学位論文要旨



No 125652
著者(漢字) 山本,遼介
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,リョウスケ
標題(和) 鞭毛内腕ダイニンの組成と構築に関する研究
標題(洋) Studies on the composition and assembly of flagellar inner-arm dyneins
報告番号 125652
報告番号 甲25652
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5560号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 准教授 真行寺,千佳子
 東京大学 准教授 吉田,学
 東京大学 准教授 奥野,誠
 筑波大学 教授 稲葉,一男
内容要旨 要旨を表示する

真核生物の鞭毛・繊毛運動を司る軸糸は、9本の周辺微小管が2本の中心対微小管を取り囲む円筒状の精緻な構造を持ち、周辺微小管上の巨大タンパク質複合体であるダイニン腕の協調した力発生により、規則正しい屈曲波を作り出す。軸糸ダイニンは大きく外腕ダイニンと内腕ダイニンとに分けられる。単一の分子複合体である外腕ダイニンに関しては、これまでその組成や構築機構に関して多くの研究が行われてきた。しかし内腕ダイニンについては、鞭毛の波形調節などに重要な役割を担っているにも関わらず、その分子種の多さや単離の困難さのために、少数の研究しか行われてこなかった。軸糸ダイニンの研究が最も進んでいるモデル生物、クラミドモナスでは、単一種の外腕ダイニンと7種の主要な内腕ダイニン(分子種a~g)が存在する。このうち分子種f は重鎖を2本持つ双頭ダイニンであり、複数種の中間鎖と軽鎖を持つ。残りの6つの分子種はいずれも単頭ダイニンで、そのサブユニットとしてアクチン、セントリン、p28 の3種のタンパク質が現在までに同定されている。鞭毛内に存在するこれらの複数の内腕ダイニン種がどのようにして細胞体内で構築され、どのようにして軸糸上で規則正しく配置され、またどのようにして機能し制御されているのかについては、多くのことが謎として残されている。

本研究では、クラミドモナスを用い、生化学的な解析と遺伝学的な解析により、内腕ダイニンの軸糸上、および細胞質内での構築に必要な因子を同定した。

現在までの外腕ダイニンの研究により、軽鎖がダイニンの軸糸周辺微小管上への配列に重要であることが示されている。これより、第一部から第三部では、内腕ダイニンが軸糸周辺微小管上の特定の位置に配列する機構を探るために、これまで未同定の内腕ダイニン軽鎖の探索を行った。その結果、3種の新規内腕ダイニン軽鎖(p44、p38、FAP120)を同定することに成功した。

第一部と第二部では、2種の新規軽鎖、p44 とp38 についての解析を行った。これら2つのタンパク質はいずれも内腕ダイニン分子種d の新規軽鎖であった。BLAST検索の結果、p44 とp38 は原生生物からヒトにいたるまで、運動性の鞭毛・繊毛を持つ生物に広く保存されていることが判明した。しかし意外なことに、これら2種のタンパク質は、内腕ダイニン分子種d を軸糸内に持たない変異株の軸糸内にも存在し、その軸糸内で複合体を形成していることが示された。このことは、p44 とp38が、軸糸微小管上への内腕ダイニン分子種d の「結合座」を形成している可能性を強く示唆している。

第三部では、新規軽鎖FAP120 (Flagellar Associated Protein 120)の解析を行った。このタンパク質は内腕ダイニン分子種f の新規軽鎖であった。興味深いことに、この新規軽鎖は、内腕ダイニン分子種f の活性をリン酸化/脱リン酸化を受けることにより制御すると考えられている中間鎖であるIC138 (138kD Intermediate Chain)と相互作用することが分かった。 軸糸内でのFAP120 の存在量はIC138 の存在量と相関を示す。このことは、内腕ダイニン分子種f の活性がIC138 とFAP120 を含む大きなタンパク質複合体によって制御されている可能性を示唆している。同時に、これらの研究の過程で、クラミドモナス変異株のスクリーニングにより、それまで得られていなかったIC138 の完全欠損株を単離することに成功した。これらの変異株の解析により、意外なことに、内腕ダイニン分子種f はIC138 を完全に欠損しても軸糸上に結合できることが初めて示された。

第四部では、内腕ダイニンの組成と構築についての更なる理解を得るために、新規のクラミドモナス内腕ダイニン変異株の単離を試みた。上記の新規内腕ダイニン軽鎖の抗体等を用いて、クラミドモナス変異株のスクリーニングを行った。その結果、軸糸内の特定の単頭内腕ダイニン分子種が大きく減少する新規内腕変異株(ida10)を単離し、その原因遺伝子を同定することに成功した。ida10 の原因遺伝子がコードするタンパク質は、運動性の鞭毛・繊毛を持つ生物に広く保存されており、意外なことに、ダイニン形成因子として近年報告されているPF13/Ktu と類似のPIH ドメインを持っていた。PF13/Ktu はシャペロンのco-factor 様タンパク質で、鞭毛内に輸送される前の、外腕ダイニンの細胞質内での構築に必須であることが示されている。これよりida10 の原因遺伝子産物もPF13/Ktu 同様、細胞質内での特定の内腕ダイニン分子種の構築に必要であることが予想される。実際に、単頭内腕ダイニンの軽鎖であるp28 の存在量がida10 の細胞体内では大幅に減少しており、これは細胞体内でダイニン複合体を形成出来なかったp28 が選択的に分解された結果だと考えられる。また、ida10 は単頭内腕ダイニン以外に、軸糸外腕ダイニンにも軽微な欠陥を持つことが分かった。これらの事実は、クラミドモナスでは、一定の冗長性はあるものの、細胞質内における内腕ダイニンと外腕ダイニンの構築に、PIH ドメインを持つシャペロンのco-factor 様タンパク質2種が使い分けられていることを示唆している。

BLAST 検索の結果、運動性の鞭毛・繊毛を持つ生物の多くに、PIH ドメインを持つタンパク質が2種類以上存在することが判明した。このことは、クラミドモナスだけでなく様々な生物の軸糸ダイニンの細胞質内での構築にPIH ドメインを持つ複数のタンパク質が関わり、ダイニンの種類ごとにそれらのタンパク質が使い分けられている可能性を示唆している。

以上、本研究では、鞭毛軸糸上での内腕ダイニンの構築に必要と考えられる新規軽鎖2種、活性制御に関与していると考えられる新規軽鎖1種、および細胞質内で内腕ダイニン構成タンパク質が集合するために必須と考えられるタンパク質1種を同定した。これらの内腕ダイニンに関係するタンパク質は、いずれも運動性の鞭毛・繊毛を持つ原生生物から高等動物にまで広く保存されていた。このことは、内腕ダイニンが鞭毛・繊毛運動において必須であり、その形成と機能の機構が不変であったことを示唆している。鞭毛・繊毛軸糸中では、本研究で扱ったような複数の内腕ダイニン分子種が巧妙に協調して機能している。各内腕ダイニン分子種がどのように軸糸上の特定の位置を認識して互いに規則正しく配列するのか、鞭毛・繊毛運動において分子種ごとにどのような使い分けがなされているのか、またそれら複数の分子種がどのように協調して働き、鞭毛・繊毛運動に寄与するのかは、今後の大きな課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、真核生物の細胞運動器官、鞭毛・繊毛の力発生を担うタンパク質複合体ダイニンの構築機構に関する研究成果をまとめたものである。鞭毛・繊毛の運動は、その内部構造(軸糸)中の周辺微小管がダイニンと相互作用してすべり運動を発生することによって生じる。軸糸ダイニンは微小管上に2列に規則正しく配列し、外側のものを外腕ダイニン、内側のものを内腕ダイニンと呼ぶ。外腕ダイニンが単一の分子複合体であるのに対し、内腕ダイニンは複数種が存在する。これまで外腕の組成や構築機構に関して多くの研究が行われてきたが、内腕ダイニンについては少数の研究しか行われてこなかった。鞭毛・繊毛内に存在する複数の内腕ダイニン種がどのようにして構築されているのかについては、多くのことが謎として残されている。申請者はこの問題に対する手がかりを得るため、鞭毛研究のモデル生物であるクラミドモナスを用いた研究を行った。

本論文は4章からなる。第1章と第2章で扱われている研究では、軸糸微小管上に内腕ダイニンが結合する機構を探るため、新規な軽鎖の同定が試みられた。クラミドモナスは7種の主要な内腕ダイニン(分子種a~g)を持つ。このうち分子種f は2本の重鎖を持つ双頭ダイニンであり、残りの6つの分子種は1本の重鎖を持つ単頭ダイニンである。単頭ダイニンのサブユニットとして、これまでにアクチン、セントリン、p28 の3種のタンパク質が同定されていたが、申請者は新たに2種の新規内腕ダイニン軽鎖(p44、p38)を同定した。p44 とp38は、いずれも分子種d の新規軽鎖であった。これらのタンパク質は原生生物からヒトにいたるまで、運動性の鞭毛・繊毛を持つ生物に広く保存されていた。また意外なことに、分子種d を軸糸内に持たないクラミドモナス変異株の軸糸内にも存在し、その軸糸内で複合体を形成していることが示された。これより、p44 とp38は軸糸微小管上への分子種d の「結合座」の一部を形成していると結論された。

第3章では、分子種fの新たな軽鎖、FAP120の同定と解析が述べられている。この新規軽鎖は、上記の研究過程で同定されたもので、分子種f と機能的に関連していることが判明した。軸糸上での構築に必須ではないが、興味深いことに、その軸糸内での存在量が分子種f の活性制御中間鎖IC138 の存在量と強い相関を示したのである。このことは、FAP120 がこの分子種の活性制御に関与していることを示唆している。分子種fの制御機構は、鞭毛運動調節機構の理解の上で本質的であると考えられているので、この新規タンパク質の発見は重要である。

次に、第4章では、内腕ダイニンの組成と構築についての更なる理解を得るため、新たな変異株の解析を行った研究の結果が述べられている。申請者は、単頭内腕ダイニン分子が大きく減少する新規内腕変異株(ida10)の単離に成功し、その原因遺伝子を同定した。ida10 の原因遺伝子がコードするタンパク質は、運動性の鞭毛・繊毛を持つ生物に広く保存されており、ダイニン形成因子として近年報告されたPF13/Ktu と類似のPIHドメインを持っていた。PF13/Ktu はシャペロンのco-factor としての機能を持ち、外腕ダイニンの細胞質内での構築に必須であることが示されている。これよりida10 の原因遺伝子産物もPF13/Ktu 同様、細胞質内での特定の内腕ダイニン分子種の構築に関わっていると結論された。また、ida10 は単頭内腕ダイニン以外に、外腕ダイニンにも軽微な欠陥を持つことが分かった。したがって、クラミドモナスでは、軸糸ダイニンの細胞質内における構築に、2種のPIHドメインを持つタンパク質がダイニンのグループごとに使い分けられていると考えられる。また、遺伝子データーベースの検索により、運動性の鞭毛・繊毛を持つ生物の多くが、PIH ドメインを持つタンパク質を3~4種類持つことが示された。この結果は、様々な生物において、PIH ドメインを持つ複数のタンパク質がダイニンの構築に関わっている可能性を提示するものである。

以上、本論文で述べられた研究は、内腕ダイニンの構築機構の理解に手がかりを与えるとともに、内腕ダイニンの組成と構築機構が予想をはるかに超えて進化的に保存されているという、重要な知見を提示するものである。したがって、本論文は博士論文としての十分な内容を持つものと認められる。また、本研究は論文提出者を含めて4人の共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、審査員全員一致で、申請者に博士〔理学)の学位を授与できるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク