学位論文要旨



No 125649
著者(漢字) 長野,稔
著者(英字)
著者(カナ) ナガノ,ミノル
標題(和) シロイヌナズナスフィンゴ脂質脂肪酸2 : ヒドロキシラーゼの機能解析
標題(洋) Functional analysis of sphingolipid fatty acid 2-hydroxylase in Arabidopsis thaliana
報告番号 125649
報告番号 甲25649
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5557号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中野,明彦
 東京大学 教授 福田,裕穂
 東京大学 准教授 野口,航
 東京大学 教授 和田,元
 埼玉大学 教授 内宮,博文
 埼玉大学 准教授 川合,真紀
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

スフィンゴ脂質は真核生物に広く存在する脂質であり、膜の構成成分やシグナル伝達因子として様々な細胞内反応に関与する。スフィンゴ脂質はセラミドを基本骨格とし、さらにセラミドは長鎖塩基と脂肪酸から構成される。スフィンゴ脂質の構造上の大きな特徴の1つとしてC2位にヒドロキシル基を持つ脂肪酸(2-ヒドロキシ脂肪酸)を有することが挙げられる(図1)。この脂肪酸の2-ヒドロキシル化にはfatty acid 2-hydroxylase (FAH)が関与することが哺乳類及び出芽酵母で明らかになっている。

修士課程における出芽酵母を用いた解析から、出芽酵母のFAH(ScFAH1)がシロイヌナズナのBax inhibitor-1(AtBI-1)と相互作用することが明らかになった。AtBI-1は小胞体(ER)膜に局在する7回膜貫通タンパク質で、酸化ストレス耐性に関与することがこれまでに明らかになっている。しかしながら、そのメカニズムについては未解明であった。

そこで私は修士論文において、AtBI-1がシトクロムb5(AtCb5)と植物細胞内で相互作用することを見出した。さらに、AtBI-1の機能には、自身の分子内にCb5様ドメインを有するScFAH1との相互作用が必要であることを、出芽酵母を用いた解析から明らかにした。以上の結果から、AtBI-1はスフィンゴ脂質脂肪酸の2-ヒドロキシル化を介して機能することが示唆された。

これらを踏まえて博士課程では、植物細胞内におけるAtBI-1のスフィンゴ脂質脂肪酸の2-ヒドロキシル化への関与を解明することを目的とした。そのために第1章ではまず、これまでほとんど報告のないシロイヌナズナのFAHホモログの同定と機能解析を行った。第2章では、AtBI-1と2-ヒドロキシ脂肪酸との関係、及び2-ヒドロキシ脂肪酸と酸化ストレス耐性との関係を明らかにした。さらに第3章では、代謝産物分析から2-ヒドロキシ脂肪酸の関わる機能について迫った。

[結果と考察]

1. シロイヌナズナのFAHホモログの同定と機能解析

スフィンゴ脂質脂肪酸の2-ヒドロキシル化には、分子内にCb5様ドメインを有するFAHが関与することがこれまでに出芽酵母と哺乳類で報告されている。出芽酵母や哺乳類のFAHは1つであるのに対し、シロイヌナズナには2つ(AtFAH1, AtFAH2)存在した。ScFAH1や哺乳類のFAH(FA2H)と同様に、AtFAH1とAtFAH2は膜局在性ヒドロキシラーゼ特有のHXXHHモチーフを有し、予想膜貫通ドメインも複数回存在した(図2)。さらに、ER膜に局在することも明らかになった。しかしながら、ScFAH1やFA2Hに共通して存在するCb5様ドメインはAtFAH1とAtFAH2には存在しなかった(図2)。その代わりに、AtCb5とERで相互作用することをBimolecular Fluorescence Complementation (BiFC)法を用いて明らかにした(図3)。さらに、出芽酵母fah1欠損株を用いた相補試験から、AtFAH1とAtFAH2ともに脂肪酸2-ヒドロキシラーゼであり、且つその十分な活性にはAtCb5が必要であることを明らかにした(図4)

次に、シロイヌナズナにおけるAtFAH1とAtFAH2の機能を解明するために、AtFAH1とAtFAH2の形質転換体を作製した。これらを用いた脂肪酸分析から、シロイヌナズナにおいて主にAtFAH1は炭素数20以上の脂肪酸(超長鎖脂肪酸)の2-ヒドロキシル化に関与するのに対し、AtFAH2はパルミチン酸の2-ヒドロキシル化に関与することが明らかになった(図5)。以上の解析から、シロイヌナズナにはAtCb5との相互作用が必要な、機能の異なる2つのFAHが存在することを見出した。

2. AtBI-1が2-ヒドロキシ脂肪酸合成に与える影響と、2-ヒドロキシ脂肪酸の酸化ストレス耐性への関与

修士論文と博士論文第1章の結果から、シロイヌナズナにおいてAtBI-1はAtCb5を介してAtFAHと相互作用し、2-ヒドロキシ脂肪酸合成に影響を与えることで酸化ストレスに耐性を付与する可能性が示唆された。この仮説を検証するため、まずAtBI-1が2-ヒドロキシ脂肪酸に与える影響に着いて解析した。AtBI-1形質転換体を用いた脂肪酸分析を行ったところ、AtBI-1過剰発現系統で2-ヒドロキシ超長鎖脂肪酸量が増加しており、AtBI-1が2-ヒドロキシ超長鎖脂肪酸合成を正に制御している可能性が示唆された(図6)。しかしながら、AtBI-1欠損変異体、及びAtBI-1ノックダウン系統では2-ヒドロキシ脂肪酸量に変化がなかった。AtBI-1がストレス応答性因子であることから、酸化ストレス条件下における脂肪酸量の変化を調べたところ、2-ヒドロキシ超長鎖脂肪酸量は酸化ストレスに応じて増加し、さらにAtBI-1はその迅速な合成に関与することが明らかになった。以上の結果から、AtBI-1は超長鎖脂肪酸の2-ヒドロキシル化に関与するAtFAH1と密接に関係する可能性が示唆された。

次に、2-ヒドロキシ脂肪酸が酸化ストレス耐性に関与するかについてAtFAH1ノックダウン系統(AtFAH1-KD)とAtFAH2欠損変異体(atfah2)を用いてストレス耐性試験を行った。その結果、AtFAH1とAtFAH2ともに酸化ストレス耐性に関与することが明らかとなり、2-ヒドロキシ脂肪酸が酸化ストレス耐性を付与する機能を持つことが示唆された(図7)。

3. AtFAH変異体の代謝物解析

2-ヒドロキシ脂肪酸のシロイヌナズナにおける生理学的意義をさらに解明するため、キャピラリー電気泳動質量分析装置(CE-MS)を用いて、AtFAH1-KDとatfah2の代謝産物分析を行った。その結果、AtFAH1-KDにおいて、還元型グルタチオンの減少、GABAの増加、及び還元型アスコルビン酸の減少といった酸化ストレス応答性代謝物に違いが見られた。この結果は、第2章における、AtBI-1がAtFAH1を介して酸化ストレス耐性に関与するという結果を支持する。一方、atfah2では、クエン酸を代表とするTCA回路の代謝物の多くが減少していた。この結果からatfah2において好気呼吸に異常がある可能性を考え、暗所での二酸化炭素放出量を測定したところ有意に増加しており、呼吸の亢進が示唆された。また、atfah2は老化が促進する表現型も見られたことから、AtFAH2が合成に関与する2-ヒドロキシパルミチン酸と呼吸との関連性がさらに強固なものとなった。

[まとめ]

本研究により、シロイヌナズナには主に超長鎖脂肪酸の2-ヒドロキシル化に関与するAtFAH1と、パルミチン酸の2-ヒドロキシル化に関与するAtFAH2が存在し、ともにAtCb5との相互作用が活性に重要であることが示された。一方で、AtBI-1が酸化ストレス応答時に2-ヒドロキシ超長鎖脂肪酸合成を促進することを明らかにした。AtFAH1が酸化ストレス耐性に関与していたことから、AtBI-1はAtCb5を介してAtFAH1と相互作用することで2-ヒドロキシ超長鎖脂肪酸合成を促進し、酸化ストレス耐性を付与する可能性が強固なものとなった。一方で、AtFAH2は酸化ストレス耐性に関与するだけでなく、呼吸や老化にも関係している可能性が示唆された。従って、2-ヒドロキシ脂肪酸は多様な細胞内反応に関与するのみならず、その脂肪酸の長さに応じて機能が異なることが明らかになった。今後は、AtFAH1による酸化ストレス耐性のメカニズム、及び、AtFAH2と呼吸、老化との関係性をより詳細に解析することで、シロイヌナズナにおける2-ヒドロキシ脂肪酸の重要性に迫ることができると期待している。

図1.スフィンゴ脂質の構造

スフィンゴ脂質は頭部とセラミド部位に分けられ、さらにセラミド部位は長鎖塩基と2-ヒドロキシ脂肪酸から構成される。

図2. FAHのアミノ酸比較

AtFAH1、AtFAH2、ヒトのFA2H、及び出芽酵母のFAH1のアミノ酸配列を比較した。緑線はCb5様ドメイン、青線は予想膜貫通ドメイン、赤囲みはHXXHHモチーフを示す。

図3.BiFC法を用いたAtFAH1及びAtFAH2とAtCb5の植物細胞内相互作用解析

パーティクルガンを用いてタマネギの表皮細胞にプラスミドを導入し、蛍光顕微鏡、及び共焦点レーザー顕微鏡で観察した。35S-DsRedは発現マーカーとして用いた。矢印は核膜を示す。左図のスケールバーは200μm、右図のスケールバーは50 μmを示す。

図4.出芽酵母fah1欠損株を用いたAtFAHの相補試験

出芽酵母fah1欠損株に、AtFAH1、AtFAH2、ScFAH1、AtFAH1とAtCb5、AtFAH2とAtCb5、及びAtCb5を導入し、全脂質を抽出した後、2-ヒドロキシ脂肪酸メチルエステルをGC-MSで分析した。

図5. AtFAH変異体の2-ヒドロキシ脂肪酸分析

シロイヌナズナ野生型(Col-0; WT)、AtFAH1-KD、及びatfah2から全脂質を抽出し、2-ヒドロキシ脂肪酸メチルエステルをGC-MSで分析した。*: p< 0.05、**: p< 0.01

図6. AtBI-1形質転換体を用いた2-ヒドロキシ脂肪酸分析

シロイヌナズナWT、AtBI-1-OX、AtBI-1-KO、及びAtBI-1-KDから全脂質を抽出し、2-ヒドロキシ脂肪酸メチルエステルをGC-MSで分析した。*: p< 0.05

図7. AtFAH変異体を用いた酸化ストレス耐性試験

シロイヌナズナWT、AtFAH1-KD、及びatfah2に対して、100 mMのH2O2と60μMのMDで24時間処理した際の、イオンの漏出量(A)とクロロフィル含有量(B)を調べた。*: p< 0.05、**: p< 0.01

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなる。第1章は、シロイヌナズナのスフィンゴ脂質脂肪酸2-ヒドロキシラーゼ(FAH)ホモログの同定と機能について述べられている。これまで出芽酵母や哺乳類では同定され機能が特定されていたFAHであるが、シロイヌナズナを含めた植物ではほとんど報告がなかった。本論文では、まずシロイヌナズナのFAHホモログが2因子(AtFAH1とAtFAH2)あり、両因子ともに膜結合性ヒドロキシラーゼ特有のHXXHHモチーフを有する小胞体(ER)膜タンパク質であることを示した。しかし、出芽酵母や哺乳類に共通して存在するシトクロムb5(Cb5)様ドメインはAtFAH1とAtFAH2ともに存在していなかった。そこで本論文では、bimolecular fluorescence complementation(BiFC)法を用いることで、AtFAH1およびAtFAH2がER膜局在性のシロイヌナズナのCb5(AtCb5)と相互作用することを示している。また、出芽酵母fah1欠損株を用いた相補試験から、AtFAH1およびAtFAH2が脂肪酸2-ヒドロキシラーゼ活性を有すること、およびその十分な活性にはAtCb5が必要であることを示している。さらに、シロイヌナズナの変異体を用いた解析から、AtFAH1が炭素数20以上の超長鎖脂肪酸を、AtFAH2がパルミチン酸を主に2-ヒドロキシル化することを見出している。この結果は、植物のFAHには基質特異性がある可能性を示す新奇の発見である。

第2章では、シロイヌナズナのストレス耐性因子であるAtBI-1と2-ヒドロキシ脂肪酸、さらに酸化ストレスとの関係について述べられている。これまでにAtBI-1が植物に酸化ストレス耐性を付与する因子であり、出芽酵母に導入した際の機能にはS. cerevisiae FAH1(ScFAH1)との相互作用が必要であることが示されていた。しかし、植物に酸化ストレス耐性を付与するメカニズムは未解明であった。本論文では、これまでの出芽酵母での結果と第1章での結果とを合わせて、シロイヌナズナではAtBI-1はAtCb5を介してAtFAHと相互作用することで酸化ストレス耐性を付与するというモデルを立て、その検証を行っている。まず、AtBI-1と2-ヒドロキシ脂肪酸の関係について、AtBI-1形質転換体を用いた2-ヒドロキシ脂肪酸分析を行うことで、AtBI-1が2-ヒドロキシ超長鎖脂肪酸合成を正に制御することを明らかにした。また、酸化ストレスに応答して増加する2-ヒドロキシ超長鎖脂肪酸の迅速な合成にAtBI-1が関与していることを見出している。さらにこれらの結果は、AtBI-1は超長鎖脂肪酸を2-ヒドロキシル化するAtFAH1と優先的に相互作用することを示唆している。一方で、2-ヒドロキシ脂肪酸が酸化ストレス耐性を付与することについて、AtFAH1及びAtFAH2の変異体に対する耐性試験を行うことで示している。以上の解析結果は、上述したモデルの正当性を示唆している。

第3章では、キャピラリー電気泳動質量分析装置(CE-MS)を用いてAtFAH1及びAtFAH2の変異体の代謝物分析を行うことで、シロイヌナズナにおける2-ヒドロキシ脂肪酸の生理学的機能とAtFAH1とAtFAH2の違いについて述べられている。本論文ではまずAtFAH1、つまり2-ヒドロキシ超長鎖脂肪酸が酸化ストレス応答に関与することを代謝物分析からさらに強固に示している。また、AtFAH2、つまり2-ヒドロキシパルミチン酸が好気呼吸の安定化に関与する可能性を見出している。これらの結果は、2-ヒドロキシ脂肪酸のシロイヌナズナにおける役割を示すとともに、2-ヒドロキシ脂肪酸の炭素鎖の長さによって関わる機能が異なることを表している。

なお、本論文第2章は、井原(大堀)由理博士、今井博之博士、稲田のりこ博士、藤本優博士、堤伸浩博士、内宮博文博士、川合真紀博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上の研究成果は、植物のスフィンゴ脂質脂肪酸2-ヒドロキシラーゼの機能に関して初めての知見を与えるものであり、とくにそのストレス応答における役割を明らかにしたことは特記すべきことである。すでに論文の一部は、論文提出者が筆頭著者として国際誌に発表されている。したがって、ここに博士(理学)の学位を授与できると認めるものである。

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