学位論文要旨



No 125629
著者(漢字) 石渡,昌雄
著者(英字)
著者(カナ) イシワタ,マサオ
標題(和) 酵母プリオン伝播を阻害する新規因子の探索と解析
標題(洋) The molecular genetic study of novel antagonists of prion propagation in Saccharomyces cerevisiae
報告番号 125629
報告番号 甲25629
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5537号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 榎森,康文
 東京大学 教授 渡邊,嘉典
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 准教授 田口,英樹
内容要旨 要旨を表示する

緒言

近年、BSEをはじめとしたプリオン病に非常に強い関心が集まっている。プリオンとはアミロイド線維状に凝集する感染性タンパク質である。このプリオンが脳内で凝集し、神経細胞がスポンジ状に変化する病気がプリオン病の特徴である。現在、プリオン病を治療する有効な手段は皆無であり、迅速な対応策が望まれている。出芽酵母にも哺乳類と同様なプリオン様の性質を示すタンパク質が数種類存在することが明らかになっており、その一つが翻訳終結因子のSup35である。Sup35が凝集したプリオン型を[PSI+]と表し、正常型を[psi-]と表す。酵母を使ったプリオンの研究はマウス等をモデル生物とした研究よりも遺伝学的に容易かつ迅速な進行が期待できるため有用である。

当研究室で開発された、[psi-]を効率良く選択する新しい系を利用して、[PSI+]から[psi-]へ過剰発現でプリオンを消失させる未知の因子を得るために、野生型酵母のゲノムライブラリーを作製し、スクリーニングを行った。取得した因子を詳細に解析することで、今までに明らかになっていないプリオン伝播機構解明につながる新たな知見を得るとともに、最終的には医学への応用・創薬という観点での哺乳類のプリオン病につなげるために研究を行った。

実験と結果

I プリオン伝播阻害遺伝子の取得

酵母のゲノムの中から過剰発現すると[PSI+]を回復させる因子を見つけるために、まずゲノムをSau3AIで部分消化し、3~6kbpの部分を酵母内で多コピーに増えるベクターpRS423(2μ,HIS3マーカー)とライゲーションしてゲノムライブラリーを作製した。そのライブラリーと新選択系を使って[PSI+]から[psi-]に回復したものを選択した。本当に[psi-]に変換されたのかを確かめるため、さらに完全培地のYPD上でのカラーアッセイ([PSI+]は白色を示し、[psi-]は赤色を示す)を行った。赤色を示したコロニーからプラスミドを回収し、挿入配列の塩基配列を決定したところ、4種類の遺伝子を取得した。本研究ではその中の一つである三量体Gタンパク質のγサブユニットをコードするGPG1を主として解析を行った。

次に未知因子の有効性の検証を酵母プリオン全般、そしてプリオン以外のアミロイド病へと広げた。まず他の[PSI+]株、別の酵母プリオン株[URE3]、[PIN+]で検証したところ取得因子全てが有効であった。そこでプリオンと同様に凝集してアミロイドをつくるポリグルタミン(神経疾患であるハンチントン病の原因タンパク質)についても有効性を調べた。103個のグルタミンが連続したポリグルタミン(Q103)は酵母内で過剰発現させると生育阻害を示すことが知られている。この系を利用して、取得因子を共発現させてプレート上での生育を観察したところGPG1で毒性が抑えられた。また、Q103のGFP融合タンパク質でポリグルタミンの挙動を観察した。その結果GPG1を共発現するとQ103の凝集がなくなり、細胞質全体に拡散しているという興味深い結果が得られた。

II Gpg1の発現量と凝集能の検証

通常の発現量を確認するためGpg1タンパク質をSDS-PAGEで分離し、Western Blotで検出した。その結果通常ではGpg1は発現していないことがわかった。さらにGPG1のmRNAについてNothern Blotを行った結果、この発現抑制が転写レベルの抑制であるということが判明した。また、Gpg1を遠心によって分画したところ、そのほとんどが沈殿画分に移行し、非常に凝集しやすいタンパク質であることが明らかになった。

