学位論文要旨



No 125668
著者(漢字) 加藤,悠希
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ユウキ
標題(和) 近世・近代日本における過去の建築への関心とその知識
標題(洋)
報告番号 125668
報告番号 甲25668
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7201号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 藤井,恵介
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 村松,伸
 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 宮崎,勝美
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、近世・近代における日本において過去の建築に対する関心・知識のあり方を検討するものである。文化財行政や建築史学といった近代的な制度・枠組みの成立過程に関する研究は近年多く行われているが、それ以前において、過去の建築に対してどのような関心が向けられ、知識が形成されていたかについては、これまでほとんど検討されてこなかった。本論文は、近世から近代における伊勢神宮の考証について扱う第I部(第一章~第三章)、有職故実における公家・武家邸宅研究について扱う第II部(第四章~第七章)と、序章・終章で構成される。第I部と第II部では扱う対象・方法も異なるが、近世において過去の建築がどのような関心のもとで見られ、それに関する知識が蓄積されたか、また、それが近代に入ってどのような変容を被ったか、という問題設定は一貫したものである。

以下に各章の概要を記す。

第I部 伊勢神宮における殿舎の復古と考証

第I部で扱うのは、近世以来伊勢神宮で行われた殿舎の復元考証である。伊勢神宮では、内宮・外宮ともに中世末期に百年以上にわたって正遷宮が行われず、それが再興されたのは、外宮は永禄6年(1563)、内宮は天正13年(1585)のことであった。そのときには先の遷宮で建てられた殿舎は失われて久しく、殿舎・儀式・神宝等に至るまで古制との差異が生ずることとなり、以後、近世・近代を通じて殿舎・儀式・神宝等の再興や復古が大きな課題となる。そのため、近世・近代を通じて伊勢神宮の殿舎は再興・復古が行われたが、その一方では、殿舎の古制について明らかにしようとする試みが近世以来学問としても行われ、古制に対する知識は幾多の修整を経ながらも考証や復元図といった形で蓄積されていった。第一部では、それらの考証の背景や性質について、式年遷宮における造営との関わり方を中心に検討した。

第一章では、慶安~寛文期における殿舎の再興の事例を扱った。具体的に取り上げるのは、慶安度式年遷宮(慶安2年(1649))における内宮の殿舎再興、寛文3年(1663)の両宮摂社の再興、寛文度式年遷宮(寛文9年(1669))における両宮玉垣再興である。再興計画案の変遷についての検討から、最終的に建てられた殿舎にはあまり反映されていないものの、殿舎の再興計画において『皇大神宮儀式帳』や『止由気宮儀式帳』に記載される規模が参照されていること、また、寛文期に『皇大神宮儀式帳』の参照姿勢に変化がみられ、それが、この頃から考証が記録として残されるようになる要因となることを指摘した。

第二章では、第一章に続く時期、主に17世紀後半から18世紀初頭に行われた伊勢神宮の殿舎の古制に関する考証について、殿舎の再興・復古との関わりと知識自体の流布という二つの側面に着目して考察を行った。最初期の考証は殿舎の再興という当面の課題に即応するものとして個別的に作成されたものであったが、少し遅れて、『神境紀談』や『殿舎考証』のように、それ自体が成果物として流布することを意図した体系的な考証が現れるようになる。寛文期をピークとした殿舎等の再興の動きは18世紀に入ると下火になり、延享度の式年遷宮(延享4年(1749))以降は幕末・明治期までほとんどみられなくなるが、そのような中でも古制に関する考証は蓄積されていく。その背景として、この時期における考証の性質の変化があるのではないかと考えられる。またそのような考証が行われた背景としては、内宮と外宮の殿舎の復古・再興によって内宮との格差の解消をめざす外宮側の動きがあり、外宮の祠官が主導した古制に関する考証は、殿舎等の再興を目指す外宮側の主張を正当化するための役割も帯びていたと考えられる。

第三章では、明治初頭から戦後直後までの式年遷宮を取り上げ、その期間における造営体制の変化と、その中での考証が占めた位置について考察を行った。明治2年度式年遷宮における外玉垣・板垣の再興や、同22年度式年遷宮における内宮東西宝殿の位置の移動、外宮御饌殿の周囲の垣・鳥居の撤去といった明治前半期の動きにおいては、神宮祠官であった薗田守宣と御巫清直の考証が大きな役割を果たしていた。しかし、明治20年(1887)に造営事業を担当する造神宮使庁が内務省内に設けられると、その後の古儀調査は神宮外部の学者も参加して行われるようになる。昭和戦前期に行われた福山敏男による伊勢神宮の建築に関する詳細な研究は、近世以来の考証の役割を継承した造神宮使庁の古儀調査である一方で、その後の伊勢神宮の建築に関する研究の基礎をなしていくことになる。

第II部 有職故実における公家・武家邸宅像

第II部で扱うのは、近世においては主に有職故実の一環としてなされた公家・武家邸宅に関する著述である。近世の有職故実における住宅史研究に関しては、近年研究が進められているが、取り上げられる対象が限られており、近世における関心・知識の広がりが見えてこない。そのため、第四章から第六章では、近世・近代における過去の武家・公家邸宅に関する関心の広がりとさまざまな著述の存在を確認した上で、沢田名垂『家屋雑考』をその中に位置付けることを試みた。

第四章では、『家屋雑考』の流布と「寝殿造」という形式概念・用語の定着過程について考察を行った。『家屋雑考』において「寝殿造」と「書院造」が対置される点に関しては、柏崎永以『事蹟合考』(延享3年(1746)起筆)の中に、簡単な形ではあるが類似した記述がみられ、そこから着想を得た可能性が考えられる。一方、『家屋雑考』の著された19世紀前半頃には、「寝殿造」に類する形式概念は「寝殿造」という用語は伴わないもののある程度の広がりをもって共有されていた。『家屋雑考』の画期性は、それらを併せて「寝殿造」「書院造」像を定義付けたことにあるとみられる。また、『家屋雑考』が広く参照されるようになるのは明治20年代半ば以降であり、『古事類苑』居処部の編纂過程の中で価値を認められて刊行されたことが契機になったものと推測される。そして、『家屋雑考』が流布した結果、既に定着していた形式概念に「寝殿造」という用語が重ねられるに至る。

第五章では、近世における武家邸宅の沿革に関するさまざまな記述の中で、『家屋雑考』に描かれる武家邸宅の沿革像がどのように位置付けられるかを検討した。近世において室町期に武家邸宅が変化したという認識は広く共有されていたが、その変化については書院と玄関、あるいはそれに加えて床の間が登場する点に注目した記述が多く、『家屋雑考』にみられる「寝殿造」から「書院造」へという形式概念による変遷の構図は、『事蹟合考』という先行例はあるものの一般的ではなかった。また、古代の武家邸宅像については文献や絵画史料をもとにさまざまな像が示されており、公家邸宅(=「寝殿造」)との関係については、類似するという見解も同時代には見られ、別のものとする『家屋雑考』の記述が近世の一般的な認識とはいえない。

第六章では、近代における武家邸宅像の記述を取り上げ、武家邸宅の形式概念と、武家邸宅の変遷の構図に関する近世の諸説が明治期以降においてどのように継承されたか、また、明治20年代半ば以降『家屋雑考』が流布することによって武家邸宅の変遷に関する理解がどのように変化したか、という二点を検討した。『家屋雑考』が流布するまでは、伊勢貞丈『秋草』の系統を継ぐ室町期以前の武家邸宅像や、書院・玄関の導入による変遷の構図が主流であったとみられる。「書院造」は、それ以前から形式概念は定着していた「寝殿造」とは事情が異なって、用語・形式概念ともに『家屋雑考』が流布することで用いられるようになるが、それまで主流であった『秋草』系統の武家邸宅像や書院・玄関の導入による変遷の記述も引きずって、さまざまな変遷の構図が模索された。

第七章では、第四章・第五章でも触れる有職故実家の松岡行義という人物を取り上げ、彼の武家・公家邸宅に関する知識の性質や背景、知識の形成過程などを検討した。行義は、文献・絵画史料によるだけではなく、御帳の模型の製作や建物の実見など、実際のモノを通じても知識を習得している。特に二度の京都遊学は、有職に詳しい公家や地下官人らと交流し、寺社の建物や内裏、摂家の邸宅を見るなど、行義の知識形成に重要な意味を持つものであった。また行義の知識形成は復古を目的としたものではなく、『源氏物語』のような古典の注釈等にも活用されるものであった。

終章では、今後への展望も兼ねて、本論文で扱った国学者・有職故実家の知識について、「工匠の知識との関わり」と「古建築への視点」という二つの観点から捉え直した。いずれもまだ十分に論を展開する段階にはないが、今後さらに研究を進めていくための重要な手掛かりとなるものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「近世・近代日本における過去の建築への関心とその知識」と題されたもので、日本の近世・近代において、過去の建築に対してどのような関心が向けられ、知識が形成されていたのか、という点について、伊勢神宮の式年造替時における古儀調査と、国学者・有職故実家らの著述活動を通して、具体的に検討したものである。

本論文は、序章、I部(3章)、II部(4章)、終章という構成をとる。

序章では、本研究の動機、論文全体の概要、近世・近代の学問研究状況を概説する。

第I部「伊勢神宮における殿舎の復古と考証」では、近世から近代にかけての伊勢神宮の古儀に関する考証について検討する。 第一章「慶安・寛文期の殿舎再興における儀式帳の役割」では、慶安度式年遷宮(慶安2年(1649))における内宮の殿舎再興、寛文3年(1663)の両宮摂社の再興、寛文度式年遷宮(寛文9年(1669))における両宮玉垣再興を取り上げ、そこで古代史料である『皇大神宮儀式帳』や『止由気宮儀式帳』が積極的に参照されていることを明らかにした。また、寛文期において『皇大神宮儀式帳』の参照姿勢に変化がみられ、考証が記録として残されるようになったことを指摘した。 第二章「近世中期における殿舎の考証とその意義」では、17世紀後半から18世紀初頭に行われた伊勢神宮の殿舎の古制に関する考証について、殿舎の再興・復古と知識自体の流布という二つの点について考察した。『神境紀談』や『殿舎考証』のように、それ自体が自立した成果物として流布することを意図した体系的な考証が現れる。また、外宮の祠官が主導した古制に関する考証は、殿舎等の再興を目指す外宮側の主張を正当化するという動機があったことを指摘した。 第三章「近代の式年遷宮における造営体制の変化と考証」では、造営体制の変化とその中での考証が占めた位置について考察を行った。初期は神宮祠官が中心であったが、明治20年(1887)に造神宮使庁が内務省内に設けられると、その後の古儀調査は神宮外部の学者も参加するようになる。福山敏男による詳細な建築研究は、近世以来の考証を継承した古儀調査であると同時に、神宮の建築に関する近代的な研究でもあるという両義的な性格を持つことを指摘した。

第II部「有職故実における公家・武家邸宅像」では、有職故実における公家・武家の邸宅に関する著述を検討し、その中で澤田名垂「家屋雑考」の位置を明らかにした。 第四章「「家屋雑考」の流布と「寝殿造」の定着過程」では、江戸中期には「寝殿造」に類する形式概念は「寝殿造」という用語は伴わないもののある程度の広がりをもって共有されていたとし、『家屋雑考』の画期性は、それらを併せて「寝殿造」「書院造」像を定義付けたことにあるとした。また、『家屋雑考』が広く参照されるようになるのは明治20年代半ば以降であり、それが近代的な住宅史研究に大きな影響を与えたことを明らかにした。 第五章「近世における過去の武家邸宅像と「家屋雑考」」では、『家屋雑考』にみられる「寝殿造」から「書院造」へという形式概念による変遷の構図は、当時広く共有されたものでなかったことを明らかにした。 第六章「近代における武家邸宅の変遷像」では、近世の諸説が明治期以降においてどのように継承されたか、また、明治20年代半ば以降の『家屋雑考』流布によって武家邸宅の変遷に関する理解がどのように変化したか、明らかにした。「書院造」の語は、用語・形式概念ともに『家屋雑考』が流布したことで広く用いられるようになったが、以前の『秋草』系統の武家邸宅像などの記述も残り、多様な変遷の構図が模索されことを指摘した。 第七章「有職故実家松岡行義の邸宅に関する知識について」では、有職故実家の松岡行義を取上げ、彼の武家・公家邸宅に関する知識の性質や背景、知識の形成過程などを検討した。行義の知識形成は復古を目的としたものではなく、『源氏物語』のような古典の注釈等にも活用されるものであった、とする。

終章では、本論文の全体をまとめ、さらに、国学者・有職故実家の「知識」について、「工匠の知識との関わり」と「古建築への視点」という二つの観点から捉え直した。

本論文は、広い意味での建築に関わる言説史ということになる。しかし、近世から近代まで、その実情を実証的に丁寧にたどり、とくに近世における国学、有職故実学という広い世界を渉猟し、それを前提に「建築知」を検討したことに大きな意味がある。建築に関わる企画は、広い文化的な現象であることを再認識させるのである。近代に入ると、「建築学」は工学の一分野として準備され、その内実を充足させる方向性を強く持つ。「建築史」においても徐々に文化学と乖離してゆくのだが、本論をそれへの警鐘と読むことも可能である。

近世、近代の連続性は、多くの分野にあることだが、従来は両者の断絶を強調することで、近代の優位性を強調してきた。しかし、本論はその連続性を正当に評価することに成功した。また、特に、住宅史において前提とされる『家屋雑考』の位置が明確にされたことは、従来の住宅史研究の限界も示すことになり今後の大きな刺激となるだろう。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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