学位論文要旨



No 125651
著者(漢字) 神田,真司
著者(英字)
著者(カナ) カンダ,シンジ
標題(和) 性ステロイドフィードバック機構を形成するキスペプチンニューロンの神経内分泌学的研究
標題(洋) Neuroendocrinological studies of kisspeptin neurons in the sex steroid feedback
報告番号 125651
報告番号 甲25651
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5559号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 准教授 朴,民根
 東京大学 准教授 兵藤,晋
 東京大学 准教授 大久保,範聡
内容要旨 要旨を表示する

序論

脊椎動物において生殖機能を制御する視床下部GnRHニューロンの発見から30年間が経った。しかし,その後の研究から,GnRHニューロンは,正常な生殖腺機能に必須で,生殖腺からのステロイドフィードバック信号を受け取るエストロゲン受容体αを発現していないことが明らかになった。そこで,エストロゲン受容体αを発現し,GnRHニューロンのGnRH分泌を促す他のニューロンの存在が予想されてきたものの,その実体は長年不明であった。近年の哺乳類を用いた研究から,新規ペプチドキスペプチン(遺伝子はkiss1)を伝達物質として分泌するキスペプチンニューロンがその役割を担っている可能性が示唆されている。ヒト、マウスにおいてキスペプチン受容体の欠損で春機発動が起こらなくなることも明らかとなり,生殖機能に必須な要素としてキスペプチンニューロンは現在神経内分泌学分野で大きな注口を浴びている。そこで私はこのような機構が哺乳類以外を含めた脊椎動物全般を通して普遍的に存在するのかという問題点や,種間での共通点,相違点の比較を通して性ステロイドフィードバック機構におけるキスペプチンニューロンの一般的役割を知りたいと考えた。一方、脊椎動物を通じて視床下部外にもGnRHニューロンが存在し,それらは神経修飾作用をもつとされている。それら視床下部外GnRHニューロン機能の調節に対する関与も検証することにより,私はキスペプチンニューロンのGnRH系に対する関与を包括的に解析することとした。そのため,視床ド部内外に存在する3種類のGnRH系が形態学的・機能的に最も明瞭に同定可能な硬骨魚類がこれらの目的を達成するために有用であると考え,中でもトランスジェニック技術が応用可能なメダカを用いて研究を開始した。

第一章.メダカにおける性ステロイドフィードバック

ゲノムデータベースを用いたシンテニー解析により,硬骨魚類の生殖腺刺激ホルモン遺伝子のうち,LHβ遺伝子は,四足動物のLHβ遺伝子と異なる遺伝子座を持ち,ゲノム構造に大きな違いがあることが示唆された。このことから,硬骨魚類LHβは四足動物とは異なる発現制御を受けていることが予想された。実際,LHβとFSH3が四足動物で同一細胞で共発現しているのに対し,硬骨魚類では別の細胞で発現していることをin situhybridization(ISH)で示した。さらに,性ステロイドフィードバック機構の様式に関して,詳細な解析を行った。硬骨魚類における性ステロイドフィードバック機構の報告は多くないため,まず,メダカの生殖腺刺激ホルモンであるLH,FSHの発現がどのように性ステロイドによって制御されるのかを,卵巣除去およびステロイド投与個体のLH,FSH遺伝了発現を比較することによって検証した。その結果,LHβは卵巣由来のステロイドによって発現促進を受け,逆にFSHβは抑制を受けることが明らかとなった(図1)。したがって,メダカでは性ステロイドの低い状態ではFSHβは分泌されて生殖腺の成長が促され,成熟が進み,卵巣の性ステロイドの分泌が盛んになるにつれ,FSH分泌は減少,ポジティブフィードバックによってLH分泌が促進されることによってLHサージを引き起こすというメカニズムが示唆され,メダカは双方のメカニズムを下垂体レベルで解析できる極めて有用な実験動物であることが明らかとなった。

第二章.kiss1遺伝子発現の特徴

次に,魚類キスペプチン遺伝子のクローニングを行った。種間で保存性の高いC末端10残基を元に相同性検索等を通してクローニングを試みたところ,ゼブラフィッシュ,メダカで二種類のキスペプチン類似配列がゲノムデータベース上で発見された。シンテニー解析を行ったところ,片方にのみ哺乳類のキスペプチンとのシンテニー関係が認められ,こちらが魚類におけるkiss1遺伝子であることが明らかとなった。一方,シンテニー関係の認められなかった遺伝子に関しては,kiss2遺伝子と名付けた。

kiss1のISHを行ったところ,kiss1ニューロンは視床下部ではNVT,NPPvと呼ばれる神経核と視床下部外の手綱核に発現が局在することがわかった。これらのニューロンのステロイドフィードバックへの関与を検証するため卵巣除去手術を行ったところ,NVTのkiss1ニューロンのみが卵巣由来のエストロゲンによって発現を促進されることが明らかとなった(図2)。すなわち,卵巣が十分に成熟し,第一章で示したようにエストロゲンの発現が高くLHβの発現が促進される際に,エストロゲン受容体αを発現するNVTのkiss1ニューロンが発現を強く促進されていることが明らかとなった。

第三章.kiss2遺伝子発現の特徴

ゼブラフィッシュ,キンギョを用いた他の研究室の結果から,kiss1のパラログ遺伝子であるkiss2の転写産物,Kiss2もキスペプチン受容体に対してKiss1に遜色ない活性を示すことが明らかとなったため,Kiss2に関してもISH法を用いて,ステロイド感受性,生殖・非生殖状態における発現変動の解析を行った。その結果,kiss2ニューロンは視床下部NRLに局在すること,NVTのkiss1ニューロンとは異なり,ステロイド感受性,生殖・非生殖状態における発現変動を一切示さないことが明らかとなった。また,視床下部外に存在する手綱核のkiss1ニューロンに関しても同様の解析を行ったが,こちらも発現変動を一切示さなかった。さらに,二重ISH法を用いてkissl,kiss2ニューロンがエストロゲン受容体αを共発現する可能性を検証したところ,NVTのkisslニューロンのみがエストロゲン受容体αを発現していることが明らかになった。これは,卵巣除去実験により証明されたNVTのkiss1遺伝子発現のステロイド感受性と整合し,メダカキスペプチンニューロンの中で,NVTkiss1ニューロンのみがポジティブフィードバックに関与することが示唆された。

第四章.KissによるGnRHニューロン制御機構

次に,ステロイドフィードバックに関与することが明らかになったKisslニューロンの免疫組織化学を行った。抗体の特異性は,吸収試験,およびISH法との二重標識で確認した。その結果,Kiss1免疫陽性線維は脳内で視床下部および視索前野,終脳腹側野といった,生殖機能の制御に関与するとされる部位のみに投射していることが明らかとなった。視床下部外手綱核のKiss1ニューロンは,手綱核のニューロンが半屈束を経由して脚間核に投射するという従来の知見通り,脚間核にのみ投射することが明らかとなり,手綱核のKiss1ニューロンは生殖に関与しないことが示唆された。二重免疫組織化学によって,NVTKisslニューロンのGnRH1,2,3ニューロンへの投射を検証したところ,生殖機能を制御するGnRHlニューロンのみに投射が確認され,神経修飾作用を司るGnRH2,3ニューロンへは全く投射が認められなかった。

次にキスペプチン受容体を2種類クローニングし,分子系統的な解析から,脊椎動物に存在するkissr1,2,3,4のうち,kissr2,4に相当することが判明した。メダカ以外の硬骨魚類でも二種類の受容体が確認された。これらのcDNAを用いてISHを行ったところ,Kissl免疫陽性線維の確認された視床下部,視索前野,終脳腹側野にのみキスペプチン受容体の発現が確認された。Kiss1免疫陽性線維投射と同じく,GnRHlニュー一ロン近傍にのみキスペプチン受容体の発現が見られた。

二重ISH法で解析したところ,GnRH1ニューロン自体はキスペプチン受容体を発現していないが,非常に近傍のニューロンがキスペプチン受容体を発現していることが明らかとなった。そこで,キスペプチンが局所介在ニューロンを介してGnRHニューロンを制御している可能性が示唆された。

結論

メダカにおいて複数存在するキスペプチン遺伝子,およびキスペプチンニューロン群のうち,NVTに局在するKiss1ニューロンのみが生殖に必須と言われているエストロゲン受容体αを発現し,卵巣由来のエストロゲンによってKiss1発現を促進されていることから,これらがエストロゲンポジティブフィードバックに関与することが強く示唆された。また,キスペプチンニューロンは,GnRHニューロンの中でも生殖機能を制御するGnRH1ニューロンのみに投射し,介在ニューロンを介してそれを制御することが示唆された(図3)。

図1.メスのメダカにおいて,FSH,Bの発現は,卵巣由来の性ステロイドによって抑制ざれ,LHβは促進ざれている。したがって,メダカはネガティブ,ポジティブフィードバックの双方を下垂体レベルで解析できる極めて有用な実験動物であることが明らかとなった。E,estrogen;T,11-ケトテストステロン.

図2.脳内に複数存在するキスペプチンニューロンのうち,NVTに局在するkiss7ニューロンのみが,ステロイド感受性を示した。また,NVT kiss1ニューロンの制御は,エストロゲン受容体αを介していることが示唆ざれた。

図3.視床下部NVT Kiss1ニューロンは,生殖腺が放出するエストロゲン濃度の上昇を受け,介在ニューロンを介してGnRH1ニューロンのGnRH放出を促進することにより,性ステロイドによる生殖調整の正のフィードバックを形成する。神経修飾を司るGnRH2およびGnRH3ニューロンへの入力は認められない。一方,Kiss2ニューロンは,ステロイド感受性を示ざず,ステロイドフィードバックへの寄与の可能性は極めて低い。手綱核Kiss1ニューロンは,反屈束を経て脚間核に投射し,生殖機能以外の機能を司っていることが示唆ざれる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。第1章では、脊椎動物において生殖機能を中枢制御する機構としての視床下部-脳下垂体-生殖腺(HPG)軸における性ステロイドフィードバック作用に関して、本学位論文で実験動物として用いるメダカにおいてそれがどのように機能しているかを解析している。この章ではゲノムデータベースを用いたシンテニー解析により、硬骨魚類の生殖腺刺激ホルモン遺伝子のうち、LH β遺伝子が四足動物のLH β遺伝子と異なる遺伝子座を持ち、ゲノム構造に大きな違いがあることが示唆された。このことから、硬骨魚類LH β は四足動物とは異なる発現制御を受けていることが予想され、実際、メダカでは性ステロイドの低い状態ではFSH の分泌により生殖腺の成長が促されて成熟が進み、卵巣の性ステロイド分泌が盛んになるにつれてFSH 分泌は減少、正のフィードバックによってLH 分泌が促進されることによってLH サージを引き起こすという、哺乳類等とは異なるメカニズムが示唆された。また、メダカは正負双方のフィードバックのメカニズムを下垂体レベルで解析できる極めて有用な実験動物であることも明らかとなった。

第2章では、GnRH ニューロンを制御する最も重要なニューロンとして現在注目を浴びるようになったキスペプチンニューロン(遺伝子はkiss1)について非哺乳類で初めて配列を発見し、その遺伝子発現の特徴について解析している。発見した遺伝子の配列を元にin situ hybridization(ISH)法を用いて脳内のkiss1遺伝子発現ニューロンの分布を調べると、視床下部の神経核NVT他2カ所にkiss1発現ニューロンが見られた。しかし、このうちNVTのkiss1発現ニューロンのみに顕著な性差(雄>>雌)が存在し、卵巣由来のエストロゲンによる遺伝子発現の促進を受けることが明らかとなった。また、このエストロゲン感受性はNVTのkiss1発現ニューロンに同時に発現しているエストロゲン受容体αを介することも明らかとなった。

第3章では、kiss1遺伝子のパラログ遺伝子として今回の研究で発見されたkiss2 に関してもISH 法を用いて、ステロイド感受性、生殖・非生殖状態における発現変動の解析を行い、kiss2 ニューロンが視床下部の神経核NRL に局在すること、NVT のkiss1 ニューロンとは異なり、ステロイド感受性、生殖・非生殖状態における発現変動を一切示さないことが明らかとなった。さらに、二重ISH 法を用いてkiss1 、kiss2 ニューロンがエストロゲン受容体αを共発現する可能性を検証したところ、NVT のkiss1 ニューロンのみがエストロゲン受容体αを発現していることが明らかになった。これは、卵巣除去実験により証明されたNVT のkiss1 遺伝子発現のステロイド感受性と整合し、メダカキスペプチ

ンニューロンの中で、NVT kiss1 ニューロンのみがポジティブフィードバックに関与し、NRL kiss2ニューロンは関与しないことが強く示唆された。

第4章では、ステロイドフィードバックに関与することが明らかになったKiss1 ニューロンの免疫組織化学を行った。NVT に存在するKiss1 ニューロンのGnRH1、2、3 ニューロンへの投射を検証したところ、生殖機能を制御するGnRH1 ニューロンのみに投射が確認され、神経修飾作用を司るGnRH2、3 ニューロンへは全く投射が認められなかった。次にキスペプチン受容体を2種類クローニングし、脊椎動物にはkissr1、2、3、4が存在することを分子系統的な解析から提唱した。このうち、kissr2、4がメダカ脳には存在し、これらはKiss1 免疫陽性線維投射と同じくGnRH1 ニューロン近傍にのみ発現が見られた。2重標識ISHで解析したところ、キスペプチンが局所介在ニューロンを介してGnRH ニューロンを制御している可能性が示唆された。

このように、メダカの実験動物としての利点を最大限に活用することにより、脊椎動物に普遍的に備わっている、キスペプチンニューロンを中心とする生殖の中枢制御機構の解明に大きく一歩踏み出すことができた。これらの論文の各章で示された研究成果は脊椎動物における生殖の中枢調節機構を理解する上で大変重要な知見であり、論文提出者の研究成果は博士(理学)の学位を受けるにふさわしいと判定した。

なお、本論文第1章は大久保範聡、岡良隆との、第2章は赤染康久、松永拓也、山本直之、山田俊二、束村博子、前多敬一郎、岡良隆との、第3章は三谷優太、赤染康久、善方文太郎、岡良隆との、第4章は赤染康久、大久保範聡、岡村裕昭、岡良隆との共同研究であるが、すべての研究は論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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