学位論文要旨



No 125655
著者(漢字) ,光
著者(英字)
著者(カナ) ザン,ガンウェイ
標題(和) 古地図に見る蘇州の水路の変遷とその特徴 : 農業文明都市の水路に関る失われた記憶
標題(洋) A Study on the Evolvement and its Characteristics of Waterways in Suzhou through Analysis of Historical Maps : The Unconscious Forgetting and Memory of Waterways in Agrarian City
報告番号 125655
報告番号 甲25655
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7188号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 中井,祐
 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 西村,幸夫
 法政大学 教授 陣内,秀信
内容要旨 要旨を表示する

歴史的に、中国では、水路は常に多義的な機能を有しており、特にその中でも、舟運の交通路・灌漑用水としての役割が重要であった。しかし、農耕文明が近代的な手段と価値によって脅かされる中で、無数に張り巡らされた水路は、不要なものとして、急速に姿を消していった。しかしながら、近年の新たな都市開発の流れによる緊急的要請の中で、私たちは今、世界的の水路再生の現場に立ち会っている。

本研究論文は、「失われた水路」に対する人々の潜在的な記憶に着目し、それらの痕跡を捉えることで、人々の水路に対する無意識を意識化することを目的とし、 具体的には、 蘇州の古地図による水路の詳細な分析を通じて 歴史的変遷及びその特性を把握する。 これまでにも古地図を用い蘇州の水路の変容を部分的に明らかにした既往の研究は、いくつか見受けられるものの、1229年から2009年までの19世紀間を通じ、水路の地理的位置を特定し、一つの地形図上に統合したものを基に、その変容を論じたものはなく、本研究独自のものである。

本研究の分析は以下の手順で進められた:

1. 古地図に記述された場所情報及び周辺施設の配置に基づき、水路の位置を特定した。

2. それら各時代の水路網を現在の地形図上に落とし込み、一つの地理的基準の中で古地図を並列に扱えるよう補正した。

3. 単体の古地図だけからは読み取れない水路の状況を、古地図相互の関係の中で把握し、さらに文献に照らし再調整を試みた。

4. さらに重ね合わせ統合された古地図からは、水路延長の歴史的変遷及び特定の場所における水路の変容について考察を加えることで、18世紀と20世紀の主だった二つの時期における水路縮小の要 因について論じた。

5. また、加えて蘇州の各時代の郷土史料を参照し、水路変遷の理解に関連する農業形態の変容・水路の維持管理・地勢・社会・経済・人口変動及び、特に蘇州において顕著に現れる中国の都市文化や政治史について、さらなる文献調査を行った。

以上の考察より導かれた本研究の結論は、以下の通りである:

1. まず扱った古地図の中には、それが描かれた当時の水路の状態が正しく反映されていないものが存在し、特に1639年の古地図(一般的に蘇州水路の黄金期として取り上げられる時代の地図)は、郷土誌の記述により16世紀初頭の様子を描写したものであることが明らかとなった。

2. 蘇州における水路の衰退が最も劇的に現れるのは、16世紀から17世紀にかけてと、1958年から1972年にかけての二時点であり、本論において各々を「慢性的な減退(Chronic-Decrease)」、「劇的な減退(Disruption)」と定義し、その要因を推定した。

3. 水の都市の起源は、農耕社会の伝統に深く根ざしている。都市の水路は、以下2つの理由による行政的事情によって維持されてきた。即ち、a) 水が作物栽培のための基本的資源であると同時に富の源であったこと、b) 前近代の都市化において、儒教思想をベースとした帝国時代のエリート層の関心が田園生活に求められ、自主的な水の維持が極めて自然に継続されてきたことによる。以上のより導かれた本研究の結論は、「観光」と「ノスタルジー」が主として強調される傾向にある昨今の水路再生計画を中心とした近代の都市開発が見落としてきた、中国水路におけるかつての「失われた記憶」を提示することとなった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,中国江蘇省蘇州における水路網の変遷を古地図の分析に基づいて明らかにし,さらにその変遷の要因を当該地域の農業形態の変化に結びつけて論じたものである.

蘇州は長江デルタ上に位置し,上海に隣接する大都市であるが,市街地内には歴史を通じて発達した運河・水路網がいまだに多く残されており,東アジアを代表する水郷都市としても知られている.したがって蘇州の水路に焦点をあてた既往研究は少なくないが,本研究は,13世紀から20世紀までに描かれた(もしくは出版された)25種類の蘇州の市街地図を用いて,記されている水路の正確な位置を現代測量図の上に変換・同定してスケールと形状を統一し,水路の変遷を客観的にたどることを可能にしている点に,他の先行研究と異なる独自性がある.

本論文は,5章から構成されている.

第1章は序論として,蘇州の水路を扱う意義,研究目的について述べた上で,本研究が分析対象とする蘇州市街地図に関する概略説明,および先行研究の整理を行い,本論文の位置付けを行っている.

第2章と第3章は本論文のメインパートである.まず第2章では,収集した13世紀初頭から現代までの25種類の市街地図(古地図)から,信頼性の高い17種類を分析対象として選択し,現代測量図をベースとする形状・スケールの正確な水路網図に変換する作業を行っている.分析対象の17の市街地図は,それぞれ表現方法やデフォルメの程度がすべて異なるため,市街の門や塔,寺社仏閣等を基準点にして水路や街路の相対的位置関係を保持したまま各水路を現代測量図上に同定する,という手法を用いている.その結果得られた水路網図から,13世紀初頭から20世紀後半にかけて水路網の総延長の変化を定量的に整理し,その結果,蘇州の水路網は16世紀から17世紀(明代末~清代初期)にかけて,そして20世紀後半,の二度にわたって大きく減少したことを指摘している.

第3章では,とくに水路網の変化が顕著に見られるエリアをとりだして,さらに詳細に分析を行っている.2章の分析から得られた蘇州の水路網を構造化したうえで,その中核となる街区に焦点を絞って水路の変遷を個別かつ詳細に記述している.その際,水路の浚渫記録を参照することによって,古地図には描かれていない水路の存在を推定し,より正確な水路網の特定を試みている.さらに,水路網の大きな減少が見られた二つの時期の社会背景について,16~17世紀の場合は長江下流域における穀物・綿の経済的重要性の増大,20世紀広範の場合は都市化の進展に着目して論じている.

第4章では,前章までの分析をもとに,農業,地勢,経済,政治などの観点を導入しながら,蘇州市街地の水路網の性格,および歴史上二度起こった大きな水路減少の要因について考察している.とくに,蘇州市街地内の幹線水路は,もともとこの地域全体に張り巡らされた灌漑水路ネットワークの一部として理解できること,また,16~17世紀における水路網の減少は,この地域の経済が綿中心になるに従って農業形態が水田から綿花栽培へとシフトし,水路の機能的重要性が低下したことに起因するのではないか,という仮説を提示している.

最後に第5章は,結論として前章までの総括を行うとともに,蘇州の水路が農業文明の痕跡としての意味を有すること,その記憶を維持することの重要性を指摘して,本論全体を結んでいる.

本論文の重要な,かつ先行研究に比してオリジナルな成果は,以下の二点である.

・ 13世紀から20世紀に至る蘇州市街地の古地図(17種類)を正確なスケールの水路網図に変換し,通時的かつ客観的にその変遷を追跡し,分析することを可能にしたこと

・ 上の図をもとに,歴史上二度にわたって水路が大きく減少する時期があったことを指摘し,とくに16~17世紀における減少を,水田から綿花栽培へという地域農業経済の変化が影響している可能性を指摘したこと

以上は,本論文の学術研究としての価値を示しているが,加えて,これからの蘇州研究,ひいては歴史的水郷都市研究一般に貴重な知見を提供するとともに,今後の蘇州の歴史的文脈をいかした都市計画に必要な基礎情報を与えるものであり,社会基盤学および工学に対する寄与は大きい.

よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

以上

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