学位論文要旨



No 125640
著者(漢字) 加藤,将
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ショウ
標題(和) 水生植物種シャジクモ(車軸藻目)の生態的2型の進化生物学的解析
標題(洋) An evolutionary analysis of two ecologically differentiated subpopulations in the aquatic plant species Chara braunii (Charales)
報告番号 125640
報告番号 甲25640
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5448号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 野崎,久義
 東京大学 教授 田嶋,文生
 東京大学 准教授 高野,敏行
 東京大学 准教授 館野,正樹
 東京大学 准教授 上島,励
内容要旨 要旨を表示する

生態的集団分化は種分化の初期段階をもたらし、生物種の多様性を生み出す重要な進化的要因である(Rieseberg & Carney 1998; Nosil et al. 2005; Funk et al. 2006)。したがって、この原因となる遺伝子を検出することは、種分化の分子機構を明らかにするための重要な第一ステップであると考えられる。植物細胞は核とオルガネラ (葉緑体とミトコンドリア) ゲノムをもち、両ゲノムが植物の種を特徴付ける様々な形質に関連していると考えられるが、植物の種分化の初期段階にオルガネラ遺伝子が関与していることを示す研究はこれまでにない。

水生植物は顕著な種の多様性を呈し、それぞれの種が様々な生育水環境への高度な適応を示す (e.g.Sculthorpe 1967; Barrett et al. 1993)。したがって水生植物の多くの種は、生態的集団分化に起因した種分化によって形成されたと考えられる。これまでに水生植物の様々な種において、種内の遺伝的分化に関する報告がなされており (e.g. Jordan et al. 1996; Reusch et al. 2000)、最近ではヒルムシロ属の1種で生態的種分化の初期段階と考えられる集団が報告されている (Nies & Reusch 2005)。しかし、水生植物における生態的集団分化の原因となった遺伝子の分子レベルでの研究はなされていない。

シャジクモ(Chara braunii, 車軸藻綱シャジクモ目)(図1)は淡水産の大型緑色藻類である。本種は水深数cm(水田等)から水深数m(湖・ため池等の水底)に至る幅広い水環境に生育するという、他の水生植物には見られない特徴を持っている。これらの水環境は、光、温度、溶存ガスといった植物の生育にとって重要な環境要因が大きく異なる。したがってシャジクモは水生植物の生態的集団分化を研究する格好の材料であると考えられた。しかし、シャジクモを用いた分子レベルの集団解析はこれまでに行われていなかった。私は、シャジクモの日本集団における浅い水環境と深い水環境という生態的2型を分子レベルで解析し、その進化生物学的特徴を解明することを目的として本研究を開始した。その結果、植物の種分化の初期段階における、オルガネラ遺伝子の生態的集団分化への関与をはじめて明らかにした。

1. 葉緑体DNA 領域に基づくシャジクモの種内系統解析

シャジクモにおける種内の多様性と生育環境の関連を調査するため、本種の日本集団について系統解析を実施した。解析には、組み換えのない葉緑体DNA 領域のrbcL 遺伝子コード領域全長、および近隣の遺伝子間非コード領域 (atpB-rbcL IGS, rbcL-trnR IGS)をマーカーとして用いた(合計3308-3474 bp)。解析材料は、日本各地43 地点 (図2) の様々な水環境 (水田・ため池・湖など) より採集した合計73 サンプルを用いた [41サンプル:水田などの浅い水環境産 (水深15 cm 以下), 32 サンプル:湖沼などの深い水環境産 (水深1 m 以上)]。これらのサンプルより塩基配列を決定し、日本集団に23 ハプロタイプを確認した。外群として外国産の2サンプル(ハワイ産、ニュージーランド産)を用いて系統解析を実施した結果、水環境の違い (浅い/深い水環境)を反映する2つの単系統群が示され、本種の日本集団における生態的2型の存在が明らかになった (図3)。

2. 葉緑体DNA および核DNA を用いたシャジクモの生態的2型の進化生物学的解析

葉緑体 DNA を用いた系統解析で明らかになった日本産シャジクモの生態的2 型は、分類学的にも同一で非常に近縁な2つの姉妹群であることから、まさに生態的種分化の段階にあると考えられる。しかし、これら2 型の進化生物学的な特性を明らかにするには葉緑体DNA とは連鎖していない核DNA の配列情報が必要であった。シャジクモには核DNA の配列情報が極めて少なかったため、シングルコピーで進化速度の速い非コード領域を含むと考えられた核DNA 領域の2カ所、hsp90 遺伝子領域 (2981-2997 bp)および EF-1α 遺伝子領域(2363-2424 bp)をマーカーとして新たに開発し、全サンプルの配列を決定した。これら2 つの核DNA 領域、ならびに葉緑体DNA 領域を用いて以下の解析を行った

2.1. 異なる水環境に生育する分集団間の遺伝的分化度の推定-日本集団の浅所産と深所産を分集団としたときの各DNA 領域の遺伝的分化度を、Fst 値 (固定指数, Wright 1951) を用いて推定した。その結果、全てのDNA 領域で高度に分化した遺伝的構造を示す値が得られ(図4)、異なる水環境産の分集団は葉緑体DNAだけでなく核DNA でも遺伝的に分化していることが示された。

2.2. 系統解析-核DNAの2領域で系統解析を行った。その結果、葉緑体DNAで解析された浅所と深所の2大単系統群(図3)はどちらの遺伝子領域でも構築されなかった (図5)。この原因として、核DNA における祖先多型の残存、または異なる水環境に生育する分集団間での遺伝子流動が原因として考えられた。今回、EF-1α遺伝子領域において2つのハプロタイプ(E-2 およびE-5)が、浅所と深所の両方のサンプルで検出されたことから(図5)、浅所と深所に生育する分集団間における核DNA の流動は強く示唆される。

2.3. 中立性検定-各DNA 領域に見られる多型の進化的背景を調査するため、Tajima's D (Tajima 1989) を用いた中立性検定を、日本集団全体ならびに浅所と深所の分集団に対して行った(表1)。その結果、葉緑体DNA 領域は平衡選択によって維持されていることが示唆された。またその平衡選択は浅い水環境と深い水環境の違いに起因する多様化選択であると考えられた。オルガネラDNA の遺伝様式から、今回の中立性検定の結果は葉緑体遺伝子だけでなくミトコンドリア遺伝子に働いた選択にも起因する可能性が考えられる。したがってシャジクモの生態的集団分化に影響を与えた遺伝子は少なくとも1 個はオルガネラゲノム上に存在すると考えられた。

2.4. 分子進化学的解析-コード領域に非同義置換が見られた rbcL とhsp90 遺伝子における正の自然選択を調査するため、コドン置換モデルを用いた3つの尤度比検定を実施した(表2)。検定の結果、葉緑体rbcL 遺伝子における正の自然選択が示された。この遺伝子は光合成の炭酸同化における最初の反応を触媒する酵素(ルビスコ) をコードする。したがって、rbcL が異なる水環境に適応的な生理的特性に関連していることが期待され、シャジクモ日本集団の生態的集団分化に関わった遺伝子のひとつであると考えられる。

2.5. 深い水環境の底土より発芽した培養株のハプロタイプ-湖沼の底土にはシャジクモ目の卵胞子が多く埋蔵されていることが知られている (Bonis & Grillas 2002)。したがって埋土卵胞子由来と考えられるシャジクモのハプロタイプを決定することで、異なる水環境間における卵胞子の移入の調査が可能であると考えた。今回、深い水環境である3湖沼 (茨城県霞ヶ浦, 千葉県坂田ヶ池, 滋賀県琵琶湖) の底土から発芽した培養株、合計9 株を調査した。その結果、3つ全ての湖沼で浅い水環境タイプと深い水環境タイプの両葉緑体DNA ハプロタイプが出現した(表3)。このことからシャジクモの卵胞子は浅い水環境と深い水環境の間で頻繁に移入していることが示唆される。

3. 総合考察

自然界の水環境に生育する栄養藻体の葉緑体DNA は厳密に生態的2型を示したことから(図3)、生育環境間における葉緑体DNA の流動は考えられない。しかし、深い水環境の底土より発芽した培養株のハプロタイプによると、シャジクモの卵胞子は両環境間で頻繁に移入していることが示唆された(表3)。したがって、浅所および深所という環境の差異が、葉緑体遺伝子の流動を妨げる障壁であると考えられる。このことは、中立性検定で示唆されたオルガネラゲノム上の遺伝子での環境の違いによる多様化選択を支持し、オルガネラゲノム上の遺伝子がそれぞれの水環境への適応に強く関与していることを意味する。各水環境に生育する藻体由来の卵胞子は、異なる水環境へ移入しても発芽しにくいか、または発芽後の栄養藻体が正常に育ちにくいと予想される。したがって、日本産シャジクモの異なる水環境の2分集団は接合する機会が制限されており、接合前隔離の状態であると考えられる。一方、中立性検定(表1)と遺伝的分化の推定(図4)からシャジクモの生態的2型は自然選択を受けて遺伝的に分化している分集団であることが示されたが、系統解析から核DNA の交流が存在することも示唆された(図5)。したがって接合前隔離は不完全なものであると考えられ、シャジクモの生態的2型は生態的種分化が完了する前の初期段階であると思われる。

本研究では、シャジクモの日本集団に見られる生態的2型が種分化の初期集団であり、オルガネラゲノム上の遺伝子に働く自然選択が関与したことを示した。また葉緑体のrbcL 遺伝子が有力な候補の一つであることを見いだした。これは植物の種分化の初期段階におけるオルガネラ遺伝子の自然選択をはじめて示した報告である。

水生植物の生態的種分化研究でこれまで注目されてなかった葉緑体遺伝子は、光合成に関連する遺伝子を数多くコードしており、光合成特性は浅い水環境と深い水環境に生育する水生植物間で大きく異なると考えられる。今後葉緑体遺伝子に着目した水生植物の生態的種分化の研究が、生理的特性の検出および分子生物学的解析の両面から展開されてゆくことが望まれる。

引用文献Barrett, S. C. H. et al. 1993. Aquat. Bot. 44:105-45.Bonis, A. & Grillas, P. 2002. Aquat. Bot. 72:235-48.Funk, D. J. et al. 2006. PNAS. 103:3209-13.Jordan, W. C. et al. 1996. Am. J. Bot. 83:430-9.Nies, G. & Reusch, T. B. H. 2005. J. Evol. Biol. 18:19-26.Nosil, P. et al. 2005. Evolution 59:705-19Reusch, T. B. H. et al. 2000. Mol. Ecol. 9:127-40.Rieseberg, L. H. & Carney, S. E.1998. New Phytol.140:599-624.Sculthorpe, C. D. 1967. The biology of aquatic vascular plants. Edward Arnold, London.Tajima, F. 1989. Genetics 123:585-95.Wright, S. 1951. Ann. Eugen. 15, 323-354.

図1. シャジクモ. A:栄養藻体 [単相]. B:生卵器 (上)と造精器 (下). C:卵胞子 (休眠接合子) [複相]. 栄養藻体上の生卵器において受精し、卵胞子が形成される.卵胞子は乾燥・寒冷・腐食に対する耐性を持つ.

図2. 日本集団 (73 サンプル) の採集地43 カ所.

図3. 葉緑体DNA(rbcL+IGS 3632 bp)による最節約系統樹. 枝上の数値はブートストラップ確率(50%以上表示)を示す. 系統樹右の図はGroup A または B に属するサンプルの生育環境を示す.

図4. Fst 値から推定した各DNA 領域の遺伝的分化度. 黒色の横棒付近の数値は、異なる水環境に生育する2 つの分集団間で算出した Fst の実測値と信頼区間を示す (図中の凡例参照).灰色はランダムに2分割した分集団間で算出した Fst 値の信頼区間を示す.

図5. 核DNA (A: hsp90 遺伝子領域 3015 bp, B: EF-1a 遺伝子領域 2435 bp) による最節約(MP)系統樹. 枝上の数値はブートストラップ確率(左: MP 法, 右: 最尤法, 50%以上表示)、下の数値はベイズ事後確率確率(0.90 以上表示)を示す. 赤または青で示したサンプルは葉緑体DNA で解析すると、それぞれ Group A またはB に属するサンプルであることを示す.

表1. Tajima's D による中立性検定の結果.

表2. コドン置換モデルを用いた尤度比検定による正の自然選択検出の結果.

表3. 湖沼の底土より発芽した培養株のハプロタイプ.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章は、イントロダクションであり、第2章は葉緑体DNA領域に基づくシャジクモ(Chara braunii)の種内系統解析、第3章は前章で明らかになった生態的2型の葉緑体DNAおよび核DNAを用いた進化生物学的解析、第4章は総合的な議論が述べられている。

生態的集団分化は種分化の初期段階をもたらし、生物種の多様性を生み出す重要な進化的要因である。したがって、この原因となる遺伝子を検出することは、種分化の分子機構を明らかにするための重要な第一ステップであると考えられが、植物の種分化の初期段階にオルガネラ遺伝子が関与していることを示す研究はこれまでになかった。また、水生植物は顕著な種の多様性を呈し、それぞれの種が様々な生育水環境への高度な適応を示すので、水生植物の多くの種は、生態的集団分化に起因した種分化によって形成されたと考えられる。しかし、水生植物における生態的集団分化の原因となった遺伝子の分子レベルでの研究はなされていなかった。

シャジクモは淡水産の大型の緑色藻類であり、水深数cm(水田等)から水深数m(湖・ため池等の水底)至る幅広い水環境に生育するという、他の水生植物には見られない特徴を持っている。これらの水環境の差異は光、温度、溶存ガスといった、植物の生育にとって重要な環境要因が大きく異なり、シャジクモは水生植物の生態的集団分化を研究する格好の材料であると考えられた。しかし、シャジクモを用いた分子レベルの集団解析はこれまでに行われていなかった。本研究はシャジクモの日本集団における浅所と深所という生態的2型を分子レベルで解析し、その進化生物学的特徴を解明することを目的として開始された。その結果、植物の種分化の初期段階でオルガネラ遺伝子が生態的集団分化に関与していることをはじめて明らかにした。

第2章ではシャジクモにおける種内の多様性と生育環境の関連を調査するため、本種の日本集団について進化速度が速くて遺伝子組み換えのない非コード領域を含む葉緑体DNA領域(3308-3474 bp [rbcL コード領域全長, atpB-rbcL IGS, rbcL-trnR IGS])を用いた系統解析を実施した。解析材料には、日本各地43地点 (図2) の様々な水環境 (水田・ため池・湖など) より採集した合計73サンプルを用いた [41サンプル:水田などの浅い水環境産 (水深15 cm 以下), 32サンプル:湖沼などの深い水環境産 (水深1 m 以上)]。これらのサンプルより塩基配列を決定し、日本集団に23ハプロタイプを確認した。系統解析の結果、水環境の違い (浅い/深い水環境) を反映する2つの単系統群が示され、本種の日本集団における生態的2型の存在が明らかになった。第3章では、前章で明らかになった日本産シャジクモの生態的2型の進化生物学的な特性を明らかにするには葉緑体DNAとは連鎖していない核DNAの配列情報が必要であったので、シングルコピーで進化速度の速い非コード領域を含むと考えられた核DNA領域の2カ所、hsp90 遺伝子領域 (2981-2997 bp)および EF-1α 遺伝子領域(2363-2424 bp)をマーカーとして新たに開発し、全サンプルで配列を決定した。これら2つの核DNA領域ならびに葉緑体DNA領域を用いて、異なる水環境に生育する分集団間の遺伝的分化度の推定、中立性検定、分子進化学的解析、深い水環境の底土より発芽した培養株のハプロタイプの決定を実施した。その結果、シャジクモの日本集団に見られる生態的2型が種分化の初期集団であり、オルガネラゲノム上の遺伝子に働く自然選択が関与したことを示した。また葉緑体のrbcL 遺伝子が有力な候補の一つであることを見いだした。

以上のように論文提出者は本論文において、これまで種分化の学問分野では用いられていなかったシャジクモに着目して、独自に葉緑体と核遺伝子マーカーを開発して進化生物学的解析を実施した。その結果、植物の種分化の初期段階におけるオルガネラ遺伝子の自然選択をはじめて示すという極めてオリジナリティーの高い研究成果を得ることができた。

なお、本論文第2章の一部坂山英俊・佐野郷美・笠井文絵・渡邉信・田中次郎・野崎久義、第3章の一部は高橋文雄・三澤計治・坂山英俊・佐野郷美・小菅桂子・笠井文絵・渡邉信・田中次郎・野崎久義との共同研究であるが、論文提出者が主体となって観察及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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