学位論文要旨



No 125579
著者(漢字) 近藤,荘平
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,ソウヘイ
標題(和) 高赤方偏移における低電離金属吸収線系の宇宙化学進化 : 近赤外高分散分光による研究
標題(洋) Cosmic Chemical Evolution of Low Ionization Metal Absorption Systems at High Redshift : Studying with Near-infrared High-resolution Spectroscopy
報告番号 125579
報告番号 甲25579
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5487号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 川良,公明
 東京大学 教授 岡村,定矩
 東京大学 准教授 嶋作,一大
 東京大学 准教授 梅田,秀之
 東海大学 教授 比田井,昌英
内容要旨 要旨を表示する

宇宙論的な距離に多数存在するクェーサーを背景光として、銀河間に存在するガスによる吸収線を観測することにより、高赤方偏移すなわち過去における元素の化学組成を直接知ることができる。このような「クェーサー吸収線系」の観測研究は、8m クラスの望遠鏡の登場とともに可視高分散分光によって発展し、宇宙論的時間スケールでの化学進化の理解が大きく進んだ。クェーサー吸収線系の研究は、中性水素柱密度が高いDampled Lyman-α systems(以下DLAs) の観測を中心に進められてきたが、測定された金属量のばらつきは大きく、0<z<3.5 の広いタイムスパンにおいても、明確な化学進化が見いだせていない。その一方で近年、DLAs よりも中性水素が比較的少ない「低電離金属吸収線系」の方が、高赤方偏移における銀河の活動的な星形成と密接に関わっており、宇宙論的時間スケールでの化学進化をより正確に反映していることが示唆されている。

高赤方偏移(z>2.5) におけるこれら低電離金属吸収線の観測は化学進化の研究に欠かせないが、低電離金属吸収線は中性水素や高電離金属の吸収線と比較してより長い波長域に存在するため、赤外線波長域における高感度な高分散分光観測が必要となる。そこで、すばる望遠鏡に搭載された赤外線高分散分光器IRCS と補償光学(AO) を組み合わせ、z=3.9 の高赤方偏移重力レンズクェーサー「APM08279+5255」の波長1-1.4 μm における高分散分光観測を行った(図1)。その結果、z=3.5 に明確なMg II λλ2796,2803 吸収線と微弱なFe IIλ2383 吸収線を検出した。これは高赤方偏移(z>2.5) に存在する低電離金属吸収線系についてのMg およびFe の初検出であり、8m クラスの高感度な赤外線高分散分光によって初めて実現されたと言える。またAO による高分解能により2 つの主要な重力レンズ像A およびB (離角0.0038 ) を分解した分光観測を行い、このガス雲の大きさが120pc 以上であることを明らかにした。その結果、CLOUDY 光電離モデルを用いる際のパラメータに、より強い制限をかけることが可能となり、この吸収線系の金属量[Fe/H]、および、化学進化の議論に最も重要なアバンダンス比[Mg/Fe] と[Si/Fe] をより正確に導出することができた。

このz=3.5 吸収線系の金属量は、同じ赤方偏移のDLAs よりも高く、むしろ活発な星形成銀河であるLyman break 銀河に近いことがわかった(図2)。また、この吸収線系のアバンダンス比は[α/Fe]<0 であることがわかり(図3)、Ia 型超新星から放出された重金属が強く影響していることが示唆された。z=3.5 においてこのような化学組成を持っていることから、この吸収線系に付随する銀河は、銀河風による星生成の停止および大部分のガスの放出という過程を経ていることが示唆される。また、このような星生成史から、この銀河は現在における早期型の低質量銀河(dE: 矮小楕円銀河、dSph:矮小楕円体銀河) の祖先と推定される。まだサンプルは1 つに過ぎないが、高赤方偏移の低電離金属吸収線系こそが、宇宙の金属量進化、すなわち銀河進化過程を顕著に反映しているであろうこと、またその観測により、大型望遠鏡による深撮像でも検出が難しい早期型低質量銀河の生成期を直接研究できる可能性が示唆された。

また今回の観測によってz-1 の3 つのDLAs に伴うNa IDλλ 5891, 5897 の吸収線も検出された(図1)。これはz>1 におけるNa ID 吸収線の初検出である。金属のダストへの凝縮度を表す良い指標となるNa I とCa II のコラム密度比を求めたところ、これらDLAs のダストへの凝縮度は系統的に銀河系よりも低く、近傍矮小銀河である大マゼラン雲と同程度であることがわかった。この結果は、これらDLAs が銀河系よりも矮小銀河に近い環境を持っていることを示唆している。さらに、3 つのうち1 つの吸収線系は視線方向に新たに出現したガス雲によるものと考えられる。この、クェーサー吸収線系の固有運動の初めての検出により、Na Iがトレースする冷たい中性水素ガス雲に数百AU という小さなスケールの柱密度揺らぎが存在する可能性が示唆された。

以上、高感度な赤外線高分散分光観測によって初めて高赤方偏移におけるMg II, Fe II およびNa I の吸収線観測が可能となった。われわれはそれによって得られたアバンダンスに基づき、高赤方偏移における低電離金属吸収線系の初めての本格的な研究を行った。今回は1つのクェーサーについての観測であったが、今後の赤外線高分散分光観測装置の発展に伴いサンプルが質、量ともに増え、宇宙論的時間スケールでの化学進化の研究が飛躍的に進むことが期待できる。

図1 すばる望遠鏡に搭載されたIRCS で得られた高赤方偏移クェーサー「APM08279+5255」の赤外線高分散分光スペクトルの一部。横軸は波長、縦軸は規格化したフラックを表している。z=3.5 のMg IIλλ2796,2803 吸収線、z=1.17 およびz=1.18 のNa I D λλ 5891,5897 吸収線が明確に確認される。下のパネルは大気の吸収スペクトルを表している。

図2 吸収線系の赤方偏移と金属量の関係。赤色の円はz=3.5 吸収線の値、緑色の記号はDLAs の値を表している。また青色の記号はDLAs よりやや中性水素が少ないsub-DLAs の値、その他の赤色の記号は低赤方偏移の低電離金属吸収線系の値を表している。薄い緑色とマゼンタ色の実線はそれぞれDLA やLyman break 銀河の化学進化モデルを示す。オレンジ色の領域はLyman break 銀河の金属量の領域を示している。

図3 z=3.5 吸収線系および銀河系、LMC、SMC、dSph の星についての金属量([Fe/H]) と化学組成比([α/Fe]) の関係。赤色の円はz=3.5 吸収線系の値を表している。黒色の円、緑色の円、緑色の三角形、青色の円、青色の三角形はそれぞれ銀河系、大マゼラン雲、小マゼラン雲、射手座矮小楕円体銀河、その他の矮小楕円体銀河の星の値を表している。

審査要旨 要旨を表示する

宇宙論的な距離にあるクェーサーを標準光源として、前景にあるガス雲による吸収線を観測することにより、高赤方偏移における元素の組成を直接知ることができる。本論文は、近赤外線における高分散分光観測を行うことにより、赤方偏移(z=3.5)にあるガス雲においてIa型超新星によって合成された鉄を吸収線として世界で初めて検出したものである。

本論文は7章より成る。第1章は序論で、主として光学観測で得られたクェーサー吸収線系に関する知見を要約し、後続の章で展開される議論に必要な基礎的な知識、すなわち吸収線から元素の柱密度を求めるための手法、あるいはガス雲中の重元素が固体微粒子(ダスト)に降着する現象であるdust depletionに関する観測結果が紹介されている。

第2章では、クェーサーの吸収線系のうちでも金属の吸収線系として観測される低電離金属吸収線系(LIMS)が研究の対象であること、また銀河の星形成によって生成されたはずの金属の総量が、柱密度の高いDLA(Damped Lyman Alpha) や柱密度の低いLyαフォレストなどのよく観測されているガス雲には見つかっていないという「ミッシングメタル問題」を追求する上でLIMSは重要な天体であることが述べられている。

第3章では、観測の詳細が記述されている。すばる望遠鏡を使い、補償光学系(AO)のもとで近赤外線高分散分光観測を実施した。標的は、z = 3.9にある重力レンズクェーサー APM 08279+5255である。その結果、z=3.50 に明確なMg IIλ2796,2803 吸収線と微弱なFe IIλ2383 吸収線を検出した。これは高赤方偏移(z>2.5) に存在するLIMS についての、Mg およびFe の初検出である。

第4章では様々な元素の柱密度を求め、第5章では、2つの重力レンズ像を分解した分光データから、このLIMS のガス雲のサイズの下限値を求め、それによりCLOUDY 光電離モデルのパラメータ範囲に強い制限をかけた。

第6章では、ガス雲(LIMS)に銀河間紫外背景光が照射されている環境下で、金属量[Fe/H]、および化学進化の議論に最も重要なアバンダンス比[Mg/Fe] と[Si/Fe] を、高い精度で導出した。特に、5つある速度成分のうちの1つ(以下、第4成分と呼ぶ)における金属量は、[Fe/H] = -0.17という極めて高い値が得られた。この値は、同時代にあるDLAなど他の吸収線系の値より一桁以上大きく、低赤方偏移のLIMSとほぼ同じである。このことから、LIMSの金属量には銀河の星形成が他の吸収線系よりも忠実に反映されていることが示唆された。

第7章では、測定された金属量からこのLIMSにおける星形成史を議論している。まず、[Mg/Fe] = -0.31と[Si/Fe] = -0.26 という観測値は、第4成分における元素組成比がII型超新星のみで説明できるものではなく、Ia型超新星による元素合成が大きな寄与をしていることを示している。この結論はdustによるdepletionを考慮しても変わらない。これは、Ia型超新星の元素パターンが高赤方偏移で見つかった最初の観測例である。Ia型超新星の前身星の寿命を考慮すると、第4成分における星形成は宇宙論的に非常に早い時期に始まったことを示唆している。ここで観測した一つのLIMSの高い金属量が、高赤方偏移にあるLIMS一般に当てはまるとすれば、クェーサー吸収線系におけるミッシングメタルの問題が解決する可能性があることも示唆されている。

高赤方偏移における鉄を含む重元素の組成比を測定することは、銀河の星形成史を探るための重要な手段であることは広く認識され、待ち望まれていたことである。高赤方偏移における鉄元素の組成比を測定し、それがIa型超新星によって形成されたものであることを示した、本研究の学術的価値は極めて高い。

本研究は、小林尚人、美濃和陽典、辻本拓司、クリストファー・W・チャーチル、高遠尚徳、家正則、鎌田有紀子、寺田宏、表泰秀、高見英樹、早野裕、神澤富雄、デヴィッド・センジャック、ウォルフガング・ゲスラー、大屋真、根建航、アラン・トクナガ、大越克也との共同研究であるが、論文提出者が主体となって観測、分析、検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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