンシャルが電極のFermi準位に対して変化する。この際に生じる量子ドットへの電子の流出入を、静電的な効果を通して、近傍に設置した量子ポイントコンタクトの電流の方形波に同期した成分Isyncの変化として測定する。ここで方形波電圧のDCオフセットVPDCと振幅Vampによって電子の流入する量子ドット内の準位が変化するため、図2(b)のようにVPDCとVampの関数としてIsyncを測定すると励起状態についての情報を得られる。図中には基底状態への電子の流出入を示す浅いディップと、基底状態と軌道励起状態双方への電子の流出入を示す深いディップが生じている。ディップの浅い部分の幅が軌道励起エネルギーを反映しており、これより励起エネルギーを求めることができる。ただ実際にエネルギーを求めるには、VPDCからエネルギーへの変換係数αが必要となる。そこでバイアス電圧Vbiasを印加した短い量子細線をリードとして用いることにより、αを正確に求める手法を提案した。Vbiasを印加すると量子細線内は非平衡状態となり、二つの擬似的なFermi準位が形成される。量子ドットはこれらと結合し、それぞれのFermi準位に対応したIsyncのディップが生じる。そこで図2(c)のようにVbiasを変化させながら測定を行い、これをエネルギー校正の指標として用いることによりαを評価し、軌道励起エネルギーを正確に求めた。また、この手法を磁場をかけた際のスピン励起状態の観測に適用した。Zeemanエネルギーの磁場依存性を調べ、量子ドット中でのg因子を求め、この値がこれまで報告されている値とコンシステントであることより、この手法の妥当性を確認した。

量子ドット内準位を正確に調べられるようになると、逆に量子ドット内準位を利用して量子ドットに結合しているリード内の電子状態を調べることが可能となる。特に横結合型量子ドットは正味電流の流出が完全にゼロのため、擾乱の小さい優れたプローブとして動作する。また、量子ドット中の準位がスピン状態に依存するので、このプローブはスピンに対して感度を持つ。そこで横結合型量子ドット中のZeeman分裂した準位を利用して、リード内に生じたスピン偏極を検出する手法を提案した。リードがスピン無偏極である場合には量子ドット中のアップ、ダウンスピン双方の状態へ電子が流出入するが、スピン偏極している場合は一方の状態にしか流出入しない。この違いは電子のトンネルの信号に反映される。そこで実際に磁場下でのスピン分裂したチャンネルを持つ量子細線を操作可能なスピン偏極源として用いて、横結合型量子ドットのスピン偏極の検出器として動作を調べた。図3に測定されたスピン偏極P(a)およびGQWR(b)をVWの関数としてプロットしたものを示す。VWの操作とともにPが0と1の間を振動する様子を見ることができる。またGQWRとの対応関係を見ると、スピン無偏極状態を示すGQWRの幅の広いプラトーでRはOに近くなり、スピン偏極状態を示す幅の狭いプラトーでRは1に近づいている。これは横結合型量子ドットがスピン偏極の検出器として動作していることを示している。また、Vwが大きい領域でも1に近い、Pが観測されており、この検出手法が量子細線内のチャンネル選択性を持つことを反映している。さらにゼロ磁場でのスピン偏極についても、量子ドット内のスピン-重項、三重項状態を用いて観測する手法を提案した。

局所的な電子状態が重要な役割を果たす系として量子Ha皿系がある。そこで、横結合型量子ドットを局所プローブとしてホールバーに結合させ、その内部電子状態を測定した。量子ドットへの電子のトンネルはFermi準位付近の電子状態を反映する。このためトンネルを利用してホールバー内の局所的な電気化学ポテンシャルや電子温度を調べられる。図4にホールバーにバイアス電圧を印加した際の電気化学ポテンシャルの変化δ(a)、電子温度の上昇△Te(b)を磁場Bの関数として測定した結果を示す。灰色で示した量子Hall領域においては負のBにおいてδが1に近くなっており、エッジ状態が形成され、これがバイアスをかけたコンタクトと平衡にあることを示している。またBを正にするとδが0となり、エッジ状態の向きが変わりグラウンドに接続されたコンタクトと平衡となることを示している。△Teがほぼ0であることは、量子Hall領域におけるエネルギー緩和の抑制を反映している。電子状態の場所依存性については、図中の丸で示されたホールバーの中心の量子ドットで観測された結果と、四角で示されたコンタクト近くの量子ドットで観測された結果が一致しており、量子Ha皿領域においてはホールバーに沿って一様な電子状態となっていることが示された。一方、非量子Ha皿領域においては、δが0や1からずれ、△Teが有限の値となっており、エネルギー緩和が生じていることを示している。場所依存性について見ると、ホールバーの中心の量子ドットにおいて観測された結果と、コンタクトに近い量子ドットにおいて観測された結果が異なっており、非量子Hall領域においては非一様な電子状態が形成されていることを示している。さらにエッジ状態におけるスクリーニングの効果についても横結合型量子ドットへの電子のトンネルの信号を用いた手法により観測し、磁場の増大とともにスクリーニングが強くなる様子を観測した。