III Gpg1とSup35の酵母内における細胞内局在

[PSI+]中でGpg1-CFPと、Sup35のプリオンドメインであるNMドメインのC末端にYFPを付加させたNM-YFPを共発現させてそれぞれの細胞内局在を観察した(図1)。その結果、Gpg1、NMともに表現型は三日月形とdot状の2種類見られ、その多くは一時的に細胞内で共局在することが判明した。このことからGpg1とSup35の間接的、あるいは直接的な相互作用が考えられる。

IV プリオン伝播阻害能の低下したgpg1 変異の解析

Gpg1とプリオンとの相互作用部位の解明や、構造的解析を行うためにプリオン消失能の低下したミスセンス変異体をスクリーニングした。正確性の低いTaqポリメラーゼを用いてPCR mutagenesisによってGPG1に変異の導入されたプラスミドを[PSI+]に導入し、YPD上で白くなるコロニーを探索した。最終的に、完全にYPD上で白くなるコロニーから赤と白のヘテロな表現型を示すものまで14種類の1アミノ酸置換変異体を取得した。これらの変異体は[PSI+]のみでなく、他の酵母プリオン株に対しても阻害能が低下した。

次にGpg1の配列の変異位置を構造的に検証した。Gpg1のアミノ酸配列情報をもとに疎水性のプロットや、二次構造予測を行った結果、変異部位は比較的疎水性が高く、また、ほとんどの変異がαヘリックスに位置していることが判明した。さらにαヘリックスに存在する多くの変異がαへリックスの同じ疎水性側面に位置しているという重要な知見が得られた。つまり、この部位がプリオンや、あるいはプリオン消失に関連する重要なタンパク質との相互作用部位である可能性が高いと考えられる。

V トランス因子の解析

プリオン消失として既知の因子であるHsp104とGpg1についての関連性を検証した。HSP104をノックアウトすると酵母プリオンが消失することが明らかになっている。このことを考慮に入れると、Gpg1がHsp104の発現あるいは活性に負の抑制を行うためプリオンが消失するという可能性が考えられる。しかし、Gpg1はHsp104の発現量、活性には影響を与えなかった。このことからプリオン伝播阻害機構の原因としてGpg1はHsp104の阻害に働く可能性は低い。

Gpg1はGタンパク質シグナル経路の構成因子であり、Gpg1(γ)と3量体を形成するパートナーとしてGpa2(α)、Gpb1(β)が知られている。Gpg1によるプリオン消失能がこれらのパートナーの欠損によって影響を受けるのかどうかを調べた。[PSI+]をもとに染色体上の遺伝子を破壊したgpa2Δ株とgpb1Δ株をそれぞれ作製した。これら両者の株は[PSI+]を維持しており、これらの株においてGpg1を過剰発現させて野生型の[PSI+]と同様の消失能があるかどうかを検証した。その結果Gpg1は他のα、βサブユニットユニット欠損株でも野生型同様のプリオン消失能を有し、Gタンパク質の複合体とは独立してGpg1単独でプリオン阻害に働くことが明らかとなった。

考察、展望

プリオン消失の原因の一つとしてGpg1の過剰発現がSaccharomyces cerevisiaeのグルコースシグナリング経路に影響を与え、下流のスイッチをonあるいはoffにし、その結果間接的にプリオン伝播を阻害するというモデルが考えられる。しかし、gpa2Δとgpb1Δの両破壊株でもプリオン維持には影響がなく、Gpg1によるプリオン阻害能にも影響は見られなかったことからこのモデルの成り立つ可能性は低い。しかし、Gpg1と関連する因子が網羅的に解析されていないため、明らかになっていない新規シグナル経路の存在も考えられる。また、Gpg1は通常発現されていないことが判明し、天然に存在するプリオン防御機構の存在も考えて、Gpg1の発現が誘導される条件の検討が望まれる。

また、Gpg1とSup35が共局在することや、プリオン消失のための重要な作用部位の存在も示唆された。Gpg1とプリオンタンパク質が直接あるいは間接的に相互作用することが予想され、プリオン消失機構として、プリオンの伸長端にGpg1が結合し、不安定化することなどが考えられる。Gpg1とプリオンタンパク質とのin vivoやin vitroにおける相互作用の検証や、プリオン消失に関わる補因子の存在を考え、Gpg1と相互作用する因子の探索が必要となる。

図1

Gpg1-CFPとNM-YFPの酵母内での局在

銅イオンを加えてそれぞれの発現を誘導後6時間後と24時間後に観察した。6時間後の表現型は三日月形(左)とdot形(中央)の2種類が観察できた。また、24時間後はNMは細胞質全体に拡散する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、プリオン伝播機構解明のため、解析手段として出芽酵母における遺伝学的手法を用いて研究されたものである。本論文は七章から構成され、過剰発現でプリオンを消失させる因子の探索、同定、解析について、以下の内容で述べられている。

第一章は序論であり、プリオン病研究における背景、意義、そして主に酵母を用いた遺伝学的手法について述べている。その中で論文提出者は酵母プリオン消失因子の探索、解析という視点からプリオン伝播機構の解明を目標としている。プリオン維持因子として既に知られているHsp104以外に全く新しい因子が発見されれば、現在までのプリオン研究に活路が見出され、最終的には哺乳類への創薬としての応用への可能性も期待される。基礎生物学としての学術的価値、医学への応用という価値からも本研究の意義としては申し分ないと判断される。

第二章は酵母プリオンを消失させる新規因子の取得までの過程と結果が述べられている。探索のための材料作製、条件検討、膨大な数からの選別を行った結果、4種類の因子の取得に成功していることから、論文提出者の根気、実行力は評価に値する。特に4種類の中で特に強いプリオン消失活性が確認されたGpg1(G protein γ)は、この因子自体がほとんど研究されていない興味深いものであり、論文提出者は以降Gpg1に焦点を当てて実験を行っている。

第三章においてGpg1は多種類の酵母プリオン消失やその他のアミロイド阻害に対しても有効であることが認められ、プリオン病のみならず認知症への応用の可能性も考えられ、意義深い。

第四章ではGpg1に対する構造的知見を得るためにgpg1変異を網羅的に探索し、二次構造予測を行っている。多くの変異がαヘリックス上に存在し、さらに同じ側面に集中していることから論文提出者はプリオンをはじめとした重要なタンパク質との相互作用部位である可能性を言及している。この知見はプリオン消失機構を解明する上で重要な要素であり、論文提出者の努力と洞察力が認められる。また、この章において論文提出者はGpg1とプリオンタンパク質Sup35との細胞内局在を共焦点顕微鏡を用いた正確な蛍光観察によって解析している。Sup35と共局在するという興味深い結果が得られており、Gpg1が直接、あるいは間接的にプリオンと相互作用し得ることを示唆している。

第五章ではGpg1とプリオン維持因子Hsp104との関連性や、G proteinの他のサブユニット(α、β)の影響を調べている。これらは基礎的かつ重要な検証であり、論文提出者の着眼点は良い。検証の結果、Gpg1がα、βサブユニットを介さずにプリオン消失を行う可能性が示唆され、通常のG proteinの概念を打ち破る興味深い因子であることが考えられ、本研究における新規性が感じられる。

第六章では二章五章の結果に対する考察が述べられている。取得した4因子について、そして特にGpg1が詳細に解析されていない未知の因子であることを考えて、プリオン消失を起こす新規シグナル系にGpg1が関与する可能性、プリオン維持因子Hsp104とGpg1の関連性、Gpg1が補因子を介してプリオン消失を行うモデル、哺乳類への応用についての検討、展望など多岐に渡って良く考察されている。Gpg1の重要性、新規性が十分にこの章からうかがえる。

最後の第7章には実験方法について述べられている。本学位論文の実験素材と手法に関しての詳細が全て網羅されている。

なお、本論文は、倉橋洋史助教・中村義一教授との共同研究であるが、プリオン消失因子探索系の検討、取得、その後の解析まで一貫して論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったものである。試行錯誤、創意工夫、努力、考察など、論文提出者の寄与が十分であると判断する。また、本研究で得られた結果は今後のプリオン研究において非常に意義深いものであり、高い価値が認められるものである。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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