学位論文要旨



No 125700
著者(漢字) 松本,道弘
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ミチヒロ
標題(和) 月への飛行における重力捕捉のメカニズムとその応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 125700
報告番号 甲25700
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7233号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,淳一郎
 東京大学 教授 河内,啓二
 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 岩崎,晃
内容要旨 要旨を表示する

月・惑星探査において,燃料消費量を抑え,より多くのペイロードを運ぶことは,実用化をはかる上で最も大きな課題の1つであり,対象への継続的な探査・利用を行うことを想定した場合,本課題の重要性はますます大きくなる.

宇宙空間を飛行する際には,様々な外力が宇宙機に働く.これら外力の内,特に複数の天体重力の複合作用にて,周回機の投入をはかる当該天体の影響圏の外から進入してきた物体が,その天体周りに一時的にとどめおかれる現象・効果のことを重力捕捉と呼び,応用されると,周回機投入への軌道変換に要する修正速度量,燃料消費量を抑えることができる有用な輸送方策につながる.重力捕捉に関する研究は古くから行われており,一部実ミッションにも適用されてきている.理想的な,弾道飛行のみによる重力捕捉の応用においては,一切の軌道制御なしで,月へ無限遠相対速度を減少させ,到着時点にて軌道エネルギーを負,すなわち楕円軌道相当のエネルギーにまで低下させて会合させることをはかる.しかし,この条件が満たされる良好な飛行機会は非常に限定的にしか存在しないことがわかっており,また,それらの打ち上げ機会に関する設計情報も十分には整理されてこなかったため,実利用はこれまで非常に稀であった.加えて,捕捉に関わるメカニズムは,探査機自身を含む四体問題としての解析を通じてのみ現れる現象・効果であって,捕捉メカニズムに果たす太陽潮汐力の寄与,および人為的な推進加速度の果たす役割への理解が難しく,軌道設計において与えるべき評価指標の適切な設定法も確立されてこなかった.

これを受け,本研究では,重力捕捉を月周回軌道上への輸送に適用するための方策とその実用性の向上を目指し,さらに現象のメカニズムの解明を行うことで軌道設計手法へとつなげることを目的とする.前者は宇宙機に影響を及ぼす天体重力を宇宙機軌道面上で余すことなく考慮した上で軌道設計のチャートを作成し,さらに軌道制御を取り入れることで,特に実利用における応用をはばんできた打ち上げ窓の拡張方策を提案し,その有効性を示す.ついで,後者については,従来取り扱うことが困難であった多体系の問題となる重力捕捉メカニズムについて,制限四体問題としての解析手法を明らかにし,同問題を扱う上で指針となる保存量の導出を行って,重力捕捉現象を新しい観点から紐解き,それを陽に考慮した軌道設計法の確立を行う.

まず,月重力捕捉を引き起こす太陽,地球,月の3つの天体の重力を含んだ制限四体系システムの構築を行った.本問題を扱う上で,簡単化のために3つの天体と宇宙機が同一平面内を運動すると仮定し,各天体同士が2つの円運動を形成する特殊な座標系上で運動方程式の記述を行っている.上記モデルを利用し,さらに重力捕捉を行う月への遷移軌道を月スイングバイを介することで,ホーマン遷移とその後の重力捕捉軌道に分け,後半のフェーズに対して月スイングバイ地点を起点とした数値解析を行うことにより,出発月齢に対する解の存在範囲の解析を行った.本解析により,弾道重力捕捉軌道の打ち上げ機会が数値的に整理され,同軌道設計における指針が提示されることになる.加えて,実際に打上げ機会が月齢1周期中1.4日程度しか存在しないことを明示し,また周期性や軌道形状に関する知見を与えている.

上記解析を実利用の観点から整理すると,打上げ窓は非常に限定的かつ高感度な設計条件が必要となることが導かれる.これを受けて,軌道制御を用いることで重力捕捉における打上げ窓の拡張を行う方策について検討を行っている.本検討では,さらに月重力捕捉軌道を月再会合時の月影響圏境界にて分割を行う.

まず月影響圏までの解析として,実際の軌道制御を想定し,最適制御入力の形がコースティング期間を含んだバンバン制御となるように軌道制御量の2乗積分を評価関数として与え,また,影響圏境界における月との相対速度を導入し,これと出発時の月齢を境界条件として指定することによって定式化を行い,DCNLP(Direct Collocation and Nonlinear Programming)法を用いて軌道最適化を行った.

重力捕捉の成否を,月影響圏境界において月に対する軌道エネルギーが負であることと定義し,C3=0に相当する,影響圏境界における月との相対速度380m/sを基準にして,終端に持つ月との相対速度量と重力捕捉を達成するために必要な軌道制御量の関係から効率を定義し,各軌道の評価を行った.