図1 (a) 横結合型量子ドットの模式図。量子ドットを経由する経路と経由しない経路が量子干渉を引き起こす。(b) GQWRの変化をVPとVWの関数としてプロットしたもの。図中の破線はFano曲線の中心を結んだものを示す。(c) 図(b)中の実線に沿ってFano曲線をプロットしたもの。VWとともにFano曲線が変化する様子が見える。

図2 (a) 方形波電圧および量子ドットの電気化学ポテンシャルの模式図。方形波に同期した電子の流出入が起こる。(b) Isyncの変化をVPDCとVampの関数としてプロットしたもの。基底状態への電子の流出入を示す浅いディップと、基底状態と軌道励起状態双方への電子の流出入を示す深いディップが生じている。(c) 様々なVbiasにおいてIsyncをVPDCの関数としてプロットしたもの。Vbiasとともに移動するディップが観測される

図3 (a) PをVWの関数としてプロットしたもの。Pは0と1の間を振動している。(b) GQWRをVWの関数としてプロットしたもの。塗りつぶし三角はスピン無偏極の幅の広いプラトーを、白抜き三角はスピン偏極の幅の狭いプラトーを示す。

図4 (a) δをBの関数としてプロットしたもの。灰色の領域が量子Hall領域を示す。丸はホールバーの中心の量子ドットにおいて観測された結果を、四角はコンタクト近くの量子ドットにおいて観測された結果を示す。(b) ΔTeをBの関数としてプロットしたもの。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、7章からなる。第1章は序論であり、本研究の動機、目的および背景が述べられている。近年、量子ドットと呼ばれる電子を微小な領域に閉じ込めた人工量子系の作製が可能となっている。量子ドット中の電子状態を調べるためには、量子ドットに二つのリードを結合させた単一電子トランジスタ構造が主として用いられてきた。本論文の研究対象は、横結合型量子ドットと呼ばれる量子ドットが一つのリードとのみ結合した、さらに単純な物理系であり、量子ビット等への応用面への期待も高い。

第2章では、電子線リソグラフィー等の技術を用いた試料作製と希釈冷凍機を用いた極低温下での電気伝導測定に関する実験手法が説明されている。

第3章と第4章において、横結合型量子ドット中の電子状態の観測に関する2種類の実験について結果と考察が述べられている。第5章と第6章においては、横結合型量子ドットを用いた固体中の電子状態の観測に関する2種類の実験について結果と考察が述べられている。第3-6章の研究の内容は、それぞれ、J. Phys. Soc. Jpn.、Appl. Phys. Lett.、Physical Review B、Physica E (掲載予定)にまとめられており、いずれも高く評価できるものである。

第3章では、少数電子量子ドットを結合させた量子細線に対して、量子干渉効果であるFano効果を測定した結果について説明が行われている。Fano効果による信号を用いて、量子ドットがゼロ電子状態に到達したことが確認され、さらに少数電子状態における殻構造を示唆する結果が得られている。さらに、Fano効果の形状の変化に対するモデル計算も行われている。

第4章では、量子ドット中の励起状態の観測について述べられている。ゲート電圧に方形波の変調を加えることにより量子ドットの化学ポテンシャルが変化し、リードとの間に電子の出入りが起こる。方形波の振幅を大きくすると励起状態が関与するトンネリングの効果が観測されるようになる。このことは、Elzermanらによって提案・実証されていたが、論文提出者はさらに励起エネルギーを正確に求める手法を提示し、スピン励起状態に適用してその妥当性を実証した。量子細線にバイアス電圧をかけた際に生じる非平衡電子をエネルギー較正の指標として用いる手法は、論文提出者が独自に考案したものである。

第5章では、横結合型量子ドットを用いてリード側のスピン偏極を検出する手法に対する提案と実験が説明されている。操作可能なスピン偏極源である面内磁場中におかれた量子細線に対して行われた実験では、量子細線のゲート電圧の変化に対して予想されるスピン偏極率の振動が実際に観測された。さらに、ゼロ磁場中でのスピン偏極率を検出する方法として、量子ドット中のスピン一重項と三重項状態のエネルギー差を利用する方法が提案されている。

第6章では、横結合型量子ドットを局所プローブとして用いて、ホールバーの端における局所的な電気化学ポテンシャルおよび電子温度が調べられている。電気化学ポテンシャルの測定では、予想される電位分布とコンシステントな結果が得られている。また、バイアス電圧の増加による電子温度の上昇の観測に成功しているが、今後、量子ホール効果のブレークダウン機構の解明に向けて有力な研究手法が開発されたと評価できる。さらに、電子状態に対する擾乱が非常に少ないため、エッジ状態の解明に向けても期待が持てる。

第7章では、以上のまとめが述べられている。

なお,本論文は勝本信吾氏、家泰弘氏、阿部英介氏、Gyong L. Khym氏、Kicheon Kang氏との共同研究であるが、実験の遂行、データ解析は全て論文提出者が主体となって行ったものであり、また第4章、第5章、第6章の研究については研究の立案についても論文提出者が行った。したがって、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上の理由により、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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