学位論文要旨



No 125682
著者(漢字) 成,旻起
著者(英字)
著者(カナ) ソン,ミンキ
標題(和) 建築衛生上微生物汚染防止のための紫外線殺菌効果の評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 125682
報告番号 甲25682
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7215号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大岡,龍三
 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 特任教授 柳原,隆司
 東京大学 准教授 前,真之
 東京大学 講師 小熊,久美子
内容要旨 要旨を表示する

建物は原始時代の人の安全を守る基本的な役割から始まり、近代は基本的な安全確保の他、快適な生活ができる役割を担うように変化してきた。しかしながら、現代は生活の質向上に従い、在室者に快適かつ健康を増進するような室内環境を提供しないといけなくなった。建物において在室者の健康に脅威を与える汚染物質はその発生源の検知及び除去のみならず、汚染発生の事前防止対策までが要求されている。

1979年のオイルショックにより省エネルギー性が何より重視された1980年の後、1990年代には建築衛生の面を軽視した過重な省エネルギー化による室内空気汚染の問題が大きな問題となった。このため、特に室内仕上げ建材からの揮発性の化学物質によるシックハウス症候群の原因究明及び対策に関する研究が活発に始まった。その結果、2000年代には徐々にこの室内の揮発性化学物質による空気汚染状況が改善されていると報告されている。

しかしながら、室内においての微生物による空気汚染に関してはその汚染源の同定が簡単ではなく、微生物汚染の現状把握が引き続き行われているものの改善対策もまだ明確には提案されていない。この傾向は近年にはシックハウス問題の懸念から、建材への化学物質使用が減少していくことにより、一層、微生物が生息しやすくなり、これによる汚染が増加するとの懸念もある。

微生物汚染に関しては、カビ等真菌による汚染の他、主に感染症に感染した在室者から室内に拡散される感染性の浮遊汚染物質(細菌やウィルス)も課題となる。この感染性の浮遊微粒子汚染に対しては、近年集団感染で世界的な問題となったSARS(重症呼吸器症候群)や最近のインフルエンザの大流行等に従い、建築衛生上の管理が重大な課題となっている。特に不特定多数の人々が滞在する病院やショッピングモール、ターミナル、劇場等は屋外に比べ密閉された空間が多く、感染者からの感染性の浮遊微粒子汚染物質が咳や呼吸によって拡散され、他の人の感染を招きやすい環境となっている。

このように室内環境において微生物による健康被害及び感染性の浮遊汚染物質の拡散に対して積極的な対策が要求されている。

本研究は建築衛生上微生物による汚染及びウィルス等による感染拡散の対策として殺菌効果が優れた紫外線殺菌システムの適用性を検討し、殺菌効果を予測する方法を提案した。本研究で検討した一連の予測評価方法によって最適な殺菌効果が得られる適用方法の提案ができると期待する。

各章の検討結果をまとめると以下のようである。

第1章では、本研究の社会的学文的な背景を述べ、本研究の必要性及び目的を説明した。

第2章では、建築衛生上の微生物汚染及びウィルスによる感染拡散の危害性及びその対策を既往の文献により検討した。室内では建物の構造体及び空調機等の設備における真菌の増殖により在室者への健康上被害を起こす可能性が高いと知られており、その対策が不可欠である。また、建物で細菌による在室者の感染は人由来のケースが多く、空気感染の恐れも高い。インフルエンザウィルスによる感染拡散の場合、主に飛沫による感染が知られているが、空気感染も疑われている。特に不特定多数の人が集まる病院等の建物において細菌及びウィルスによる感染拡散の可能性が高いので建築衛生上の対策が必要である。

微生物及びウィルスの汚染対策としてフィルターを設置した場合、その除去効果は高いが、一般的にフィルターの高い気流抵抗のためエネルギー消費量を懸念し、適用性に限界がある。他の殺菌技術に比べ紫外線殺菌の場合、その殺菌効果が明確で、制御性、経済性が優れており、建築衛生上対策として適用性が高いと考えられる。

第3章では、紫外線殺菌に関する基本情報及び既往の研究を調べた。主に人工的な方法で求められる殺菌用紫外線はその殺菌効果が原理的にも明確で、微生物及びウィルスを対象とした数多くの実証研究が行われてきた殺菌方法である。オゾンの発生や人体への曝露、劣化の恐れがある物質等に対して十分な注意をしながら活用するのであれば建築衛生上の応用範囲は広い。

伝統的に結核等の大量感染の恐れがある病院を主に対象にしており、この分野での紫外線殺菌の積極的な活用を叫ぶガイドラインが現在まで発表されているが、結核や病院のみならず、不特定多数の人が集まる建物においてインフルエンザ等の感染拡散等の対策としても紫外線殺菌を適用することが検討されている。特にアメリカやヨーロッパ等で近年建物の室内環境のための研究及び実績が続々発表されている中、日本でもその適用可能性を幅広く検討すべきだと考えられる。

第4章では、体表的な環境微生物(真菌及び細菌)及びインフルエンザウィルスを対象として紫外線殺菌の基礎実験を行った。その結果、既往の研究通り、全体的に真菌より細菌のほうが紫外線に殺菌されやすい結果が得られた。殺菌係数から判断するとS. aureus、E. coli、P. pinophilum、C. cladosporioides、A. nigerの順で殺菌されやすい。特にP. pinophilumの結果では、低い照射量では殺菌効果が遅れる初期遅延効果が観察された。また、胞子を1日培養してから行った紫外線照射実験でもほぼ同じ結果が得られた。

インフルエンザウィルスを用いた実験結果からも既往の研究結果とほぼ同じ殺菌係数が得られた。インフルエンザウィルスの種類(A/H3N2及びA/H1N1)によっても変化がほとんどなく一定な結果を示した。

第5章では、紫外線センサーを用いた実測によってUR-UVGI装置及びID-UVGI装置の紫外線強度の配光分布を確認した。その結果、UR-UVGI装置の場合、紫外線ランプの前方に設けられたルーバーによって垂直に狭いビームを照射していることが確認された。この結果から室内上部に設置されるUR-UVGI装置からの強い紫外線が室内上部だけを照射し、在室者に影響を与えないように室内下部には照射しないことが分かる。しかし、UR-UVGIの設置する際に水平性がずれると在室者に照射される紫外線の強度が高くなる危険性があるので、設置の際や設置の後、室内下部に曝露ガイドラインの0.02 mW/m2以上の紫外線が照射されないように確認する必要がある。

ID-UVGIの場合、紫外線ランプの設置位置によって各表面の紫外線強度分布が大きく変わり、共に空調機内部の構成物にも注意が必要と確認された。空調機が稼動してない状態で測定を行ったため、実際運転する際、気温及び気流によるランプ表面の温度低下によって出力が下がることも考慮する必要がある。

第6章では、紫外線強度とともに気流の解析によりUR-UVGIの殺菌効果を評価する方法を検討し、実際の病室モデルに適用してその適用性を確認した。評価の結果、検討された評価方法によってUR-UVGIの設置位置及び空調方式による殺菌効果の明確な差が得られた。UR-UVGIを設置した近傍で高い紫外線照射量を示す。UR-UVGIによる殺菌効果を高めるためには排気口とUR-UVGI装置を近いところに設置しないほうが望ましい。UR-UVGIにより結核菌のように細菌には比較的に高い殺菌率が予想できるが、カビには殆ど殺菌効果がない。

第7章では、ID-UVGIシステムの殺菌効果を予測するために紫外線の強度分布を放射解析により求めた。放射計算の主な手法として用いられている形態係数法及び光線追跡法に関して検討を行い、精度が高い光線追跡法を利用することにした。光線追跡法を採用しているRADIANCEを用いて、あるID-UVGIシステムにおける紫外線の表面及び空間強度を求めた。その結果、同数のランプであっても設置方法によって表面の紫外線強度分布はかなり変わることが分かった。しかし、空間分布は殆ど変化がなかった。放射解析によって求めた紫外線強度から代表的な環境微生物を対象として検討したところ空調機の表面では1時間半で99%以上殺菌できると予測されたが、空間では真菌の殺菌率が低く予測された。実測との比較結果、大きな差が見かけられ、実測で使われたセンサーを確認したところ、紫外線センサーのコサイン補正に問題があることが分かった。

以上の結果により光線追跡法(RADIANCE)を用いID-UVGIシステムの紫外線強度分布解析は有効であると考えられ、殺菌効果の予測及びID-UVGIシステムの最適な稼働時間の設計等に活用できると期待される。

第8章では、事務所ビルの空調機を対象として真菌及び細菌の環境微生物の実測によってID-UVGIの殺菌効果を確認した。1年以上に渡って行われた今回の実測によってID-UVGIの殺菌効果が明らかになった。付着菌及びドレン水に関しては明確な殺菌効果を示したが、浮遊菌に対しては不十分な結果であり、空調方式など多様な条件の空調機を対象としてID-UVGIの殺菌効果データを追跡する必要がある。室内に供給される空気質管理のためには空調機での環境微生物のみならず、外気の条件、ダクト及び吹出し口の清浄状態等の確認も必要である。今回の実験ではID-UVGIを24時間稼働したが、紫外線強度の予測によって細菌効果及び省エネルギーを考慮した最適な稼働条件を導く必要があると考えられる。

第9章では、循環式空調機を採用している病院において感染性汚染物質が発生した場合の拡散形状及びその対策としてID-UVGIの効果を実験及び定常ネットワークモデルで検討した。その結果、病室等各空間における圧力制御により気流が設計通りに流れていることを、白煙を用いた可視化及びtoluene-d8を用いた拡散実験により確認した。ある病室で発生した汚染物質は循環式空調システムにより同じ系統にある他の病室まで拡散することが分かった。循環式空調方式であってもID-UVGIにより感染性汚染物質の拡散が防止できると予測された。ただ、発生源のある病室内や廊下等での感染性汚染物質汚染にはまだ議論の余地が残っている。ID-UVGIに加えて発生源制御のため、病室内に個別換気又はUR-UVGI等の工夫が必要と考えられる。

第10章では、本論文の総括を示し、併せて今後の研究課題を提示した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は「建築衛生上微生物汚染防止のための紫外線殺菌効果の評価に関する研究」と題して、建物内での建築衛生上有害な微生物及びウィルス等による室内空気汚染や空調系統、室内表面の汚染の対策として殺菌効果が優れた紫外線殺菌システムの適用性を検討し、その殺菌効果を流体シミュレーション(CFD)と放射シミュレーションを統合したシミュレーションにより予測する方法を提案したものである。本研究で検討した一連の紫外線殺菌効果の予測評価手法により、紫外線殺菌の効果を飛躍的に精度良く予測評価することが可能となった。この成果は、現在大きな社会的問題になっている新型インフルエンザ、結核などの建物内感染やウィルスや細菌を用いたバイオテロに効果的な対策を講ずる一助になるものと考えられる。

本論文の構成は以下の通りである。

第1章では、本研究の社会的、学術的な背景を述べ、研究の必要性及び目的を説明している。

第2章では、本研究の前提となる既往の研究文献を検討している。感染性の浮遊微粒子による空気感染の問題は、特に不特定多数の人が集まる病院の待合室など、人の滞在時間が長く、感染者が高率に存在する可能性の高い場所で大きな問題となり、こうした室内における空気環境に関する建築衛生上の対策が必要であることを指摘している。紫外線殺菌は従来の室内の殺菌技術に比べ殺菌効果が明確で、制御性、経済性に優れており、建築衛生上適用性が高いことを指摘している。ただし紫外線の殺菌効果に関しては検討例が30年から50年前のものがほとんどであり、計測技術の発展した近年における検討例のない問題を合わせて指摘している。

第3章では、紫外線殺菌に関する基本原理及び効果的な紫外線殺菌を行うための手法に関して内外の既往の研究を検討した結果を述べている。その中で、海外の状況に対し、同様の問題を抱える日本では建物内の紫外線殺菌がほとんど普及せず、今後の発展、普及が期待される現状を指摘している。

第4章では、体表的な環境微生物(真菌及び細菌)及びインフルエンザウィルスを対象とした紫外線殺菌の効果に対する基礎実験を行った結果を示している。その結果、計測技術の劣る過去の研究結果が再現されこれらデータの信頼性が高いことを確認している。また2009年から世界各地で流行している新型インフルエンザウィルスを用いた紫外線殺菌効果に関する実験を行い、この新型ウィルスに関しても紫外線殺菌が効果的であることを確認した。

第5章では、紫外線センサーを用いた実測によって室上部設置型の紫外線殺菌方式(UR-UVGI)及び空調のエアハンドリングユニットもしくはタクト内に紫外線を設置する方式(ID-UVGI)の紫外線強度の配光分布を確認している。

第6章では、紫外線強度とともに流体シミュレーション(CFD)を用いる詳細な気流の解析と紫外線の放射シミュレーションによりUR-UVGIの殺菌効果を評価する方法を提案し、その有効性を検討している。これによりUR-UVGIやID-UVGIの各種設置パラメーター及び空調方式による殺菌効果の特徴を明らかにしている。

第7章では、ID-UVGIシステムの表面殺菌効果を予測するために紫外線の強度分布を放射シミュレーションにより検討している。光線追跡法に基づく放射シミュレーションによりID-UVGIシステムにおける紫外線の表面及び空間強度を求め、その殺菌効果を評価している。

第8章では、事務所ビルの空調機を対象として行った真菌及び細菌の環境微生物の実測結果を示しており、ID-UVGIの殺菌効果を実際の建物で確認、検証した結果を示している。

第9章では、循環式空調機を採用している病院において感染性汚染物質が発生した場合の汚染拡散性状とその対策としてID-UVGIの効果を実験及び定常ネットワークモデルで検討した結果を示し、紫外線殺菌を空調系統に組み込むことの有用性を考察している。

第10章では、本論文の総括を示し、併せて今後の研究課題を提示している。

以上、総括するに、本研究は空気環境に関する建築衛生上、問題となっている微生物及びウィルスの汚染拡散対策として紫外線殺菌システムに注目し、これを実用化するための諸課題、特に効果の予測評価を精度良く行うための数値シミュレーション手法を提案している。また、紫外線殺菌を実際の建物に適用し、その効果を実証により確認している。本研究で提案された予測評価方法は独創性及び実用性が高い。本研究は建物内の衛生管理、並びに建築環境工学の発展に大きく貢献するものと評価される。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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