学位論文要旨



No 125697
著者(漢字) 松原,基行
著者(英字)
著者(カナ) マツバラ,モトユキ
標題(和) 鋼靭性のミクロ破壊力学的研究とそのシップリサイクル鋼製造プロセスへの応用
標題(洋)
報告番号 125697
報告番号 甲25697
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7230号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 粟飯原,周二
 東京大学 教授 都井,裕
 東京大学 教授 高橋,淳
 東京大学 准教授 村山,英晶
 海上技術安全研究所 上席研究員 吉成,仁志
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、シップリサイクル問題の解決を通して、国際的な循環型社会形成に資することを動機として行なわれた。シップリサイクル問題とは、1990年代より南アジアの国々で、船舶を潮の干満を利用して遠浅の海岸の砂浜に乗り上げさせて解撤する浜解撤方式が採用され、特に作業者の安全管理や作業環境への公害防止を行わない事業活動のことを意味する(Fig.1)。しかしながらその廃船は、国境を越えた廃船の売買が厳密には有害廃棄物の越境移動に相当するにもかかわらず、売買契約当事者の主観的意思により、廃船を有害廃棄物とみなしてバーゼル条約を適用しないことに起因する。そこで、2009年5月15日、香港で開催された国際海事機関の国際条約会議で「安全かつ環境上適正なシップリサイクルに関する条約(仮訳)」が採決されるに至った。しかし、1999年の解撤量が640万Light displacement tonnage(以下、LDTと称す)に達したにもかかわらず、シップリサイクル条約の規定を満たすことができるリサイクルヤードは、78 万LDT程度と推定されている。そのため、財政的に安定し安全かつ環境上適正な事業が行えるという意味での健全な船舶解撤産業の育成が必要となっている。

国内外問わず、健全な船舶解撤産業の育成策としては、第一に解体作業の効率化があげられ、著者らは、それを追求するための研究を修士課程において行った。これによって、解体作業の定式化を行い、定量的に評価できるシステムを構築した。Fig.2は、船体の一部を解撤する際の作業時間を安全性と環境影響に配慮して計算した結果である。作業時間の評価値(ピンク色)が最も小さい工程は安全性が高く環境影響も小さくなる傾向があったが、それが最も大きい工程に比しても1/3程度であった。従って、シップリサイクル条約の網の目を潜り、スクラップ鉄需要が旺盛な地域に位置し、且つ、1日1米国ドル(以下、USDと称す)程度の安価な労働費用で人海戦術による解撤を行うようなリサイクルヤードに比べて、遜色のない廃船単価を廃船売却者に対して提示できるほどの解撤作業の効率化は、特に安全かつ環境上適正な作業の追求を考えると容易でないと予想された。

そこで、次に廃船から回収したスクラップ鉄を原料に高品質なリサイクル鋼材を製造することで適正な解撤のための費用を補完して、解撤産業の経済体制の強化を図ることを考えた。短期的には鋼材市況に左右されるものの、厚板製造費と解体費と収益の合計が100USD/LDT程度以下となれば、採算の合う事業として評価されると試算された(Fig.3)。さらに、中長期的な海上荷動量の増加傾向に伴う船腹量の増加傾向に鑑みれば、十分な原料調達量が見込めることから、本提案事業の有効性が期待できた。また、鉄鋼材料の単純な循環的利用では、銅などの不純物混入による劣化が問題視されるなど、その品質の劣化が避けられないため、何らかの高付加価値化プロセスを付与する必要性がある。以上のような理由から、解撤スクラップ鉄のリサイクルにおける高付加価値化の意義を見出した。

そして、廃船から回収されるスクラップ鉄を鉄源と仮定し、電気炉や圧延機器など既存の設備を用い、特にミニミルの使用を想定しながら、脱窒素を目的とする脱ガス精錬処理を施さず、高価な稀少合金元素を添加せず、窒素含有量0.004~0.02質量%を想定しつつ、降伏強度YS が355MPa以上、引張強度TSが 490MPa以上の高強度鋼で、且つ、エネルギー遷移温度と破面遷移温度が-70℃以下で、特にシャルピー衝撃試験におけるセパレーション指数SImaxが船体用鋼板として許容可能と考えられる0.50/mm以下で靭性異方性に優れ、主に船舶、橋梁、建築、建設機械などの鋼構造物に使用される鋼板を製造するプロセスについて、加工熱処理再現装置と実験室規模の圧延設備を用いて検討した。その結果、上記目標を概ね達成する加工熱処理プロセスとして、オーステナイト(γ)相均一域への加熱後圧下し、α均一相まで急冷後フェライト/オーステナイト(α/γ)の二相低温域まで加熱後圧下し、α/γの二相の分率が50%前後となる温度まで再加熱してから制御冷却するプロセスを提案した。Fig.4には、提案プロセスにおけるミクロ組織の変化を示す。Fig.5~7には、提案プロセスなどTable1の加工熱処理で試作した板厚15mm鋼板の機械的特性の中からvTrEに対するSImax、全伸びTElに対するYS、均一伸びUElに対するYSを示す。ただし、Table1のACAとACBを通常材、WQC1,2を通常材、WQA2~5とWQB2~5を開発材、WQA2TP~5TPとWQB2TP~5TPをTP材とし、各鋼材の化学成分A,B,CはTable2に示す。ここで、各鋼材記号中のACとWQは空冷と水冷を意味する。提案プロセスの圧延抵抗は従来の圧延設備で耐えうる程度であり、設備技術の新たな開発を必要としないため、シップリサイクル鋼は国内外問わずに製造可能と考えられた。

上記プロセスの検討に当たっては、ミクロ組織観察をその主な手段として用い、平均結晶粒径が5μm程度の細粒鋼を指針とした。これによって、強度試験や破壊靭性試験を行なうことなく必要なミクロ組織が得られる加工熱処理プロセスを検討することが可能となった。実験室規模の厚鋼板試作によって、引張強度や降伏強度やセパレーション指数に関しては目標値を達成したものの、脆性延性遷移温度で目標値を達成したのは、開発鋼材の半数程度であった。これは、プロセス検討において、開発材で定性的に観察された残留マルテンサイトをへき開破壊の発生起点と考え、それを除去するために焼戻しを施したものの、定量的には結晶粒径のみを指針としたことに一つの原因があると考えられた。そこで、今後の鋼材開発における指針をより一層明確にするため、基本に立ち返り、靭性向上の指針を与えるミクロ組織について、特に脆化相の定量的な調査を行った。

鋼材の製造指針を与える鋼のミクロ組織と機械的特性との関係性を解明する研究は、従来から行なわれてきた。しかしながら、基本的にばらつきを伴う靭性については、それを説明する確率論的なモデルはあるものの、ミクロ組織との直接的な関係性に乏しく、鋼の製造指針を与えるには至っていない。そこで、フェライト(α)粒径とセメンタイト(θ)短径の異なる鋼種の靭性を切欠き付3点曲げ試験で評価し、この実験結果を用いて有限要素法計算から算定した局所破壊応力σfや局所破壊歪εfあるいは準CTODを説明することのできるへき開破壊モデルを新規に提案した。

はじめに、α粒径とθ短径の異なる8鋼種(Fig.8)の靭性を切欠き付3点曲げ試験で評価した。その結果、脆性延性遷移曲線は、α粒径が小さい鋼種ほど低温側に、同等のα粒径の鋼種でもθ短径の小さい鋼種ほど低温側に位置した(Fig.9)。また、脆性延性遷移温度DBTTは、α粒径が小さい鋼種ほど低温に、同等のα粒径の鋼種でもθ短径の小さい鋼種ほど低温になった(Fig.10)。

次に、この実験結果を基に各鋼種の下降伏応力σy0を材料特性として入力した有限要素法商用プログラムABAQUS ver.6.9.1(以下、FEMと称す)で切欠き付3点曲げ試験モデルを構築した。このモデルを実験における破壊変位まで負荷し、実験の破面で同定した破壊起点と同じ位置のモデル上の最大主応力を局所破壊応力σfとして算定した。この実験結果に基づいた局所破壊応力σfを各鋼種のα粒径分布とθ短径分布のミクロ組織観察結果を用いて従来提唱されたモデルの計算式から算出した局所破壊応力σfθと比較した。その結果、α粒径分布を考慮することで、α粒径分布の異なる鋼種に対してのみ、その実験結果をほぼ説明することができた(Fig.11)。しかしながら、α粒径分布が同程度でθ短径分布の異なる鋼種の実験結果は説明できなかった。これは、従来のモデルがθ割れを前提条件としており、それに及ぼす諸因子の影響を考慮していないためであると考えられた。

そこで、温度と拘束条件の異なる砂時計型丸棒引張試験をFEMで算出した試験片中心の最大主歪が40%となる変位を負荷した後、その試験片縦断面上の最大主歪がほぼ一定となる領域を観察してθ割れを計数することで、θ割れに及ぼす諸因子の影響を調査し、θ割れ率が作用応力ηと最大主歪とθ短径の関数となる実験式を得た(Fig.12)。

そして、ミクロ組織観察で得たα粒径分布とθ短径分布が「最弱リンク機構」に基づく体積要素内に分布し、FEMから取得した外部負荷が当該体積要素に作用する時、θ割れに及ぼす諸因子の影響に関する実験式とθ亀裂が隣接αに突入する限界応力とα亀裂が隣接αに伝播する限界応力によって、へき開破壊の3段階の限界条件を設定するという新しいモデルを構築した(Fig.13)。

この新へき開破壊モデルに基づき、汎用数式処理システムのMathematica ver. 7.0を用いてプログラムを作成し、模擬実験を行なったところ、その局所破壊応力σfは鋼種10MMの一部を除いて鋼種毎に実験値とほぼ一致した(Fig.14)。また、温度と鋼種が同じ条件下における局所破壊応力σfのばらつきのワイブルプロットにおける形状母数mと尺度母数σ0のいずれの傾向とも実験値と概ね一致した(Fig.15)。これによって、新規に提案したへき開破壊モデルの妥当性を検証することができた。そして、この新へき開破壊モデルによって、鋼種5ULで試験温度-103℃のθ短径数密度割合分布とθ短径数密度を10MLと10MSのそれに置き換えた模擬鋼種(以下、それぞれ5ULLと5ULSと称す)を用いた模擬実験の結果、結晶粒微細化のみならず、θ寸法も微細化するべきというα/θ鋼のミクロ組織の高靭性化の製造指針を得ることができた(Fig.16)。

この指針に基づき、今後、廃船から回収したスクラップ鉄をシップリサイクル鋼材に再生する加工熱処理プロセスのさらなる改善を図ることが期待される。そして、船舶解撤産業の健全な育成がなされることで、国際的な循環型社会の形成に至ることが望まれる。

Fig.1浜解撤方式の情景

Fig.2船舶解撤作業時間の最適化の計算結果

Fig.3船舶解撤産業の経済性評価

Fig.4提案プロセスにおけるミクロ組織の変化

Table1圧延熱処理条件

Table2供試鋼材の化学成分

Fig.5通常材と開発材とTP材の化学組成毎のSImaxとvTrEバランスの比較

Fig.6通常材と比較材と開発材とTP材の化学組成毎の降伏強度と全伸びバランスの比較

Fig.7通常材と比較材と開発材とTP材の化学組成毎の引張強度と均一伸びバランスの比較

Fig.8供試鋼材のミクロ組織概観

Fig.9切欠き付3点曲げ試験の準CTODによる脆性延性遷移曲線

Fig.10脆性延性遷移温度DBTTのα粒径平均値依存性

Fig.11局所破壊応力σf(各種記号)と局所破壊応力σfθ(二直線)の比較

Fig.12θ割れ率θcr/ηのθ短径95%最大値t95%max依存性と最大主歪ε11依存性

Fig.13新へき開破壊モデルの概念図(1)転位の堆積、(II)θ亀裂のα突入、(III)α亀裂のα伝播

Fig.14準CTODに対する局所破壊応力σfの模擬実験値と実験値の比較

Fig.15局所破壊応力σfの模擬実験値と実験値のワイブル分布比較

Fig.16θ寸法分布が異なる5ULLと5ULSの準CTODのワイブル分布

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、シップリサイクル問題の解決を通して、国際的な循環型社会形成に資することを動機として行なわれたものである。

現在、船舶の解体は発展途上国においてビーチスクラッピングで代表される、安全と環境に多くの問題を有する方法でなされているとともに、廃船により発生する鉄スクラップは本来、高品質であるにもかかわらず、伸鉄等の加工により再利用されているものの、有効なリサイクルが図られていない。廃船から回収されるスクラップ鉄を鉄源とし、電炉法により造船用鋼として蘇らせることを目的として、リサイクル鋼の製造方法に関する基礎的な研究を行った。

ここでの問題は、電炉法では不可避的に鋼に含有される窒素の濃度が高く、靭性を阻害することである。この問題を克服するために、結晶粒微細化のプロセスを検討した。具体的には、降伏強度が355MPa以上、引張強度が490MPa以上の高強度鋼で、且つ、シャルピー衝撃試験遷移温度が-70℃以下で、特に衝撃試験におけるセパレーション指数が船体用鋼板として許容可能と考えられる0.50/mm以下で、強度と靭性に優れた鋼板を目標とした。この特性を得るために、フェライト結晶粒径を5μm以下とすることを目標とした。

まず、加工熱処理再現装置を用いて圧延プロセスを基礎的に検討した。上記目標を達成する加工熱処理プロセスとして、オーステナイト(γ)相均一域での加熱圧延後、フェライト(α)均一相まで制御冷却し、フェライト/オーステナイト(α/γ)二相低温域まで再加熱後圧延し、α/γ二相分率が50%前後となる温度まで再加熱してから制御冷却するプロセスを提案した。提案したプロセスを実験室圧延実験に適用して鋼板を試作した結果、上記の目標を達成することを確認した。本提案プロセスの圧延変形抵抗は従来の圧延設備で耐えうる程度であり、設備技術の新たな開発を必要としないため、シップリサイクル鋼は既存の製鉄設備を利用することにより製造可能と考えられた。

上記のような高靭性鋼の開発においては、目標とする特性を達成するための目標ミクロ組織を設定する必要があるが、従来はこれを経験に基づいて行っており、精度よい定量評価ができず、鋼材開発におけるネックの一つとなっていた。このような問題を解決するためには、鋼のミクロ組織と機械的特性との関係性を定量的に評価する必要があるが、特に、ばらつきを伴う靭性については、理論構築が遅れていた。靭性のばらつきを説明する確率論的なモデルはあるものの、ミクロ組織との直接的な関係性に乏しく、鋼の製造指針を与えるには至っていなかった。そこで、本研究では、フェライト(α)粒径とセメンタイト(θ)寸法分布の異なる鋼材を実験室製造して靭性評価を行い、靭性に及ぼすミクロ組織因子を定量評価することを行った。さらに、ミクロ組織因子から靭性を予測する新たな方法について研究を行った。

はじめに、α粒径とθ短径の異なる8鋼種の靭性を切欠き付3点曲げ試験で評価した。その結果、脆性延性遷移曲線は、α粒径が小さい鋼種ほど低温側に、同等のα粒径の鋼種でもθ短径の小さい鋼種ほど低温側に位置した。また、同等のα粒径の鋼種でもθ径の小さい鋼種ほど低温になった。

次に、この実験結果を基に各鋼種の降伏応力を材料特性として入力した有限要素法(FEM)で切欠き付3点曲げ試験片の応力歪解析を行った。この解析において実験における破壊変位まで負荷し、実験の破面で同定した破壊起点と同じ位置のモデル上の最大主応力を局所破壊応力σfとして算定した。この実験結果に基づいた局所破壊応力σfを各鋼種のα粒径分布とθ短径分布のミクロ組織観察結果を用いて従来提唱されたモデルの計算式から算出した局所破壊応力σfθと比較した。その結果、α粒径分布を考慮することで、α粒径分布の異なる鋼種に対してのみ、その実験結果をほぼ説明することができた。しかしながら、α粒径分布が同程度でもθ径分布の異なる鋼種の実験結果は説明できなかった。これは、従来のモデルがθ割れを前提条件としており、それに及ぼす諸因子の影響を考慮していないためであると考えられた。

そこで、温度と拘束条件の異なる砂時計型丸棒引張試験を用いてθ割れに及ぼす諸因子を検討した。FEMで算出した試験片中心の最大主歪が40%となる変位を負荷した後、その試験片縦断面上の最大主歪がほぼ一定となる領域を観察してθ割れを計数することで、θ割れに及ぼす諸因子の影響を調査し、θ割れ率が作用応力ηと最大主歪とθ径の関数となる実験式を得た。

次に、θ割れによる微視き裂の発生と「最弱リンク機構」を考慮した新たな靭性予測モデルを構築した。このモデルでは、試験片応力集中部を微小体積要素に分割し、その要素内にはミクロ組織観察で得られるα粒径分布とθ径分布が存在するものとする。FEMから求めた作用応力が当該体積要素に作用する時、θ割れの頻度を上記実験式より求め、θき裂が隣接αに突入する限界応力とα亀裂が隣接αに伝播する限界応力によって、へき開破壊の3段階の限界条件を設定し、これらがすべて満足された体積要素がひとつでも存在する時に試験片が破壊するものとした。この新へき開破壊モデルに基づき、靭性を予測する計算プログラムを作成し、再現計算を行なったところ、予測破壊靭性値は実験値と概ね一致することが確認できた。さらに、破壊靭性値のばらつきも予測できることを確認した。本へき開破壊モデルにより、結晶粒微細化のみならず、θ寸法も微細化することにより靭性を向上できることを定量的に示すことができた。

本へき開破壊モデルは鋼のミクロ組織情報から靭性値をそのばらつきまで含めて予測可能とすることに端緒を開いたものであり、今後、シップリサイクル鋼を含めた高靭性鋼開発指針の提示等に威力を発揮するものと期待できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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