次いで,月影響圏内における月周回軌道への投入方策を検討した.システム重量の観点から,低推力推進を使用することで得られる恩恵を最大限生かすためにはミッション全体を通して低推力推進を利用する必要がある.そこで,本検討では,月周回軌道への投入方策として,進入近月点を十分遠方にとり,円状のスパイラルを用いる手法と,近月点を低くとり楕円状のスパイラルを用いる手法を提案し,低推力推進のみを用いて軌道投入が可能であることを示すと同時に,従来のインパルス的な減速による月周回軌道投入方策との比較を行い,その有効性を確認している.

そして,上記2つの数値解析を組み合わせることで,月周回軌道へのペイロード輸送能力の大幅な改善と打ち上げ窓を常時確保することが可能となることを示した.

次に,重力捕捉のメカニズムの考察と軌道設計手法への応用に対する検討を行う.重力捕捉軌道を論じるための準備として,宇宙機の月に対する運動の評価を行うために運動方程式を地球-月固定系の回転座標系へと書き換え,制限三体問題における保存量であるヤコビ積分の拡張を行った.

拡張されたヤコビ積分は,厳密には各天体の動きを正しく表現できていないために保存量とはならないが,特に惑星-衛星近傍における宇宙機の運動を考える場合では,太陽が十分遠くに存在していると仮定することで,宇宙機軌道に沿って擬似的に保存すると考えることができる.つまり上記,拡張ヤコビ積分は一般的に取り扱うことが難しい制限四体系に対して,解析の指針となる擬似的な保存量を提供するものとなる.

得られた拡張ヤコビ積分を,「制限三体系ヤコビ積分」,「太陽潮汐力項」,「人工的な軌道制御項」の3つの項に分け,各項を評価することで重力捕捉における相対エネルギー低減下のメカニズムを考察し,月重力捕捉には「太陽-地球-月に特殊な幾何学的関係が必要となる」という事実に対して,新しい解釈を与えている.また,拡張ヤコビ積分値を評価関数として組み込み,能動的に操作することで重力捕捉軌道の作成が行えることを数値的に確認した.

さらに上記で得られた結果より,月接近に際し,月の引力に逆らって軌道エネルギーが減少するという重力捕捉における重要な特性を見出し,これに着目することで調査・解析を行っている.この現象が主に月重力の有無からくることをつきとめ,太陽-地球-宇宙機の三体系とさらに月を加えた四体系の運動方程式を用いて月近傍の運動を比較・解析することで最適な進入経路に対する考察を行った.現象の理解に際し,まず数値解析を行った.この結果より,進入軌道は正弦曲線を描くことを示し,また,月重力の有無に対して進入経路に違いが生まれ,月重力がある場合には,より低速となり,ヤコビ積分の等高線に沿った軌道で進入する特性があることを示した.さらに,数値解析結果をもとに最適な進入経路方向の様相を調査することで,三体系および四体系に共通な特性として,進入軌道および到着時の速度方向は評価時の月齢に依存し,月の周期の2倍の正弦関数として与えられることを示した.また,系が月の周期の2倍の固有振動数を持つことについて定性的な解釈を与えている.

ここで得られた解軌道の考察にあたり,軌道設計手法へと発展させるために,最適な操舵方策の振る舞いについて解析を行っている.月軌道の外側から月へとアプローチを行う重力捕捉軌道では必ず地球-月系のL2点近傍領域を通過することになる.そこで,この領域での進入軌道を論ずるために,L2点周りに運動方程式の線形化を行い,3つの解析的なアプローチによって月影響圏近傍領域の進入軌道を評価する.

最初のアプローチでは本研究により新しく得た拡張ヤコビ積分を評価関数として与え,これが最小になるような制御方策の検討を行っている.本解析により,最適操舵則の性質として,系は月の2倍の周期の固有振動数を持つことを示し,軌道制御入力は終端で接線減速となることを明示的に与えた.また,数値解による検証を行い,終端で接線減速が行われることに加え,月重力を加えた四体系における解では,三体系の解に対して,ここで求めた月の周期の2倍の高次振動項成分が表れることを示した.次いで,2つ目のアプローチでは,拡張ヤコビ積分の被積分量を系の微分方程式中に組み込むことで終端の拡張ヤコビ積分値の指定を行い,燃料最小化問題として定式化した問題を考え,同様の性質を導いた.そして最後に上記2つのアプローチを包括するような混合問題を考え,拡張ヤコビ積分に制御量の2乗積分を加えた量を評価関数として定式化し,解析を行った.本解析中で評価関数が2次型式で記述されうることを見いだし,最適解をフィードバックの型式で得られることを示した.また,制御ゲインの構造を厳密に求めることで,機上誘導則への実用的な応用につながる結果を得ている.

以上より,本論文は,重力捕捉方策の実用性の向上と,同現象のメカニズムの解明と軌道設計法への応用についてまとめたものとなっている.

今後の課題としては,各重力捕捉軌道における,推力レベルの変化に伴う必要軌道制御量の調査,複数回の月スイングバイを利用した重力捕捉軌道の調査などがあげられる.

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)松本道弘 提出の論文は「月への飛行における重力捕捉のメカニズムとその応用に関する研究」と題し,本文5章と,付録3項よりなる.

月・惑星探査において,燃料消費量を抑え,より多くのペイロードを運ぶことは,実用化をはかる上で最も大きな課題の1つである.

重力捕捉とは,複数の天体の重力の複合作用にて,周回機の投入をはかる当該天体の影響圏の外から進入してきた物体が,その天体周りに一時的にとどめおかれる現象・効果を指し,応用されると,周回機投入への軌道変換に要する修正速度量,燃料消費量を抑えることができる有用な輸送方策につながる.重力捕捉に関する研究は古くから行われており,一部実ミッションにも適用されてきている.本論文では,この手法を月周回軌道上への輸送に適用している.理想的な,弾道飛行のみによる重力捕捉の応用においては,一切の軌道制御なしで,月へ無限遠相対速度を減少させ,到着時点にて軌道エネルギーを負,すなわち楕円軌道相当のエネルギーにまで低下させて会合させることをはかる.しかし,この条件が満たされる良好な飛行機会は非常に限定的にしか存在しない.このため,この弾道飛行による重力捕捉を可能とする打ち上げの機会は極端に少なく,実利用は,これまで非常に稀であった.かつ,それらの打ち上げ機会に関する設計情報も十分には整理されておらず,応用をはばんできたところである.加えて,捕捉に関わるメカニズムは,探査機自身を含む4体問題としての解析を通じてのみ現れる現象・効果であって,捕捉メカニズムに果たす太陽潮汐力の寄与,および人為的な推進加速度の果たす役割への理解が難しく,軌道設計において与えるべき評価指標の適切な設定法も確立されてこなかったため,系統立てられた設計は極めて困難な工学的な課題として残っていた.

本論文が扱っている主題は,重力捕捉方策の月周回機投入ミッションへの適用で,その実用性の向上,現象のメカニズムの解明と軌道設計法への応用である.後者は,すなわち,制限4体問題としての解析手法を明らかにし,同問題を扱う上で指針となる保存量の導出を行って,重力捕捉現象を新しい観点から紐解き,それを陽に考慮した軌道設計法を確立することに成功している.

第1章は序論であり,本研究で取り扱う重力捕捉の現象について概観しており,過去の研究にて未解明の課題を整理し,本研究の目的と得られる成果について述べている.

第2章では,弾道飛行による月への重力捕捉軌道の打上げ機会を数値的に整理し,弾道飛行による場合での軌道設計の指針を提供している.重力捕捉の方策については,弾道での軌道設計についてすら,系統立てられた設計チャートは発表されたことはなく,本研究により初めて提供されている.

第3章では,前章で提供された方策の適用がきわめて特別の打ち上げ窓に限定されている課題を克服すべく,低推力推進機関を用いた打ち上げ窓の拡張法とその成果を提供している.その結果,月周回軌道へのペイロード輸送能力の大幅な改善と,連続的に常時打ち上げ窓を確保することに成功しており,前章の結果とともに,重力捕捉方策利用の実用性の向上に強く貢献している.

第4章は,本論文の主たる議論の展開となっている.

同章では,まず制限4体問題という近似的な手法を導入し,それによって,重力捕捉のメカニズムを明らかにして,太陽潮汐力と探査機推進加速度の寄与を陽に抽出した飛行力学的な解釈を進めることに初めて成功している.また,従来は,重力捕捉方策を軌道設計に導入する上で,評価指標として何を最適化すべきかが明確化されていなかったが,本章での検討により,制限4体問題における拡張Jacobi 積分を評価にいれた数値最適化法が提案され,その実施に成功し,初めて具体的な評価指標を数学的に明らかにしている.さらに,得られた解軌道の力学的な特徴を解析し,振動的な推進加速度の操舵が重力捕捉に重要な役割を果たしていることが明らかにされている.同章は,最後に,拡張Jacobi 積分の評価が2次型式で記述されうることを見いだし,それを利用した最適解をフィードバックの型式で得ることにも成功しているが,これは実時間での機上誘導則への実用化につながる成果となっている.

第5章は結論で,本研究の成果を要約している.

以上要するに,本論文は,重力捕捉方策の実用性の向上と,同現象のメカニズムの解明と軌道設計法への応用に成功しているといえる.前者では,設計上有用な整理された数値的指針と,常時応用可能な実用性の高い打ち上げ窓の拡張結果が提供され,また後者では,制限4体問題としての解析法を明らかにし,拡張Jacobi積分を導入して,同捕捉現象への普遍的で新たな解析結果とその解釈を提供して,それを陽に考慮した軌道設計法を確立し,実応用への展開法を述べている.これらの成果は,宇宙工学上寄与するところが大きい.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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