学位論文要旨



No 125624
著者(漢字) 山崎,悟志
著者(英字)
著者(カナ) ヤマザキ,サトシ
標題(和) 擬ホランダイト型クロムカルコゲナイドの合成と構造・物性
標題(洋) Synthesis, Structures and Physical Properties of Pseudo-Hollandite-Type Chromium Chalcogenides
報告番号 125624
報告番号 甲25624
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5532号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 教授 斉木,幸一朗
 東京大学 准教授 森,初果
 東京大学 准教授 佐々木,岳彦
 東京大学 准教授 田島,裕之
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

三元系遷移金属カルコゲナイドAxMyXz (A = Tl, In, アルカリ金属, アルカリ土類; M = 遷移金属; X = S, Se, Te)は、一次元鎖状や二次元層状のホスト構造MyXzがつくる隙間や層間にAカチオンがゲストイオンとして充填し、興味深い伝導性や磁性を示す舞台を提供している。化学式AxM5X8で表される擬ホランダイト型遷移金属カルコゲナイドは、一次元と二次元の構造要素を併せ持つ物質群である。図1にACr5S8を例に擬ホランダイト型構造を示す。その構造は空間群C2/mの単斜晶で、CrS6八面体の稜共有でつくる三角格子と二重鎖よりなる。Crサイトは3種類あり、三角格子はCr(1)S6八面体とCr(2)S6八面体よりなり、Cr(3)S6八面体よりなる二重鎖とはCr(2)S6八面体とCr(3)S6八面体の面共有で結ばれている。三角格子を二重鎖で架橋することによりできるトンネルをAカチオンが占める。

これまでに多くの擬ホランダイト型遷移金属カルコゲナイドの合成が報告されているが、詳しい構造や物性の報告はA = Tl物質に限られている。擬ホランダイト型構造は遷移金属がつくる三角形を基本に作られているので、反強磁性相関を持つ磁性体ではフラストレーション効果が期待できる。そこで、本研究では、軌道自由度を持たないCr3+ (d3, S = 3/2)の物質に着目し、その合成と構造および物性(磁性)のAカチオンやX原子依存について系統的研究を行った。

[試料合成]

擬ホランダイト型クロムカルコゲナイドは固相反応法によって合成した。出発物質の秤量と石英管への詰め込みは全てドライボックス内で行った。計量した出発物質を石英管にアルカリ金属もしくはアルカリ土類金属、次にクロム、最後にカルコゲン(X = S, Se, Te)の順番で装填し、それを更に径の大きい石英管にArガスと共に封管した。これをカルコゲンの融点で24時間、沸点で24時間保持した後700~1000 ℃で六日間保持し、その後室温まで徐冷した。本研究では12個の擬ホランダイト型クロムカルコゲナイドの純良試料の合成に成功した(表 1)。この内、Ba0.5Cr5Se8、KCr5Te8、CsCr5Te8は本研究ではじめて合成された新物質である。全ての物質が単斜晶で空間群C2/mの構造をとった。トンネルサイズと比較してかなり小さなイオン半径を持つAカチオン、すなわち、硫化物ではSr2+より小さいイオン半径のNa+, Ca2+, Li+など、セレン化物ではSr2+も、また、テルル化物ではBa2+も、擬ホランダイト型物質を形成しなかった。これは、イオン半径の小さいAカチオンでは [Cr5X8]-1骨格の電荷を充分に遮蔽することができず、また、格子歪を大きくするためと考えられる。実際、Aカチオンのイオン半径が小さくなるに従いAS10多面体の異方的歪が大きくなるのが観測された。

[構造と磁性]

