学位論文要旨



No 125635
著者(漢字) 田上,俊輔
著者(英字)
著者(カナ) タガミ,シュンスケ
標題(和) RNAポリメラーゼと核酸および転写因子の複合体の構造解析
標題(洋) Structural analysis of RNA polymerase complexed with nucleic acids and a transcription factor
報告番号 125635
報告番号 甲25635
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5543号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 濡木,理
 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 教授 渡邊,嘉典
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨 要旨を表示する

DNAからRNAへの遺伝子配列の転写はRNAポリメラーゼ(RNAP)によって行われている.転写中のRNAP(elongation complex,EC)はRNAの3'末端に1塩基ずつヌクレオチドを付加することでRNAを伸長する(図1).ECはヌクレオチドを付加すると,鋳型DNAの次の塩基が触媒部位に入ってくるように,DNAに沿って1塩基分トランスロケーションする.同時にNTPの結合部位も空になり,次の基質が入ってくることが可能になる.このようなRNA合成の一連の流れをヌクレオチド付加サイクルと呼ぶ.さまざまな転写因子がECによるRNA合成を制御しており,正確な遺伝子発現を実現するために重要な役割を果たしている.これらの転写因子はヌクレオチド付加サイクルのどこかの段階でECに結合することで転写制御を行うと考えられる.しかしながら,転写因子がヌクレオチド付加サイクルのどの段階でECに結合するのか,その際にECはいかなる構造・コンフォメーションをとっているのか,転写因子が結合した結果どのようなメカニズムでRNAPの活性を制御するのか,といった点については多くの転写因子で未解明のままである.このような疑問点は,ECと転写因子の複合体の構造解析を行うことで解明できると考えられる.本研究では,真正細菌のGfh1と呼ばれる転写因子とECの複合体のX線結晶構造解析を行った.

Gfh1はGre-factorと呼ばれる真正細菌の転写因子ファミリーに属するタンパク質で, RNAPによるRNAへのNTP付加反応とその逆反応であるpyrophosphorolysis を阻害することが報告されている.Gre-factorは配列,構造がよく保存されており,N端側のコイルドコイルドメイン(NTD)とC端側の球状ドメイン(CTD)からなる.CTDはRNAPとの結合,NTDはGre-factorの転写制御活性を担うことが生化学的な解析から示されている.本研究では,RNAPとGfh1の結合様式,さらにGfh1による転写阻害メカニズムを明らかにするために,EC・Gfh1複合体のX線結晶構造解析を行った.また,Gfh1はRNA伸長反応を阻害するので,EC・Gfh1複合体のX線結晶構造からRNA合成のメカニズムについて重要な示唆を得られる可能性もあると考えた.X線結晶構造解析には高度好熱菌Thermus thermophilusのタンパク質を用いた.

EC・Gfh1複合体の結晶化では,クリスタルパッキングに影響を与える目的でさまざまな長さ・配列のDNA・RNAをECの再構成に用いて,結晶化条件のスクリーニングを行った.この結果,EC・Gfh1複合体の結晶化に成功し,放射光施設でX線回折データを収集した.その後,過去に報告されていたEC単独の原子座標(PDB 2O5I)をモデルに用いて,分子置換法によって初期位相を計算した.分子置換後の電子密度マップにはGfh1の電子密度が明確に観察され,Gfh1単体の構造(PDB 2F23)をその電子密度に当てはめることができた.最終的なEC・Gfh1の構造を図2に示す.今回のEC・Gfh1の結晶構造は,真正細菌のECと転写因子の複合体としてははじめて報告された結晶構造である.

EC・Gfh1複合体中で,Gfh1はRNAPの核酸結合部位の裏にあるセカンダリーチャネルに結合していた.Gfh1のCTDはセカンダリーチャネルの外側の構造と疎水性相互作用で結合しており,RNAPとGfh1の結合に重要な役割を果すことが構造から裏付けられた.Gfh1のNTDはセカンダリーチャネルを貫通しており,NTDの先端はRNAPの活性部位付近に達していた(図3).NTDの先端はNTPのβ-γ phosphateの結合部位を占有しており,直接的にNTPの結合を阻害していた.この観察は,Gfh1がNTPの結合に対して競合阻害的にはたらくという生化学的解析の結果を十分に説明する.

また,EC・Gfh1複合体の構造を過去に報告されていたECの構造(PDB 2O5I)と比較したところ,EC・Gfh1複合体中のRNAPは構造が大きく変化していた.EC・Gfh1複合中のRNAPでは,RNAPのDNA・RNA結合チャネルを形成する2つの構成モジュールが相互に約7°回転していており,"ねじれた"構造をとっていた(図4).この"ねじれた"構造は,Gfh1のNTDがRNAPのセカンダリーチャネルに収まることでトラップされていた."ねじれた"構造ではDNA・RNA結合チャネルが広がっており,その結果RNAPとDNA・RNAとの結合が弱められていると考えられた.また,構成モジュール間の回転により,2つの構成モジュールをつないでいる長いαヘリックス(ブリッジヘリックス)が中央で折れ曲がって,DNA・RNA結合チャネルにちょうど1塩基分突き出ていた.その結果,DNA・RNAはトランスロケーション後の位置に結合していた.しかしながら,鋳型DNAの次の塩基が活性部位に入ってくることを,突き出したブリッジヘリックスが妨げており,ECはトランスロケーション前後のどちらとも異なる状態にあった.

ここで,EC・Gfh1複合体中で観察された"ねじれた"構造を経由してRNAPのトランスロケーションが行われるというモデルを考案した.ECがDNAに沿って移動するトランスロケーションの段階では,一方的にトランスロケーション前の状態からトランスロケーション後の状態に進むのではなく,トランスロケーション前後の状態の平衡状態にあることが知られている.このことから,トランスロケーションは分子の熱運動によって引き起こされていると考えられるが,このようなランダムな動力を用いてどのように正確なトランスロケーションが行われているかは解明されていなかった.熱運動によってECが今回観察された"ねじれた"構造をとり,一時的にDNA・RNAとの結合を弱めつつ,同時にブリッジヘリックス折り曲げてDNA・RNAを1塩基分押し込むというメカニズムを用いれば,熱運動を動力に正確なトランスロケーションを達成することができると考えられる.

図1.RNAPによるヌクレオチド付加サイクル

図2.EC・Gfh1複合体の全体構造

図3.EC・Gfh1複合体の活性部位付近の構造

図4.EC・Gfh1複合体の"ねじれた"構造

(a)ECとEC・Gfh1複合体の構造の重ね合わせ

(b)ECとEC・Gfh1の中心部の構造の模式図

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなる.第1章は,イントロダクションであり,これまでの研究や関連分野の研究における課題についてまとめてある.本論文で取り扱うRNAポリメラーゼというタンパク質は細胞での遺伝子発現制御において中心的な役割を担っている酵素である.RNAポリメラーゼについてはX線結晶構造解析などの手法によっていくつかの立体構造が報告されていた.しかしながら,RNAポリメラーゼと転写因子の複合体や,転写反応の中間状態の構造についての報告は少なく,転写反応の重要な段階のうちメカニズムが解明されていない段階も多い.そのような背景を踏まえて,本論文ではRNAポリメラーゼと転写因子Gthlの複合体のX線結晶構造解析を行っている.論文提出者はRNAポリメラーゼとGfh1の複合体の構造解析を行うことによって,Gfhlによる転写制御のメカニズムを明らかにすることを目的として研究を行った.また,Gfh1が結合した状態のRNAポリメラーゼの立体構造から,転写反応自体のメカニズムについて新たな知見が得られる可能性があると考えた.関連分野の研究の課題を踏まえた上で,価値のある研究テーマ・目的を設定したと評価できる.

第2章はRNAポリメラーゼとGfh1の複合体のX線結晶構造解析の手法及び結果についてまとめてある.方法については事細かに説明してあり,論文提出者が計画的に実験を行ったことがわかる.また,論文提出者が,きちんとしたX線結晶構造解析の手法を身につけていることも見て取れる.さらに,RNAポリメラーゼとGfh1の複合体の結晶を得るために非常に多くの試行錯誤を行ったことが説明されており,論文提出者が大学院の過程で熱心に研究を行ったことが理解できる.

第3章ではRNAポリメラーゼとGth1の複合体の結晶構造の特徴を説明した後に,Gth1による転写阻害機構の説明,さらにRNAポリメラーゼの構造変化と転写反応のメカニズムの議論がなされている.RNAポリメラーゼは非常に大きな酵素だが,その立体構造全体について詳細な観察・分析が行われており,過去に報告されていたRNAポリメラーゼとの構造比較によってRNAポリメラーゼがダイナミックに構造を変化させる酵素であることを説明している.論文提出者は,過去の生化学的な解析等と照らし合わせて,この構造変化を転写反応のトランスロケーションの段階や,転写休止・転写終結と関係のあるものではないかと議論している.これらの叙述からは,論文提出者には実験結果を分析・解釈し,さらに研究を発展させていく能力があると評価出来る.

本論文で解析されたRNAポリメラーゼとGfh1の複合体の結晶構造は,真正細菌のRNAポリメラーゼと転写因子の複合体の結晶構造としては初めて報告されたものである.この結晶構造によってGfh1による転写阻害のメカニズムが説明されたが,これは転写因子の作用メカニズムを構造生物学の立場から明確に説明した初めての例でもあり,学問的価値は非常に高いといえる.また,本論文で報告されたRNAポリメラーゼの構造変化は,現在までのRNAポリメラーゼの構造変化・転写反応のメカニズムについての議論を大きく進展させるものであり,今後本論文の内容をもとに関連分野の研究が発展していくと期待される.

なお,本論文第2章,第3章は,関根俊一・Thirumananseri Kumarevel・山本雅貴との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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