学位論文要旨



No 125589
著者(漢字) 宮川,雄大
著者(英字)
著者(カナ) ミヤカワ,タケヒロ
標題(和) セイファート1型銀河MCG-6-30-15のX線スペクトル変動の研究
標題(洋) X-ray Spectral Study of the Seyfert 1 Galaxy MCG-6-30-15
報告番号 125589
報告番号 甲25589
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5497号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坪井,昌人
 東京大学 教授 中川,貴雄
 東京大学 教授 常田,佐久
 東京大学 教授 牧島,一夫
 京都大学 准教授 上田,佳宏
内容要旨 要旨を表示する

1. MCG-6-30-15を研究する目的

「ディスクライン」とは、X線エネルギースペクトルにおいて、降着円盤の内縁付近から放射される鉄輝線がブラックホール(BH)周辺の強い重力赤方偏移によって低エネルギー側まで裾をひいているように見えるラインの通称である。

仮に、ディスクラインがセイファート1型銀河や銀河系内BH連星に本当に存在していれば、BHの回りの非常に強い重力場を測定する千載一遇の好機となる。よって、BH天文学の分野において、ディスクラインは本当に存在するのか、広がって見える鉄輝線は重力赤方偏移によるものなのか、報告されている鉄輝線のエネルギー帯での変動率の低下は一般相対論なlight bending 効果によるものなのかどうか、ということが最重要課題として挙げられる。しかし、連続成分のスペクトルモデルによって鉄輝線の形状は大きく変わってしまい、連続成分のスペクトル自身が完全に理解されていないため、それらの天体についてディスクラインが本当に存在するのかどうか、未だに議論を呼んでいる。

我々は、代表的なディスクライン天体であるMCG-6-30-15に焦点を絞り、ディスクライン構造の検証を行った。既に述べたように、ディスクラインの構造に迫るためには連続成分のモデルを正しく評価することが不可欠である。本研究の目的は、モデル依存しないアプローチから高エネルギー範囲にわたるスペクトル変化を明らかにした上で、そのスペクトル変化をできるだけ少ないパラメーターの変化で説明できる連続成分の物理的モデルを見つけ、それを用いてディスクラインの必然性に迫ることである。これを達成するために、我々は、鉄エネルギー付近における高いエネルギー分解能と40 keVまで感度をもつ「すざく」衛星を用いて、データ解析を行った。加えて、X線回折格子によって「すざく」よりも高いエネルギー分解能をもつChandra衛星を用いてスペクトル吸収線構造を調べた。更に、より長いタイムスケールでのスペクトル変化を調べるためにRXTE 衛星の膨大なアーカイバルデータを用いた。このようにして、様々なX線天文衛星の特徴を最大限に生かして研究を行った。

2. 10 keV以下でのX線強度とハードネスの関係

「すざく」衛星で2006年1月に観測された露光時間 約339 ksec のデータを用いて、スペクトルハードネス(6-10 keVと0.5-3 keVのカウントレートの比)とX線強度(6-10 keVのカウントレート)の関係を調べた。なお、0.5-3 keVは電離吸収の影響が強い帯域である。図1の左図がX線強度とハードネスの相関を表しており、10 keV以下で明るくなるほど、スペクトルが傾いていることを明らかにした。同様の解析を、RXTE衛星によって観測された同天体の1996-2009年までの1341 data setに対しても行い、「すざく」衛星で観測した時期よりも長いタイムスケールでも、同じスペクトル変化が存在することを明らかにした。

3. X線による吸収線の観測

Chandra衛星で2004年の5月に観測された露光時間約522 ksecのデータ解析を行った。その結果、 X線強度に応じてMgとSiの吸収線の深さが変化していることを明らかにした。図1の右図に解析結果の一例としてX線強度の変化に応じたMg XIとMg XIIの吸収線の強度変化を示す。このことから、10 keV以下のスペクトル変動は主に電離吸収体の電離度の変化によるものであることを示した。実際、上で示した「すざく」のスペクトル変化が、電離吸収体の電離度の変化で良く説明できることを確認した。

