学位論文要旨



No 125572
著者(漢字) 松林,大介
著者(英字)
著者(カナ) マツバヤシ,ダイスケ
標題(和) 磁壁と伝導電子の相互に相関したダイナミクスに関する理論的研究
標題(洋) Theoretical study on cross-correlated dynamics between magnetic domain walls and conduction electrons
報告番号 125572
報告番号 甲25572
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5480号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 常次,宏一
 東京大学 教授 大谷,義近
 東京大学 教授 勝本,信吾
 東京大学 教授 青木,秀夫
 首都大学東京 准教授 多々良,源
内容要旨 要旨を表示する

磁壁とは強磁性体中の反対のスピンをもつ磁区と磁区の間のスピンがねじれた境界領域のことであり、ある有限幅(数100nm~数nm)をもっている。近年、この磁壁を電流で駆動するという現象が不揮発性記憶媒体のデバイス原理を与えるとして応用の面から注目されている。また、磁壁というマクロな構造と伝導電子が相互作用する複雑な非平衡多体問題の舞台としても重要である。もともとこの現象は1980年代に予見されていたのであるが、理論的な興味にとどまっていた。しかし、近年の微細加工技術の発展や磁化構造をスピン分極流で制御できる可能性が示唆されたことと相まって、爆発的に理論・実験ともに研究が進むこととなる。また、最近のスピントロニクスにおいても一つの分野を築いている。この磁壁電流駆動に関する理論的研究が我々の主要な研究テーマである。

まず磁壁電流駆動における磁壁の駆動メカニズムについて説明する。電流は磁壁を二つの方法で動かしうる。一つ目は伝導電子が磁壁をつくる局在スピンの向きに自分のスピンを沿わせながら通り抜けて、トルクを磁壁に与えるスピン(トルク)移行メカニズムである。この場合、電子は断熱的に磁壁を透過するので断熱トルクとも呼ばれる。二つ目は向かってきた電子が磁壁に反射されるときに磁壁に力を与える運動量移行メカニズムである。これは電子の非断熱なプロセスによるものなので、断熱トルクと対比して非断熱トルクとも呼ばれる。

多くの強磁性体では電子のフェルミ波長に比べて十分磁壁幅が大きいので、電子が断熱的に透過するスピン移行が駆動メカニズムとして有利と考えられる。しかし、最近の多くの実験で電子の非断熱性、すなわち運動量移行の重要性が示唆されている。しかし、電子の非断熱性の理論的な取り扱いが難しいせいで、運動量移行はあまり研究がされてこなかった。この非断熱性を真面目に取り込んだ計算を行ったのが我々の以下に述べる研究である。

我々は、磁壁をつくる局在スピンが従うLandau-Lifshitz-Gilbert(LLG)方程式と伝導電子が従う時間依存Schredinger 方程式を連立して数値的に解くことで、上で述べた電子の非断熱性を完全に取り込むことに成功した。そのためスピン移行と運動量移行を同等に扱うことができ、一般的かつ近似のないダイナミクスをシミュレートできることになった。その結果、局在スピン系の困難軸異方性定数という量を変化させることで、スピン移行と運動量移行のクロスオーバーを起こすことができた。

また、伝導電子の非断熱性を考慮できる我々の手法の強みを活かして、特に運動量移行に注目した研究を行った。運動量移行は伝導電子の磁壁による後方散乱が起源なので、電流の観点から言うと磁壁による抵抗が生じることになる。我々は運動量移行と電子の非断熱性の関係を調べるために、その磁壁抵抗を様々な状況において計算した。その結果、電子が断熱的状態から非断熱的状態に移り変わるエネルギー領域が存在し、そこで後方散乱が増強されて結果として磁壁抵抗が増大することを見出した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は"Theoretical study on cross-correlated dynamics between magnetic domain walls and conduction electrons"(「磁壁と伝導電子の相互に相関したダイナミクスに関する理論的研究」)と題し、5章からなる。第1章はイントロダクションであり強磁性体における磁壁およびその電流駆動についての紹介を行うとともに、研究の背景および本論文の主目的について述べている。第2章では、後の議論に必要な解析理論の概説を行っている。本論文で考察されている物理系は、強磁性を担う磁気異方性をもつ局在スピン系とそれと相互作用している伝導電子系の結合システムである。局在スピンと伝導電子の相互作用は強磁性的sd相互作用が考慮されている。局在スピン系は古典系として扱われ、そのダイナミクスを記述するLandau-Lifshitz- Gilbert(LLG)方程式が、伝導電子との相互作用を記述する分子場を含んだ形で定式化され、また、磁壁の集団運動の座標として、その中心位置Xとその場所におけるスピンの偏角φが導入されている。また伝導電子の感じるスピン依存有効電場へのスピンベリー位相の寄与の説明を行っている。

第3章が本論文の主要部分であり、磁壁の電流駆動に関する数値計算の結果が説明されそれに基づく考察が展開されている。まず、伝導電子のダイナミクスを時間依存Schroedinger方程式として解く手法が説明され、これとLLG方程式の連立方程式の時間発展が1次元60サイトの場合に数値計算され、電流、磁壁位置Xおよび偏角φ、およびスピントルクの時間依存性が求められた。主要な結果として、磁気異方性K⊥が小さい時には、磁壁はそのスピン偏角を単調に増加させながら滑らかに動くのに対して、K⊥が大きな場合には、スピン偏角の首振り運動を伴う間歇的な磁壁のstick-slip運動とそれに対応する電流の大きな時間振動が見出された。この2つの時間依存性の違いの微視的起源を解明するために伝導電子系の1電子準位の時間発展が解析されたことが、本論文の最もオリジナルな部分である。その結果、異方性が大きな場合には、2つのスピンのエネルギーバンドが重なるエネルギー領域に入ったところで起こる、伝導電子の間歇的な後方散乱が支配的であるのに対して、異方性が小さい時には、局在スピンの変形に伴う伝導電子のスピン変化が連続的に起こることが発見された。これらの異なる伝導電子の散乱ダイナミクスが、電流駆動による磁壁の運動機構として従来提唱されていた2つの過程、運動量移行とスピン移行に対応することが明らかになった。第4章においては、磁壁の運動に起因する電気抵抗に関して、電子ダイナミクスの解析が引き続き行われた。有限電圧によって伝導電子エネルギー準位の変化に伴って準位交叉が起こる時の遷移の断熱性の指標量が導入されてこれが数値的に計算され、運動量移行が支配的となるのは、遷移の断熱性が大きいよりもむしろ中間的な値をもつ場合であり、2つのエネルギーバンドが重なったエネルギー領域の下端付近で運動量移行がもっとも顕著に起こっていることが示された。第5章では、本研究で得られた結果を要約し、将来の問題を提起している。

本論文の数値計算は少数1次元を対象に行われており、現実物質のシステムサイズ、磁気異方性に関して、提唱されている2つの過程が定量的にどの程度の磁壁抵抗、および磁壁の電流駆動を与えるかは未解決の問題として残っているが、磁壁の運動に関与する伝導電子系のダイナミクスを調べるため、基本的な時間発展方程式の数値計算を始めて行い、異方性の変化によって電子散乱機構のクロスオーバーが起こることを直接示したことは、磁壁の電流駆動の物理の理解に貢献するものと認められる。

なお、第3章の研究は、小形正男氏および宇田川将文氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク