学位論文要旨



No 125643
著者(漢字) 吉田,明希子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,アキコ
標題(和) イネの小穂と花序の発生に関する分子遺伝学的研究
標題(洋) Molecular genetic studies on spikelet and inflorescence development in Oryza sativa
報告番号 125643
報告番号 甲25643
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5551号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,博之
 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 教授 田嶋,文生
 東京大学 教授 米田,好文
 東京大学 教授 河野,重行
内容要旨 要旨を表示する

序論

花は,植物の生殖器官であり,植物種によりその形態は非常に多様である.植物の花の多様な形態の発生機構において,共通するメカニズムや特定の種や分類群に独自のメカニズムを明らかにすることは,植物の多様な形態とその発生機構の進化を包括的に理解する上で,興味深い.そのためには,シロイヌナズナのような真正双子葉植物における知見とともに,単子葉植物についての知見が必要不可欠である.そこで,本研究では単子葉植物のモデル植物であるイネの花の発生機構を明らかとすることを大きな目標とし,主に2つのイネの花の変異体を活用して,発生遺伝学的・分子遺伝学的研究を行なった.

イネ科の花には,小穂と小花という花序の構造単位が存在する.イネの花は1つの小穂に対して1つの完全な小花が形成され,また小花の外側には1対の護穎が形成される.この護穎は本来,この位置に作られるべき2つの小花の形成が不完全であり,退化した器官として唯一外穎のみが残った結果であると考えられている.まず初めに,このイネ特有の器官である護穎の発生メカニズムに着目し,この護穎のアイデンティティーを決定しているLONG STERILE LEMMA1(G1)遺伝子を単離し,その機能解析を行なった.さらに,この結果を踏まえて,イネ小穂の護穎形成に関する新たな進化学的考察を加えた.次に,他のイネ科植物であるトウモロコシやソルガムを用いて,それらのG1オーソログを単離し、発現解析を行なった.最後に,小穂を花序が異常となる変異体aberrant spikelet1(asp1)を用いて,その表現型と遺伝子単離を行なった.その結果,ASP1遺伝子は,イネの花序形態が形成される時期の発生過程に非常に重要な機能を担っていることを明らかにした.

結果と考察

1.新規のホメオティック遺伝子LONG STERILE LEMLMA 1(G1)の単離とその機能解析

g1変異体は護穎が過伸長した一因子劣性突然変異体として報告されている.g1変異体の小穂は,外穎・内穎より内側の花器官の形態は野生型と全く同様だが,護穎の長さと幅がともにg1変異体の方が野生型に比べて約2.5倍大きかった.さらに,g1変異体の長護穎の表皮細胞は,トライコームが多く,細胞列が明確であり,野生型の護穎よりも外穎・内穎様の表皮細胞のような特徴をもつことが判明した.また,野生型の外穎,内穎,護穎の維管束数を比較した結果、g1変異体の長護穎と野生型の外穎の維管束数は一致していた.したがってこれまではg1変異体の長護穎は野生型の護穎が単に伸張したものと考えられていたが,本研究により,G1遺伝子は護穎のアイデンティティーの決定に関与していることが強く示唆され,G1は小穂器官の発生を制御するホメオティック遺伝子であることが明らかとなった次に,ポジショナルクローニング法によりG1の候補遺伝子を同定した.G1遺伝子は,機能未知のドメイン(ALOGドメインと命名)と核局在シグナルを持つタンパク質をコードしていることが明らかとなった.in situハイブリダイゼーションによる時間的・空間的発現パターンを解析した結果,G1遺伝子は護穎と内穎の基部で発現していることが明らかとなった.さらにGFPとGlとの融合タンパク質をコードするキメラ遺伝子をタマネギの表皮細胞に導入した結果,G1-GFPが核に局在することが判明した.次に,酵母GAL4遺伝子を用いた一過的なルシフェラーゼレポートアッセイをシロイヌナズナの葉の表皮細胞で行い,G1の転写活性化機能について検証した.その結果,GAL4遺伝子結合ドメインとG1を融合したタンパク質は,GAL4 UAS下流のルシフェラーゼレポーター遺伝子の転写活性を促進することが判明した.以上のことから,G1は転写調節因子として護穎のアイデンティティーを制御している可能性が推定された.