4. 「すざく」衛星とChandra衛星データを用いたスペクトル変動解析

まず、我々はChandra/HETGSのデータを解析することで遠方からの鉄輝線の等価幅を20 eV程度と評価し、既に報告されていたYoung et al. (2005)の結果を確認した。その上で、George and Fabian (1991)の結果を踏まえて、細い鉄輝線から期待される0.6π程度の立体角を持つ反射体を導入した。それだけでは10 keV以上で卓越するスペクトル成分を説明できないため、電離した物質による強い吸収を受けた成分(NH~1024 cm-2)を仮定したモデルを考えた。このモデルを用いて「すざく」衛星とChandra衛星のスペクトルについて解析を行った結果、極端に広がった鉄輝線(いわゆるディスクラインモデル)を入れなくても、エネルギースペクトルを良く説明できることが分かった。このモデルを様々なタイムスケールでの明るい状態のスペクトルと暗い状態のスペクトル、および強度毎にスライスしたスペクトルについて当てはめたところ、観測されたすべてのスペクトル変化を、power-lawの直接成分の強度と強い吸収を受けた成分の強度、低電離吸収体の電離度の3つのパラメーターの変化だけで説明できることを明らかにした。また、この時、直接成分の強度と吸収成分の強度の間に強い逆相関があることを発見した(図2)。この逆相関関係は、中心からのX線が電離した物質により部分吸収されていることを強く示唆している。その一方で、power-lawの直接成分の強度と電離度にははっきりと相関関係が見られた。この時、高電離吸収体の電離度(logξ~3.4, NH~2×1023cm-2)およびpower-lawモデルの冪は一定に保たれた状態になっている。次に、モデル依存しない変動解析を用いて各パラメーターの変動率のエネルギー依存性を調べた結果、時間スケールが伸びるにつれて変動率が徐々に傾くことを明らかにした(図3の左図)。

また、この時、鉄輝線のエネルギー帯付近での変動率の低下を、全体に対する吸収成分の割合(covering factor)の変化だけで説明できることを明らかにした。図3の右図は、観測された20 ksecでの変動率のエネルギー依存性と、covering factorの変化から期待される変動率のエネルギー依存性を比較した図である。広がった鉄のK殻吸収端構造が良く再現されていることがわかる。3 keV以下で有意な超過が見られるのは、低電離側の電離吸収体の電離度の変化によるものであり、低エネルギーになるほどそれは有意になる。次に、スペクトルパラメータ変化の時間スケール依存性について調べてみると、covering factorと低電離吸収体の電離度はどちらも2 ksec 程度まで一定で、変動し始めるタイムスケールが10 ksec程度であり、80 ksec程度でピークを持つことを明らかにした。このうち低電離吸収体の電離度の時間変化を図4の左図に示す。一方、power-lawの強度は512 sec程度に変動率にピークをもつ成分に加えて、やはり10 ksec程度から変動を始め、80 ksec 程度にピークをもつ変動をもつ成分が存在することも分かった(図4の右図)。前者はブラックホールのX線光度変動によるものと理解できるが、後者を原理的に独立である部分吸収体とX線光度の連携によるものと考えることは難しい。むしろ、80 ksec程度のタイムスケールではX線光度はほとんど変動していないが、そのタイムスケールで変動する部分吸収体が、部分吸収を引き起こすとともにX線の一部を完全に遮蔽すると考えると説明がつく。実際に、広がったX線源の視線上に非常に多くの分裂した電離吸収体が介在していている状況を考えると、X線の遮蔽や部分吸収が、吸収体の様々な不透過度に依存して同時に起こると考えることは自然である。

これらの結果から、我々は、MCG-6-30-15のX線スペクトル変化は、広がったX線源の視線上で遮断する光電離された吸収ガスによって主に生じているという"absorbing cloud envelope"モデルを提案する。それぞれの吸収ガスには、厚みのある冷たい核(いわゆるX線を遮蔽する成分)があり、その周りを中間層(Thomson 光学的厚みが1程度、logξ~1.6)が取り囲み、さらに中間層の外側には光学的に薄く、電離度が変化する外皮(エンベロープ)(logξ~1.2-3、NH~3.7×1021 cm-2 )が広がっている。中間層と外皮がそれぞれ我々のスペクトルモデルにおける部分吸収体と低電離の電離吸収体に対応している。高電離吸収体が吸収ガス全体を囲んでいて、その電離度は変化しない。

以上をまとめると、我々は、ディスクライン天体として有名なセイファート1型銀河MCG-6-30-15のデータ解析を行い、様々な時間スケールにおけるスペクトル変化を説明するモデルを構築し、ディスクライン構造に迫った。その結果、ディスクラインを導入しなくても、観測されたスペクトルの形状とその変化を自然に説明できることができた。

<図1: (左図) 強度とハードネスの相関。(右図) Mg XI とMg XIIの強度変化。>

<図2 直接成分と吸収成分の強度の逆相関関係>

<図3(左図)9つの時間スケールでの変動率のエネルギー依存性(右図)1-10 keVにおける20 ksec の変動率とcovering factorだけが変動すると考えたシミュレーション値の比較>

<図4(左図) 低電離側の電離吸収体の電離度の時間スケール変化

(右図) power-law の全強度の時間スケール変化>

審査要旨 要旨を表示する

X線天文学における重要な研究対象の一つに活動銀河中心核のブラックホール降着円盤の近傍から放射される「ディスクライン」と呼ばれる鉄原子からのスペクトル輝線がある。この輝線は非常に幅が広く低エネルギーまで裾を引くように見え、その形状は円盤回転によるドップラー効果とブラックホールによる重力赤方偏移によって生じるという仮説がある。本当に「ディスクライン」が降着円盤の最内縁部からの放射であれば、ブラックホール近傍の強重力の極限時空を観測できる貴重な手段になり、天文学・物理学にとって極めて重要である。本論文は、この輝線の特に強いセイファート1型銀河 MCG-6-30-15 をターゲットとし、X線天文衛星「すざく」、Chandra、RXTEの観測データを用いてX 線スペクトルおよびその時間変動を詳細に研究したものである。本論文は以下の7章よりなる。

第1章では、序論としてMCG-6-30-15からの「ディスクライン」を含むX 線スペクトルの発見について述べられた後に、この論文の構成について紹介している。 第2章では、セイファート1型銀河のX線強度の時間変化とエネルギースペクトルの特徴が述べられた後、これまでの仮説に従って、鉄原子からのスペクトル輝線に、降着円盤の回転によるドップラー効果、ビーミング、重力赤方偏移が作用することにより、幅の広い「ディスクライン」が形成される原理が解説された。しかし、観測された輝線の時間変動率が連続成分のそれよりも不自然に小さく解釈が単純でないこと、「ディスクライン」の形状は、差し引く連続成分スペクトルのモデルによって大きく変わり、幅の広い輝線の存在が必ずしも観測事実として確立されているわけではないことを指摘している。

第3章では、本研究で用いるデータを取得したX線衛星とその検出器の概要がレビューされている。すなわち、「すざく」は広いエネルギー観測領域をもつこと、Chandraは高いエネルギー分解能をもつこと、そしてRXTEにより大きな有効面積で長い観測期間にわたる均質なデータが取得されていることなど、各データの特徴が記述されている。

第4章では、各X線衛星によるMCG-6-30-15の観測状況のまとめと、データの整約方法、使用した解析プログラムについて記述されている。 第5章では、MCG-6-30-15のデータ解析方法と、その結果が記述されている。まず、モデルに依存しない解析として、「すざく」の0.2-12 keVのデータを強度ごとにわけてエネルギースペクトルを作成した。6-10 keV のX線強度上昇に伴い、0.5-3 keV と6-10keVの強度比から、スペクトルがソフトになることを明らかにした。RXTEのデータによりこの相関をさらに長い時間スケールにおいて確認した。またChandra のX線スペクトルから、電離したMg、Si イオンからの吸収線を検出し、X 線が明るくなるとMg XIの等価幅が減るのに対しMg XII とSi XIIIでは増えることを見出した。以上の現象を、視線上に存在する低電離吸収体の電離度が、X 線強度上昇によって増えることで説明した。また、Fe XXV および Fe XXVI からの吸収線も検出し、それとは別の高電離度吸収体の存在を確認した。論文提出者らは最終的に、MCG-6-30-15のエネルギースペクトルが、中間的な電離状態を持つ吸収体による大きな部分吸収を受けたべき関数成分に、高電離吸収体と低電離吸収体による吸収を考慮し、さらに0.6π程度の立体角をもつブラックホール遠方からの反射成分を加えることで、極端に広い「ディスクライン」を入れなくても、よく説明されることを示した。また、様々な時間スケールで観測された全てのスペクトル変化が、べき関数の強度、部分吸収の割合、低電離吸収体の電離度の3 つのパラメータの変化だけで説明できることを明らかにした。これらのパラメータがいずれも80 ksec 程度の時間スケールで変動のピークを示し、同じ起源を示唆していることもわかった。

第6章は観測結果と解析のまとめであり、考え得る降着円盤の周辺の配置と、吸収体の構造を議論している。X線スペクトルの変動が、X線源の視線上にある光電離された吸収体の変動によって主に生じているというモデルが提案されている。第7章は、本研究で得られた結論がまとめられている。

この研究は、現在の仮説とは一線を画す新しいモデルを提案した。提案されたモデルに自己矛盾はなく、X線天文学の観測的研究として極めて高く評価できる。なお、本論文は、海老沢研、井上ーらとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析・検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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