1. 擬ホランダイト型クロム硫化物

格子定数は、βを除いて、Aカチオンのイオン半径が大きくなるにつれて大きくなるが、伸び率はc軸がもっとも大きい。一方、局所構造のAカチオン依存は一般的傾向を示さない。図1に示すように、三角格子は二種類の二等辺三角形(二つのCr(1)-Cr(2)と一つのb軸および二つのCr(2)-Cr(2)と一つのb軸よりなる三角形)よりなり、二重鎖は二つのCr(3)-Cr(3)と一つのb軸よりなる二等辺三角形で構成されている。図2に各Cr-Cr間距離と二等辺三角形の辺の長さの比で定義した三角形の歪因子RのAカチオン依存を示す。Cr(2)-Cr(2)間距離が最も長く、また、Sr0.5Cr5S8で突出して長い。三角形の歪はCr(2)-Cr(2)を2辺とする三角形 (R2) で大きく、同様にSr0.5Cr5S8で最も歪んでいる。これら局所構造の特徴は、磁性を考える上で重要となる。

帯磁率x(T)は、全ての物質において、高温部でCurie-Weiss則に従う温度依存を示し(図3(a))、Curie定数より求めた有効磁気モーメントμeff は3.9~4.15の値を取り、Cr3+ (S = 3/2) 状態であることを示している。KCr5S8とBa0.5Cr5S8のx(T)は低次元性物質で見られる様なブロードな山を持ち、60 K近傍で急激な減少を示す。帯磁率の温度微分dχ(T)/dTをとると二つのピークが観測され、比熱にも帯磁率の二段変化に対応して二つのピーク(TNとTN')が観測される(図3(b))。格子比熱を差し引き、転移のエントロピー見積もると約10 (J/Kmol)となり、Cr3+ (S = 3/2) の反強磁性転移であることを示している。二段の転移に対応するエントロピー変化の比はΔS(TN) : ΔS(TN') = 2 : 3で、二重鎖と三角格子のCr原子数の比に対応している。RbCr5S8は50 K以下で帯磁率の急激な減少を示し、比熱も同様に42 Kで鋭いピークを示し、反強磁性磁気転移が一段で起きている(図4(a))。粉末X線回折測定の結果、構造変化はないが、βを除くすべての格子定数において50 K以下で増加に転じるのが観測された(図4(b))。このような負の熱膨張を伴った磁気弾性効果は、反強磁性転移では珍しく、RbCr5S8の反強磁性転移は格子との協力現象で起こることを示している。CsCr5S8の帯磁率は、100 K以下で僅かに上昇し、15 Kでピークを示すが、比熱でも、100 K付近と10 K付近でピークが観測された(図5(a))。粉末X線回折測定からb軸が120 K~80 Kにかけて大きく増加するのが観測され(図5(b))、100 K付近の転移は構造相転移で、15 K付近の転移が反強磁性転移であることが判明した。Sr0.5Cr5S8の帯磁率は、100 K以下で急激な上昇に転じ、40 Kでピークを持った後減少する(図3(a))。比熱には、反強磁性磁気転移を示すピークが30 K中心に観測されるが、100 K付近には何の異常も観測されない。Sr0.5Cr5S8ではCr(2)-Cr(2)間距離とCr(2)-Cr(3)距離が突出して長く、このことはCr(2)-Cr(2)強磁性相関の増大と、Cr(2)-Cr(3)反強磁性相関の減少をもたらし、反強磁性磁気秩序を示すよりも高温から強磁性相関が発達し、帯磁率の強磁性的増大を示すと理解される。表1にCurie-Weiss則から見積もったWeiss温度θWと反強磁性転移温度TNおよびフラストレーションの指標f = |θW| / TNをまとめた。いずれの物質においてもf > 10であり、磁気フラストレーションがあるといえる。三角形が最も正三角形に近いCsCr5S8においてf が最も大きいこととも一致する。

