学位論文要旨



No 125583
著者(漢字) 芹澤,靖隆
著者(英字)
著者(カナ) セリザワ,ヤスタカ
標題(和) サブミリ波帯サイドバンド分離型バランスドSISミクサの開発
標題(洋) Development of a Submillimeter Sideband-Separating Balanced SIS Mixer
報告番号 125583
報告番号 甲25583
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5491号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,孝太郎
 東京大学 教授 小林,秀行
 東京大学 教授 坪井,昌人
 東京大学 教授 藤本,眞克
 東京大学 教授 小林,行泰
内容要旨 要旨を表示する

広帯域・低雑音・高サイドバンド分離比を併せ持つ、サブミリ波帯(385 - 500 GHz)で動作可能なサイドバンド分離型バランスドSISミクサの開発に成功した。雑音温度で~200 K、サイドバンド分離比は~10 dBであり、サブミリ波帯の天文観測用に実現されている世界最高性能のサイドバンド分離ミクサ(2SB)受信機(Kamikura et al. 2007)とほぼ同程度の性能を達成した。SISミクサはDSB量子雑音限界の3倍に到達するような低雑音性能を達成している。一方、雑音が下がるにつれ、局部発振源(LO)のパワーやLO自身の雑音が受信機雑音を制限することになる。この制限を打破し、テラヘルツ受信機やアレイ受信機のさらなる低雑音化を目指すためには(サイドバンド分離)バランスドSISミクサが非常に有用である。マイクロ波・ミリ波での研究例は存在するが、サブミリ波帯のサイドバンド分離型バランスドミクサは世界初の技術であると同時に、天文学用サイドバンド分離型バランスドミクサは初の研究例である。

サイドバンド分離型バランスドSISミクサは従来の非バランスタイプミクサに比べて(1):動作させるのに必要な局部発振源(LO)の入力電力が非バランスタイプミクサの約1/30程度に抑えられる、(2):LO信号に必然的に付随し、受信機雑音温度の上昇に繋がるLOサイドバンドノイズを除去することができる、などの天文学的に重要な利点がある。次世代のサブミリ波・テラヘルツ観測天文学では、低雑音サブミリ波・テラヘルツ受信機や、大規模(多ピクセル)ヘテロダインアレイ受信機がその重要性を有力視されているが、(1)、(2)などの利点を生かすことで、サイドバンド分離型バランスドSISミクサは、その基礎的な技術として非常に重要な位置を占める。さらに、サイドバンド分離型バランスドSISミクサは、ヘテロダイン受信機において天体信号のupper sideband(USB)成分とlower sideband(LSB)成分を分離したのちに同時に取り出すことができる。USBとLSBの分離は、受信機が大気から受ける雑音の影響を減らすとともに、強度較正の精度を高めるだけでなく、観測効率を向上させるというサブミリ波天文観測にとって重要な開発要素である。開発したサイドバンド分離型バランスドSISミクサの高性能を正確に評価するために、同時に冷却評価システムの開発も行った。開発した冷却評価システムで評価した結果、開発したサイドバンド分離型バランスドSISミクサは低雑音(~200 K)・高サイドバンド分離比(~10 dB)を達成していることを確認した。また、動作に必要なLO電力は従来型のミクサと比較して1/30程度に抑えることに成功した。この成果は、本研究の技術は高いサイドバンド分離機能を有するヘテロダインアレイ受信機のピクセル数を従来の~30倍にする可能性をもつことを示唆する重要な結論である。第一章で本論文の導入、第二章では本研究における冷却試験を可能にした冷却測定システムおよび評価方法についてまとめている。第三章ではサブミリ波サイドバンド分離型バランスドSISミクサ開発の前段階として開発を行ったサブミリ波シングルバランスドSISミクサについて記述している。高周波・低雑音・広帯域のバランスドミクサは本研究が世界初の例である。また、バランスドミクサはLOサイドバンドノイズを出力することができることに着目しその測定を行い、第三章にまとめている。第四章では、サイドバンド分離型バランスドSISミクサのデザイン・シミュレーション・計算・および評価結果について述べている。

第三章では、シングルバランスドSISミクサの詳細な理論計算、それに基づく各コンポーネントの仕様、RF帯の導波管回路設計・製作、常温での評価結果、および4K冷却時における性能評価結果などを述べた。シングルバランスドSISミクサのRF帯は導波管回路(WR2: 508nm×254nm)で構成されており、中でも90度位相遅延+等分配器においては、もっとも簡単な構造を持つブランチライン型結合器を採用した。サブミリ波帯での広帯域な電磁界性能を得るために細い(~60nm)ブランチラインを複数(7ブランチ)施しており、結合器の各パラメータは4Kでの動作を最適にするように設計されている。結合器はスプリットブロック型として設計製作されたが、実験のしやすさを考慮して直方体の各側面にフランジを1つずつ配置するだけでなく、導波管同士のミスアライメントによる損失を考慮して導波管の中央ではなく端で分割する方法を採用した。製作した結合器は顕微鏡による寸法測定の結果、加工誤差±5nmで製作されていることを確認し、さらに常温にてサブミリ波ネットワークアナライザを用いて性能評価した結果、強度不平衡1.5dB以内、位相不平衡10度以内という仕様を満たすことを確認した。シングルバランスドSISミクサはDSBミクサを2個要するが、比較的性能が似通ったペアを選び出し、それらと結合器と合わせてシングルバランスドSISミクサを構成した。その結果、DSB雑音温度で量子雑音限界の5倍以下という低雑音性能を達成することができた。また、動作に必要なLO電力は従来型SISミクサの~1/20であった。また、バランスドミクサはLOサイドバンドノイズを出力することに着目し、その測定を試みた。その結果用いたLO発振源のサイドバンドノイズとして1K/W(0.8 - 1.6 GHzオフセット)という値を得た。これはE. W. Bryerton et al. 2000やA. Hati et al. 2004からの示唆と矛盾しない。

第四章では、シングルバランスドSISミクサで得た技術をもとにして開発した、サブミリ波帯サイドバンド分離型バランスドSISミクサの設計・製作・評価について述べた。機械設計では、マイクロ波帯・ミリ波帯ではコンポーネントをインテグレーションして一体型にする方法が主流である一方、本研究ではモジュラー型を採用して各コンポーネントを分離できるようにした。これにより、性能のよいコンポーネントだけを選出して用いることができるだけでなく、不具合があった場合、不具合箇所だけを交換することが可能になった。本研究の成功のカギの一つはこのモジュラーデザインにある。サイドバンド分離バランスドミクサの詳細な理論計算を行い、そこから各コンポーネントに必要な性能を求め、仕様として開発の指針とした。RF回路設計ではコンポーネントのサイズと電磁界損失を考慮して導波管型の回路でデザインしている。8ブランチ90度位相遅延+等分配結合器はRF帯に3つ必要であるためこれらは一体型として設計・製作し、寸法測定の結果±5nm以内の加工誤差であることを確認している。サイドバンド分離バランスドSISミクサではDSB SISミクサを4つ要するが、20個以上のDSBミクサを評価し、それら候補の中から雑音性能が揃っていて量子雑音限界の5倍以下、かつコンバージョンゲインの差が全てのRF周波数(385 - 500 GHz)で3dB以内(仕様)に入る4つのミクサを選び出た。IF帯の180度および90度位相結合器についても評価をし、仕様を満たすことを確認してサイドバンド分離型バランスドSISミクサを構成した。その結果、SSB雑音温度は~200K(量子雑音限界の約10倍)、サイドバンド分離比~10dBという世界最高レベルの性能をバランスドミクサにて達成した。各コンポーネントの評価結果から予想されるSSB雑音温度サイドバンド分離比を計算し、実測値と一致している。また、サイドバンド分離型バランスドSISミクサを動作するのに要したLO電力は従来型ミクサに比べて、1/30程度であった。このことは、次世代の大規模ヘテロダインアレイ受信機において素子数を~30倍程度にすることができる可能性を示唆している。またIF周波数におけるスペクトルも非常にフラットな特性を得ており、LOサイドバンドノイズが除去されていることが示唆された。

図1.(左)サイドバンド分離型バランスドミクサ。各コンポーネントが分離できるようにモジュラー型を採用している。(右)90度位相結合器の導波管回路。

図2. 本研究で開発したサイドバンド分離型バランスドSISミクサの(左)SSB雑音温度、(右)サイドバンド分離比。比帯域26%に渡ってSSB雑音温度で~200K、サイドバンド分離比~10dB以上という世界最高レベルの性能をバランスドミクサで達成。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、広帯域・低雑音・高サイドバンド分離比を併せ持つ、サブミリ波帯(385- 500 GHz)のサイドバンド分離型バランスドSISミクサの開発研究に取り組んだものである。

本論文は5章からなる。第1章では、電波天文学における受信機や検出器の現状と課題を概観している。電波天文学に用いられる超伝導ヘテロダイン受信機は、受信機雑音を量子限界のわずか3倍にまで抑制するような優れた性能を達成しつつある。しかし、周波数が高くなるほど、局部発振源(LO)の電力不足やLO自身の雑音によって、受信機雑音が制限されている。この問題を克服して、サブミリ波やテラヘルツ帯において、受信機のさらなる低雑音化やアレイ化などを実現するためには、バランスドSISミクサが有望であることを指摘している。その理由として、バランスドミクサは、従来のミクサに比べて、以下のような利点があることを述べている。第一に、ミクサを動作させるために必要なLOの入力電力は、従来型のミクサと比較して約1/30程度で済むこと。第二に、LOサイドバンド雑音を分離することができること。

第2章では、サイドバンド分離型バランスドSISミクサの性能を正確に評価するための冷却評価システムについて記述している。さらに、ヘテロダイン受信機の雑音やサイドバンド分離比の測定システムとその原理、および、測定系の誤差評価についてまとめている。

第3章では、バランスドSISミクサの開発について詳しく述べられている。まず、バランスドミクサの詳細な定式化を行い、それに基づいて、バランスドミクサを実現する方式の選択、および、必要となるコンポーネントの設計を行っている。さらに、各コンポーネントの、常温および4K冷却時における性能評価の結果が述べられている。そこでは、様々な工夫、すなわち、(1) 導波管長を最小限に抑えつつ、導波管ブランチライン型結合器によって広帯域化を図っている点、(2) モジュラー方式によって、雑音性能のみならずLOサイドバンド雑音の除去率を測定できるようにした点、(3) IF帯アイソレーターを効率的に配置することにより平坦なIFスペクトルを取得できるようにした点、などの特色が認められる。また、導波管ブランチライン型結合器の設計では、分割された二つのブロックのミスアライメントによる損失が少なくなるように、導波管の端で分割する方式を採ったほか、4Kで動作することや機械加工の誤差を考慮しつつ、ブランチライン形状の最適化を行っている。その結果、動作に必要なLO電力を従来型SISミクサの約1/20に減らしつつ、広い周波数帯域で低雑音性能(DSB雑音温度で量子雑音限界の3~5倍)を達成することに成功した。さらに、LO発振源のサイドバンド雑音として1K/μW(0.8 - 1.6 GHzオフセット)という実測値も得た。これは過去に行われた相対的な測定からの推測値と矛盾しない結果である。

第4章では、第3章の成果を踏まえ、サイドバンド分離機能を併せ持つバランスドSISミクサの開発について詳しく述べられている。導波管ブランチライン型結合器を3個使用して、機能を実現している。モジュラー方式を採用して、各コンポーネントを精度良く評価し、組合せの最適化を行っている。その結果、動作に必要なLO電力を従来の1/30程度に減らしつつ、この周波数帯で世界最高水準の低雑音(約200 K)や高サイドバンド分離比(約10 dB)を達成することに成功した。これらの結果は、各コンポーネントの性能の組合せから予想される値と、誤差の範囲で整合していることも指摘されている。

最後に、第5章において、本論文の結論が、将来の展望、すなわち、本研究の成果の大規模アレイ受信機およびテラヘルツ帯受信機への応用の可能性に関する記述と共に、まとめられている。

本研究は、ヘテロダイン受信機のアレイ化や低雑音テラヘルツ受信機の実現に向けた要素技術の開発を世界に先駆けて行ったものと位置付けることができる。サイドバンド分離型バランスドミクサは、通信への応用として、マイクロ波帯では開発されているが、ミリ波帯では、高感度計測用としての開発例はなく、サブミリ波では先行研究が皆無であった。このような状況で、現在の最高水準であるALMA受信機と同等の受信機雑音温度およびサイドバンド分離比を実現しつつ、サブミリ波帯におけるサイドバンド分離型バランスドSISミクサの開発に世界に先駆けて成功したことは特筆に値する。高周波化・アレイ化という電波天文学における一つの世界的潮流への大きな貢献であり、高く評価するものである。

なお、本論文は、関本裕太郎、神蔵護、Wenlei Shan、伊藤哲也との共同研究であるが、論文提出者が主体となって開発研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク