学位論文要旨



No 125559
著者(漢字) 佐古,崇志
著者(英字)
著者(カナ) サコ,タカシ
標題(和) チベット空気シャワーアレイを用いた高エネルギー宇宙線異方性の研究
標題(洋) Study on the High-Energy Cosmic-Ray Anisotropy with the Tibet Air-Shower Array
報告番号 125559
報告番号 甲25559
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5467号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 佐川,宏行
 東京大学 教授 川崎,雅裕
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 准教授 竹内,康雄
 東京大学 教授 満田,和久
内容要旨 要旨を表示する

1研究の背景

宇宙線と呼ばれる高エネルギーの荷電粒子(ほとんどは陽子)が常にほぼ等方的に地球に降り注いでいる。そのエネルギースペクトルは30GeVから100EeVを超える広い範囲にわたってべき型((xE}7)で表され、4000TeV付近でべきの指数yが2.7から3.1に変化することが知られており、これは宇宙線スペクトルのkneeと呼ばれる。kneeより低いエネルギーの宇宙線は我々の銀河系起源と考えられており、それらの銀河宇宙線は源で加速されたのち、星間空間及び太陽圏を伝播して地球に到達する。過去の地下ミューオン実験や空気シャワーアレイ実験により、太陽時(365.2422cycles/year)、及び恒星時(366.2422cycles/year)という二つの時間系において、銀河宇宙線の到来方向には小さな異方性が観測されている。太陽時における異方性は、主に太陽活動によって生じる太陽圏内の磁場構造に起因すると考えられる。恒星時における異方性は、太陽系近傍の磁場構造と宇宙線の間の相互作用を反映したものだと考えられる。恒星時で観測された異方性は、0.1%レベルの小さなもので、二つの顕著な特徴が見られる。一つは赤経150。から240。あたりに広がる宇宙線強度の欠損(loss-coneと呼ばれる)であり、もう一つは赤経40。から90.あたりに広がる宇宙線強度の超過(tai1-inと呼ばれる)である。様々な電磁流体力学に基づくシミュレーションや理論的考察がなされてきたが、観測された異方性を満足に説明できる太陽系周辺の星間空間の描像は、未だに確立されていない。近年、チベット空気シャワーアレイなどの高統計の実験により、宇宙線異方性がTeV領域で詳しく調べられるようになっており、観測された異方性から星間空間に関する物理量を引き出すモデルも提案されている。また、米国のミラグロ実験により、上記のloss-cone領域の深さが6TeVにおいて2000年から2007年にかけて増加しているという報告がなされた。

一方太陽時では、太陽活動の影響のない高エネルギー(≧数TeV)において、地球の公転運動に起因する見掛けの異方性(Compton-Getting(CG)異方性と呼ばれる)が存在する。これは恒星時の異方性よりも小さな0.04%程度の振幅を持つものであり、理論的に良く予言されているものである。従って、このCG異方性を期待値どおりに観測することは、恒星時での観測の正しさを証明する非常に良い基準となる。しかし、振幅の小ささ、および低エネルギー(≦数TeV)での太陽活動の影響ゆえに、CG異方性の高精度な観測に成功した実験は、チベット空気シャワー実験以外にない。

2研究の目的

チベット空気シャワーアレイは、東経90.522。、北緯30.102。、海抜4,300m、大気深さ606g/cm2に位置する、宇宙線及び宇宙ガンマ線観測装置である。1990年から続いている実験であり、数TeV以上での宇宙線異方性観測においては世界最高統計を誇る。現在宇宙線異方性観測は上記のような状況にあり、チベット空気シャワーアレイによる宇宙線異方性の研究は、非常に大きな意味を持つものである。この論文では、太陽時および恒星時において、世界最高統計でmulti-TeV領域の宇宙線を観測する。

まず、太陽時のCG異方性を期待値どおりに観測できていることを確認し、我々の観測及び解析方法の正しさを証明する。さらに、CG異方性の振幅から宇宙線エネルギースペクトルのべきを算出する方法を提案し、12TeV-70TeV領域において実際にべきを求める。この方法を用いれば、従来のスペクトル測定の方法と異なり、シミュレーションに依存せずにべきを導出することができる。エネルギースペクトルのkneeを説明する理論の多くは、加速機構や星間空間の伝播などの天体物理学を起源としているが、いくつかの理論は、kneeを超える高エネルギーで現れる空気シャワー中の未知の核子相互作用を起源としている。CG異方性を用いれば、kneeが空気シャワー起源だとする理論を検証することができる。今回の観測により、世界で初めてCG異方性から宇宙線エネルギースペクトルのべきを測定する。

次に、恒星時の異方性を観測し、ミラグロ実験によって観測された6TeVにおけるloss-cone領域の深さの時間変化を検証する。ミラグロ実験は、この時間変化を太陽活動によるものかもしれないと主張しているが、はっきりとした理由はまだわかっていない。

最後に、最近提案されたモデル("Global Anisotropy and Additional Excess model";GA+AEモデルと呼ばれる)をもとに、観測された恒星時宇宙線異方性から、太陽系近傍の磁場構造と宇宙線の流れについて議論する。また、高統計を活かし、モデルのパラメータのエネルギー依存性も導出する。今回の観測により、世界で初めてGA+AEモデルを用いて恒星時宇宙線異方性のエネルギー依存性を測定する。

3観測結果

太陽時の異方性を12TeV-70TeVで観測し、図1に示すような宇宙線強度の日周変動を得た。図1を正弦関数1+α cos((π/12)(λ-φ))(λ:地方太陽時)でフィットした結果、振幅α=(4.06±0.21(stat)±0.24(syst))×10(-4)、位相φ=6.1±0.2[hr]を得た。CG異方性から期待される値はα=3.86×10(-4)、φ=6.0[hr]であり、観測は期待値と良く一致している。この振幅から宇宙線スペクトルのべきyを求め、y=2.94±0.25(stat)±0.30(syst)を得た。これは直接観測による値2.7と良く一致している。

次に、恒星時での宇宙線異方性におけるloss-coneの深さの時間変化を求め、ミラグロ実験の結果と比較した。我々の結果(図2(a))は、4.4、6.2、11TeVにおいて、信頼度6.5σ、7.0σ、7.1σでミラグロ実験の結果(~6TeV)と矛盾するものであった。もしミラグロ実験の観測したloss-coneの深さの時間変化が太陽活動起源であるならば、太陽活動の影響を受けやすいsub-TeV領域の観測でも同様の傾向が見られているはずである。しかし、松代地下ミューオン観測装置による0.6TeVの観測においてもそのような時間変化は見られなかったことが示されている(図2(b))。

続いて、得られた全てのデータを用いて、恒星時での宇宙線異方性二次元マップを得た(図3、最頻エネルギーは7.OTeV)。図3を"Global Anisotropy and Additional Excess model"(GA+AEモデル)でフィットして得たモデルパラメータをもとに、観測された異方性の解釈を試みた。GA成分は、星間空間磁場に沿った二方向からの宇宙線の流れと、それに垂直な一方向からの流れの重ね合わせで解釈した(図4)。一方向からの流れは、星間空間磁場中に宇宙線の密度勾配があると仮定し、それに起因する宇宙線の反磁性ドリフトで説明した。このモデルは、GA成分が太陽系をとりまく数pc規模のスケールで作られるものであることを示している。このモデルが正しければ、3μGの星間空間磁場強度を仮定して、宇宙線の密度勾配(▽n/n)と磁場に垂直方向の拡散係数(κ⊥)が図5のように推測される。AE成分は、太陽圏尾部方向からの、二成分から成る宇宙線の超過である。簡単なモデルを用いてAE成分の解釈を試み、AE成分はGA成分の1/1000スケール(太陽系近傍数100AU)で作られていること、AE成分は~80TeV以上では消えることを示唆した。また、二成分の振幅の比から、Voyagerなどにより示唆されている太陽圏の南北非対称性を支持する興味深い結果が得られた。AE成分は、TeV宇宙線異方性の観測から、太陽圏の磁場構造に関する情報も得られる可能性があることを示している。

今回の観測により得られた物理量は、将来の実験による追証およびより詳細なシミュレーションや理論的考察を促し、太陽圏とその周辺の星間空間に関するより深い理解へとつながるものであると期待される。

図1:チベット空気シャワーアレイで観測された12TeV-70TeVにおける宇宙線強度の太陽時日周変動。誤差は統計誤差のみ。

図2:恒星時での宇宙線異方性におけるloss-coneの深さの時間変化。(a)チベット空気シャワーアレイとミラグロ実験との比較、(b)松代地下ミューオン観測装置とミラグロ実験との比較。図中の松代のデータは、振幅、エラーともに3倍されている(sub-eV領域での振幅の減衰を補正するため)。

図3:チベット空気シャワーアレイで観測された恒星時での宇宙線異方性二次元マッズ宇宙線の最頻エネルギーは7.OTeV。ピクセルの色は宇宙線の相対強度を表す。

図4:LIMCモデルの概念図。太陽系(黄色の丸)は周辺より宇宙線密度の低い雲の縁に位置する。観測された恒星時宇宙線異方性のGA成分は、星間空間磁場に沿った二方向からの宇宙線の流れ(Bi-Directionalflow)と、それに垂直な一方向からの流れ(Uni-directionalflow)の重ね合わせで解釈される。

図5:GA+AEモデルに基づいて導出した、太陽圏周辺における宇宙線の密度勾配 ▽n/n(左)、及び磁場に垂直な方向の宇宙線の拡散係数κ⊥(右)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなる。第一章は序論であり、本研究の背景および動機について述べられている。第2章は空気シャワー、Tibet-III実験の装置およびトリガー/DAQについて述べられている。第3章はTibet-IIIアレイ装置の較正について述べられている。第4章はTibet-IIIアレイの性能として、データとシミュレーションの比較および月の影によるエネルギーの絶対較正について述べられている。第5章はデータ解析として、イベントの再構成、データの選択、解析方法、系統的誤差について述べられている。第6章で結果として、まず太陽時の宇宙線異方性について、次に恒星時の宇宙線異方性とGA+AEモデルを使った解釈、さらに今後の展望について述べられている。最後に第7章で結論が述べられている。

Tibet空気シャワーアレイ実験は1990年から続いている実験であり、数TeV以上での宇宙線異方性観測においては世界最高統計を誇り、この論文ではこのデータをもとに、multi-TeV領域の宇宙線の太陽時および恒星時における異方性について詳細に解析されている。

太陽時では、太陽活動の影響がない数TeVにおいて、地球の公転運動に起因する見かけの異方性(Compton- Getting(CG)異方性)が存在する。主に太陽活動によって生じる太陽圏内の磁場構造に起因すると考えられている。これに対して恒星時で観測された異方性に2つの特徴がある。1つは赤径150°~240°あたりに広がる宇宙線強度の欠損(loss-cone)であり、もう1つは赤径40°~90°あたりに広がる宇宙線強度の超過(tail-in)である。

太陽時の異方性は恒星時の異方性(0.1%レベル)よりも小さな振幅(0.04%)をもつものであり、理論的に良く予言されている。データの解析によりCG異方性の振幅と位相を測定して、観測結果が期待値と良く一致していることを示した。このCG異方性を期待通りに観測することは、恒星時での観測の正しさを証明する良い基準となる。さらにCG異方性の振幅から宇宙線エネルギースペクトルの冪指数を算出する方法を提案し、世界で初めてCG異方性から宇宙線エネルギースペクトルの冪指数を測定した。結果は宇宙線エネルギースペクトルの直接観測による値と一致している。宇宙線エネルギースペクトルの直接観測において4000TeV付近に冪指数の変化(knee)が見られるが、将来において高統計・高精度でCG異方性を用いて冪指数の値を求めることができれば、kneeが天体物理起源か、または空気シャワー起源かを検証できる可能性がある。

次に、恒星時での宇宙線異方性におけるloss-coneの深さの時間変化を求めて、変化がみられないという結果を示した。これはミラグロ実験の結果と明らかに矛盾する結果である。

つづいて、恒星時での宇宙線異方性の二次元MAPを測定した。Global Anisotropy and Additional Excess model(GA+AEモデル)でフィットして得たモデルパラメータをもとに観測された宇宙線異方性の解釈を行った。GA成分は、星間空間磁場に沿った二方向からの宇宙線の流れと、それに垂直な一方向からの流れで解釈した。AE成分は、太陽圏尾部方向からの二成分からなる宇宙線の超過であり、簡単なモデルを使ってAE成分の解釈を試みた。本研究により、世界で初めてGA+AEモデルを用いて恒星時宇宙線異方性のエネルギー依存性を測定した。

今回の観測により得られた物理量は、将来の実験による追証およびより詳細なシミュレーションや理論的考察を促し、太陽圏とその周辺の星間空間に関するより深い理解へとつながるものであると期待される。

なお、本論文はTibet実験グループの共同実験であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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