学位論文要旨



No 125570
著者(漢字) 萩原,利士成
著者(英字)
著者(カナ) ハギハラ,トシシゲ
標題(和) X線分光による天の川銀河系内の高温星間物質の研究
標題(洋) An X-ray Spectroscopic Study of the Hot Interstellar Medium in the Milky-Way Galaxy
報告番号 125570
報告番号 甲25570
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5478号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 吉越,貴紀
 東京大学 教授 山本,智
 東京大学 教授 福島,正己
 東京大学 准教授 吉田,直紀
 東京大学 教授 尾中,敬
内容要旨 要旨を表示する

1 研究の背景-軟X線背景放射と高温星間物質

2 keV 以下の軟X線背景放射には宇宙X線背景放射(CXB) を外挿しただけでは説明のつかない成分が存在し、0.4 から1 keV の範囲で全X線強度の60%程度を占める。1999 年のマイクロカロリメータ検出器を搭載したロケット実験により、このような放射が高階電離した酸素、炭素といった元素からの輝線放射を主体とすることが明らかにされ、広がった1- 2 × 106 K の高温星間物質の存在が強く示唆された。高温星間物質の起源、およびその加熱機構は未だ解明されていないが、超新星爆発、始原ガスの降着が主要な候補として考えられる。これらの可能性を弁別し、その先にある銀河の進化史を解明するためには、高温星間物質のアバンダンスや密度、さらには3 次元的な空間分布を明らかにしなくてはならない。

放射輝線や吸収線の観測により高温星間物質の物理量に制限を課すことは可能であるが、これらの観測単独では視線方向の物理量を積分した値しか得られない。そのため、高温星間物質の密度や奥行き方向分布を決定することは難しい。しかし、単位体積あたりの放射強度が電子とイオンの衝突確率、すなわち密度の2 乗に依存しているのに対し、吸収強度は吸収断面積と密度の積、すなわち密度の1 乗に比例しているという事実を利用すると、輝線吸収線双方の結果がそろう場合、高温星間物質の密度および長さを制限することが可能となる。論文申請者が共著者として参加したYao et al.(2009. Astro Physical Journal, 690, 143) では、この関係を利用し、長さ、密度をパラメータとして放射、吸収双方の観測データを同時に満たす値を求める同時解析が試みられた。対象としたのはLMC X-3 方向に存在する高温星間物質である。LMCX-3 は地球から50 kpc の距離の大マゼラン星雲(LMC) 内に存在し、Chandra 衛星による質の良い吸収線データが得られる。さらに、論文申請者自身がCo Investigator として観測提案を行ったSuzaku 衛星による近傍の放射輝線データをもとに解析が行われた。密度と温度が銀河面からの高さに従い指数関数的に下がっていくexponential disk model を仮定することにより、銀河面での密度が1.4+2.0-1.1×10-3 cm-3、温度が3.6+1.1-0.7×106 K、密度が2.8+3.6-1.8 kpc のスケールハイトでさがっていくという制限を得た。しかし、LMC までの距離は50 kpc しかないため、より遠方からの放射が寄与しているモデルでも観測結果が説明可能である。また、この結果がLMC 方向のみの局所的なものである可能性もあり、高温星間物質の全体像を解明したとは言い難い。

2 本研究の目的と手法-放射吸収同時解析による高温星間物質の物理状態解明

本研究では、高温星間物質を対象として、放射輝線および吸収線データを組み合わせることにより、その視線方向の物理状態を決定する。また、複数の方向から得られた高温星間物質の物理状態を吟味することにより、その全体像に迫ることを目的とする。

上記の目的から、先行研究に残された不定性、1) 50 kpc 以遠の放射の可能性、2) 局所的な結果である可能性、を調査するためにすでにChandra 衛星の回折格子による観測データがある天体の中から同時解析の候補を調査した。結果、系外天体のPKS 2155-304 を選び、論文申請者自身がPrincipal Investigator としてPKS 2155-304 近傍を観測した。この天体は先行研究の方向と銀経で100。、銀緯で20。 異なる(l, b) = (17。,-52。) に位置しLMC X-3 方向の結果が局所的なものであるかどうかを調査できる。またz=0.116 に位置するため、それ以遠の放射の寄与を除外できる。

先行研究並びに、PKS 2155-304 はいずれも銀緯が30。 より大きく高銀緯方向の高温星間物質を観測対象としてきた。しかし、銀河中心バルジ方向には放射強度の強い領域が広く存在しており、その起源として高温星間物質の存在が示唆されている。高温星間物質の全体像を描くためには是非ともその起源並びに物理量を明らかにしたい。そこで、我々は(l, b) = (2.3。,-7.9。)に存在するX 線連星4U 1820-303 およびその周辺領域を対象として同時解析を試みた。この天体の太陽からの距離は約7.6 kpc、銀河面からの高さは約1 kpc であるため、吸収に寄与しない放射が存在する可能性がある。解析はこの可能性を考慮して行った。

3 結果

3.1 高銀緯方向-PKS 2155-304

我々は、まず吸収、放射の観測データをそれぞれ独立に解析した。吸収線観測のスペクトル(図1: 左) にはO VII、O VIII の吸収線が明確に存在し、その中心エネルギーは赤方偏移を示していない。この事実から、これらの吸収が銀河系に付随する高温星間物質によるものと結論づけた。さらに、酸素の吸収線強度比から、1.9+0.1-0.1×106 K の高温星間物質モデルによりよく説明出来ることを確認した。放射輝線観測のスペクトル(図1: 右) には、O VII、O VIII、Ne IX からの輝線が明確に存在し、この放射が高温星間物質を起源とすることを強く示唆している。実際、このスペクトルは2.1+0.1-0.1×106 K のプラズマからの放射でよく説明出来たが、N, Ne, Fe の酸素に対する元素存在比がそれぞれ太陽組成の5 倍, 3 倍, 2 倍程度必要となった。続いて、これらのデータを組み合わせた同時解析を行った。まず、密度、温度ともに一定の高温星間物質が銀河面からある高さまで存在していると仮定して同時解析を行った。結果、高さに対して4.2+1.5-1.2kpc という制限を得た。この結果は高温星間物質が星や中性星間物質からなる銀河円盤の厚みを超えて広がっていることを示している。次に密度や温度が銀河面からの高さに沿って指数関数的に減少するexponential disk model を用いて同時解析を行い、放射吸収双方のスペクトルが非常によく再現されることを確認した。また温度勾配を仮定した場合、Ne, Fe の輝線をよく出す高温領域の存在が許されるため、これらの元素組成比がそれぞれ2.3+1.6-0.5, 1.0+0.8-0.5 と太陽組成と矛盾しない範囲でスペクトルを再現出来るようになった。得られた物理量は、銀河面での密度および温度がそれぞれ1.3+9.7-0.7×10-3 cm-3、3.2+0.7-0.6×106 K であり、密度のスケールハイトが5.1+3.9-4.7 kpc である。

3.2 銀河中心バルジ方向-4U 1820-303

PKS 2155-304 方向と同様に、まず吸収、放射の観測データをそれぞれ独立に解析した。吸収線観測のスペクトル(図2: 左) にはO VII、O VIII による吸収が明確に存在し、また、図では省略したが、Ne IX の吸収も確認した。高銀緯方向と異なり、酸素およびネオンの吸収線を使用した解析を行い、温度1.9+0.3-0.2×106 K の高温星間物質による吸収でよく説明できることを確認した。このときNe の元素組成比を同時に求めたが、Ne/O 比は2.2+1.8-1.3 とエラーの範囲内で太陽組成と一致した。放射輝線観測のスペクトル(図2: 右) にはO VII、O VIII、Ne IX、Ne X、高階電離したFe からのL 輝線が明確に存在しており、その強度は高銀緯方向よりもはるかに強い。銀河中心方向に存在する星の寄与などを考慮に入れた解析を行った結果、この放射を元素組成比を変えた1 温度の高温星間物質で表す事は難しく、少なくとも1.0+0.2-0.1×106 K、および3.5+0.2-0.1×106 K の2 温度の高温星間物質が必要であることを発見した。

この結果は高銀緯方向の結果と大きく異なる。その違いを解明するために、PKS 2155-304方向で得られたexponential disk model の最適値を使い、放射、並びに吸収のスペクトルを比較した。結果、吸収はよく説明できるが、放射のスペクトルについては、酸素からネオンに至る輝線群の強度がこのモデルのみでは足りないことを確認した。これは4U 1820-303 より奥側に、吸収に寄与しない成分が存在することを示唆する。この追加の成分を入れて解析を行った結果、温度が4.1+0.7-0.5×106 K、並びに1.0+0.7-0.4×106 K の高温星間物質が4U 1820-303 より奥側に必要になる事が分かった。

続いて、単純化した2 温度のモデルを用いて同時解析を行った。手前側に2 温度の高温星間物質が局在するモデルを仮定し、それぞれの温度に対して3.1+0.2-0.2×106 K, 1.0+0.2-0.2×106 K という値を得た。また、手前側に1 温度、奥側に別の1 温度の高温星間物質が存在するというモデルでは手前側の温度が1.0+0.2-0.2×106 K, 奥側の温度が3.9+0.4-0.3×106 K と決定された。いずれのモデルでも3 × 106 K を超える高温星間物質が高さ1 kpc に存在しており、銀河中心方向に対しては高銀緯方向の高温星間物質のモデルを単純に拡張することは出来ないという結論を得た。

4 考察および結論-高温星間物質の全体像とその起源について

我々は同時解析という手段を用いて高温星間物質の物理量を定量的に見積もった。PKS 2155-304方向に対してexponential disk model を仮定することにより、銀河面での密度および温度に対して1.3+9.7-0.7×10-3 cm-3、3.2+0.7-0.6×106 K という値を得た。また、奥行き方向の空間分布に対しても制限を付け、密度のスケールハイトに対して5.1+3.9-4.7 kpc という値を得た。この結果は高温星間物質が銀河円盤の厚みを超えて広がっていることを示している。PKS 2155-304 方向で得られた高温星間物質の物理量はLMC X-3 方向と90%エラーの範囲内で一致している。また、銀河中心方向については、高銀緯方向で得られたexponential disk model では説明できない超過成分が存在することを示し、その温度に対して4.1+0.7-0.5×106 K、並びに1.0+0.7-0.4×106 K という値を得た。追加の高温成分が銀河面から遠くに広く分布するとは考えにくく、バルジ領域に局在すると考えるのが自然である。

これらの結果を組み合わせると高温星間物質が我々の銀河円盤を超えて広く存在し、銀河中心方向に高温成分が局在するという高温星間物質の全体像が提示される。さらに、銀河面での密度が決定されたことにより、高温星間物質の圧力が求まり、銀河面で他の星間物質と共存出来ることが明らかとなった。ここまでは、高温星間物質の重元素量は太陽組成を仮定しているが、仮に始原ガスを高温星間物質の起源とした場合、その重元素量は太陽組成よりもはるかに低い事が予想される。その結果、放射や吸収を再現するために必要な水素の個数密度が増加し、銀河面での高温星間物質の圧力が観測されている低温星間物質の圧力を上回るという不自然な状況になる。exponential disk model のX線輝度は0.3-8.0 keV で4×1036ergs-1 であり、これは系外銀河のX線輝度と一致する。導かれる放射冷却時間は107-8 年であり、このエネルギー損失は超新星爆発のエネルギー供給で十分にまかなえる。以上から、高温星間物質のエネルギー源が超新星爆発であり、銀河の星形成活動に関連するという描像を示した。

Figure 1: PKS 2155-304 方向の観測で得られたスペクトル。(左、Chandra による吸収線):O VIIおよびO VIII による吸収線が確認できる。(右、Suzaku による放射):O VII、O VIII、並びにNe IX のK 輝線が確認できる。緑色の実線が高温星間物質のモデルの寄与を表し、他にCXB、太陽系近傍放射を考慮している。

Figure 2: 4U 1820-303 方向の観測で得られたスペクトル。(左、Chandra による吸収線):O VIIおよびO VIII による吸収線が確認できる。(右、Suzaku による放射):O VII、O VIII、Ne IX 並びにNe X のK 輝線、鉄のL 輝線が確認できる。0.7 keV 付近の鉄輝線の強度が合っていないが、これはモデルに依るものである。緑色の実線が手前側、紫色の実線が奥側に局在する高温星間物質のモデルを表す。他に星からの寄与、太陽系近傍放射、CXB も考慮している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなる。第1章は序論であり、本論文の動機と構成を示している。第2章では本論文の背景である軟X線背景放射と高温星間物質について概説している。第3章では本論文で論じる観測データを取得した2つのX線観測衛星、「すざく」、「チャンドラ」に搭載した検出器の概要を述べ、それらの性能を示している。第4章では本論文で使用したX線データの観測について詳細を示し、また、様々な雑音除去の方法を述べている。第5章ではPKS 2155-304とその周辺領域のデータに基づく高銀緯方向の解析と結果を示し、第6章では4U 1820-303とその周辺領域のデータに基づく銀河中心バルジ方向の解析と結果を示している。第7章で結果をまとめると共にその解釈について議論し、第8章で結論を述べている。また、付録Aでは銀河中心バルジ方向の解析で考慮した星からのX線放射モデルについて、付録Bでは重元素比が低い場合のexponential disk modelの当てはめについて、付録C、Dでは検出器や解析モデルに起因する系統誤差について詳細な検討を述べている。

2 keV以下の軟X線背景放射には宇宙X線背景放射を外挿しただけでは説明のつかない成分が存在し、天の川銀河系に付随して広がった~106 Kの高温星間物質の存在が示唆されている。これまでX線放射輝線や吸収線の観測から高温星間物質の物理量に制限を課す研究がなされてきたが、それぞれの観測単独では視線方向の物理量の積分値しか得られない。同一方向の放射輝線、吸収線データを同時解析することで高温星間物質の視線方向の長さ、密度を見積もることができ、論文提出者も参加した先行研究において、LMC X-3方向の同時解析からexponential disk modelに基づく高温星間物質の性質が示された。本論文はこのような同時解析の事例を増やし、高温星間物質の全体像を説明するモデルを構築したものである。

論文提出者はLMC X-3方向とは異なる高銀緯方向のPKS 2155-304近傍を「すざく」衛星で新たに観測して放射輝線データを得、「チャンドラ」衛星による同天体方向の吸収線データと共にexponential disk modelを用いた同時解析を行った。その結果、PKS 2155-304方向の高温星間物質の物理量(密度、温度、スケールハイト)はLMC X-3方向のそれと誤差の範囲で一致した。LMC X-3までの距離は50 kpcであり、先行研究における同天体方向の同時解析ではそれ以遠の放射の寄与を排除できなかった。しかし、赤方偏移0.116のPKS 2155-304方向で同様の結果を得たことから上記不定性を排除し、また、異なる高銀緯方向の結果が一致したことから、銀河円盤を超えて広く存在する高温星間物質の大域的性質を示すことに初めて成功した。

論文提出者は更に、銀河中心バルジ方向の4U 1820-303について「すざく」の放射輝線データ、「チャンドラ」の吸収線データの解析を行い、その結果が上記PKS 2155-304方向とLMC X-3方向から得た高銀緯方向の高温星間物質の描像とは異なることを示した。データを説明するには少なくとも2温度の高温星間物質が必要であり、論文提出者はより雑音が多く複雑な銀河中心方向の解析において慎重にモデルの拡張を行った。その結果、より高温の星間物質が4U 1820-303背後のバルジ領域に局在するモデルを適用することにより、高銀緯方向の結果と矛盾しない統一的な高温星間物質の描像を構築できることを示した。銀河中心方向の高温星間物質を高銀緯方向と統一して理解したのはこれが初めてである。

また、論文提出者は上記解析から構築した高温星間物質モデルの重元素比、総X線輝度を、高温星間物質起源候補天体から期待される重元素比、エネルギー供給率と比較している。主としてX線輝度とエネルギー供給率の比較から、原始ガスの降着が高温星間物質の起源ではなく、超新星爆発や星風が起源であると考えるのが妥当である。この結論は高温星間物質が銀河系内の星形成活動に関連していることを示唆し、銀河系の進化を理解する上で非常に興味深い。

以上本論文は、天の川銀河系内の高温星間物質について新しいX線観測結果に基づき独創的な視点により多くの知見を提供しており、高エネルギー天体物理学において重要な貢献をもたらしている。

なお、本論文第5章のPKS 2155-304に関する研究は、Yangsen Yao、山崎典子、満田和久、竹井洋、Daniel Q. Wang、吉野友崇、Dan McCammonとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク