学位論文要旨



No 125644
著者(漢字) 王,
著者(英字)
著者(カナ) ワン,イン
標題(和) 無傷葉における気孔の光応答性の研究
標題(洋) Stomatal Light Responses in Intact Leaves
報告番号 125644
報告番号 甲25644
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5552号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺島,一郎
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 准教授 舘野,正樹
 東京大学 准教授 杉山,宗隆
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

気孔は、植物の表皮に存在するガス交換のためのバルブである。光合成の基質であるCO2も、気孔を通って葉内に拡散するので、気孔開度は光合成の律速要因としてきわめて重要である。これまでの多くの研究によって、CO2濃度、水分条件、光が、気孔開度を制御する最も重要な要因であることがわかっている。

多くの草本植物の葉は、その両面に気孔をもつ。光はおもに葉の向軸側(表側)に当たる。光の大部分(特にクロロフィルに吸収されやすい青色光や赤色光)は葉肉組織で吸収されるため、背軸側(裏側)の表皮に到達する光は弱く、光質も向軸側と異なる。向軸側と背軸側の気孔の挙動に注目した研究はこれまでにもいくつか行われ、背軸側気孔の方が向軸側気孔よりも光感受性が高いと報告されている。また、この違いは、向軸側と背軸側の光環境の違いに由来するとされている。しかし、これらの先行研究のほとんどは、剥離表皮や孔辺細胞のプロトプラストを用いたものであり、葉そのものを用いた研究例は少ない。また、葉を用いた研究では、気孔開度に大きな影響を及ぼす葉内CO2濃度が制御されていない。したがって、両面気孔の光の応答に関するこれまでのデータは、他の要因の影響とは独立に得られているとは言えないし、生理生態学的にin situの応答を正確に捉えたものとも言えない。

本研究では、葉の両面のガス交換を分離して測定するシステムを自作し、光以外の気孔制御要因である空気湿度やCO2濃度を一定にして、光環境(光量と光質)の影響を解析した。また、生育光環境が植物の両面気孔の光応答性に及ぼす影響を解析した。これらに基づいて、気孔の光応答のメカニズムを考察した。

なお、気孔開度は、葉面積あたりの水蒸気に対するコンダクタンス(Gs, mol m(-2) s(-1))、または気孔1個あたりのコンダクタンス(Gs*, nmol stoma(-1) s(-1))として表現してある。

1.気孔の単色光への応答性

ヒマワリの葉を用いて、両面それぞれに単色光(赤、青、緑)を直接照射した。向軸側、背軸側どちらの気孔も青色光照射時に最もよく開いた。また、背軸側気孔は緑色光でも開き、その開度は赤色光とほぼ同じであった。一方、向軸側の気孔は緑色光に応答しなかった。緑色光への応答の有無は、両面気孔間の最も著しい差といえる(Fig.1)。

2.生育光環境が植物の両面気孔の光応答性に及ぼす影響

両面気孔の光応答性の違いは、気孔が葉内の光環境に馴化した結果である可能性がある。そこで、ヒマワリ葉を、葉身長が展開後の1/4-1/3程度の時点で裏返しにし、完全展開後の気孔の光応答を比較した。

向軸側に光を受けた対照葉の柵状組織は厚く、細胞は細長かった。一方、裏返しにした葉の柵状組織は薄く、細胞は短く、海綿状組織は厚く、細胞サイズは大きくなった(Fig.2)。また、裏返しにした葉の気孔index(孔辺細胞数/ 全表皮細胞数)は両面とも対照葉と差がなかったが、向軸側の気孔密度(単位葉面積あたりの気孔数)はやや減少した。背軸側の気孔密度は変わらなかった。これらは、裏返し処理を開始した時には、気孔が分化していたことを示している。

裏返した葉の背軸側気孔の赤色光への感受性は変化せず、緑色光への感受性はやや減少、青色光への感受性は増加した(Fig.3A)。向軸側気孔は、対照葉の向軸側気孔に比べて、赤色光および青色光への感受性が減少した。対照葉と同様、緑色光への感受性示さなかった(Fig.3B)。

3.気孔開孔のメカニズムの検討

光の気孔への作用は二つに分けられる。一つは、光が孔辺細胞の光受容体に作用して、気孔の運動に影響する場合である。青色光で気孔が開孔しやすいことは古くから知られていたが、その後の研究によって、孔辺細胞内の青色光受容体(phototropinなど)が青色光応答性に関与することが分かった。一方、光は孔辺細胞や葉肉細胞の光合成を介する経路によっても気孔に影響する。この二つの作用を分離するために、光合成系の阻害剤(DCMU)を用いて、気孔開孔のメカニズムを検討した。

DCMU処理により、光合成速度を抑制したところ、背軸側気孔、向軸側気孔ともに赤色光への応答性はほとんどなくなった。一方、青色光への応答性は部分的にしか抑制されなかった。対照葉の背軸側気孔は緑色光に応答して開いたが、裏返しにした葉の背軸側気孔は応答しなかった(Fig.4)。これらの結果は、赤色光による気孔開孔には光合成の影響が強いこと、青色光の効果には、光合成以外の要因が大きく関与することを示している。緑色光についても、光合成以外の要因が関与している可能性がある。裏返しにした時には背軸側の光強度が強くなり、緑色光成分は相対的に少なくなる。裏返し処理により背軸側気孔の緑色光への応答性が減少するのはこのような環境への馴化反応の結果かもしれない。一方、向軸側気孔は緑色光に富む弱光にさらされるが、緑色光への応答性が見られるようにはならなかった。緑色光応答に関して両面気孔は質的に異なる可能性もある。

4.気孔の緑色光への応答性の研究

これまでに、緑色光で気孔が開孔するという報告はほとんどなかったので、一般性を確認するために、ヒマワリ以外にも、シロイヌナズナやタバコを用いて、緑色光の応答性を解析した。タバコでは、ヒマワリと同様に、背軸側気孔が緑色光によって著しく開孔した(Fig.5左)。現時点ではシロイヌナズナの葉の両面のガス交換の個別測定を行っていないが、緑色光に応答することは確認できた(Fig.5右) 。

現在、cryptochromeやphototropinは、青色光受容体であると考えられている。本研究では、シロイヌナズナのcryptochromeやphototropinの欠損変異体を用いて、緑色光受容体として機能する可能性を検討した。緑色光照射すると、cryptochrome欠損変異体の気孔コンダクタンスは野生株より低下した(Fig. 6a, b)。一方、phototropin欠損変異体の気孔の緑色光の感受性はbackground株と有意な差を示さなかった(Fig. 6c)。この結果は、cryptochromeは緑色光の受容体であり、phototropinは緑色光の受容体ではない可能性が高いことを示している。最近の研究によって、cryptochromeと転写因子MYB60との関係が明らかになった。また、この転写因子MYB60は気孔開孔を促進することも報告されている。cryptochromeは緑色光および青色光を吸収し、転写因子を介して、光合成経路又は光受容体経路のタンパク質の量を調節し、気孔開孔をしているのかも知れない。

まとめ

本研究では、生態生理学的視点から、無傷葉の気孔の光応答性を詳しく解析し、以下の結果を得た。(1)無傷葉の両面気孔の光応答性が違うことを確認した。特に背軸側気孔の緑色光への感受性が高いことを新規に見出した。(2)裏返し処理による光環境の変化は、気孔の光応答性に変化をもたらした。(3)気孔の赤色光への応答性はほとんど光合成に依存した。(4)気孔の青色光への応答性は、光合成と非光合成経路(光受容体経路)両方に依存した。生育光環境はこの二つの経路のバランスに影響を及ぼした。(5)気孔の緑色光への応答性は一般な現象である可能性を示した。(6)気孔の緑色光への応答性はDCMUによっても完全には抑制されず、緑色光受容体の存在が示唆された。cryptochromeが緑色光受容体である可能性が高い。

通常、葉は向軸側に多くの光を受け、背軸側に到達するのは緑色光成分の多い弱光である。背軸側気孔の緑色光に対する応答性が高いのは、このような条件で気孔を開き光合成を行うのに都合のよい適応的な馴化反応といえよう。本研究で得られた知見は、緑色光応答のメカニズムの解明という分子生理的な展開とともに、緑色光が相対的に多い林床の植物の気孔の環境応答の検討という生理生態学な展開も強く促すものである。

PublicationWang Y., Noguchi K. & Terashima I. (2008) Distinct light responses of the adaxial and abaxial stomata in intact leaves of Helianthus annuus L. Plant, Cell and Environment, 31: 1307-1316.

