学位論文要旨



No 125628
著者(漢字) 岡江,寛明
著者(英字)
著者(カナ) オカエ,ヒロアキ
標題(和) 遺伝子トラップ法を用いた未分化細胞の分化制御を担う膜局在タンパク質の探索
標題(洋) Gene trap screening of membrane bound proteins involved in the regulation of pluripotent stem cell differentiation
報告番号 125628
報告番号 甲25628
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5536号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
内容要旨 要旨を表示する

要旨本文

哺乳類の体を構成する全ての細胞は、胚盤胞期に見られる1種類の未分化細胞から、細胞間相互作用を介して分化誘導される。本研究では膜局在タンパク質に着目し、未分化細胞の分化制御を担う新規因子の網羅的探索を行った。

(1) 未分化細胞の分化制御を担う膜局在タンパク質の探索

胚性幹細胞(ES細胞)において、分泌トラップ法とES細胞の胚体外組織への分化誘導系を併用し、未分化細胞に強発現する膜局在タンパク質の網羅的探索を行った。分泌トラップ法とは、スプライシングアクセプター(SA)、CD4膜貫通ドメイン(TM)、マーカー遺伝子(β-gal-hyg、β-galactosidaseとhygromycin phosphotransferaseの融合タンパク質をコード)、ポリAシグナル(pA)を持つトラップベクターを用い、分泌シグナルを持つ遺伝子を特異的に破壊する方法である(図1)。破壊された遺伝子(トラップされた遺伝子)はトラップベクター内の配列を利用することで容易に特定することができ、さらにトラップされた遺伝子の発現パターンを、マーカー遺伝子を用いて解析可能である。ES細胞にトラップベクターを導入後、ES細胞を転写因子の強制発現により胚体外組織へと分化誘導し、分化後に発現量の減少する遺伝子の選択を行った(図2)。

分泌トラップ法により得られた約1000のESクローンをスクリーニングし、ES細胞で強発現し、膜局在タンパク質をコードする26遺伝子に変異を導入した。このうちKOマウスが作製されておらず、シグナル伝達に関与すると考えられる3遺伝子についてKOマウスを作製したところ、2遺伝子で致死となった。この結果を含めると、得られた26遺伝子中16遺伝子についてKOマウスの表現型が報告されており、このうち13遺伝子で劣性致死となる。さらに、4遺伝子が未分化細胞の分化制御に必要な因子であった。よって、分泌トラップ法と分化誘導系の併用により、未分化細胞の分化制御を担う遺伝子および発生に必須な遺伝子を、高効率で探索・破壊することが可能である。

(2) Gβ1 KOマウスの解析

作製したKOマウスのうち、最も発生の初期に異常が見られたGβ1 KOマウスについてより詳細な解析を行った。Gβ1は三量体型Gタンパク質のβサブユニットをコードし、Gタンパク質共役受容体(GPCR)の下流のシグナル伝達に関与する。Gβ1の発現は胚盤胞期においては未分化細胞に特異的であった。また、胎生10.5日胚においては神経管で強く発現しており(図3-A)、in vitroで培養した神経前駆細胞でも強い発現が見られた。Gβ1-/-胚の発生異常の有無を解析したところ、胚盤胞期においては大きな異常は見られなかったが、胎生中期において約40%が神経管閉鎖異常を示した(図3-B)。

また、神経管閉鎖異常を示さない個体においても大脳皮質の萎縮および神経前駆細胞の増殖異常が見られ(図4)、全てのGβ1-/-マウスは呼吸異常などを伴い、出生後2日以内に致死となった。さらに、神経管閉鎖や神経前駆細胞増殖を制御することが知られているGPCRリガンドにより神経前駆細胞を刺激したところ、Gβ1-/-細胞ではWTと比べERKのリン酸化が抑制されていた(図5)。以上から、Gβ1は神経前駆細胞で機能し、GPCRの下流で神経発生を制御していると考えられる。

図1 分泌トラップ法

分泌シグナルを持つ遺伝子をトラップしたときのみβ-galが活性を持つことを利用し、膜局在タンパク質の濃縮を行うことが出来る。

図2 ES細胞の胚体外組織への分化誘導

A.着床前の胚盤胞期胚。内部細胞塊と、胚体外組織(原始内胚葉、栄養外胚葉)から成る。

B.トラップベクターを導入したES細胞の分化誘導例。転写因子Cdx2もしくはGata4の強制発現により胚体外組織へと分化誘導後、X-gal染色を行った。このクローンでは分化誘導によりβ-galの発現量が減少している。

