学位論文要旨



No 125554
著者(漢字) 岡野,真人
著者(英字)
著者(カナ) オカノ,マコト
標題(和) 電流注入型量子細線レーザー中の非中性電子・正孔系における光学利得
標題(洋) Optical gain due to charge-imbalanced electron-hole systems in current-injection quantum-wire lasers
報告番号 125554
報告番号 甲25554
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5462号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 島野,亮
 東京大学 准教授 鳥井,寿夫
 東京大学 准教授 松田,巌
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 教授 高田,康民
内容要旨 要旨を表示する

半導体量子細線レーザーは、バンド端における状態密度の先鋭化を反映し、優れたデバイス特性を示すことが期待され、また基礎物性物理の観点からも、強く相互作用する一次元系多体電子・正孔系の舞台として強い関心を集めてきた。劈開再成長法を用いて分子線エピタキシー法によって作製されるT 型量子細線は、2000 年頃に成長中断アニール法の開発により非常に均一性の高い試料が得られるようになった。その後、光励起によって詳細かつ系統的な計測が行われ、一次元中性電子・正孔系の光学応答においてはクーロン相互作用の強い影響が現れることが明らかになってきた。一方で、電流注入量子細線レーザーに関する報告例は少なく、詳細な物理計測はほとんどなされていなかった。

本論文は、高品質T 型量子細線を用いて電流注入レーザーと変調ドープレーザーを作製し、詳細な物理計測を行ってキャリア注入過程と形成された非中性電子・正孔系の分布や光学利得スペクトルを調べ、一次元非中性電子・正孔系の光学利得の特徴を明らかにすることを目的としたものである。特に、静的遮蔽されたクーロン相互作用を取り入れた半導体ブロッホ方程式(SBE) によって計算された光学スペクトルとの比較を通して、一次元系の光学利得におけるクーロン相互作用の影響に対する普遍的な知見を得ることまでを目指した。

本研究では各々2 種類の電流注入型レーザー試料( 試料A,B) と光励起実験用レーザー試料( 試料C,D) を劈開再成長法と成長中断アニール法を用いて作製した。図1 に示したp 型(001) 量子井戸( ステム井戸) とn 型(110) 量子井戸( アーム井戸) からなる電流注入T 型量子細線レーザー( 試料A) においてはステム井戸から正孔が、アーム井戸から電子が細線へと注入される。T 型量子細線においては図2 に示すように、細線における電子と正孔の閉じ込めエネルギーが大きく異なる。そこで、キャリア注入やキャリア分布の影響を調べるために試料A に対してドーピング構造を入れ替えた試料B を作製した。また、電流注入ではキャリア密度を定量的に評価することは困難であるため、キャリア密度差が明らかなn 型変調ドープ( 試料D, ne ~ 6 x 105 cm-1) と非ドープ( 試料C) の単一量子細線レーザーを作製し比較を行った。測定としては主に電流注入及び光励起増幅自然放出光(ASE) 測定を行った。得られたスペクトルに対してCassidy の方法を用いて利得スペクトルを導出し、光学利得に関する系統的な研究を行った。また、SBE 計算との比較から一次元非中性電子・正孔系の光学利得へのクーロン相互作用の影響を議論した。これらの試料構造及び作製方法と各種測定方法、理論モデルに関しては2 章で詳細を述べた。

第3章では、電流注入レーザー試料A のキャリア注入・非中性キャリア分布と利得特性に関して述べた。試料A においては、電流注入T 型量子細線レーザーの最高温度である110 K 及び最広温度範囲5 - 110 K でのレーザー発振が達成された。一方で、外部微分量子効率は1% 未満の低い値であった。顕微ASE イメージ測定から、この原因はステム井戸から注入される正孔がアーム井戸にまで広く分布してしまっていることだとわかった。そして、細線部に正孔過剰の非中性電子・正孔系が形成されていることが明らかになった。

図3 に試料A の5 K での(a) 光励起ASE 実験及び(b) 電流注入ASE 実験から得られた利得スペクトルを示す。導波路と垂直方向に出てくる自然放出光強度が等しいもの同士を示した。(a) においては電子と正孔の密度が等しく増加していくのに伴い、比較的シャープな利得ピークが増大する様子が観測された。(b) においては正孔が少し過剰な状態で電子と正孔のキャリア密度が増加していくのに伴い、低エネルギー側に裾を持った利得ピークが生じた後に、ブロードな利得ピークが増大していく様子が観測された。電流注入時の利得ピークは光励起時に比べ~6.5 meV 低エネルギー側に現れたが、これは正孔が過剰に注入されていることによってバンドギャップ縮小効果(BGR) が大きくなっているためだと考えられる。ピーク形状に関して、電流注入時の高エネルギー側の裾の広がりは、電子と正孔のフェルミ波数が異なることを反映していると考えられる。また、電流注入時の低エネルギー側の裾の広がりは過剰注入された正孔によって多体効果の影響が大きくなったことを示唆している。

第4 章では、n 型ステム井戸とp 型アーム井戸からなる電流注入T 型量子細線レーザー( 試料B)の利得測定実験について述べた。試料B ではステム井戸から注入される電子の閉じ込めが強いため、電子が非常に過剰な非中性電子・正孔系が形成されていることを示す結果を得た。

図4 に5K での試料B における電流注入実験から得られた利得スペクトルを示す。低電流領域( Ib=0.2 - 500 μ A) では、電流の増加に伴って吸収端がブルーシフトしていくものの利得がほとんど生じなかった。さらに電流を上げていくとIb= 1.1 mA で利得ピーク現れ、2.0 mA で利得が飽和することがわかった。低電流領域において、吸収端のブルーシフトは多数キャリアのフェルミエネルギーの増加を反映し、利得が発生していないことは少数キャリアの正孔がほとんど注入されていないことを反映している。また、Ib= 1.1 mA における利得ピークの出現は少数キャリアである正孔が状態を占有し始めたことを、2.0 mA での利得の飽和は正孔密度がそれ以上増加しなくなったことを示している。

試料A と試料B における利得スペクトルの電流依存性は、細線における閉じ込めエネルギーの違いから理解された。正孔過剰である試料A においては利得が生じ始めるまでは吸収端のシフトが殆ど起こらないが、これは細線における正孔の閉じ込めエネルギーが~1 meV と小さいことを反映している。一方、電子の閉じ込めエネルギーは~16 meV なので、電子は単独でも~1.1x106 cm-1 の密度まで細線に注入できる。そのため、試料B では電気的非中性が試料A よりも強い。順バイアスを増しても細線部はn 型領域内に位置し、正孔密度があまり高密度にならないため、利得が飽和すると考えられる。

第5章では、電子が過剰に注入される試料B において、バイアス電圧を変化させることで電子密度を系統的に変化させ、光励起ASE 実験によって光学利得に有利な条件を探った。

図5 に5 K での各バイアス電圧印加下における利得ピーク値の光励起強度依存性を示す。中性系を形成する両電極間を開放した状態(Vb=open) とVb=1 V が非常に似た依存性を示した。電子が少し過剰に注入されていると考えられる2 V は1 Vに比べて1/4 以下の閾値励起強度を示した。3V においては強いバイアス電圧による電荷分離の影響が大きくなるため、閾値が増加することが明らかになった。また、アーム井戸とドーピング層のセットバック長が異なる試料B* においてもバイアス電圧を印加して光励起実験を行ったところ、非ドープ試料の1/5 程度である~1 mW という低閾値での発振が観測された。温度依存性の実験などから、利得は電子が少し注入された条件での荷電励起子状態に由来している可能性が示唆された。

第6 章では、試料C,D に対して光励起ASE 実験を行い、電子過剰の非中性電子・正孔系における利得特性をより定量的に調べた結果を述べた。図6(a)、(b) に試料C,D における利得スペクトルの光励起強度依存性をそれぞれ示す。(a) の試料C では弱励起で1.582 eV に強い励起子吸収が観測され、励起強度の増加に伴って徐々に吸収ピークが小さくなっていき、その低エネルギー側に利得ピークが現れ増大した。(b) の試料D においては弱励起の状態(Pex = 1.8 mW) で既に利得が生じており、比較的ブロード且つ対称な形状を持った利得ピークが増大した。(a) と(b) の発振閾値を比較すると試料D は試料C の約半分の値を示し、電子過剰の非中性電子・正孔系においては確かに閾値が減少することが明らかになった。

実験結果をSBE による計算結果と比較した。計算された中性及び非中性電子・正孔系における利得スペクトルを図6(c), (d) にそれぞれ示す。(a) と(c) を比較すると、吸収の低エネルギー側の裾から利得が生じること、利得ピークが低エネルギー側に裾を持つ非対称な形状であることがよく再現された。(b) と(d) に関しても、利得ピークが比較的対称な形状を持つことがよく再現された。また、非中性電子・正孔系において閾値が減少することも再現できた。

第7 章ではSBE によって様々な条件下における一次元電子・正孔系の光学利得スペクトルを計算し、光学利得へのクーロン相互作用の影響を明らかにした。一次元系においてはバンド端で利得の抑制が起こり、各キャリアのフェルミ波数に対応する遷移エネルギー( 中性電子・正孔系におけるフェルミ端) において利得と吸収の増強が起こることが明らかになった。またクーロンポテンシャルを静的遮蔽されたものから接触型に変更して行ったSBE 計算から、クーロン増強因子の概形は状態密度の形状と電子正孔間クーロン相互作用の短距離部分の強さで理解することができ、バンド端での利得の抑制は一次元系特有の現象であることが明らかになった。

第8章では、本研究で得られた知見をまとめ、今後の課題と展望を記した。

図1 p 型ステム井戸とn 型アーム井戸からなる電流注入T 型量子細線レーザー試料構造( 試料A)。

図2 (a) T 型量子細線周辺の断面図。(b) (a) の点線に沿ったエネルギーバンド図

図3 試料A の(a) 光励起ASE 実験及び(b) 電流注入ASE 実験における利得スペクトル(5 K)。励起強度・電流の横に示したのは自然放出光強度を規格化した値。

図4 試料B での電流注入実験における利得スペクトル(5 K)。

図5 試料B の各バイアス電圧印加下における光励起実験から得られた利得ピーク値の光励起強度依存性(5K)。

図6 (a) 非ドープ( 試料 C) 及び(b)n 型変調ドープ単一量子細線レーザー( 試料 D) の利得スペクトルの光励起強度依存性。SBE 計算による(c) 中性及び(d) 非中性電子・正孔系における利得スペクトルのキャリア密度依存性。

審査要旨 要旨を表示する

半導体量子細線レーザーは、バンド端における状態密度の先鋭化を反映して低閾値発振などの優れたデバイス特性を示すことが期待され、基礎物性物理の観点からも1次元電子正孔系の研究舞台として関心を集めてきた。特に近年、成長中断アニール法と呼ばれる成長法の開発により非常に均一性の高いT型量子細線試料が得られるようになったことを契機として、非ドープ中性の電子正孔系を中心としてその基礎光学物性が明らかにされてきた。一方、実用上重要な電流注入型量子細線レーザーに関しては詳細な物理計測がほとんどなされておらず、レーザー発振の利得機構や1次元系の特徴についての理解は得られていなかった。本論文はこのような背景のもと、高品質の電流注入型及び変調ドープ型T型量子細線レーザー構造を作製し、細線部へのキャリア注入過程や1次元非中性電子正孔系での光学利得の特徴を明らかにすることを目指したものである。

本論文は全8章からなる。

第1章は序論であり、T型量子細線レーザーを中心として低次元半導体構造のレーザーの研究の背景、研究の目的、本論文の構成が簡潔に述べられている。

第2章では、T型量子細線レーザーの構造、作製方法、各種プロセスの詳細、各種光学的及び電気的測定法の詳細に続いて、利得スペクトルの解析方法、静的プラズマ遮蔽効果を取り入れた半導体ブロッホ方程式に基づく利得スペクトル計算の詳細が述べられている。

第3章では、p 型ステム井戸とn 型アーム井戸からなる電流注入T 型量子細線レーザー(試料A)の発振特性と利得特性について調べられている。同構造を用いてT型量子細線としては最高温度110Kでの電流注入レーザー発振が達成される一方、外部微分量子効率が1%未満と低い値に留まっていることも明らかにされた。その原因は、ステム井戸から注入された正孔がアーム井戸にまで広がりアーム井戸側から注入した電子が細線に至るまでに再結合して消えてしまうためであることが、増幅自然放出光(ASE)の顕微測定によって示された。さらに電流注入時の利得スペクトルの測定から、細線部では正孔過剰の状態にあることなどが解明された。

第4章では、試料Aとは逆のn 型ステム井戸とp 型アーム井戸からなるT 型量子細線レーザー(試料B)の利得特性について調べられている。利得スペクトルおよび顕微ASEイメージの注入電流依存性から、この試料構造では細線部が電子過剰になっていることが示された。さらに、同構造では低電流域では利得がほとんど生じないこと、注入電流の増加に伴いすぐに利得が飽和することなどの電流注入特性が調べられた。また、バンド構造に起因する細線における電子、正孔それぞれの閉じ込めエネルギーの違いに基き、試料A 、試料Bの利得特性の違いが論じられている。

第5章では、n 型ステム井戸とp 型アーム井戸からなるT 型量子細線レーザーに対してバイアス電圧を変化させながら光励起光学利得について調べている。電子が僅かに注入された場合に非常に低い閾値でレーザー発振することが見出され、その利得スペクトル形状や温度依存性から荷電励起子利得の可能性が示唆された。

第6 章では、中性および非中性電子正孔系における光学利得を定量的に評価するために、非ドープ及びn 型変調ドープ単一T 型量子細線レーザーに対して行った光励起実験が行われている。ここでは、電子過剰の非中性電子・正孔系において閾値が減少することが見出されている。

第7 章では、半導体ブロッホ方程式に基づき中性及び非中性電子・正孔系における光学利得スペクトルの計算を行い、自由電子近似との比較をもとに光学利得におけるクーロン相互作用の影響が考察されている。一次元系ではクーロン遮蔽の影響がバンド端で増強することにより、バンド端での1次元状態密度を反映した光学利得の先鋭化が抑制されることが初めて明らかにされた。

第8 章は、総括であり本論文におけるまとめと今後の展望が述べられている。

以上のように本論文は、定量的な物理計測を可能にする高品質のT型量子細線レーザーを用い、精緻な光学利得吸収スペクトルの計測、半導体ブロッホ方程式に基づく理論計算から、電流注入時におけるキャリア注入過程や、利得特性におけるクーロン遮蔽効果を明らかにした。これらの成果は電流注入型量子細線レーザーの最適化に向けた設計指針を提供するとともに、中性・非中性1次元電子正孔系の光学物性の解明に大きく貢献しており、物性物理学およびレーザー物理学の発展に寄与するところが大きい。

尚、本論文の中核をなす研究内容は指導教員らとの共同研究として学術雑誌に公表、及び公表予定であるが、論文提出者が自ら主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与は十分であると判断する。またこの件に関して共同研究者の同意承諾書が提出されている。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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