Fig. 1 左:単色光照射したヒマワリの背軸側(上、○)と向軸側(下、口)の気孔コンダクタンスの変化。右:三種類の単色光のスペクトル。

Fig. 2 裏返しにした葉(左)と対照葉(右)の横断切片の比較

Fig.3 裏返した葉(●、■、点線)と対照葉(○、口 、実線)の単色光への応答性の比較。AとBとでは縦軸のスケールが異なることに注意。A:背軸側の気孔コンダクタンス(Gs*)と光合成速度(An)(○、●)。B:向軸側の気孔コンダクタンスと光合成速度(口、■)。

Fig.4 DCMUが気孔の単色光の光応答性におよぼす影響。単色光の強さは250 μmol m(-2) s(-1)。DCMU処理しない葉:白; DCMU処理した葉:黒。(a), (b), (c):対照葉(d), (e), (f):裏返した葉

Fig. 5 左:タバコの両面気孔の緑色光への応答 右:シロイヌナズナ(Columbia)の緑色光への応答緑色光の強さは250 μmol m(-2) s(-1)。照射開始から1時間後のデータを示してある。

Fig. 6 シロイヌナズナの野生株と変異株の気孔の緑色光への応答(a), (b):緑色光の強さは250 μmol m(-2) s(-1)、裏側から照射した。(c):片面の緑色光の強さは90 μmol m(-2) s(-1)、両面同時に照射した。Col:Columbia 野生株;C-cry1, C-cry2: Col backgroundのcryptochrome変異株;Ler:Landsberg erecta野生株;L-cry1, L-cry2, L-cry1cry2:Ler backgroundのcryptochrome変異株;gl:gl1-1;pp:gl backgroundのphototropin二重変異体。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第1章はイントロダクションであり、植物の気孔の光応答に関する知見を、光合成が関与するコンポーネントと、フォトトロピンなどの非光合成系光受容体によるコンポーネントとに二分して、整然と述べてある。また、先行研究の欠点を分析し、無傷葉を用いたin vivo実験が行われなければならない理由が解説されている。第2章には、論文提出者自身の構築した葉の内部のCO2 濃度を一定に保ちながら葉の両側のガス交換を別個に測定するシステムを用いて行った、ヒマワリの葉の表側と裏側の気孔の光応答を比較解析した研究が記述されている。裏側の気孔の方が表側の気孔よりも光に敏感であること、裏側の気孔は葉を透過した緑色光によく応答すること、裏側の気孔は、気候にあたる光の強さが同じであれば、葉の光合成速度が高いほどよく開くこと、などが明らかになった。第3章には、赤色、青色、緑色の単色光に対する、ヒマワリの葉の両面の気孔の応答が比較してある。また、光合成の阻害剤を用いた解析に基づいて、気孔開口への光合成コンポーネントと非光合成コンポーネントの寄与が比較してある。この結果、青色光は、光合成、非光合成両コンポーネントによって気孔を開くこと、赤色光は光合成コンポーネントのみによって気孔を開くこと、緑色光は、これらの両コンポーネントによって裏側の気孔を開口させるが、表側の気孔を開口させないことが明らかになった。第4章には、展開中の葉を裏返しにして、表裏の光環境を逆転させた場合の、気孔の光応答が記されている。この結果、両面の気孔の光応答性の差は、光環境への馴化によってもたらされるものではないこと、表側気孔と裏側気孔の光応答性には発生初期に決定される質的な差があること、が示された。第5章では、これまで詳しい研究がなされていなかった、緑色光への気孔の応答性が述べてある。ヒマワリのみならず、モデル植物としてよく用いられるタバコやシロイヌナズナも顕著な緑色光応答をしめすことから、緑色光への応答性は一般的現象であることを示唆してある。また、光受容体であるフォトトロピンやクリプトクロムを欠くシロイヌナズナの突然変異体を用い行った実験にもとづいて、緑色光応答がクリプトクロムによる可能性が提示してある。第6章は、本研究の成果が包括的に考察され、今後の研究への指針が述べられている。

本研究は、これまでの詳細な比較がなされていなかった両面の気孔の光応答性に関する詳細な比較である。論文提出者は測定システムを構築することによって、信頼度の高いデータを得ることに成功した。また、特に、裏側の気孔が示す緑色光応答は、これまでに注目されておらず、その発見と解析は大きな成果であるといえよう。

本論文の第2章、第3章、第4章、第5章は、寺島一郎と野口航との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究計画を行い、実施したものであり、そのほとんどが論文提出者の寄与である。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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