データベースで検索した結果,ALOGドメインをもつタンパク質は,植物のみに特有であり,新規のファミリーを構成することが判明した.シロイヌナズナなどにも見出されたが,その機能については未知である.また,そのファミリーの中でもG1遺伝子のオーソログはイネ科植物のみに存在し,真正双子葉植物にはオーソログが存在しないことがわかった.

以上の研究から,G1遺伝子は,護穎ではたらき,外穎のアイデンティティーを抑制していると考えられる.これまで提唱されているイネ小穂の形態進化の仮説からすると,G1は,護穎という器官を分化するために,イネの進化において,リクルートされてきた可能性が考えられる.

2.イネ科におけるG7オーソログの単離と解析

イネにある護穎器官は,イネのみに特徴的な器官であり,他のイネ科植物トウモロコシ,ソルガムには,護穎に相当する器官は知られていない.トウモロコシは1つの小穂に2小花,ソルガムは1つの小穂に1小花で構成されている.それぞれから単離したG1オーソログは,イネG1と非常によく似たタンパク質をコードしていた.これらの小穂の発生過程において,トウモロコシでは,G1オーソログは苞穎,内穎原基,花分裂組織,および,シルク原基で発現していることが明らかとなった.一方,ソルガムでは,発生中の小穂においては,G1オーソログの発現は検出されなかった.以上の結果から,G1オーソログはイネ科植物のみに存在し,イネでは発現が見られない器官でも発現することから,その機能は多様化していると考えられる.

3.花序と小穂メリステムの制御に関わるABERRANT SPIKI肌ET1(ASP1)遺伝子の単離とその機能の解明

護穎と副護穎の双方に異常のある変異体としてasp1変異体を見出した.asp1変異体のすべての小穂では,護穎と副護穎が長い.asp1変異体の長護穎と副護穎の表皮細胞を観察した結果,トライコーム数や細胞の形態は野生型とほぼ同様であった.よって,g1変異体とは異なり,asp1変異体では護穎が主に過伸長していると考えられる.一方,asp1変異体は,花序にも異常が見られ,花序から小穂が形成されていく過程でメリステムの転換が正常に行われていないことが判明した.これらの表現型から,ASP1遺伝子は,小穂特異的な器官である護穎と副護穎の形成の制御と花序のメリステム維持と制御に関与している可能性が考えられた.また,asp1変異体では,葉序や腋芽の休眠にも異常が見られた.これらは,植物ホルモンのオーキシンが関与することから,オーキシン応答の遺伝子の発現を調べたところ,野生型と較べて醐ρ1変異体で発現が変動している遺伝子が存在することが示された.そこで,この遺伝子の機能を解明することを目的として,ポジショナルクローニングにより遺伝子の単離した.ASP1遺伝子は,転写抑制に関わる因子をコードしていることが明らかとなった.この遺伝子は植物においては,オーキシン応答に関与していることが報告されており,表現型からの機能推定とコードするタンパク質の性質とが一致した.

結論と展望

本研究において,イネの小穂に特徴的な器官である護穎のアイデンティティーを決定している新規の遺伝子,G1遺伝子を単離し,転写因子としてのその機能を明らかにした.今後は,他のイネ科植物での機能解析を行なうことにより,イネ科植物の小穂の進化の過程におけるG1遺伝子の役割を明らかにしていきたいと考えている.また,ASP1遺伝子は,イネの花序と小穂のメリステムの維持と転換を制御をしていることが示唆された.イネ科における花序形態と小穂構造は植物種によって多種多様である.今後は,ASP1遺伝子の花序と小穂メリステムの維持・転換の制御機構を詳細に解析することによって,イネの花序と小穂メリステムの遺伝的制御機構が明らかになり,さらには,イネ科植物特有の花序メリステムと小穂メリステムの共通性・多様性が解明されていくことが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる.第 1 章は,イントロダクションであり,本研究の学問的背景とその目的について述べられている.第 2 章から第 4 章までは,イネ (Oryza sativa) を研究対象とした,小穂と花序の発生・形態形成に関する遺伝子の単離とその機能解明に関する研究成果,および,その考察について述べられている.最後の第 5 章では,得られたすべての結果を受けて,イネの小穂と花序について,発生の制御機構と進化に関する包括的な考察を行っている.

イネの花序は,小穂と小花という単位から構成されている.小花は,外側から,外穎,内穎,鱗被,雄ずい,心皮の各器官から構成されており,鱗被より内側が一般的な被子植物の花器官(花弁,雄ずい,心皮)に相当する.小花の外側には,一対の護穎と副護頴が存在し,これらをまとめて小穂と呼ばれている.この小穂・小花という単位により構成される花序はイネ科植物に見られる特徴的な構造である.例えば,イネの護穎に相当する器官は,一般的なイネ科植物の小穂には存在せず,苞頴に相当する副護頴は痕跡的にまで退化している.本論文において,論文提出者は,この非常に特徴的なイネの小穂の構造およびその総体である花序に着目し,これらの発生と形態形成を制御するいくつかの遺伝子の機能を明らかにすることを目的に研究を行った.

第 2 章は,イネの護穎のアイデンティティーを決定する LONG STERILE LAMMA1 (G1) 遺伝子の単離とその機能解明について述べられている.g1変異体は,護穎が大きくなる変異体として古くから知られていた.論文提出者は,まず,詳細な表現型の解析を行い,この大きな護穎は外穎のアイデンティティーをもっており,g1変異により護穎が外穎へとホメオティックに転換していることを明らかにした.遺伝子を単離した結果,G1は機能未知のドメインをもつタンパク質をコードしていることが明らかになった.論文提出者は,このドメインをALOGドメインと命名し,G1タンパク質の機能解析を行った.その結果,G1タンパク質は核に局在し,転写活性可能をもっていることを明らかにした.また,空間的発現パターンの解析の結果,G1遺伝子は護穎で強く発現していた.これらの結果から,G1タンパク質は護穎で発現し,下流の遺伝子の転写制御を通して,外穎のアイデンティティーが現れないように抑制していると推定された. また,本研究で明らかにされた G1の機能は,70年前に提案されたイネ小穂の形態進化の仮説を支持するとともに,このG1遺伝子がイネ小穂の形態進化に重要な働きをしてきた可能性を強く示唆している.

第3章では,イネ属の野生イネなどをも研究材料とし,G1遺伝子と護穎の形態形成に関する研究の展開について述べられている.本章では,論文提出者は,ある遺伝的バックグラウンドでは,護穎の大きさの制御は内穎外穎軸にそって非対称であり,内穎側の護穎の方が大きくなることを示した.また,イネ科のトウモロコシ (Zea mays) や ソルガム (Sorghum bicolor) などから,G1オーソログを単離し,その発現解析を行った結果,G1遺伝子は,イネ科の中でも多様な機能をもっていることが示唆された.

第 3 章では,多面的表現型を示す aberrant spikelet1 (asp1) 変異体の詳細な表現型解析と,その原因遺伝子の単離について述べられている.asp1 変異体では,花序と小穂に様々な変異が生じていた.花序(穂)は小さく,枝梗(branch)が短い.枝梗や小穂の数は,穂により大きく変動し,小穂や枝梗の退化が見られる.論文提出者は,詳細な発生学的な解析を行い,これらの表現型は,枝梗分裂組織や小穂分裂組織などのメリステムにおいて,そのアイデンティティーの転換と活性の維持が異常となったことに起因していることを明らかにした.また,asp1 変異体では,葉序や腋芽の休眠にも異常が見られた.これらは,植物ホルモンのオーキシンが関与することから,オーキシン応答の遺伝子の発現を調べたところ,野生型と較べてasp1変異体で発現が変動している遺伝子が存在することが判明した.遺伝子を単離した結果,ASP1遺伝子は,転写抑制に関与しているシロイヌナズナのTOPLESSと類似したタンパク質をコードしていることが明らかとなった.TOPLESSはオーキシンシグナル伝達系で転写の抑制因子として機能することが示されており,asp1変異体の表現型から予想される機能とASP1タンパク質から推定される機能とが一致した.

本論文第2章は,すでに,論文提出者が第一著者の論文として印刷公表されている.その論文は寿崎拓哉,田中若奈,平野博之氏との共同研究であるが,本論文提出者が主体となって解析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.第4章は,論文提出者が第一著者となる論文として投稿予定であり,第3章は,今後の解析結果とあわせ,論文としてまとめる予定である.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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