次に、化合物を代表してRbCr5S8について粉末中性子回折測定を行いその磁気構造を検討した。図6(a)に磁気反射のみを抜き出したものを示す。これらの磁気反射は、単斜晶am=2a0, bm=2b0, cm=2c0 すなわちもとの格子の2×2×2の超格子で全て指数付けできた。この2×2×2超構造とCr-Cr間距離が3.38 A以下であれば反強磁性磁気相関が優勢で、3.52 A以上であれば強磁性磁気相関が優勢になるとされている経験則を考慮し、図6(b)に示すような磁気構造モデルを提案する。このモデルでは、3.62A と長い距離を持つCr(2)-Cr(2)間は強磁性相関が強く、他のCr-Cr間距離は3.5 A 以下なので反強磁性相関が強いとして、2×2×2超構造を満足するようにspin-up, spin-downを配置した。このモデルでのシミュレーションは大筋においてはよい一致をみたが、個々の磁気反射ピークの強度においては不満足な結果となった。その原因として、単位格子あたりのスピンを持つ原子の数が多すぎて精密な空間群が決められない、磁気構造が単純なcollinear型でなくもっと複雑なspiral、screw、 helical 型である、などが考えられる。単結晶を用いた中性子回折実験が必要である。

2. 擬ホランダイト型クロムセレン化物及びテルル化物

すべてのセレン化物において、帯磁率はCurie-Weiss型の温度変化を示し、低温でピークを示しながら反強磁性に転移する。有効磁気モーメントの値はCr3+ (S = 3/2)状態を示している。KCr5Se8は典型的な反強磁性転移のピーク挙動を示すが、Ba0.5Cr5Se8はRbCr5S8と似た格子との協力による反強磁性転移を示唆する帯磁率の急激な減少を示す。セレン化物でも比較的イオン半径の大きなRbとCsの化合物で反強磁性転移温度より高い温度で構造相転移を示唆する帯磁率の異常が観測された。Curie-Weiss則から見積もったWeiss温度θWおよび反強磁性転移温度TNを表1に示す。三角形歪みの増大を反映して、フラストレーション指標は硫化物に比べて小さい。

一方、テルル化物はすべて強磁性体であった。強磁性の起源としては、Cr-Cr間距離の増大に伴う強磁性相関の優勢やテルル化物における金属結合性の増加などが考えられる。KCr5Te8は硫化物およびセレン化物と同形の構造(type-A)をとるが、RbCr5Te8とCsCr5Te8は、三角格子と二重鎖はCr(1)Te8八面体とCr(3)Te8八面体の面共有で架橋されるという点で異なった構造(type-B)をとる。強磁性転移温度Tcを表1に示すが、type-Aとtype-Bでは150 K近いTcの差がある。これは架橋様式や結合長の違いによるものと思われる。

図1. ACr5S8の結晶構造。

表1.本研究で合成された擬ホランダイト型クロムカルコゲナイドとその磁気パラメータ。

図2. ACr5S8 (A=K, Rb, Cs), A'0.5Cr5S8 (A'=Sr, Ba)におけるCr-Cr

図3. (a) ACr5S8 (A=K, Rb, Cs), A'0.5Cr5S8 (A'=Sr, Ba)の帯磁率の温度変化。(b)Ba0.5Cr5S8の比熱。

図4. (a) RbCr5S8の比熱。(b) RbCr5S8の格子定数の温度変化。

図5. (a) CsCr5S8の比熱。(b) CsCr5S8の格子定数の温度変化。

図6. (a) RbCr5S8における12 Kでの粉末中性子回折における磁気反射。(b) RbCr5S8の磁気構造モデル。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第1章は、序論であり、三元系遷移金属カルコゲナイドがとる一般的な構造について具体的な物質例を挙げ説明した後、本研究の対象物質である擬ホランダイト型遷移金属カルコゲナイドの位置づけと物質合成は数多くなされているにもかかわらずその詳しい構造や物理的性質については未知の部分が多いという背景に触れ、それを明らかにするという研究の目的が述べられている。特に、擬ホランダイト型構造は二次元三角格子と一次元二重鎖より形成されているため、磁性体では磁気フラストレーション効果が期待されるため、軌道自由度をもたないCr3+物質である擬ホランダイト型クロムカルコゲナイドAxCr5X8 (A:アルカリ金属、アルカリ土類金属;X: S, Se, Te)に着目したことが述べられている。

第2章は、粉末X線回折とそのRietveld解析、透過電子顕微鏡・電子線回折、帯磁率測定、比熱測定、粉末中性子回折などの実験方法について述べられている。第3章では粉末試料の合成法と試料の評価について触れ、本研究では3種類の新物質を含む12種類の物質の合成に成功したことが述べられている。

第4章は、擬ホランダイト型クロム硫化物についての構造と磁性について述べられている。まず、格子定数や局所構造のAカチオン依存について述べ、Sr2+よりイオン半径の小さいAカチオンが擬ホランダイト型構造を形成しない点を、AS10多面体の変形という観点から説明している。続いて、個々の物質の物性について、KCr5S8とBa0.5Cr5S8はそれぞれ50 K近傍と60 K近傍で2段の反強磁性転移を示すこと、RbCr5S8は負の格子熱膨張を伴って42 Kで反強磁性に転移すること、CsCr5S8は100 K近傍で構造相転移を示した後10 Kで反強磁性に転移すること、Sr0.5Cr5S8では100 K 以下で強磁性相関が発達するが30 Kで反強磁性に転移することなどが述べられている。また、いずれの物質も反強磁性磁気秩序を示すが、帯磁率のキュリー・ワイス則解析から求めたワイス温度と実際の反強磁性転移温度の比が10を越え、強いフラストレーション効果が認められたことが述べられている。KCr5S8とBa0.5Cr5S8の2段転移は、フラストレーションにより抑えられていた三角格子の反強磁性秩序が、二重鎖の反強磁性秩序の発達が引き金となり一気に三次元磁気秩序が起こると説明している。RbCr5S8では粉末中性子回折より磁気反射を観測し、磁気格子が2 x 2 x 2の超格子を持つことを明らかにし、局所構造から見込まれる磁気相関を議論して、反強磁性磁気構造モデルを提案している。CsCr5S8やRbCr5S8で観測された構造相転移については、トンネル位置を占めるイオン半径の大きいCs+やRb+の環境が、温度低下と共に窮屈になるのを緩和するために起こると説明している。

第5章は、擬ホランダイト型クロムセレン化物及びテルル化物の構造と磁性について述べられている。セレン化物は硫化物同様反強磁性磁気秩序を示すが、磁気フラストレーションの程度は硫化物に比して小さく、Cr三角形の歪が硫化物に比べて大きいことと一致することが述べられている。また、RbCr5Se8とCsCr5Se8では、CsCr5S8で見られた構造相転移を示唆する帯磁率の異常が観測され、この相転移はCsCr5S8同様トンネル位置を占めるCs+やRb+の環境が温度低下と共に窮屈になるのを緩和するために起こると説明している。一方、テルル化物では、KCr5Te8とRb0.5Cr5Te8が硫化物やセレン化物と同じ構造をとるのにたいし、RbCr5Te8とCsCr5Te8は少し異なる構造をとることが述べられている。また、テルル化物は強磁性を示し、強磁性転移温度は構造の違いによって100 K程度異なることが述べられている。第6章はまとめである。

以上、本論文は、3つの新物質を含む12種類の擬ホランダイト型クロムカルコゲナイドを合成し、磁性、磁気秩序、構造相転移、フラストレーション効果などを検証するとともにそれらの起源を局所構造の観点から説明し、また、磁気構造モデルも提案するなど、未知であった擬ホランダイト型クロムカルコゲナイドの物性を明らかにした点において意義がある。

なお、本論文第3、4、5章は上田寛との共同研究であるが、論文提出者が主体となって合成、分析、測定、解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。尚、第4章については学術雑誌に出版予定である。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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