学位論文要旨



No 125630
著者(漢字) 伊藤,弓弦
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ユヅル
標題(和) セレノシステインの合成および組み込み過程の構造基盤
標題(洋) Structural basis for synthesis of selenocysteine and its incorporation into proteins
報告番号 125630
報告番号 甲25630
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5538号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濡木,理
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨 要旨を表示する

セレノシステインは21 番目のアミノ酸として知られ,システインの硫黄がセレン(Se)に置き換わったアミノ酸である(図1)セレノシステインは修飾アミノ酸とは異なり,翻訳の過程でタンパク質に組み込まれる特別なアミノ酸あり,ヒトを含む真核生物,古細菌,細菌に広く存在し,おもに酸化還元酵素の触媒活性部位を形成する.

セレノシステインのtRNA(tRNASec)は終止コドンUGA に相補的なアンチコドンUCA を有する(図2).セレノシステインは複数の酵素の働きによりtRNA 上で合成される(図3).セレノシステイン専用のアミノアシルtRNA 合成酵素(aaRS)は存在せず,セリンのaaRS であるSerRSがtRNASec にセリンを結合してセリルtRNASec(Ser-tRNASec)を合成する.細菌においてはセレノシステイン合成酵素(SecS)がtRNASec 上でセリンをセレノシステインに変換する.真核生物/古細菌においてはO-ホスホセリルtRNA キナーゼ(PSTK)がtRNASec 上でセリンをリン酸化し,Sep-tRNA:Sec-tRNA 合成酵素(SepSecS)がリン酸化セリンをセレノシステインに変換する.細菌と真核生物/古細菌に共通して,セレノリン酸合成酵素(SPS)が合成するセレノリン酸がセレンの活性化供与体としてセレノシステイン合成に用いられる.セレノシステインを結合したtRNASec(Sec-tRNASec)には専用の翻訳伸長因子EF-Sec が結合する.EF-Sec はmRNA のセレノシステイン挿入配列(SECIS)を認識してリボソーム上のUGA コドンにSec-tRNASec を結合させる.これにより,SECIS に依存したUGA コドンの読み替えが達成され,セレノシステインがタンパク質に組み込まれる.細菌EF-Sec は単独でSec-tRNASec とSECIS mRNA に同時に結合するが,真核生物/古細菌ではSECIS mRNA の結合には別のタンパク質が必要である.

X 線結晶構造解析によりセレノシステインの合成,組み込みを担うタンパク質,RNA の立体構造を決定し,各段階の反応機構や基質特異性を解明することを目的として研究を行った.

真核生物(ヒト)のtRNASec

tRNASec は既知のtRNA 中で最大である.長いエキストラアームはセリンのtRNA(tRNASer)と共通であるが,アクセプターステムとT ステムが合計で13 塩基対(真核生物/古細菌では9 + 4,細菌では8 + 5)で通常のtRNA の12 塩基対(7 + 5)より長い(図2).またD ステムが通常より長く,D ループは短い.このような特異な2 次構造のためtRNASec の立体構造の予測は困難であった.本研究ではヒトのtRNASec の立体構造を決定した(図4).全体はL 字構造で通常のtRNAと同様であったが,3 次構造的相互作用は大きく異なっていた.通常のtRNA ではD アームを中心に複雑な3 次構造的相互作用が存在するのに対し,tRNASec のD アームは単純なヘアピン構造で,D ループ・T ループ間の相互作用は存在するが,長いD ステムがアーム間の相互作用に全く寄与せず,その配向は通常のtRNA と異なっていた.

古細菌のセリルtRNA 合成酵素(SerRS)

SerRS はtRNASer とtRNASec にセリンを結合する.細菌SerRS の立体構造とtRNASer 認識機構が解明されているが,真核生物SerRS の立体構造は不明である.本研究では真核生物SerRS と類似の古細菌Pyrococcus horikoshii SerRS の立体構造を決定した(図5).全体構造は細菌SerRS と同様であった.真核生物/古細菌SerRS は細菌SerRS と同様にエキストラアームを中心にtRNASer と相互作用すると考えられる.しかし,真核生物/古細菌SerRS は細菌SerRS と異なり,tRNASer のアクセプターステムの塩基配列を認識しない.古細菌SerRS の変異体解析から,tRNASer への特異性はエキストラアームとの強固な相互作用のみにより達成されていることが示唆された.

SerRS とtRNASec の複合体

細菌のSerRS・tRNASer 複合体の立体構造により,SerRS のN 末端ドメインとtRNASer の長いエキストラアームの相互作用がtRNASer 特異性を担うことが明らかになっている.しかし,SerRS がtRNASer とtRNASec の両方を基質にする分子基盤は不明であった.本研究では古細菌Methanopyrus kandleri SerRS と細菌Aquifex aeolicus tRNASec の複合体,およびA. aeolicus SerRS 単独の立体構造を決定した(図6,7).M. kandleri SerRS は異常型SerRS で,N 末端ドメインの構造が通常と全く異なる.SerRS のN 末端ドメインがtRNASec の長いエキストラアームおよびD ループ・T ループ接触面と相互作用を形成していた.これは細菌SerRS とtRNASer の相互作用と同様である.一方,tRNASec のアクセプターアームはSerRS の触媒活性部位から大きく離れていた.実際にはSerRSのN 末端ドメインが動き,アクセプターアームの末端を触媒活性部位に結合すると考えられる.SerRS はtRNASer とtRNASec に共通の長いエキストラアームを結合し,ドメイン間の柔軟性を利用して,アクセプター-T ステムの長さが異なるtRNASerとtRNASecの両方を基質にすると考えられる.

O-ホスホセリルtRNA キナーゼ(PSTK)とtRNASec の複合体

PSTK は真核生物/古細菌に特有の酵素で,Ser-tRNASec をリン酸化する.細胞内にはセリンを結合したtRNASer(Ser-tRNASer)が大量に存在するため,Ser-tRNASec への特異性は極めて重要であるが,これまでその構造基盤は不明であった.本研究では古細菌Methanocaldococcus jannaschiiPSTK とM. kandleri tRNASec の複合体の立体構造を決定した(図8).PSTK はホモ2 量体を形成し,サブユニットあたり1 つのtRNASec が結合していた.サブユニットは2 つのドメインからなり,触媒活性部位を含むN 末端ドメインがtRNASec のアクセプターアームと相互作用していた.C 末端ドメインはtRNASec に特徴的な長いD ステムおよびD ループ・T ループ接触面と強固な相互作用を形成しており,この相互作用がSer-tRNASec への特異性を達成すると考えられる.

セレノリン酸合成酵素(SPS)

SPS はセレン化水素(H2Se)にATP のリン酸基を結合してセレノリン酸を合成する酵素で,細菌,真核生物/古細菌において高度に保存されている.セレンと硫黄は性質が類似するため,両者の区別は困難である.SPS はセレンを厳密に識別できる唯一の酵素で,セレン代謝の起点を担う重要な酵素であるが,その立体構造は不明であった.本研究では細菌A. aeolicus SPS の立体構造を決定した(図9).ATP の結合様式は多数の金属イオンを介する特徴的なものであった.SPSは自身にセレノシステイン残基(Sec13)を有し,変異体解析によりSec13 が活性に必須であることが明らかになった.Sec13 がセレン化水素の結合およびATP と反応を担うと考えられる.

セレノシステイン合成酵素(SecS)

SecS は細菌固有の酵素で,セレノリン酸を用いてtRNA 上でセリンをセレノシステインに変換する.SecS は分子量500 kDa に達する巨大なホモ10 量体を形成するため構造解析が困難であり,その立体構造は不明であった.また,PSTK と同様,大量に存在するSer-tRNASer を基質とせず,Ser-tRNASec のみを特異的に結合する構造基盤は極めて重要である.本研究では細菌A. aeolicus のSecS の立体構造を決定した(図10).SecS は5 つの2 量体単位が環状に配列してホモ10 量体を形成していた. また,tRNASec との複合体の構造を低分解能で決定した(図11).SecS のホモ10量体に10 個のtRNASec が結合し,分子量800 kDa を超える巨大複合体を形成していた.SecS のN末端ドメインがtRNASec の特徴的なD アームと相互作用しており,これがtRNASec への特異性を達成していると考えられる.1 つのtRNASec に対する結合面と触媒活性部位が,SecS の4 つのサブユニットにまたがっており,SecS が多量体化する意義が明らかになった.

細菌のセレノシステイン特異的翻訳伸長因子(EF-Sec)

細菌のEF-Sec はSec-tRNASec とSECIS mRNA に同時結合してSec-tRNASec をリボソームに運ぶ.細菌EF-Sec のC 末端側の部分構造は知られていたが,全体の立体構造は不明であった.本研究では,細菌A. aeolicus EF-Sec の立体構造を決定した(図12).EF-Sec のN 末端側の3 つのドメインはSec-tRNASec を,C 末端側の4 つのドメインがmRNA 結合を担う.EF-Sec の全体構造に基づき,EF-Sec とリボソームの相互作用,およびリボソーム上でのSec-tRNASec とSECIS mRNA の位置関係を推定した.

図1

図2. tRNASec の2 次構造

図3. セレノシステインの合成と組み込み機構

図4. ヒトtRNASec

図5. 古細菌P. horikoshii SerRS

図6. SerRS・tRNASec 複合体の全体構造とtRNASec 拡大図

図7. 細菌A. aeolicus SerRS

図8. PSTK・tRNASec 複合体の全体構造とtRNASec 拡大図

図9. SPS 全体構造

図10. SecS 全体構造

図11. SecS・tRNASec 複合体の全体構造とtRNASec 拡大図

図12. 細菌EF-Sec 全体構造

審査要旨 要旨を表示する

本論分は9章からなる。第1章は、イントロダクションであり、本論分の研究対象である特殊なアミノ酸、セレノシステインの合成と組み込みについての背景を説明している。

第2章ではヒトのtRNASecの結晶構造解析について述べられている。セレノシステインのtRNA(tRNASec)の2次構造は標準tRNAと比較して大きく異なることが知られていたが、それまでtRNASecの立体構造は不明であった。本論分の研究によりヒトのtRNASecの詳細な立体構造が決定され、tRNASec特有の機能を達成する立体構造上の特徴が明らかになっている。

第3章では古細菌のセリルtRNA合成酵素(SerRS)の結晶構造解析、変異体解析について述べられている。SerRSはセリンのtRNA(tRNASer)とtRNASecの両方のtRNAにセリンを結合する酵素である。これまで細菌SerRSの構造解析が行われていが、真核生物/古細菌型SerRSの立体構造は報告されていなかった。本論文の研究では、古細菌Pyrococcus horikoshii SerRSの立体構造を決定し、変異体解析を行い、真核生物/古細菌型SerRSのtRNA認識機構を考察している。

第4章ではSerRSとtRNASecの複合体の結晶構造解析について述べられている。これまで、SerRSとtRNASerの複合体の立体構造は報告されていたが、tRNASecとの複合体の構造は報告されておらず、SerRSがtRNASerとtRNASecの両方を基質とする構造基盤は不明であった。本論文の研究では、古細菌Methanopyrus kandleri SerRSと細菌Aquifex aeolicus tRNASecの複合体の立体構造を決定し、SerRSとtRNASecの詳細な相互作用を明らかにしている。

第5章ではO-ホスホセリルtRNAキナーゼ(PSTK)とtRNASecの複合体の結晶構造解析、変異体解析について述べられている。PSTKは真核生物/古細菌において、セリンを結合したtRNASec(Ser-tRNASec)をリン酸化する。細胞内にはセリンを結合したtRNASer(Ser-tRNASer)が大量に存在するため、Ser-tRNASecへの特異性は極めて重要であるが、その構造基盤は不明であった。本論文の研究では、古細菌のPSTKとtRNASecの複合体の立体構造を決定し、変異体解析を行い、PSTKのtRNASec特異的相互作用機構を解明している。

第6章ではセレノリン酸合成酵素(SPS)の結晶構造解析、変異体解析について述べられている。SPSはセレン化水素をリン酸化してセレノリン酸を合成する酵素である。これまでSPSの立体構造および基質認識機構は不明であった。本論文の研究では細菌A. aeolicus SPSとATPアナログの複合体の立体構造を決定し、ATP結合機構を解明している。また構造に基づく変異体解析を行い、SPSの反応機構を推測している。

第7章ではセレノシステイン合成酵素(SecS)の結晶構造解析について述べられている。SecSは細菌においてtRNA上でセリンをセレノシステインに変換する酵素である。これまでSecSの立体構造は報告されておらず、Ser-tRNASecへの特異的結合機構も不明であった。本論文の研究では細菌A. aeolicusのSecSの立体構造を決定している。さらにSecSとtRNASecの複合体の立体構造を低分解能で決定し、tRNASecとの特異的相互作用機構が明らかにしている。

第8章では細菌のセレノシステイン特異的翻訳伸長因子(EF-Sec)の結晶構造解析について述べられている。細菌EF-SecはtRNASecとmRNAの両方に同時に結合する。これまで、細菌EF-SecのC末端側の部分構造は知られていたが、全長の立体構造は不明であった。本論文の研究では、細菌A. aeolicus EF-Secの全長の立体構造を決定し、EF-Secとリボソームの相互作用、およびリボソーム上でのtRNASecとmRNAの位置関係を推定している。

第9章では第2章から第8章の内容をまとめた総合的な考察がされている。

なお、本論分第2章は、千葉志穂、関根俊一、横山茂之と、第3章は、関根俊一、黒石千寿、寺田貴帆、白水美香子、倉光成紀、横山茂之と、第6章は、関根俊一、松本英子、赤坂領吾、竹本千重、白水美香子、横山茂之と、それぞれ共同研究であるが、論文提出者が主体となって試料調製、実験データの測定と解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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