学位論文要旨



No 125555
著者(漢字) 加藤,康之
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヤスユキ
標題(和) 三次元ボーズハバードモデルの量子臨界現象
標題(洋) Quantum Critical Phenomena of Bose-Hubbard Model in Three Dimensions
報告番号 125555
報告番号 甲25555
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5463号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 押川,正毅
 東京大学 教授 上田,正仁
 東京大学 教授 福山,寛
 東京大学 教授 常行,真司
 東京大学 准教授 加藤,雄介
内容要旨 要旨を表示する

本学位論文で取り扱うモデルは,Fisher らによって提案されたボーズハバードモデルであり,最も典型的な量子相転移の一つ,超流動―モット絶縁体転移を説明するモデルである.ボーズハバードモデルのハミルトニアンは,サイトi のボーズ粒子の生成消滅演算子b†i, bi を用いて〓 と表記される.ただし,t/Z は最近接サイト間の重なり積分,μ は化学ポテンシャル,U は同一サイト内における粒子間相互作用を表している.このモデルは,物理的なパラメータ比t/U 及び μ/U を変化させることにより,基底状態が超流動相からモット絶縁体相へと移り変わる量子相転移現象を記述するモデルとして盛んに研究されている.例として各サイトに平均1つの粒子が占有している場合を考える.パラメータ比t/U が十分大きい場合,系の基底状態は超流動状態である.超流動状態ではギャップレスで線形分散を有する一粒子励起と一空孔励起が存在し,圧縮率が有限値を持つ.一方t/U が十分小さい場合には,各サイトに粒子が局在化し,圧縮率が零になるモット絶縁体状態となる.この様にパラメータ比(t/U やμ/U)を変化させることにより基底状態が超流動状態からモット絶縁体状態へと相転移することを、超流動―モット絶縁体転移と呼んでいる.ボーズハバードモデルは,レーザーを用いて生成した準周期的なポテンシャル(光学格子)にアルカリ原子(87Rb)気体を閉じ込める実験の有効モデルであり, この量子臨界現象はその光学格子中に閉じ込められた超冷却原子気体の実験によって観測されている. 先駆的な実験であるGreiner らの光学格子を用いた実験では,Anderson らによって実現されたボーズアインシュタイン凝縮を実現する超冷却原子系に,原子気体全体を閉じ込めるポテンシャルに対して十分短い波長のレーザーを用いて定在波を発生させ,準周期的なポテンシャルを実現している.その短い波長のレーザーの強度を変えることにより準周期的なポテンシャルの深さを調節することが可能である.このことは多体相互作用とホッピングの比t/U が調節可能であることを意味しており,多体効果によって引き起こされる量子臨界現象の研究材料として,光学格子系は最適な系の一つである.本論文では量子モンテカルロ法をボーズハバードモデルへ適用した結果を用いて,この量子相転移について考察する.また系全体を閉じ込めるためのポテンシャルの効果を取り入れるために,化学ポテンシャルが空間依存する場合についてのシミュレーション結果についても述べる.本論文ではさらにN 種類のボーズ粒子が混合する場合を考え,拡張したボーズハバードモデル,〓についても述べる.ただし,α はボゾンの種類を表しており,b†iα, biα はα ボゾンの生成消滅演算子を表している.特にN が無限の極限において熱力学極限だけでなく有限系においても厳密な取り扱いが可能であり,本文中でこの極限の計算結果を用いて有限サイズ効果について議論する.本論文では主に立方格子上に定義されたモデルの解析結果を述べる.以下に各章の要点を述べる.

第一章では研究背景について述べる.特に近年の冷却原子系の発展について述べる.続いて第二章では本研究の予備知識を述べる.はじめに数値的に厳密に取り扱える場合について述べる.すなわち粒子間相互作用を無視した場合(U=0)と,粒子種数が無限の場合(U≠0, N→∞)に着目し,熱力学極限における相転移現象について述べる.次に変分法を用いて代表的な平均場理論を導出する.有限温度におけるボーズアインシュタイン凝縮相への転移を記述する最も基本的な平均場理論であるハートリーフォックボゴリゥボフ理論では,凝縮相において有限のギャップを有する励起スペクトルが得られ,一次転移が確認されている.しかしながら凝縮相ではゴールドストーンモードが存在し,ギャップレスの線形分散を持つ事がわかっている.また転移はU(1)対称性の破れを伴うため,三次元XY スピンの有限温度と同じユニバーサリティークラスに属する連続転移であると広く信じられている.これらの差異に焦点を当て,Popov 理論やYukalov とKleinert が提案した平均場理論について解説する.第二章の最後の節では有限サイズスケーリングについて述べる.有限サイズスケーリングはモンテカルロ法などで得られる有限系の計算結果を用いて転移点やユニバーサリティークラスを決定するための方法である.上部臨界次元より下の次元ではこの有限サイズスケーリングは繰り込み群的解析により導かれる.一方上部臨界次元より上の次元では,転移は平均場理論のユニバーサリティークラスに属することがわかっているが,危険な非寄与項(dangerous irrelevant)の存在により有限サイズスケーリングは修正される必要がある.この修正についても述べる.また有限サイズスケーリングの量子相転移への適用についても説明する.

第三章では本研究で用いた量子モンテカルロ法について述べる.この方法は世界線モンテカルロ法とも呼ばれる方法であり,ファインマンの経路積分に基づいて描かれた世界線を発生させサンプルすることにより,熱平衡状態の物理量を計算する方法である.この方法によって得られた結果は統計誤差の範囲内で厳密な解であり,広く信頼され用いられている方法である.我々が用いた世界線の更新アルゴリズムは,向きつきループアルゴリズムに修正を加えたものである.向きつきループアルゴリズムは適用範囲が最も広いアルゴリズムの一つであるが,ボーズハバードモデルへの単純な適用は非常に効率が悪いことがわかっており,我々の考案した修正により劇的に効率が向上することについても述べる.

第四章では量子モンテカルロ法による一様系の計算結果を示す.はじめに有限サイズスケーリングによる超流動転移温度の決定と有限温度における相図を示し,次に基底状態の相図を示す.次にボーズ粒子の運動量分布の計算結果を示す.この物理量は,光学格子系の実験でタイムオブフライト法を用いて測定可能な量である.その結果,超流動相において運動量分布の原点付近にデルタ関数的なピークが観測され,十分高温における無秩序相では原点付近のデルタ関数的ピークが消えることが確認された.また転移温度付近の無秩序相においては原点付近に急峻なピークが現れることがわかった.これは転移温度付近で相関長が十分長くなることに起因しており,妥当な結果である.これまで実験結果を評価する際,運動量分布の急峻なピークは超流動状態を表しているとされてきたが,必ずしも急峻なピークの存在が超流動の存在を表しているわけではなく,注意が必要であることがわかった.続いて第二章で紹介した平均場理論(Popov理論,Yukalov-Kleinertの理論)と量子モンテカルロ法による計算結果の比較について述べる.比較の結果,Popov理論は一次転移を与え,広く信じられている連続転移を定性的に説明することができないものの,定量的にはYukalov-Kleinertの理論よりも良い結果を与えることがわかった.章の最後に最大エントロピー法を用いた励起スペクトルの解析結果について述べる.解析の結果,量子臨界点に近い強く相互作用する超流動相においてギャップレスな線形分散の他にギャップを有する準位が存在することを確認した.

第五章では化学ポテンシャルが空間依存する場合のシミュレーション結果を示す.はじめに非一様系のオーダーパラメータについて議論し,次にGreinerらの光学格子系の実験と同程度の規模のシミュレーションが可能であることを示す.また化学ポテンシャルの非一様性に伴い,二つの超流動的領域がモット絶縁体的領域によって空間的に隔てられている場合を考え,隔てられた超流動的領域間の相関を調べた.その結果,十分低温で二つの超流動的領域の位相がそろうことを確認した.またその有限温度における振舞についても述べる. 章の最後の節で,非一様系の結果と一様系の結果を比べる事により局所場近似(Local density approximation)の妥当性を議論した.

第六章では動的臨界指数zが2の上部臨界次元より上の次元の量子臨界点に対し,量子モンテカルロシミュレーションの結果に修正有限サイズスケーリングを適用した結果を示す.その結果精度よく量子臨界点を決定できることがわかった.次に修正有限サイズスケーリングの妥当性を確かめるため,ハミルトニアン(2) のN→∞の極限を考え,厳密に修正有限サイズスケーリングが適用可能であることを示す.また修正有限サイズスケーリングの適用条件について明示する.

最後に本論文で述べている主な成果を以下にまとめる.

・向きつきループアルゴリズムを改良することにより,ボーズ粒子系の量子モンテカルロシミュレーションが効率良く実装できるようになり,光学格子を用いた実験系と同規模のシミュレーションが可能であることを示した.

・量子モンテカルロシミュレーションによって得られた結果を解析することにより,三次元ボーズハバードモデルの一般的な量子相転移は平均場理論のユニバーサリティークラスに属することを確認し,危険な非寄与項に起因する修正を施された有限サイズスケーリングが有効であることを示した.また,修正有限サイズスケーリングを量子相転移に適用する際の適用条件を明らかにした.

・空間的に非一様な系の量子モンテカルロシミュレーションの結果,位相がそろった領域(超流動的領域)とそろっていない領域(モット絶縁体的領域)が存在することを確かめ,モット絶縁体的領域によって隔てられた複数の超流動的領域の位相が相関を持つ事を示した.

以上が本研究で得られた主な成果である.

審査要旨 要旨を表示する

ボーズ・ハバード(BH)モデルは、ボーズ粒子の多体系の最も基本的なモデルの一つである。多孔質媒質中の液体ヘリウムや、超伝導ジョセフソン接合アレイなどの物理系のモデルとして議論されてきたが、近年実験的研究が急速に進展している光学格子中の冷却(ボーズ)原子系のモデルとしてもその重要性が増しつつある。BHモデルについては多くの解析的研究があるが、それらを検証することに加え、定量的な結果を得て実験結果と比較するには数値的研究が重要となる。特に、光学格子中の冷却原子系については、トラップポテンシャルの効果を含めた計算は数値的手法に依存するところが大きい。物性物理学の研究では数値計算の有限サイズ効果が問題になることが多いが、冷却原子系では実験系も有限の大きさで有限の粒子数を持つ。従って、数値計算上で実験系の忠実なエミュレーションを実現できる可能性がある。

本論文は、このような背景のもと、BHモデルについて効率のよい量子モンテカルロ法の手法を提案し、また実際にそれを適用して行った計算結果を議論したものであり、7章からなる。

第1章では、最近の冷却原子気体系についての実験研究の状況も含め、BHモデルとその量子臨界現象について研究する動機をまとめている。第2章は、BHモデルの平均場理論による解析結果と、量子臨界現象の数値的研究に必要となる有限サイズスケーリングについてのレビューである。第3章では、本論文で用いられる量子モンテカルロ法、特に、効率の良い現代的なクラスターアルゴリズムの一つである向きつきループアルゴリズムを導入した。しかし、BHモデルでは、各サイトを占有する粒子数に上限がなく、これが散乱バーテックス数を増加させ、向きつきループアルゴリズムの効率低下を招くことが指摘されている。この問題の解決策として、個々の散乱バーテックスを考慮する代わりに、単位虚時間あたりの散乱確率に基づいてアップデートを行う、修正向きつきループアルゴリズムを提案している。このアルゴリズムを実装した結果、計算効率が大きく向上することが示された。

第4章では、標準的な1成分の立方格子上のボーズハバードモデルの有限温度および絶対零度における相図を、修正向きつきループアルゴリズムに基づく計算によって決定している。この問題は今までに多くの手法で研究されているが、新たなアルゴリズムによって高い精度の結果を得ることができた。これに加え、向きつきループアルゴリズムの特性を活かして、モットギャップも求めている。さらに、最大エントロピー法を用いて動的相関関数を求めている。BHモデルは、超流動相では対称性の自発的破れを反映したギャップレスの南部ゴールドストーンモードを持つが、これに加えてギャップを持つ別のモードも存在することが理論的に予言されていた。本章の研究によってこのモードの存在をホール的な励起については確認することができた。

第5章では、トラップポテンシャル中の冷却原子系に対応した、放物型の化学ポテンシャルを持つBHモデルの数値的研究を行っている。修正向きつきループアルゴリズムの採用により、サイト数が643、粒子数が1.8x105 に達する大規模な計算が可能となっており、これは最近の冷却原子系の実験における典型的なサイズ(サイト数653, 粒子数2.0x105)と同程度である。この系では、中心からの距離に応じて密度が変化し、それに応じて局所的に超流動相とモット相が交互に出現し殻上構造をなすが、この特徴を定量的に決定した。密度プロファイルなどについては、局所密度近似がかなり良い精度で成立することも確認した。また、超流動相の殻が2つ出現する場合、温度の低下とともに、まず内側の殻が超流動相に転移し、次に外側の殻が超流動層に転移するが、後者と同時に2つの殻の間の超流動相関も発達することがわかった。

第6章では、BHモデルの臨界現象の修正有限サイズスケーリングを論じている。修正有限サイズスケーリングには適用範囲があり、それを超えて適用すると誤った臨界指数を得ることを注意している。また、修正有限サイズスケーリングの成立とその限界を、1成分BHモデルの数値計算と、BHモデルの成分数が無限大の極限における解析解によって確認している。第7章では全体のまとめと考察を行っている。

以上のように、本論文では、BHモデルについて効率的な量子モンテカルロ計算のアルゴリズムを新たに提案し、これを応用してさまざまな興味ある結果を得ている。特に、最近の冷却原子系の実験と同程度のサイズの計算によって、超流動殻の形成やその温度変化について詳細な結果を得ており、今後の実験的研究へのインパクトも大きいと考えられる。

なお、本論文は、指導教員である川島直輝准教授その他との共同研究に基づいているが、本人の寄与は主体的で十分であると認められる。

よって、論文審査委員会は全員一致で博士(理学)の学位授与が適当であると認めた。

UTokyo Repositoryリンク