学位論文要旨



No 125563
著者(漢字) 関口,豊和
著者(英字)
著者(カナ) セキグチ,トヨカズ
標題(和) 現在および将来の宇宙マイクロ波背景放射観測による宇宙モデルの探求
標題(洋) Probing Cosmological Models with Current and Future Cosmic Microwave Background Surveys
報告番号 125563
報告番号 甲25563
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5471号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,順一
 東京大学 准教授 松尾,泰
 東京大学 准教授 濱口,幸一
 東京大学 准教授 森山,茂栄
 東京大学 教授 山本,智
内容要旨 要旨を表示する

近年、宇宙論的観測は目覚ましい発展を遂げてきた。特に、Wilkinson Microwave AnisotropyProbe (WMAP) を初めとする宇宙背景放射(CMB) の非等方性の観測は、我々の宇宙が初期にどのようにして始まり、どのような構成要素からなるかという問題に対し、精密な議論を可能とした。これまでのCMB の観測から、我々の宇宙はΛCDM モデルと呼ばれるエネルギー組成とスケール不変に近い断熱的な初期揺らぎでよく説明されることが知られており、他の宇宙論的観測とも矛盾しない標準的な模型が確立したと言える。またモデルを記述するパラメータは数パーセントの精度で決定されている。その一方で、CMB はインフレーションモデルやニュートリノ質量、ダークエネルギーといった地上の実験では探査が困難な物理の検証を可能にしている。さらに、Planck 衛星を初め数多くのCMB 観測が現在進行・計画中であり、より高精度・高統計のデータが近い将来利用可能であると期待される。これらの観測で、どのような物理がどの程度探査可能であるか、未知の物理の証拠を見つけるにはどのような観測を行うべきかは十分に議論される必要がある。

本学位論文では、宇宙・素粒子論的に興味深い物理に対する現在・将来のCMB観測による探査可能性について議論を行った。特に、ニュートリノを初めとする宇宙初期に作られたと考えられる質量の軽い残存粒子やインフレーションモデルに対する探査可能性に焦点をおいた。これらに注目した理由は、将来の観測で制限の大きな向上が期待されることにある。

まずPlanck 衛星は、CMB の温度非等方性をWMAP の3 倍程度の分解能で観測する。そのため、小さなスケールの温度揺らぎに影響を与えるヘリウム残存量や相対論的粒子の存在量に対する制限は、大きな向上が期待できる。また小さな角度スケールの温度非等方性が精度よく観測されることで、CMB の重力レンズ効果を精確に測定でき、レンズポテンシャルの再構築が可能となる。再構築されたレンズポテンシャルは宇宙の大規模構造を反映しており、ニュートリノなど軽い粒子の質量の制限に貢献することが期待される。その一方で、Planck 衛星および同時期の地上観測は、CMB の偏光成分に対し現在よりも1 桁以上感度が向上する予定であり、B 偏光モードを通じて初期テンソル揺らぎに感度を持つことが期待できる。特に幾つかの主要なインフレーションモデルはこれらの観測で検出可能な始原重力波の生成を予言するため、これらを観測から区別できる可能性がある。一方で、地上実験においては、高分解能あるいは偏光に対する高感度それぞれに重点をおいた様々な観測が計画・進行中であり、更なる発展が見込まれる。

まずビッグバン元素合成(BBN) で作られる4He の始原存在量Yp について研究を行った。Yp は元来低金属量のHII 領域からの輝線によって制限されてきたが、大きな系統誤差がある可能性が議論されていた。その一方で近年、Yp の変化が小角度スケールのCMB非等方性に影響することを利用し、Yp をCMB から制限することが幾つかのグループにより研究されていた。我々は、WMAP と小角度スケールのCMB の観測を組み合わせた最新データから、Yp が95%信頼度で有限に制限されることを示した。さらにPlanck 衛星による制限の向上を、これまでの研究で用いられてきたフィッシャー行列解析に代わりマルコフ連鎖モンテカルロ法を用いて詳細に議論した。Yp の量の決定に付随する不定性が他の宇宙論パラメータの制限に与える影響を精確に見積もり、将来の宇宙論パラメータ決定において影響が無視できないことを警告した。

また、軽い残存粒子に対する宇宙論的制限について複数の点から研究を行った。

まず、上記のYp に関する解析を発展させ、宇宙に存在する相対論的粒子の量Nν に対するCMB を用いた制限について研究を行った。BBN 時のNν の変化はYp を変更する可能性があるが、熱史により変化分の詳細は異なる。それを踏まえ、我々はNν とYp の関係に異なる複数の仮定を用意し、現在・将来のCMB データから与えられるNν への制限について別個に導出・見積もりを行った。特に重要な結論として、現在の観測ではYp の変化はNν や他の宇宙論パラメータの制限に影響が小さく安全に無視できことを示すとともに、Planck など将来の観測では影響が無視できず、考慮が必要であることを警告した。また得られた制限を適用し、CMB のみから宇宙初期の再加熱温度に対し下限を与えた。

グラビティーノは素粒子理論で重力を含む超対称性模型において必要となる粒子であり、超対称性の破れと密接な関係がある。特に質量が1eV 程度と軽い場合は、宇宙論的な問題を回避でき、多くのバリオン生成機構と両立し得るため興味深い。軽いグラビティーノはこれまでライマンα 線の吸収スペクトルから制限されているが、天体物理やシミュレーションによる大きな系統誤差があると言われている。我々は、代わりにCMB の観測を用い、軽いグラビティーノの質量・残存量に対する制限について研究を行った。Planck など近い将来のCMB の観測で得られる重力レンズポテンシャルを用いて、グラビティーノが制限可能であることを示した。さらに理論的な下限質量と併せて、CMB 観測による軽いグラビティーノの検出可能性をベイズモデル選択と呼ばれる統計学手法に基づき考察し、ニュートリノ質量が無視できる範囲では、将来観測計画により軽いグラビティーノが探査可能であることを示した。

上記二つの研究は、CMB のみを観測データとして用いている。その一方で、バリオン音響振動(BAO) スケールやIa 型超新星の観測といった宇宙論的な距離観測は、現在に近い宇宙の膨張の歴史を決められるため、CMB のみでは精度よく決定できないパラメータの制限に役立つことが知られている。我々は、現在および将来のBAO 観測とハッブル定数H0の直接観測に注目し、ニュートリノ質量mν の宇宙論的制限について研究を行った。mν とH0 間の強いパラメータ縮退をそれぞれの観測が効率よく解消すること示し、将来のPlanck衛星でも有用であることを明らかにした。また、ダークエネルギーの状態方程式や宇宙の曲率の不定性が与える影響についても詳細に議論し、宇宙論的距離観測の有用性を議論した。

単一場スローロールインフレーションは観測に合う初期揺らぎの生成を予言する単純で魅力的なインフレーションモデルである。その一方、単一場スローロールインフレーションは等曲率揺らぎや非ガウス性をほとんど生成せず、種々のモデルを観測から区別するには、曲率揺らぎ・テンソル揺らぎのパワースペクトルへの制限と理論の予言を比較するしかない。だが、観測からの制限は、スカラー・テンソル比r を考慮するか、スペクトルインデックスns のランニングdns/d ln k を考慮するかなどに影響され、不必要なパラメータを含むことで観測を説明する上で好ましいモデルが大きく変わってしまう。私は、現在のCMB および宇宙論適距離の観測を組み合わせ、観測を説明する上で最適なパワースペクトルの制限の導出、及び異なる単一場スローロールインフレーションモデルの比較を、ベイズモデル選択を用いて行った。最新のデータから、スケール不変なHarrison-Zel'dovich パワースペクトルが観測から強く否定されることを示す一方、現在の観測は異なる単一場スローロールインフレーションモデルを区別できないことを詳細に議論した。偏光の精密な観測が可能となるPlanck 衛星以降の観測ではこの手法により幾つかの主要なモデルが区別可能であると期待される。

なお本論文ではベイズ統計に基づく宇宙論パラメータの推定・モデル選択について積極的な応用を行っている。特にモデル選択は近年宇宙論においてその有用性が注目されている。我々は、未知の物理に対する有意性の評価、異なる理論モデルの観測的区別、理論量に対する最適化された制限の導出など、ベイズ的モデル選択の様々な応用を実践し、その有用性を議論した。

審査要旨 要旨を表示する

近年宇宙論的観測データは爆発的な量的増大と精密化が進み、宇宙進化の標準理論が確立しつつある。すなわち、我々の宇宙は、エネルギー組成としては、ダークエネルギー7割強、ダークマター2割強、残り4%のバリオンからなり、空間的には平坦で、ほぼスケール不変な断熱揺らぎをもとに構造形成が行われた、というΛCDMモデルによって、さまざまな観測データが整合的に説明されてきている。その反面、ダークエネルギーやダークマターの正体については全くわかっておらず、さまざまな研究が進められている。これら未解決の問題やさらにΛCDMモデルを超える物理を探るための観測データとして、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の温度・偏光揺らぎが広く用いられている。さらに今後も観測データのいっそうの精細化が実現するものと期待されている。

本学位論文は、そのような背景の下で、宇宙論的・素粒子論的に興味深い新しい物理に対する、現在および将来にわたるCMB観測による探査可能性をさまざまな観点から議論し、新しい結果を報告したものである。

本論文は10章と付録からなり、各章の構成は以下の通りである。

第1章はイントロダクションであり、上述のような本研究の背景が論じられている。第2章は一様等方宇宙のレビューであり、ΛCDMモデルが導入されている。第3章は揺らぎの生成・発展機構に関するレビューに当てられている。第4章は、宇宙が温度の低下と共に高温高密度のプラズマ状態から中性化し、バリオンと光子が脱結合する過程のレビューである。第5章ではその結果現在観測されるCMBの非等方性がどのようにして求められるかを概観している。以上が本研究で用いる物理過程の紹介である。

第6章では本論文で用いる統計解析の手法が述べられている。これで準備がすべて整ったことになる。

第7章以降が著者のオリジナルな研究の記述である。まず、この章では、初期宇宙の軽元素合成で生成したヘリウム4の量をCMBのみを用いて推定するという研究の報告である。結果としてはWMAPとより小角度の観測を両用すると有意義な制限が得られること、さらに現在進行中のPlanckの精度で観測が得られると、他の宇宙論パラメタ決定においてヘリウム量の不定性の影響が無視できないことを示した。

続く第8章では、軽い粒子の存在量に対するCMBからの制限を解析している。この章は二つのセクションに分かれるが、まず、軽いニュートリノの世代数に関する制限を解析した。CMBの非等方性生成時の宇宙膨張則からくる制限と、軽元素合成時の宇宙膨張則に起因する制限をあわせて考慮することにより、意味のある制限を得た。次に、一部の超重力理論で予言される、極めて軽いグラビティーノの質量と残存量に対する制限について研究を行った。Planckの観測で将来得られる重力レンズポテンシャルを仮定すると、グラビティーノの情報を観測的に引き出せることを示した。さらに理論的な下限質量と併せて、CMB観測による軽いグラビティーノの検出可能性をベイズモデル選択と呼ばれる統計学手法に基づき考察し、ニュートリノ質量が無視できるという仮定の下では、将来観測計画により軽いグラビティーノが探査可能であることを示した。

第9章は初期揺らぎを生成するインフレーションのモデルに対する制限をCMBに基づいて考察したものである。ベイズモデル選択を行った結果では、現在のところどのインフレーションモデルが正しいか判断できないものの、Planckの結果次第では、いくつかのモデルが判別可能になることを示した。

第10章は以上の総まとめである。観測の精密化時代を迎え、さまざまな新しい物理に対して宇宙論が強い制限を与えることを具体的な数値を以て示したところに本論文の意義があるといえる。

なお、本論文の内容はいくつかの共同研究として刊行されているが、いずれも論文提出者が中心となって行ったものであり、本委員会は同人の貢献を大と認めた。

さらに、本学博士に相応しい学識を持っているかを口頭にて試問したが、その結果審査員全員一致にて合格と認定した。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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