図3 Gβ1-/-マウスにおける神経管閉鎖異常

A.胎生10.5日胚におけるGβ1の発現解析。Gβ1+/-胚をX-gal染色した。

B.胎生10.5日胚の切片のH&E染色。矢印は神経管閉鎖異常部分を示す。

図4 Gβ1-/-マウスにおける神経前駆細胞の増殖異常

A.胎生16.5日胚における神経前駆細胞増殖解析。大脳切片を抗リン酸化histone H3抗体(PH3、細胞分裂M期のマーカー)を用いて染色した。VZ(Ventricular zone、脳室領域)

B.VZ中のPH3陽性細胞数。WTを1としたときの相対的な値を示す。

図5 Gβ1-/-神経前駆胞におけるGPCRリガンドへの応答性低下

神経前駆細胞において、GPCRリガンドによるERKの活性化を解析した。GPCRリガンドで刺激後、リン酸化ERK(pERK)をウェスタンブロッテングによって検出した。S1P(Sphingosine-1-phosphate)、LPA(Lysophosphatidic acid)、ET1(Endothelin-1)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は9章からなる。第1章は序論であり、哺乳類の初期発生研究についての概論および、遺伝子トラップ法について述べられている。第2章は実験手技および材料について述べられている。第3章は研究結果であり、遺伝子トラップ法とES細胞の分化誘導系を併用した膜局在遺伝子の新たなスクリーニング法、およびこの方法を用いた遺伝子ノックアウト(KO)マウスの作製および得られたマウスの解析結果が述べられており、特にGβ1KOマウスについて詳細な解析を行っている。第4章は考察であり、第5、6章は図表を示している。第7章は参考文献、第8章は謝辞である。第9章は参考資料であり、遺伝子トラップベクターの挿入位置を示している。

論文提出者は、膜蛋白質に特徴的に見られるシグナルシークエンスを持つ遺伝子を特異的に破壊する遺伝子トラップ法(分泌トラップ法)とES細胞の分化誘導系とを併用し、未分化細胞に発現する膜局在タンパク質を網羅的に探索する方法を開発した、分泌トラップ法により得られた約1000のESクローンをスクリーニングすることにより、未分化細胞で強発現し、膜局在タンパク質をコードする26遺伝子に変異を導入することに成功した。このうち、13遺伝子がマウスの発生に必須であり、4遺伝子が未分化細胞の分化制御に必要な因子であった。このことは、論文提出者の作成したスクリーニング系が、哺乳類初期発生に必須な遺伝子を高効率で探索・破壊するために、きわめて有用であることを示している。さらに、論文提出者は複数作製したKOマウスのうち、未分化細胞および神経前駆細胞で強い発現が見られたGβ1遺伝子に注目し、この遺伝子のKOマウスに着目して詳細な解析を行っている。Gβ1は三量体型Gタンパク質のβサブユニットの一つをコードし、Gタンパク質共役受容体(GPCR)のシグナル伝達に関与すると考えられているが、これまでその役割はよくわかっていない。Gβ1KOマウスを解析したところ、胎生中期において一部が神経管閉鎖異常を示し、さらに神経管閉鎖異常を示さない胎児においても大脳皮質の萎縮および神経前駆細胞の増殖異常が見られ、全てのKOマウスが胎児期、あるいは出生後2日以内に死亡することがわかった。胎児期の神経発生に関与する複数のGPCRリガンドにより神経前駆細胞を刺激したところ、Gβ1欠損細胞では野生型と比べGPCR下流のERKのリン酸化が抑制されていた。これらの解析結果から、Gβ1は神経前駆細胞で機能し、GPCRの下流で神経発生を制御していることが明らかとなった。

論文提出者の構築したスクリーニング系は、分泌トラップ法とES細胞の分化誘導系という2つの手法を融合したもので、これまでにない高い効率で発生に必須な膜局在タンパク質を抽出することが出来る点が画期的である。さらにこの系を用いることで、抽出した遺伝子について短期間でKOマウスを作製し、生体内での機能解析を行うことが可能である点も優れている。論文提出者はGβlKOマウスを作製することにより、初めて生体内におけるGβ1の機能を明らかにした。多数存在するGPCR下流のシグナル伝達分子のうち、Gβ1が神経発生において重要な働きを担うという結果は、生体内でのGPCRシグナル制御および神経発生を理解するうえで非常に重要な知見である。また、GPCRを介したシグナルは胚発生のみならず免疫系、内分泌系など様々な生体制御系にも関与することから、論文提出者によって作製されたGβ1KOマウスは今後も広範な研究分野で利用されることが期待される。

なお、本論文は岩倉洋一郎博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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