学位論文要旨



No 125567
著者(漢字) 西道,啓博
著者(英字)
著者(カナ) ニシミチ,タカヒロ
標題(和) 将来の広視野深宇宙探査に向けた銀河のクラスタリングの数値的研究 : バリオン音響振動及び原始非ガウス性の痕跡
標題(洋) Numerical Studies on Galaxy Clustering for Upcoming Wide and Deep Surveys : Baryon Acoustic Oscillations and Primordial Non-Gaussianity
報告番号 125567
報告番号 甲25567
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5475号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 筒井,泉
 東京大学 教授 横山,順一
 東京大学 教授 相原,博昭
 東京大学 講師 中澤,知洋
 東京大学 特任教授 村山,斉
内容要旨 要旨を表示する

宇宙マイクロ波背景輻射の温度揺らぎや銀河の空間分布を通して見た大規模構造の精密な観測により、標準的な宇宙モデルが確立されてきた。簡単な仮定、少数のパラメタのみで観測事実をよく説明できるものの、このモデルには宇宙極初期のインフレーションと呼ばれる急激な加速膨脹、及び、近傍宇宙での加速膨脹が含まれ、その物理的機構は分かっていない。前者のインフレーション機構については、現在のところ、ポテンシャルが支配的なスカラー場による単純なモデルで観測事実をよく説明するが、これに変わる様々なモデルが提唱されており、これらを峻別する新しい方法論の開発が重要である。後者については、通常負の圧力を持つ暗黒エネルギーの導入により説明される。暗黒エネルギーは、状態方程式パラメタw=p/ρ (p: 圧力、ρ: エネルギー密度) により特徴づけられる。最も単純な暗黒エネルギーの候補として、アインシュタイン方程式の宇宙項が挙げられるが、これはw=-1 に対応する。現在までの観測結果はw=-1 と矛盾が無いが、今後の更なる観測により、宇宙項なのかどうか見極めることが当面の目標となる。今後、暗黒エネルギー、インフレーション機構を理解するために、更なる高精度観測が計画されている。

我々は特に銀河の広域深宇宙赤方偏移探査により測定された銀河の三次元分布に統計的に現れる二つの微弱な効果に着目した。初期宇宙では光子とバリオンはトムソン散乱により強く結合しており、一つの流体として振る舞う。この流体は、光子の持つ輻射圧とバリオンが受ける重力により音波振動を起こし、これは結合が切れる時期まで継続する。これをバリオン音響振動と呼ぶ。この間の音波の進行距離は宇宙の大規模構造に微弱な痕跡を残す。この距離は宇宙背景輻射の温度揺らぎの観測から分かる暗黒物質、バリオンの総量を用いて物理的に正確に決定できるため、近傍の銀河分布から精密に測定できればこれを標準物差とすることで宇宙膨脹の履歴を解明し、暗黒エネルギーの性質を制限できる。

一方、宇宙の原始揺らぎはインフレーション中にできると考えられているため、その統計的性質を調べればインフレーションの機構の解明に繋がる。標準的な宇宙モデルではガウス統計に従う原始揺らぎが仮定されており、この仮定はこれまでの観測と矛盾が無かった。一方で、様々なインフレーションモデルは将来観測により検出可能なレベルの非ガウス性を予言している。これまでの大規模構造の理論には非ガウス性の影響が正しく取り入れられていないため、これを適切に考慮してモデルを再構築する必要がある。

将来の高精度観測から正しく情報を取り出すためには、理論モデルも同様に正確でなくてはならない。暗黒エネルギーの研究に関して言えば、典型的には1%レベルのパワースペクトルの予言が必要となる。近傍の銀河の分布は以下の三つの非線形効果の影響を受けていると考えられる。まず、密度揺らぎの非線形成長が挙げられる。近傍宇宙では揺らぎは小さくなく、線形近似は適用できない。次に、銀河の特異速度の影響で、赤方偏移から測った見かけ上の銀河の分布が歪む、赤方偏移歪みがある。これを理解するためには、速度場の進化を明らかにする必要があるが、密度場同様に非線形性の影響は無視できない。最後に、銀河分布と物質分布の違いが挙げられる。これは銀河バイアスと呼ばれる。

バリオン音響振動及び原始揺らぎの非ガウス性の痕跡が現れるスケールは共同距離でそれぞれ100 及び1000 メガパーセク程度の大スケールであるため、非線形性は比較的弱いと考えられる。このため摂動理論が適用できるものと期待できる。これまで高次の項を取り入れた摂動理論が提案されてきたが、その信頼性は定量的には自明でない。そこで、これらとは独立な方法論による予言を行い、相互に精度評価をする必要がある。

N 体シミュレーションは非線形な重力進化を解くツールとして以前から宇宙論的揺らぎの進化に応用されてきた。しかし、こちらも様々な仮定、近似的取り扱いを避けることはできず、将来観測に必要な1 パーセントレベルの予言力があるかどうかは自明ではない。そこで、本研究では、シミュレーションを開始する時刻、重力計算の方法、シミュレーション領域の大きさ、質量解像度に対する結果の収束性を徹底的に調べ、系統誤差1%以内の信頼性の高い計算を可能にした。また、系統誤差とは別に、シミュレートする領域の有限性により有限のフーリエモードしか調べることができないため、シミュレーションから測定したパワースペクトルには大きな統計誤差が残るという問題がある。我々はこれを低減する方法論を開発した。この方法は有限体積内での摂動理論に基づくものであり、物質の密度、速度を摂動として扱い、三次の効果まで取り入れたものである。これにより、赤方偏移歪み込みの物質のパワースペクトルを精度よく評価できるようになり、系統誤差・統計誤差ともバリオン音響振動の特徴の現れるスケールでは目標の精度をクリアした。

シミュレーションにより信頼性の高い予言ができるようになったので、様々な解析的モデルとの比較を行い、それぞれの破綻するスケールを明確に決定した(図1)。その結果、やはり線形理論、単純な摂動理論では精度が不十分であること、また、最近提案された改良摂動論を用いれば将来の銀河探査のデータを十分に活かせることを明らかにした(図2)。

次に、我々はN 体シミュレーションを用いて原始非ガウス性が大規模構造に与える影響を調査した。最近の研究では、原始非ガウス性と銀河バイアスの非線形性の間のカップリングにより、銀河のパワースペクトルはこれまで考えられていなかった効果を受けることが指摘されていた。本来、非ガウス性の影響は主にバイスペクトルに見られると考えられるが、これもまた同様のカップリングの効果で変更を受ける可能性がある。そこで、我々はシミュレーションから銀河形成の土台となる暗黒物質ハローを同定し、そのバイスペクトルを調べた。特に、局所型と呼ばれる、最も単純な原始揺らぎの非ガウス性のモデルを採用し、摂動理論の予言との整合性を調査した。その結果、バイスペクトルにも原始非ガウス性由来の新しい寄与があることをシミュレーションサイドでは初めて明らかにした(図3)。この効果は、フーリエ空間の大スケールの閉じた三角形においてより重要であることが分かった(図3 の左上パネル)。また、この効果は定性的には摂動理論の予言とよく一致していた。最後に、我々の発見した新しい項の影響により、銀河のバイスペクトルがこれまで以上に原始揺らぎの非ガウス性の良い指標になりうることを議論した(図4)。

図1. N 体シミュレーションと理論モデルの比較。縦軸は波数、横軸は赤方偏移歪み込みの非線形パワースペクトルの残差を示している。縦向き矢印は理論の信頼区域を表す。上から赤方偏移3,2,1,0.5。黄色のヒストグラムは典型的な将来観測の測定精度に対応する。

図2. 将来観測からの暗黒エネルギー状態方程式の決定精度(1σレベル)。横軸は解析に取り入れる最大の波数を表す。各曲線は一つの観測計画に対応し、二本の矢印は左から通常の摂動論、改良された摂動論の信頼限界の波数を表す。究極的には3%程度の制限になると期待される。

図3. N 体シミュレーションから測定した暗黒物質ハローのバイスペクトル。各パネルは一つの波数空間の三角形に対応し、横軸は原始揺らぎの非ガウス性を表すパラメタとなっている。従来の理論では点線のように線形に応答するものと考えられていたが、我々のシミュレーションは破線の二次曲線により、よく説明できた。

図4. 将来観測からの原始揺らぎの非ガウス性パラメタのシグナルノイズ比。3 つの曲線は3 つの銀河探査に対応する。計算には本研究で理論とシミュレーションの一致が良かったフーリエモードのみを使用した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7つの章及び5つのAppendixからなる。まず第1章では研究の背景と動機及び研究結果の概要が述べられ、さらに論文全体の構成が提示される。次の第2章は、宇宙論の基礎及び宇宙の大規模構造の進化における標準モデルのレビューに当てられている。ここでは宇宙膨張とダークエネルギーとの関係、線形理論において等質的な背景場の下での摂動の挙動、そしてバリオン音響振動の物理的な意味が述べられ、また銀河の特異速度の影響で赤方偏移から測った見かけ上の銀河の分布が歪む赤方偏移歪みや、銀河分布と物質分布の違いによる銀河バイアスについての説明が与えられる。第3章では、標準的な宇宙モデルにおいて仮定されているガウス統計に従う原始揺らぎの下での、重力進化や赤方偏移歪み、銀河バイアスに関する申請者自身の関与した非線形理論についての説明が与えられている。第4章は、宇宙の大規模構造の重力進化を調べるためのN体シミュレーションの記述に当てられ、初期条件、重力計算の精度、体積や解像度の有限性の影響が詳しく評価されている。その中で、バリオン音響振動に特有のスケールに着目した場合、これらの効果が系統誤差1%レベルの精度にあることを確認している。続く第5章では、N体シミュレーションのシミュレートする領域が有限であることによって生ずる、フーリエモードの有限性効果の統計誤差を減らす方法を確立している。このことにより、赤方偏移歪み込みの物質のパワースペクトルを精度よく評価できるようになり、系統誤差・統計誤差ともにバリオン音響振動の特徴の現れるスケールにおける、近い将来の広視野深宇宙探査等の測定結果との比較に必要な精度を達成している。この結論に基づいて、N体シミュレーションで得られた結果と種々の解析的モデルとの比較を行い、各モデルの摂動近似が破綻するスケールを明確に決定している。結論として、線形理論や単純な摂動理論では理論的な精度が不十分であるが、一方、最近提案された改良摂動論を用いれば将来の銀河探査のデータを十分に活かせることが述べられる。第6章では、N体シミュレーションを用いて宇宙モデルにおけるガウス統計性からのずれ(局所型原始非ガウス性)が大規模構造に与える影響が調べられている。方法としては、シミュレーションから暗黒物質ハローを同定し、そのバイスペクトルにおける摂動理論の予言との整合性を吟味している。その結果、原始非ガウス性由来の新しい寄与が存在し、定性的には摂動理論の予言とよく一致することによって、銀河のバイスペクトルが原始揺らぎの非ガウス性の良い指標になりうることを明らかにしている。最後の第7章では、本論文の結論とその意義が述べられるとともに、今後の関連研究の方向性が議論されている。また5つのAppendixでは、宇宙論的な種々のパラメーターや、N体シミュレーションの精度評価等、本文に対する技術的補足がなされている。

本論文の目的は、宇宙の大規模構造の進化の研究において重要な従来の宇宙マイクロ波背景輻射の温度揺らぎや銀河の空間分布に加えて、近い将来に期待されている広視野深宇宙探査等の観測結果と照合するために、十分な精度のある理論的基盤作りにある。具体的には、宇宙膨脹の履歴を解明に重要なバリオン音響振動の影響や、宇宙の原始揺らぎの非ガウス性から正しい宇宙モデルの選択に有用な情報を得るための、誤差1%レベルのパワースペクトル精度が達成できるN体シミュレーションの方法論を確立したことが、第1の重要な成果である。その上で、種々の解析的モデルとの比較により、摂動近似の有効な範囲を特定し、線形理論や摂動理論の限界と改良摂動論の有用性を実証したことは、十分に意義のあることと思われる。さらにN体シミュレーションを用いた宇宙モデルのガウス統計性からのずれと大規模構造への影響の研究成果は、摂動理論との整合性の確認と同時に、従来知られていない原始非ガウス性由来の寄与の存在を通して、銀河のバイスペクトルが原始揺らぎの非ガウス性の良い指標になりうることを示唆したもので、今後の当該分野の研究に1つの新しい指針を与えるものとして高く評価できる。また、本論文で用いられたN体シミュレーションの方法やその精度評価は技術的に高度なものであり、またこれと比較した解析的理論及びその摂動理論との照合における議論は、物理的な観点から十分なレベルにあるものと判断される。

以上述べたように、本論文は将来の広視野深宇宙探査を念頭に、数値的な方法を用いて宇宙の大規模構造に関する初期宇宙論と観測結果との照合のための理論的研究を行ったもので、当該分野の研究の進展に寄与するものであり、学位論文として十分な内容を含んでいるものと判断できる。

なお、本論文の第3章以下の内容は、平松尚志、高橋龍一、樽家篤志、斎藤俊、加用一者、松原隆彦、矢幡和浩、杉山直、吉川耕司、須藤靖、白田晶人、小山和哉、吉田直紀、YipengJing、CristianoSabiuの各氏との共同研究であるが、根幹的部分であるN体シミュレーションは論文提出者が主体となって確立したものであり、その他の部分においても論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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